総意

文字数 6,536文字

 送信者の欄には「ZEKE」の文字があった。
「ジークって誰だっけ?」
 タイカは地球に降り立って以降に出会った人々を、可能な限り思い出してみた。名前からして外国人のようだが、そうなると国際亜空間研究所で働いていたときだが、どの顔を思い出しても該当する名前の人物はいなかった。
 もう一つタイカを混乱させた要因は、テキストメッセージの受信許可だ。たとえタイカのアドレスを知っていたとしても、外部からタイカのプライベート・ネットワークに接続できるのはヤマワとヒワだけのはずだった。
 タイカはエマニに命じてネットワーク接続許可リストを表示させた。そのリストに登録されている個体識別アドレスだけ、エマニは外部からの接続を許可する。
 リストを確認してタイカは一瞬言葉を失った。そこには三件の個体識別番号が並んでいた。
 リストの最初はヤマワのものだ。そして最後にあるのはヒワのものだ。タイカ自身が登録した識別アドレスなので覚えていて当然だ。
 では、真ん中のものはいつ登録したのだろう。
「エマニ。二番目の識別アドレスをリストに登録したのはいつだ」
「2071年9月13日午前8時23分です」
 その日付を聞いて、タイカはようやく思い出した。
 銀座占拠事件だ。あの時主犯の携帯端末にタイカの方からアクセスして、端末のデータを取得した。その過程で自動的にネットワーク接続許可に登録されたのだ。
「ジークって、あの人のことか」
 そういえば、彼は逮捕された後でなにか言っていた。
「お前のような力をもった人間はな、いずれその力を持て余して路頭に迷うことになるんだ。もし自分の存在意義がわからなかくなったら俺のところに来い。俺がそれを教えてやるよ」
 確かそんなことだ。まさに今回のメッセージそのものだ。
 タイカは当初、このメッセージを無視しようと思った。それどころか、エマニに許可リストからの削除を命じる寸前だった。ジークはタイカが自ら捕縛した相手であり、自分やヤマワの対局にいる人間だと思ったからだ。
 しかし、生来の好奇心がその判断に割って入った。
 タイカは送られてきたメッセージをもう一度読んだ。
「ようやくおまえもオレの世界にたどり着いたな」
 これはいったいどういう意味なのか。
 しばらく考えた末、タイカは短い文章を返信した。
「『オレの世界』ってどういうこと?」

