閑話 三年前

文字数 21,958文字

「あれ? 先輩も巡回中ですか? お疲れ様です」

 僕がいつものように王都を巡回していると、同じく巡回中だったらしい後輩に声をかけられた。

「ああ、リノアリアさんか、お疲れ様。もう、巡回任務には慣れたかい?」

「はい、おかげさまで。でも、自分より年上の男性が話しかけてくるのには慣れません。今日もペアになった人がいたんですが、巡回中にしつこく私の私生活とかを聞き出そうとしてくるので、今は別行動中です」

 一年前、リノアリアさんが入団したばかりの頃に剣術を教えて欲しいと頼まれた僕は、週に2回、彼女に剣術の指導をしている。そのおかげで、こうして巡回中にたまたますれ違っても話しかけてくれるくらいには仲良くなった。
 彼女は女性が珍しい騎士団の中でもトップクラスに可愛いせいか、やたらと男の騎士に言い寄られているため、僕はその予防線も兼ねているんだと思う。

「そうか……でも、一人だと危険じゃないか?」

「先輩も一人ですが……? でも、そうですね、先輩ならそう言うことはしないと思いますし、先輩がどうしてもって言うなら、一緒に巡回しましょう」

「ははっ、じゃあどうしてもだ」

「じゃあってなんですか、でも、しょうがないのでつきあってあげます」

「ありがとう」

 悪戯っぽく笑うリノアリアさんは、文句無しに可愛い。他の男騎士達の気持ちもわかる気がする。
でも、巡回任務を放ってまで言い寄るのは許されないけどな。

「じゃあ行きましょう♪」

 まあ、僕は彼女が楽しそうにしていれば、それでいい。
 僕が彼女に対して抱いている気持ちが何なのか、今はまだわからない。
 でも、僕達の先輩後輩の関係は、間違ってはいないんだと思う。



「そう言えば、先輩は今日もまた巡回してるみたいですけど……先輩は準備とかしなくて良いんですか?」

「準備?」

買い物途中で腰を悪くしてしまったお婆ちゃんをおぶって家まで送った後、突然、リノアリアさんはそんなことを言ってきた。

「はい、だって……もうすぐですよね。ドラゴン討伐……」

 最強の一角に数えられ、数々の神話、伝説に登場するドラゴンという魔物。
 個体数は他の魔物と比べてみると少ないが、成龍ともなるとたった一体で一つの国を滅ぼしたと言われるほど強い。昔から人々は畏怖の念を持ち、ドラゴンを信仰している宗教まである。

 そんなドラゴンが、四ヶ月前から王国内の村々を襲い、多くの被害を出している。
 次は自分の村が襲われるのではないかと不安に思った村々の村長が、王にドラゴン討伐を依頼し、現在、騎士団は討伐隊を発足、2日後の出発に向けて準備を整えている。

「私みたいな新人は、メンバーに選ばれないと思いますが……先輩は強いですから、討伐隊に選ばれたんじゃないですか?」

 そう言うリノアリアさんの表情には、不安と、羨望が浮かんでいる。
 だから、その期待を裏切ってしまうのは、少し申し訳ないな。

「いや、僕は選ばれていないんだ。副団長からも直接言われたよ『お前のようなどの部隊にも配属されない、協調性に欠ける奴は連れて行かない』って」

 確かに、僕はどの部隊にも配属されていない。でも、まさかそれが原因で協調性のなさを追及されるとは思わなかった。

 ……まあ、その事に関して思うところが無いわけでは無いが、しょうがないと割り切るしかない。副団長が僕を必要としないなら、きっとなんとかなるのだろう。
 だが、彼女はそう思わなかったようだ。

「なんですかそれ! 先輩が部隊に配属されていないのだって、絶対にあの副団長のせいですよ! 先輩が部隊に配属されると、先輩の優秀さが明るみに出ます。副団長は自分の出世のために、先輩に活躍させたく無いだけです!」

 副団長が、現在病床の騎士団長に取って代わろうとしているという噂は、騎士団の間では有名な話だ。
 でも、だからこそ妬み嫉みの感情で職権を濫用し、立場を悪くするようなことをするとは思えないが。

