第10話 なりたかったもの

文字数 5,400文字

 食事も終わり、風呂にも入って汗を流した後、僕はリノと共に帝国に行き、冒険者になりたいということを父さんと母さんに伝えた。
 そう伝えたときの母さんは少し寂しそうな顔をしていて、父さんは全てわかっていたとでも言うように小さく頷いた。

「そう……それで、いつ出発するの?」

「早ければ三日後、遅くても五日後には出発しようと思ってる。一週間もいると、行きづらくなっちゃうからさ」

 この話、実は父さんには既に伝えている。
 そして、僕達が出発するまでのスケジュールも……

「その代わり、その間は私と鍛錬だ。鈍り切ったその戦いの感覚ごと、その脚も鍛えなおしてあげるから覚悟するといい」

 思わず背筋がぞっとする。願ったりかなったりだけど、恐ろしい。

 ……いや、今の僕に与えられた時間を考えるに、余裕を持った鍛錬なんてしているわけにはいかない。

「五剣も……」

「勿論やるに決まってるじゃないか、脚がそうなってから試したことは無いだろう? 私の予想だと、今のゼロには一つしか使えないな」

 ……まさかそれほど自分でも弱体化しているとは……実家に帰って来てから、先輩として情けないところばかり見せているな。

 いや、泣き言なんて言ってられないか。

 僕が弱いままだと、いつまでもリノは責任を感じてしまう。だから、僕は強くならなきゃいけない。

 そう思っていると、服の袖をちょいちょいと引っ張られた。

「先輩……なんだか、思い詰めてませんか? もし、ですけど、私のことで無理しようとしてるなら、私は今のままの先輩でいて欲しいです……」

 ……そんなに顔に出ていただろうか。
 まったく……僕の周りには、僕の心を読める人が多過ぎて隠し事の1つもできやしない。

「心配はいらない……というか、これは僕の譲れない部分だ。例えリノでもね」

 当然だ。リノを守るのに妥協なんて出来ない。妥協して良いわけがない。

 父さんの予想は恐らく当たっている。
 今の僕には、切り札が決定的に欠けているんだ。
 だからどんな鍛錬でも、自分の限界を超えるまでやりきってみせる。

僕の決意が伝わったのか、リノは何も言わなかった。

「すまないね、リノアリアさん。ゼロにも彼なりの事情があるんだよ。だから、彼の覚悟だけは認めてあげてくれないかな?」

「……わかりました。でも、あまり無茶はしないで下さいね」

「ああ、約束する」

 死んだり、脚を失うくらいの無茶はしない。という言葉は飲み込んだ。

「では明日から鍛錬を始めるが、まずはスミレスに剣を見てきて貰いなさい。君の剣もそろそろ限界が来ているし、良い素材を持っているんだろう?」

「……なんで知ってるんだ」

 そう聞くと笑って誤魔化された。
 確かに、そろそろ僕の剣も砥石では補いきれないくらいに刃こぼれが酷くなってきたし、金属の疲労も相まっていた折れてもおかしくないところまで来ていた。
 だがまあ、剣の状態までならまだわかる。しかし、なぜ僕が、ある素材を持っていることまで知っているんだ?

「君の父だからね」

 思わずため息が出る。そういえば物心ついた時から、父さんはこんな感じだったな。

「それじゃあ、リノちゃんにはお料理と……薬学を勉強してもらおうかしら」

「薬学……ですか?」

「ええ、デルダルク家で育ったなら、ある程度の薬学の知識も教えられたでしょう? これでも私、昔はそこそこ名の知れた薬師だったのよ♪」

「はい、確かに薬学は得意分野ですが……あ、ああ! 栗色の髪に、ディヴァインという姓、そしてフィニェットというお名前……もしかして、お母様は「大戦の天使」……ですか?」

「ええ、でも、その二つ名あまり好きじゃ無いのよね」

 あー、そう言えば母さんもかなり凄い人だった。普段の母さんの様子を見てると、父さん以上に身内の凄さがわかり辛くなる。

「えっ、でも、先輩がディヴァインで、お母様もディヴァインで「大戦の天使」で……あの、お父様は……」

「まだ私から名乗ってはいなかったね。私はアインス・ディヴァインだ。昔は騎士団長なんかをやっていたこともあったかな、でも今はこの村の村長兼警備隊長だよ」

「た、大戦の英雄……王都の守護神……ほ、本物……きゅ~」

「あら、少し衝撃が強過ぎたかしら?」

「父さん、母さん……自重してくれ……」

 リノは顔を白くして、気絶してしまった。
 騎士だった時は、任務中にどんなトラブルが起きても冷静であり続けた彼女が気絶するなんて、よっぽどびっくりしたんだろうな。
 いや、父さんと母さんのことを伝えてなかった僕が悪いか……

