正義の狭間で

文字数 6,133文字

 白一色の何もない空間を覆う異常に眩しい光。瞳を動かしてもその光景は変わらない。音も空気のゆらぎもなく、顔がほのかに暖かい。
 覚醒直前の頭脳が身体の五感と繋がったとき、タイカは自分の居場所を思い出した。そうだ。僕はシャトルの中にいるのだった。東京への進路設定を終えた後、そのまま眠ってしまったようだ。
 まぶたを開けると、フロントウィンドウ越しに差し込む朝日がタイカの視界に飛び込んだ。タイカの視神経が光量に即応して感度を下げる。次に飛び込んできた風景は、木々の隙間から見える真っ青な空だった。
 タイカの覚醒を感知したエマニが、視野の隅に小さなウィンドウを開いた。ウィンドウには身体ステータスの一覧を表示されており、その中に強制スリープモードの実行ログがあった。
「エマニ。強制スリープモードの実行因子はなんだ?」
「ニューラル・ネットのオーバーロードです。神経伝達物質の過剰放出が記録されています」
「原因は?」
「不明です」
 まぁ、そうだろう。エマニは接続者の思考までモニターできないので、物理的な要因以外は計り知ることができない。それに、過剰放出の原因はわかっている。攻撃の真相を知った結果として、自分の存在意義が揺らいだからだ。自分が手を下すことで、予想外の災厄をもたらす。その可能性があるというだけで、大抵の人は次の一歩を躊躇するに違いない。
 タイカとって、強制スリープモードの経験はサイボーグ化してから初めてのことだった(船上でのものは強制ではない)。
 とはいえ、恋人を持ったことも彼の初体験であり、精神的な変化があっても不思議ではない。
 思えば、タイカこそ地球に紛れ込んだ異物だった。彼がやってくる前から地球は歴史を紡いでいて、たとえ理不尽な事が起こったとしても、地球人はタイカ抜きでそれを乗り越えてきたのだ。
 タイカは思った。そんな彼らを相手にヒーロー活動を続けた場合、自分の行為は彼らの進歩を邪魔することになるのではないか。正当な進化プロセスを乱してしまうのではないか。
 あの爆発事故でエリーが死んだとしても、地球人の進歩に影響はなかった。ただ、タイカは個人的な理由で「現地文明に介入しない」という地球派遣規約を破った。その結果、エリーは事故死ではなく殺害されてしまったのだ。
 タイカが地球での出来事を部外者の立場で見ていれば、もっと言えばエリーとつながりを持たなければ、タイカは今も任務を遂行していたはずだ。
 考えれば考えるほど、タイカは自分の軽率さを思い知る方にしか向かなかった。
 タイカの思考を遮るかのように、エマニが救援候補に追加があったことを、短い通知音でタイカに伝えた。視界の隅に短く「救援候補追加」という文字が出る。
 タイカはうんざりした様子で「エマニ、救援候補通知をオフにして」と言い捨て、エマニの応答音を待つこともなくコクピットを出ていった。

 シャトルは湖の中央にある小島に着陸していた。背の高い木々が島を覆い、島の外から見えないようになっていた。
 湖の周囲は森に囲まれ、その奥には山が連なっている。朝日に照らされて湖面が賑やかに輝いている。人影はなく、澄んだ大気は鳥たちのさえずりだけを伝えていた。
(これがヤマワ君の言ってた場所か)
 タイカは景色を見回しながら思った。 
(確かに良い場所だ)
 地球派遣期間が終わるまで、ここに留まるのも悪くない。そんな考えが頭をよぎった。
 そこへ再び救援候補のアラートが出る。今回は「緊急」の文字がついていたため、先程オフにした通知の対象にはならなかった。タイカはため息をついたものの、自分がそうプログラムしたことを思い出して苛立ちを飲み込んだ。
 タイカは網膜ディスプレイに救援候補のリストを表示し、一番上にある緊急案件の詳細を開いた。エマニが手当たり次第に入手した情報を分類してまとめた概要には、案件の内容がリアルタイムで更新されていく。
 タイカの目に止まったのは、概要欄にある「children」という文字だった。富裕層の子供たちが通う幼稚園の通園バスがジャックされ、現在パトカーとカーチェイスを繰り広げながら国道246号線を南下しているらしい。犯人の2人は拳銃で武装しているとのことだった。
 一瞬(警察がなんとかするだろう)という考えが脳裏をよぎったが、タイカはすぐに打ち消した。
 なんとかするかどうかは問題ではない。なんともならなかったとき、その場にタイカがいなければ意味がないのだ。自分は以前に救助した漁師に「奇跡を当てにするのか?」と尋ねたばかりではないか。
 昨夜以来、理屈と異なる因子が自分の結論を左右している事実に、タイカは違和感を覚えた。余計な思考を挟む分だけ行動に出るタイミングが遅れている。タイカは気持ちを切り替えてエイリマンに姿を変えると、超音速で現場に向かった。
 