 ジークから返信が来たのは、その日の夜だった。ただし、その内容はタイカに対する直接的な答えではなく、インターネットのアドレスだった。
 タイカがアドレスに接続すると、有名動画サイトが開いた。
 再生された動画は五分程度のもので、タイトルは「何が正しい行為なのか?」となっている。
 最初は黒い画面に音声だけが流れた。どうやらアメリカの緊急通報回線で、通報者である女性とオペレーターの会話だ。
「男がドアを壊して家の中に入ってこようとしてる。生まれたばかりの子供がいるんです。警官を寄こしてもらえますか?」
「ドアは施錠していますか?」
「はい。手元に銃もあります。男が侵入してきたら発砲してもいいですか?」
「あなたの身を守るために必要と思うことをしてください。私が発砲を許可するとはいえませんが、あなたと赤ちゃんを守ることをしてください」
 音声は終わり、「母親は正当防衛が認められた」という字幕が表示された。そして、その下に「救われた命:2」と続く。
 次は映像だった。電車のホームでもみ合っている男女が映し出されている。周囲には他の客がいるが、遠巻きに見ているだけで誰も止めようとしない。やがて男が右手を振り上げた。反射的に女が男を突き飛ばす。男は勢い余って線路に落ち、ホームによじ登ろうとしたところを通過する電車に跳ね飛ばされた。
 映像が終わり、再び「彼女の正当防衛は認められた」と表示され、その下には「救われた命:1」と続いた。
 そんな調子で映像や警察無線が繰り返し流れていく。そのすべてで人の命が失われているが、奪った方は正当防衛が認められ、その下に「救われた命」と数字が並ぶ。
 最後はタイカもよく覚えているやり取りだった。
 病院立てこもり事件の警察無線だ。事件解決のためのやり取りが飛び交う警察無線に入り込むタイカの声。
「銀座事件で押収したものに適用するのないかな。SWATの金田さんに証拠品どこにやったか聞いてみてよ」
 その後の混乱した警察無線の音声がフェードアウトして、「救われた命:最低でも1」と表示された。
 タイカには動画の意図がまるでわからなかった。強いてあげるなら、同じ違法行為でも状況によっては罪にならないということか。
 しかし、それと彼の世界とどういう関係があるのか。なぜこれらの例と自分の行ったことが同列に並べられているのか。
 思考の断片が次々と湧き上がってはタイカの好奇心を刺激していく。その最たるものは「オレの世界」だ。彼はタイカがそこにたどり着いたというが、タイカにはヒーロー活動と銀座占拠事件が同列だと言われているような気がした。
「それはない」
 タイカは即座に否定した。なぜならあの時はヤマワもいて、ジークはその二人で制圧したのだ。
 そんなことを考えていると、再びジークからメッセージが届いた。
 しかしそれは文章ではなく、アルファベットと数字の羅列だった。
 1行目はどうやら緯度・経度・高度で示された三次元座標のようだ。そして、2行目には「21:00」と記されている。
「エマニ。この座標を地図上に表示しろ」
 網膜ディスプレイに新たなウィンドウが開き、東京都内のある場所にマーカーを載せた。そこはとあるビルの屋上だった。
「ここに来いってことなのかな?」
 口に出してはみたものの、タイカ自身他の可能性がないことを確信していた。

 幸か不幸か、夜を迎える頃にはヒーロー活動も一段落ついていた。
 湾岸線の上空を彩る花火を横目で見ながら、タイカは指定されたビルの上空に向かった。
 タイカはまず屋上をフルスキャンしてみた。可視光・赤外線・電波の他、物体の分子構成までスキャンして危険物の有無まで確認した。相手はあの銀座事件の主犯だ。あれだけの大掛かりな犯罪を少人数でやってのけ、しかも従えた人数の大半を使い捨てるほどの冷徹さを甘く見るわけにはいかない。
 なにより、タイカを取り込もうとする動機が未だに不明なのだ。下手をすれば、タイカも使い捨てにされる危険がある。
 タイカは上空に浮遊したまま、ジークが現れるまで屋上を監視することにした。 
 それから15分ほど過ぎた頃、エマニが屋上に熱源の発生を告げた。赤外線モードで眼下を見ると、確かに主犯の姿があった。最後に会った時と何も変わっていない。真っ黒なスーツも短く整えられた髪型もあの時のままだった。
 タイカはしばらくジークの様子を伺ってから、ジークの後ろに舞い降りた。
 気配に気づいてジークが振り向く。
「よう。やっぱり興味を持ったか?」
 タイカは答えなかった。というより、ジークの声が耳に入らないほど、彼の興味は別の方を向いていた。
「なんで直接会う必要があったの?」
 ジークは苦笑して「単刀直入だな」と言った。
「急いでるのか?」
「そういうわけじゃないけど…」
 ジークは面白そうに微笑をたたえたまま、ジャケットの内ポケットから正方形の小さなプラスチックカードを取り出した。
「これをおまえに渡すためだ」
 タイカはそのカードを受け取り、しげしげと観察した。
「なにこれ?」
「ネット上のある場所に入るための鍵だ。そこは普段はスタンドアローンのシステムでな。その鍵でフロントゲートにアクセスしないと、物理ネットワークに接続しない仕組みになってる」
「場所?」
「まぁ、みればわかるさ。きっとおまえの求めているものがそこにある。その上で聞きたいことがあったら、いつでも連絡しろ」
 タイカはしばらくプラスチックのケースを見ていたが、「わかった」と答えた。
「何がどうなるかはわからないけど、とにかく見てみるよ」
「あぁ、それでいい」
 タイカはリアクターを起動すると、「じゃあね」と言って宙へ舞った。浮き上がるタイカを見上げるジークとしばらく目が合っていたが、彼の様子がシルエットでしか判別できない高度に来ると、速度を増して飛び去った。