「先にリノを寝させてあげよう。母さんの部屋って使えるかな?」

「ええ、お昼に掃除したから大丈夫よ。私はお父さんと一緒に寝るから」

「わかった」

 僕は椅子に座るリノを、横抱きで部屋まで運ぶ。

 ……軽い。

 こんな軽い体で、今まで頑張っていたなんて……
 この子を守れるように、僕は強くならなきゃな……









「あら、早かったわね? 2時間くらいだったら待ってても良かったのよ?」

「部屋まで運ぶのに、そんな時間がかかるわけないじゃ無いか」

 とぼけるように言ったが、母さんが何を言わんとしてるいるかはわかる。でも、僕を信頼してくれている後輩を裏切るようなことを、他ならぬ僕がするわけないだろう。

「節度を持つのは良いことだ。私も2時間程度なら待つつもりだったが、安心したよ」

「はぁ、父さんまで……」

 世間が何と言おうと、英雄が常に英雄であるわけではない。いざという時はともかくとして、今の2人に「大戦の天使」「大戦の英雄」なんて異名は似合わない。
 少なくとも僕にとっては、ただの下世話な両親だ。

「すまない、冗談だ」

「私は冗談じゃ無いわよ? このままだと、ゼロ君、いつまでも踏み出しそうに無いんだもん」

「悪かったな……」

 拗ねたように言うと、母さんは少し困ったような顔をしていた。
 今のリビングに、先程までの和やかな空気は無い。
 たった一言を口に出すのも難しく感じる重苦しい空気、だけど父さんは、この沈黙をたやすく破ってくる。

「ゼロ、今の王都の騎士団に入ってみて……どうだった?」

 一切の躊躇なく相手の核心に触れてくる父さんと、こういう話をするのは苦手だ。
 そして、母さんも……子供の夢を、今になるまで追いかけ続けて、破れて帰ってきた僕を、その優しさで包み込んでしまう。
 普段は好きなのに……苦手だ。苦手なのに、この2人には全て話してしまいたくなる。

「……理想とは、ほど遠かった……僕じゃ、父さんと母さんみたいにはなれないんだって……思い知ったよ……」

「ゼロ……」

「ゼロ君……」

 僕は憧れに追いつくために二十年を費やした。
 そして、この五年間で、夢を叶えようとして、破れた。

「誰もが幸せになれるわけじゃなかった……守れる幸せがあったはずなのに、人が人の幸せを奪い、妨げていた……」

 僕の身近には、まだ若くして最強の座に上り詰めた父さんがいる。同じく若くして、多くの魔法薬を創りだした母さんがいる。

 その二人の息子の俺だけが知る。二人が話してくれた真実の御伽噺。

 僕はその話を聞いた時から、誰かの幸せを守れる存在になりたいと、思ったんだ。






 今から二十七年前、王国と帝国との間には「魔王」と呼ばれる存在が治める国があった。
 多くの魔物が住み、国境では多くの人間が犠牲になった。
 その頃、人々の心には恐怖しかなく、幸せを感じる余裕すらなかったという。

 確実に侵略してくる魔物の軍勢を前に、人々の心は徐々に荒み、人通しの争いも絶えなくなっていた。

 人々のために立ち上がっては倒れていく勇者たちを数えながら、多くの人が人類という種の終わりを予感していた。

 生まれ持った能力の差、圧倒的数の暴力を前に、逆転の目など無いと誰もが思っていた。

 だが、終わりの日は来なかった。

 凶悪な魔物が跋扈ばっこする最前線で、非力な女性の身ながら、薬を調合し、勇者達を支え続けた英雄と。

 突如戦場に現れ、単身で魔王の元に乗り込み、武器を模した魔術と、超人的な剣技で魔王を討ち取った英雄がいたからだ。


 二人は世界に平和を取り戻すと同時に、人々に「幸せ」という感情を思い出させた。


 それは、長い世界史を振り返ってみても例が無いほどの偉業で……僕は、二人が取り戻したものを守りたかった。

 僕は、父さんが昔そうだったという騎士になるために修行を続け、15歳で成人になるころには父さん以外の村人の中で一番強くなった。
 剣技は五つの奥義に至るまで、父さんから受け継いだという遺伝魔術も磨いた。
 母さんからは薬学の秘伝まで教わった。