 現場上空に差し掛かったところで、エマニが事件の概要を更新した。ジャックされたバスは町田市の交差点で一般車両と接触して、路肩の自動車販売店に突っ込んで停止。犯人は園児と販売店の店員を人質にして立て籠もった。
 販売店の入ったビルを警察が包囲しているが、販売店には何台もの車両が展示されていて、犯人がその展示車両で逃走する可能性があり、人質に加えて包囲する警察官にも危険が及ぶ状況になっていた。
(事態がややこしくなってる。もう少し早ければ、路上でなんとかできてたのに)
 小さな後悔を抱えたタイカは、上空から一気に自動車販売店に突入し、犯人たちが事態を把握する前に彼らの手首に照準ロック。犯人が反撃に出ようとする前に重力子弾で骨を砕いた。
 タイカはもがき苦しむ彼らの襟首を掴むと、そのまま引きずって店舗を出た。その後ろから人質たちが走り出してくる。包囲していた警官たちが彼らを保護しつつ、タイカに視線を向けた。
 野次馬たちから歓声が上がる中、タイカは警官に犯人2人を引き渡すと、誰に向けるでもなく一度だけ小さく頷いてから、音速で上空へ飛翔した。

 実行してみれば簡単なことだ。
 もしエリーが生きていて、自分が躊躇していることを目の当たりにしたら、彼女はいつもの口調で「理屈が通らない」というに違いない。そして、タイカが説明を始めると「言い訳するな」と言って締めくくる。彼女は相手が上司であろうが恋人であろうが、理屈に合わないことには容赦がないのだ。
 自分も彼女のように線引きが必要なのかもしれない。その線を超えた時は、原因がなんであろうが実行に移す。後先を考えることは、決定していない事柄を心配するようなものだ。
(あれ? こんな話前にしなかったっけ?)
 思い出した。SWATの隊長を説得した時だ。今のタイカは、あの時の隊長と同じなのだ。暗殺事件の真相を知る前のタイカは後先など考えなかったが、今は違う。
(ということは、隊長もそういう経験を経たからこそ、後先を考えるようになったのだろうか。隊長はどんな経験をしたのだろう。いや、それ以前に、あの時はたまたま隊長が納得してくれただけで、僕は見当違いな方法論で説得してしまったのではないだろうか)
 今のタイカはそちらの方が気になった。無知なるがゆえの自信というやつだ。
 しかし、無知そのものは罪ではない。
 罪なのは自らの無知を恐れないことだ。
 青い空の下、タイカは上空を飛びながらそう感じていた。

 高空にたどり着いて東京の街並みを見下ろしながら、これから向かう先を考えた。眼下では平日の朝が始まっていた。
(ヤマワ君の家に戻るか)
 他に行くところもなく、シャトルに戻っても何も解決しない。エリーの件で彼の意見も聞きたいし、なにより沖縄へ向かう前に「戻っていい?」と尋ねたのはタイカだった。
 とはいえ、このまま帰ってもその後やることがないので、パトロールがてら都内をしばらく周回しようと思いついた。
 網膜ディスプレイの隅には小さなウィンドウが常時表示されていて、そこはタイカの現在位置を中心にした地図が映し出されている。その地図の上には救援候補が丸印で示され、そこから伸びた細いラインは概略の吹き出しに繋がっていた。それがタイカの移動に合わせて地図上を流れていく。
 都心に向けてしばらく飛んでいると、新たな緊急救援候補がリストに加わった。今入ってきた一一〇番通報で、子供がタワーマンションのバルコニーにぶら下がっているというものだった。
 タイカは急加速してマンションに向かった。音速を遥かに超えるスピードで大気を裂き、衝撃波を撒き散らせながら1分もかからずに現場へ到着した。目的のマンションに近づきながら、視野をズームに切り替えてぶら下がっているはずの子供を探した。
 マンションは大きな川のそばに建っていて、真ん中より少し上の階のバルコニーに小さな人影が見える。人影は両腕を伸ばしてバルコニーの縁にしがみついているが、タイカがその姿を見つけたと同時に、子供は力尽きて落ちていった。
 地上の野次馬たちから悲鳴が上がる。タイカは再び加速して建物に近づき、落ちていく子供との相対速度をあわせながら身体を抱きかかえた。減速のために一度弧を描いて上昇してから、再び下降に転じて緩やかに着地した。
 まさにタイカ以外になしえない芸当で、周囲から怒涛のような拍手と歓声が沸き起こった。一人の若い女性が泣きながらタイカに駆け寄ると、子供を抱きかかえてうずくまり、更に大声を上げて泣き始めた。タイカがその女性を見守っていると、別の女性が涙を浮かべながら言った。
「この子のお母さんなんです。私が呼び止めて話し込んでしまったばっかりに…。すみません。ありがとうございます」
 女性はそう言ってタイカに深く頭を下げた。
「いや…、僕は偶然近くにいただけですから…」
 周囲の人々はタイカの言葉を謙遜と受け取ったが、タイカはあくまで事実を言ったつもりだった。実際、あと数秒遅ければ落下中の子供を受け止めることはできなかっただろう。
「では、失礼します」と、タイカにしては珍しく人間的な受け答えをしてから、上空へ舞い上がった。