 タイカはまっすぐ奥多摩のシャトルに戻った。コクピットに座り、しばらくカードを観察していた。カード一辺が4センチほどあり、厚さは5ミリと分厚い。両面とも真っ黒で、側面には小さなボタンがついている。
 エマニのスキャンでも特に危険は見つからなかったので、タイカは意を決して側面のボタンを押してみた。
 すると、正方形の真っ黒な面に三次元バーコードが浮かび上がった。格子状の平面が上下に8枚ほど並んでいて、すべての格子内にアルファベットと数字が表示されている。しかも、最上層の一番右下にある格子には、60から1秒毎に数字が減っていた。
「有限鍵?」
 直接手渡した上に1分間だけ有効な鍵ということは、それほど重要な内容ということか。
 減っていく数字を見つめたまましばらく思案したタイカだったが、数字に急かされるように3次元バーコードをスキャンすると、網膜ディスプレイに表示した。
「エマニ。表示中の3次元バーコードを解析」
「接続アドレスとアクセスキーを取得しました」
「アクセス開始」
 開いた画面はスプレッドシートのようなデザインで、1行目には各列の項目名が記されている。左端の列から順番に「タイトル」「投稿日」「承認数(百万)」とあり、最後の列には「doomsday」となっていた。
 2行目以降がデータ行のようだが、その行数は数百に達しており、最初の5行以降は「doomsday」の列に日付が記されていた。その最上位、つまり「doomsday」に日付が振られている行の一番上で、タイカの視線が固定された。正確にはその行のタイトル部分だ。
 そこには「銀座の地下に冷凍保存された密輸用臓器があるらしい」と記載されていた。
(なんだこれは?)
「投稿日」は2071年3月24日。「承認数」は1.4。「doomsday」は銀座占拠事件の当日になっていた。
 承認数の桁数は百万とある。つまり140万ということだ。何が140万なのだろう。
 タイカはスプレッドシート以外にもページがないか探してみたが、他に貼られているリンクはなく、このシートの用途を示すものは見つけられなかった。
 タイカはデータをスクロールして他のタイトルも見てみた。気になったものをエマニで検索すると、どれも実際に発生した事件だった。おまけに事件の種類は多岐に渡る。強盗、暴行、恐喝、ハッキング、殺人まであった。犯人が逮捕されたものもあれば、未だ捜査中のものもある。
(これは犯罪のリストじゃないか。どうせジークが実行したものなんだろうけど、それと僕となんの関係があるっていうんだ)
 タイカはいても立ってもいられなくなった。ジークの言い分を拒否する一方、自分の知らないところで危うい道に入り込んでしまったのではないかという不安が、絡まって大きくなりすぎた糸玉のように、タイカの理性を混乱させた。
 アクセス許可リストからジークの電話番号を取得すると、網膜ディスプレイに開いた電話のコントロール画面でその番号をコールした。