「ただでさえいつも王都を巡回している先輩は王都民に人気があるのに……自分の私情で首を絞めてるって気づかないんですかね」

 リノアリアさんに対してクールな印象を抱いている騎士団の同僚が見れば驚くだろう。何を話しかけても事務的な対応しかせず、決してプライベートに踏み込ませない彼女が、これほど自分の意見を述べることはまず無い。
 僕も彼女に剣術を教えて欲しいと請われた時、最初は殆ど会話をせず、彼女も淡々と言われたことをこなすだけだった。
 クールというより、内気な女の子だと思っていた彼女が今のように僕と話してくれた時はかなり驚いたものだ。

「僕にとっては、君がそれほど私情を出すことの方が意外だけどね」

「先輩の前だからですよ。他の人の前ではこんな事は言いません」

 彼女のそういった言い方が、世の男を勘違いさせていると思うんだが、彼女をそれなりに知る身としてはこれくらいで勘違いをしたりしない。

「先輩は、ドラゴンの討伐隊に参加したくないんですか?」

 ふむ、その質問に答えるのは少し難しい。
 少なくとも僕は、多くの村に被害が出ている状況を良しとしていない。騎士という立場が邪魔をしなければ、今すぐにでも王都を駆け出したいと思っている。

「参加したいよ。でも、そこで僕が無理に動くことは、同じ騎士団の仲間に対する侮辱だ。リノアリアさんはどう思っているかわからないけど、彼らだって王都の安全と幸福を守る者としての責任感をもってるんだ。きっと、僕がいなくても大丈夫なんじゃないかな」

 僕が王都の騎士になり、2年目で学んだこと。それは、全てを僕がやらなくてはならないという事はないという事だ。

 ……この王都に限定するなら、僕は多分一番強いと思う。伊達に生まれてからの十五年間を最強に鍛えられてはいない。

 僕が全てをやろうとすれば、良く思わない人がいるということも学んだ。

「なんですか……それ。…………先輩以上に、人のために頑張っている人なんて、いるわけがないじゃないですか」

「ん? どうかした?」

「なんでもありません! もう! 弱気な先輩なんて、知りませんから!」

「リノアリアさん?」

「ここまでで失礼します! 弱気な先輩!」

 そういうと、彼女は僕を置いて行ってしまった。何か言っていたみたいだったけど、声が小さくて殆ど聞き取ることができなかった。

「僕は、弱気になってるのかな」

 リノアリアが怒るほどということは、以前の僕を知る人からすれば明確な違いがあるということだろう。

「行くべき、なのかな」

 すぐに決断することができない。
 迷うということは、僕の「父さんと母さんが取り戻した人々の幸せを守る」という夢を諦めかけている……ということなんだろうか。

「……巡回に戻ろうか」

 これが終わったら、鍛錬の量を少し増やしてみよう。
 万が一に備えて、体を温めておくくらいは悪くないはずだからな。







「失礼します。第一魔術騎士団支援魔術部隊所属、リノアリア・デルダルク三等騎士です。副団長殿、お呼びでしょうか」

「うむ、よく来た。そこの椅子にかけてくれ」

「はっ、失礼します」

 私は副団長に促されて椅子に座る。態度には出さないが、正直に言ってめんどくさい。
 昼休みに呼び出されたと思えば、よりにもよって副団長とは……

「(はあ、今日は先輩に昨日のことを謝ろうと思っていたのに……)」

 先輩のことなのに、まるで自分のことのように思って怒ってしまった。私は、先輩のことを何も知らないのに……
 それでも、昨日の先輩の言葉は許せなかった。
 先輩と出会ってから一年と少ししか経っていないけど、先輩が誰よりも努力家で、強くて、誰よりも他人の幸せを願う優しい人だということくらいわかる。
 そんな素晴らしい人が、他人の下らない欲望に振り回されて、何かを諦めてしまうことはダメだと思った。