 まだ朝日の色が残る空を進みながら、タイカは思った。
 確かに、自分があのタイミングで子供を助けられたのは偶然に過ぎない。努力や犠牲を払ったわけではなく、誰も何も失っていない。しかし、たとえ偶然だとしても得たものはある。善悪や正義とは全く異なる次元にあるもの。それは生命だ。
 この概念は地球人も異星人も関係ない。この宇宙で生命活動を続けるものすべてに共通する基準だ。
 エイリマンは地球人の命を守る。
 その究極にシンプルな物理的正義に、タイカは「スーパーヒーロー」という言葉を初めて知った時と同じ高揚感を得た。

 それからも何度か事件や事故に介入して人命を救ったタイカは、いよいよライフセーバーとして自信を強めていった。
 目的が一つに絞られ、それ以外の小さな相違は除外できる。むしろ除外した方が、生命救助の目的が際立った。
 生命は究極の正義であり、立場や考えの違いを超えて、誰もが等しく実感できる唯一無二の物理現象だ。科学者が究極の方程式はシンプルであるべきだと思うように、ヒーローは誰もが誤解なく納得する基準に基づいて行動すべきなのだ。
 活動の方向性が定まったタイカは、意気揚々と次の救援候補を探した。そうと決まれば候補はいくらでもあった。
 タイカが選んだ次の候補は、エマニがSNSの投稿から見つけたものだった。エマニは投稿元の携帯端末を割り出し、その位置情報から救援場所を表示した。
 投稿はオフィスに出勤してきた女性からのもので、オフィスの向かいに見えるビルの屋上に女性がいて、じっと地上を見下ろしていた。投稿者の女性はフォロワーに対して、警察に連絡すべきかどうか助言を求めていた。
 現場上空に来てみると、確かに女性がいた。ビルの屋上で落下防止のフェンスを乗り越え、強風に長い髪を乱しながら呆然と立ち尽くしていた。
 地上では数人が立ち止まって上を見上げている。その中には携帯端末を耳に当て、深刻そうに話している中年の男性もいた。
 ビルの女性が次第に話題になり始めているところだろう。遠くではパトカーのサイレンが聞こえ始めた。
「今日は高いところが続くなぁ」
 タイカが呑気につぶやいてると、女性が直立した棒のようにそのままビルの外側に倒れた。
「しまった…」
 タイカはあわてて急降下すると、女性を抱きかかえた。
 先程と同じように減速のための上昇していった。
「もう大丈夫」
 タイカが小脇に抱えた女性に言った。
 彼女はタイカに視線を合わせるでもなく、小さな声で「全然大丈夫じゃない」と言った。
「?」
 タイカは彼女の何が「大丈夫じゃない」のか疑問に思いつつも、地上に向かって降下を始めた。
 地上が近づいていることに気づいた女性は、両手でタイカの身体を力いっぱい押しながら叫んだ。
「いや! やめて! 止まって!」
 驚いたタイカが空中で急制動する。まだビルの中腹くらいで、階数にすれば二十階以上はある高さだ。
「なに? どうしたの?」
「下に降りたくない」
 タイカの目をまっすぐ見て彼女が言った。
「なぜ?」
「下の人たちに会いたくない」
 そういうと彼女は辺りを見回し、眼下に見える林を指さした。ちょうど駅の隣にある小さな林で、人影もない。
「あの近くに下ろして」
「駅? 電車に乗るの?」
「家に帰る」
 タイカは言われるままに再上昇すると、林の中へ着地した。
「ここでいい?」
 タイカが言うと、彼女は小さく頷いてから駅に向かって歩いていった。
 生命救助という目的は果たしたものの、彼女の言動を何一つ理解できないままのタイカは、何か釈然としないものがタイカの脳裏に漂っている。
「大丈夫じゃない」とは、どういう意味だろうか。それに、空中でタイカの身体を押した時の力は、それまでの彼女からは想像もできないほど強いものだった。もしかして、自分のことが怖かったのだろうか。
(そういえば…)
 タイカは自分が名乗っていないことに気づいた。もし彼女がテレビやネットを見ない人なら、自分の事を知らなくても不思議ではない。黒ずくめに白いマスクをした男が突然空からやってきたのだ。確かに安心できる状況ではないかもしれない。
(とにかくヤマワ君の家に戻ろう。今考えても答えが出るわけじゃないし)
 そう思って加速しようとリアクターの出力を上げた直後、けたたましい音が地上から聞こえた。
 音のしたほうを振り返ると、高速で走る電車が警笛と急制動音を鳴り響かせている。そして、その行く手に立ち尽くす人影。
 タイカが視界をズームしてその人影を拡大したが、見覚えのある服装と長い髪は、一瞬のうちに電車の姿と重なって消えた。
 タイカはその後ヤマワの家に向かうのをやめ、ヤマワが心配して奥多摩へ様子を見に来るまで、シャトルの中に閉じこもった。
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