 呼出音は一瞬で終わり、すぐにジークの声が聞こえた。
「よう。連絡よこすの思ったより早かったな。そんなに興味深い内容だったか?」
「いや、そうじゃなくて…」
 なぜこの人はこんなに自信があるのだろう。タイカはジークという人間に潜在的な興味を覚えた。本人にその自覚はなかったが、それが小さな芽となり、やがて自覚するようになる。意識外の他人が自分の人生で実体化していく重要な過程の一つだ。
「これ犯罪リストでしょ。これが君の世界ってのはわかるけど、僕がその世界に近づいた意味がわからない」
 タイカがそう言うと、ジークの弾けるような笑い声が響いた。
「やっぱり興味持ったんじゃねぇか」
「そうなの?」
「当たり前だ。興味なかったら真っ先に否定するだろ。『なに言ってんだ、こいつは』ってな。オレの言ったことが気になるってことは、おまえがその答えを求めてるってことだよ」
「僕は別に犯罪自体に興味があるわけじゃないよ」
「知ってるよ。おまえの興味は市民の動向だろう?」
「まぁそうだけど…。でも、これは君が実行した犯行のリストでしょ。市民は関係ないと思うけど」
「実行したのは確かにオレだが、それを容認して加担したのは市民だぞ」
「はぁ?」
「まずおまえが今見たリストは、すべて市民がネット上で発した願望なんだよ。それをオレの作ったAIが、社会的な意義や権力構造を基に選別して拾ってきたものだ。で、そのリストにあった『承認数』っては、ネット上に拡散したその願望に、理解を示したユーザーの数だよ。オレはその承認数が100万を越えたものだけ実行に移してるってわけだ」
 理解が追いつかないタイカが何も反応できずにいると、それを察してジークは続けた。
「つまりな、オレの実行したものは、オレの私欲によるものじゃなくて、市民の総意なんだよ。例えばあの銀座事件も、元々はアジアンマフィアの構成員が、臓器売買の密貿易と人身売買をコミュニティサイトに垂れ込んだものだ。そいつは臓器提供の元になっている弱者に同情して改心したやつだが、そいつの噂はあっという間に市民の間に広がって、同意数が100万を越えたのは初投稿から3日後だ。新記録だよ」
 市民の総意?
 あの事件を市民が望んだことだというのか。140万人もの人間が、3日間という猛烈な速度で犯罪行為に賛同したというのか。
(いや、待てよ)とタイカは思う。
 市民といえども全員ではない。100%などという数字は、人の意思に限って非現実的なものだ。
 しかし、その考えは脳裏をよぎったささやかな記憶によって、一瞬で吹き飛ばされた。
 その記憶はヤマワとの会話だった。
「じゃあ、その秩序は誰が決めるの?」
「みんなが話あって決めるんだよ」
「話がまとまらなかったら?」
「多数決」
 その後もタイカの無言は続いた。
 理解はできるが実感できない。まさにそんな心境だった。
 ジークはお構いなしに、というより畳み掛けるように続けた。
「おまえ知ってるか? 臓器の闇取引を担ってたアジアンマフィアは、東アジアの各国政府に裏のパイプをもってたんだぜ。それを利用して、あいつらは勢力を伸ばしてたんだ。
 国家や権力者は己の利益を守ることができるが、それを脅かすものはたとえ自国の市民であっても敵対者なんだよ。いや、カモか。マフィアも権力者も利益を得てたんだからな。まぁ、戦争を先導するやつが一兵卒を駒としかみてないのと同じだ。
 何が悪質かって、権力者たちは法律で市民が力をもつことを規制してるんだよ。選挙民を騙すのは簡単だが、犯行されると面倒だからな。
 でもな、権力者がそういう態度をとるんなら、市民側も自己防衛しようと思って当然だろ。自衛権という名目で武装する権利を持った国家が市民の多数決で成立するなら、100万人以上の市民が同意した行為だって正当化されるべきだ。賛同者が自分しかいない正義はただの独善だが、賛同者が多数なら、それは『大義』になるんだよ」
 相変わらず無言のタイカに、ジークは「時間はあるからゆっくり考えろ」と言って通信を切った。

 一人残ったタイカは納得いくまで色々思考してみたが、エフェルの尺度を用いても、地球で暮らした経験を用いても、物理法則のようなシンプルで万能な公式を見出すことはできなかった。こっちを立てればあっちが立たない。その繰り返しだった。
 タイカはコクピットを出ると、通路を通って地上に向かった。
 エレベーターの扉が開き、鳥の鳴き声と共に眩しい朝日が飛び込んでくる。
「なんだ、もう朝だったのか」
 しばらく島を散歩していたタイカだったが、その足取りは徐々にゆっくりとなっていき、突然止まった。
「だめだ。僕の経験だけじゃ埒が明かない」
 タイカは出かける準備をしてシャトルから降りると、ヤマワの家を目指して猛スピードで飛び去った。
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