「(だからって、昨日の態度は無いよね……)」

 どうしよう、私、先輩に嫌われちゃったかな?いや!先輩のことなんてなんとも思ってはいない……のかな、最近は良くわからない。
 少なくとも、先輩は他の男の人みたいにしつこく言いよって来たりはしなかった。私のことを、デルダルク商会会長の娘とか……色眼鏡で見たりせず、平等に接してくれる人。

「どうかしたかね? 体調が悪いなら医務室まで送るが?」

「いえ、体調に問題は無いのでお気になさらず。お気遣い感謝します」

 副団長の話も頭に入ってきていなかった。というのも、本題に入る前に今日の天気が良いとか、昼食がまだなら一緒にどうだ、とかをうんざりするほど聞かされたせいだ。
 いつものように事務的に返答していたら、話の内容が入ってこなかった。先輩となら、こんなことは絶対に無いのに。

「そうか、ならもう一度言うが。リノアリア君には今回のドラゴン討伐に参加してもらう。これは決定事項だ。なに、今回のドラゴン討伐には騎士団の精鋭が多く参加する。我々は名誉が確定されたようなものだ」




 あまりに突然のことで、頭が一瞬真っ白になった。

「……なぜ、私に声をかけたのですか? お言葉ですが、私はまだ新米です。ドラゴン討伐のメンバーに相応しい方は、他にもいるかと」

「君が誰のことを言っているのかは分からないが、私は君の支援魔術の腕をかっているんだ。この任務が成功すれば、私は正式に騎士団長に昇進する。勿論、その時には討伐メンバーにも褒賞を与える予定だ。悪い話ではないだろう?」

 話の内容は一応筋が通っているだけに断り辛い。
 副団長は先輩の事を嫌っているようだし、ここで先輩の話を出しても逆効果だろう。
 それに、決定事項と言われたから、きっと私が何を言っても無駄だ。

「わかりました。その話、ありがたくお受け致します」

「そうか! 君ならそう言ってくれると思っていたよ!」

 決定事項なんて言葉を持ち出しておいて、白々しいことこの上ない。

「それでは、私はこれで失礼します」

「ああ待ってくれ、実は皇国産の上等なワインが手に入ってね。君さえ良ければ今夜ディナーに招待したいんだが……」

「恐縮です。ですが、今夜は商会で重要な先約が入っているので、お断りさせて頂きます」

「そ、そうか、それではまだ別の機会にでも……!」

「失礼しました」

 団長室を出た私は、向かう場所なんて決めていないのに、早足で歩いていた。
 副団長の言葉なんて、一言も頭に入ってこない。

 ドラゴン。

 数多の物語に英雄達への試練として登場し、最強の一角に名を連ねる存在に、今の私が敵うわけが無い。
 副団長は安全だと言ったが、これっぽっちも、私の心は安心していなかった。
 この不安を誰かに吐き出したい。誰かに理解して欲しい。私を、私という存在で見てくれる人に……

「先輩……」

 自然と、頭に浮かんだのは、昨日私が一方的に怒ってしまったあの人の顔。
 気づけば、行き場所を決めていなかったはずの私が向かっているのは、いつも先輩が鍛錬をしている場所だと気づいた。
 でも、あの人は優しすぎるから、きっとあの人自身も分からないうちに無理をさせてしまう。