 あの時の僕は、傲慢だった。
 二人の英雄の息子なんだから、できないことはないと本気で思っていた。

 だから、僕が自分の夢を両親に明かした時、「守ることは、取り戻すよりもはるかに難しい」という言葉をかけられても、耳を貸そうとしなかった。

 結果は、二人の言う通りだった。
 剣の技だけでは守れない幸せがあった。
 武器を模した魔術が使えるだけでは守れない幸せがあった。
 最高級の魔法薬を作っても守れない幸せがあった。


 僕が、僕という存在の全てを持ってしても、泣かせてしまった人がいた。


 その時になって、僕はようやく気付いた。
 強いとか、弱いとかじゃない……僕が、二人みたいな英雄じゃ無かったから……何も成し遂げることができず、夢は夢のまま、諦めなきゃならなかった。


 そう、これは、周囲の子供よりも長く、子供の頃の夢を見続けた僕が行き着いた一つの終わり。

 凡人なら誰もが味わう、ただの挫折だ。

 しょうがないといえばしょうがない。世界が僕を求めていないんだ、僕の思う通りになる訳がない。

 夢を諦めさせ納得させようとする言葉は、僕の中に際限なく現れて少しづつ心を蝕んでいった。
 このまま無理にでも王都に残っていたら、僕は壊れていたかもしれない……

 それでも、それでも……


「なぜ、人の幸せを食い物にしてまで、名誉が欲しいのか……なぜ、肥え太った者が、貧しい者が握りしめた銅貨を奪うほど金を求めるのか……王都の上を見れば見るほどそうだった。自らの欲求を満たすことに執着し、人の幸せを平然と奪うにもかかわらず、彼らは幸せを感じていない」

 彼らの心にあったのは、他人よりも優れているという愉悦の感情だけ。

 水の中を見たように、視界がぼやける。
 僕は天井を仰いだ。

「なにもできなかった。なにも変えられなかった。後手に回り、僕一人ではどうしようもない時の方が多かった。そして、今、僕は彼らを置いて、逃げ出した……」

 溢れないようにと閉じた目の端から、一筋の涙が溢れて、止まらなくなった。
 僕に、泣く資格など無いというのに。

「僕に多くの人を守り、幸せにする力なんて無い……」

 父さんと母さんは、静かに僕の独白を聞いてくれた。
 おかげで、最後まで言えそうだ。

「でも、こんな僕を信頼してくれて、ずっと寄り添ってくれた女の子がいるんだ」

 服の袖で目を拭い、僕は二人の方をしっかりと見る。
 僕がどんな顔をしてるかわからないけど、二人の顔に、さっきまでの不安な様子は無い。

「僕は、リノアリア・デルダルクという女の子を幸せにしたい。彼女の幸せを守りたい。この世界に平等に人がいる中で、ただ一人。僕が特別だと思った女の子と、一緒にいたいんだ」

 僕は誰でも守れるほど強く無い、でも、僕が特別だと思った女の子くらいは守れるようになりたい。

 僕はリノが好きだ。
 でも、それ以上に僕はリノの幸せを望んでいる。

 僕と旅を続ける中で、彼女が僕以外の誰かと添い遂げたいと思ったのなら、僕は黙って身を引こう。

 騎士団をクビになり、夢からも逃げた僕について来てくれた、たった一人の健気な後輩。
 彼女を幸せにするには、どうすればいいのか……

 今の僕にはわからないが、リノとの旅でその答えを見つけたい。

 脚を失い、夢を諦め、今みたいに弱音を吐いてしまっても……僕は……

「それがゼロ君の願いなら、きっと叶うわ」

「ああ、ゼロは、私と母さんの息子だからな」

 あの時は止められた二人からの太鼓判だ。これ以上に頼もしいものは無いだろう。

「……っ!」

 悲しさも悔しさも感じていないはずなのに、両目からは涙が溢れた。

「ゼロ君……!」

 椅子を倒して駆け寄って来た母さんに頭を抱きしめられ、優しく撫でられる。

「(ああ、温かいな……)」

 五年前に反対を押し切ってから、母さんの温もりが苦手だった。父さんの、相手の心を見通し、寄り添う優しさが苦手だった。

 でも、今は……

「(幸せ……だな)」

 今度は僕が、たった一人に幸せを与える存在になりたいと思うのは……別に、悪いことじゃ無いはずだ。
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