「どうすればいい、ですか……」

 私のその疑問に、答える声は無く。ドラゴン討伐は明日にまで迫っていた。







「おかしいな……リノアリアさん、今日は来ないのかな?」

 今日はリノアリアさんに剣術を教える日だった。いつも彼女は僕よりも早く来て、先に剣杖を振っているんだが、今日は約束の時間から一時間が過ぎても姿は見えなかった。

「おっ、ゼロじゃん! 今日は一人で寂しく素振りか? 残念だったな〜リノアリアちゃんいなくて」

「ロベルトか……久しぶり。なあ、リノアリアさんがいない理由、知ってるか?」

 僕が一人で素振りをしていると、最近はあまり顔を合わせないが僕の同僚であるロベルトに声をかけられた。

「あ? 討伐隊の出陣パレード見に行かなかったのか?」

「ああ、今日も午前中は巡回の任務が与えられていたからな。それで? 討伐隊のパレードと何が関係してるんだ」

「はは、相変わらずの嫌われてるな。それで、ホントに聞いてないのか? あんなに仲よさそうなのに? あ〜、もしかして気を使ったのかなぁ」

「なんだ、早く言ってくれ……!」

勿体ぶるロベルトを急かす。何故か、僕の背中にはじっとりと汗が滲んでいた。

「お、おう。なんかよぉ、昨日リノアリアちゃん、副団長に声をかけられたらしくて、ドラゴン討伐に参加することになったらしいんだわ。副団長も下心見え見えだよなぁ? 騎士団の精鋭をごっそり引き抜いてまで、結果の見えた任務に……っておい! 人がせっかく話してやってんのにどこいくんだよ!?」

 僕はロベルトの話を聞いた瞬間に走り出していた。
 鎧は身につけていないが、ドラゴン相手なら、騎士団で給付されている程度の質なら寧ろ邪魔になるだろう。

「クソ! 僕のせいだ!」

 僕が彼女を不安にさせたから、彼女はきっと僕に何も話さなかったんだ。
 彼女は、僕以外にこんな話はしないと言った。つまり、彼女はドラゴンというはるか格上の相手と戦う不安を誰にも打ち明けることが出来ていない!

「おい! ゼロって! どこ行くんだよ?!」

「後輩のところに決まってるだろうが!」

 このままでは、僕は一生後悔する。誰かがやってくれるだろうではダメなんだと、今になってようやく気づいた。
 これは、僕だけにしかできないこと……!

「どうか、間に合ってくれ……!」

 僕の両脚はさらに回転を上げ、ものの数分で王都を飛び出した。














「こちらも、精鋭騎士の編成が完了しました! いつでもドラゴンを迎え撃つ準備は出来ております!」

「司令殿、例のモノですが、いつでも発動可能です」

「……魔術師団百名の術式構築が完了。一名の術式構築が遅れているが問題は無い」

 小高い丘の上に幕が張られたドラゴン討伐体の本部では、二人の男女が跪いていた。
 見る人が見ればわかるだろう。彼らは王国騎士団の千人長筆頭、魔導技師ギルドの副ギルド長だ。そして、その二人の隣には機嫌の悪さを隠そうともしない女性のエルフ、魔術師団の副団長が立っていた。 
 では、王都の防衛と発展を担う組織のナンバー2からナンバー3がいったい誰に報告をしているのか。
 彼れらの前には、魔術師団の副団長とは対照的に上機嫌な笑みを浮かべた副騎士団長が腕を組んで座っていた。

「うむ、報告ご苦労。ところでマリファ殿、その術式構築が遅れている団員というのは誰かな?」

 名前を呼ばれた魔術師団副団長、マリファ・フレッチャーは「ちっ」と聞こえるように舌打ちをし、苛立ちながら答えた。

「うちの支援魔術部隊所属のリノアリア・デルダルク三等騎士だ。貴様がつい先日、討伐隊メンバーに組み込んだ新米騎士のな。まったく、何を考えている」

 「貴様」という単語にピクッと反応を示した千人長だったが、片眉を一瞬だけ上げた副騎士団長によって止められる。

「そうか……これも経験になればと思ったのだが、まだ二年目の彼女には少々負担が大きかったようだ。仕方ないが、彼女には終わるまでここで待っていて貰うしかないか」

「はあ? 馬鹿なのか?!」

「無礼が過ぎますぞ! マリファ殿!」

「うるさい! 黙れ脳筋馬鹿が!」

 マリファが発した直接的な侮辱の言葉に、ついに立ち上がった千人長だったが、彼女の気迫に押され「うっ」と言葉を詰まらせる。
 その間も、マリファのエメラルドグリーンの双眸は副騎士団長を捉えていた。

「少々負担が大きかったから、彼女一人だけ安全地帯で待っていてもらうだと? そうしたのは貴様の判断ミスだろうが! 彼女一人だけを特別扱いすることが、討伐隊全体の士気に関わるとなぜわからん!」

「それでも無理に戦わせるのは、彼女の命にかかわると思うが。マリファ殿は部下に死ねと言っているのか?」

「そんなことは一言も言っていない。だが、騎士として任命された以上、王のため王国のために戦って死ぬのなら騎士の本分では無いか! 貴様らが常日頃部下に言い聞かせていることだろう、それを貴様らが守らずに何が騎士だ。笑わせてくれる」

 その言葉に我慢が出来なかったのか、千人長がマリファの首に剣を突き付ける。
 そして、禁句を言ってしまった。

「亜人風情が……! この方は王国騎士団の団長となられるお方だぞ! 身の程をわきまえてもらおうか!」

「……これは、宣戦布告と受け取ればいいか?」

 マリファの体からは可視化するほど濃密な魔力が迸り、熱を持った。
 冷えきった両の瞳とこの場の雰囲気とは対照的に、彼女の周囲はどんどん熱くなる。杖を手にし、構築された術式に魔力を込め……
 だが、それに待ったをかけたのが副騎士団長だった。

「すまない、部下の無礼を許してくれ。この任務にはマリファ殿の力が必要不可欠なのだ。今回の件で私に非があったのは認める。だからどうか、この場は抑えてもらえないだろうか。この通りだ」

 副騎士団長はそう言って頭を下げた。
 しかし、マリファの冷え切った双眸に熱は戻らず。彼女は無言で背を向け、出口に向かって歩き出した。

「おい! どこへいくっ、ぐうぅううううう!!!」

 マリファを呼び止めた千人長が頭を押さえて地面に蹲る。
 そんな彼を見て、マリファは冷ややかに言った。

「身の程を弁えろと言ったのは、どこのどいつであったか……少なくとも騎士ではないな。王と王国以外に忠誠を持ったものが騎士であるはずが無い。それに惰弱だ。貴様らが嫌うあの一等騎士に勝ってから騎士を名乗るんだな」

 その言葉に、副騎士団長も音が聞こえるほど刃を軋ませた。それも当然だろう。言外に彼女は、この場にいる二人に騎士を名乗る資格などないと言っているのだから。

「欲にとりつかれたものと、脳筋馬鹿と言葉を交わすのは無駄に疲れていかんな。では、ドラゴンが来るまで、私は待機させてもらう」

 マリファはそう言って本部を後にした。

「マリファ殿~」

 本部を出て、魔術師の部隊に戻ろうとするマリファに声をかけてきたのは、先ほどは殆ど何も喋らなかった魔導技師ギルドの副ギルド長だった。

「……魔導技師ギルドの副ギルド長が、私に何の用だ」

「もう、つめたいなぁ~これから戦いを共にするんだし、もう少しコミュニケーションをとったほうがいいと思いますよ?」

「余計なお世話だ」

 マリファが足を止めることは無く、副ギルド長も彼女の隣を歩いた。

「マリファ殿が本部から出て行ったあとの二人の荒れっぷり、マリファ殿にも見せたかったなぁ~、騎士道精神とかどこに捨ててきたのかなってくらいみっともない姿でしたねぇ~見かねて私も出てきてしまいました」

「……それが正解だろう。あの二人、立場と実力があまりにも釣り合っていない。立場に引かれて付き合っていると後で痛い目を見る」

「ですよね~……そういえば、王都民の間で人気の、あの騎士は、今回の任務に参加していないんですね?」

 その副ギルド長の言葉に、マリファは初めて足を止めると、深々としたため息を吐いた。

「はぁ~、そうなのだ。正直、彼がこの場にいないとなると戦いは厳しいものになるだろう。そのことに関しても、私はあいつを殴りたいよ」

 副ギルド長は、冷静沈着な彼女の口から数々の暴言が出ていることに顔を引きつらせつつも、ようやく得た機会に質問を重ねる。

「へぇ~、その騎士は随分と優秀なのですね。それなのに、今回の討伐隊に参加していないということは~もしかして、さっき話に出たデルダルク商会のご令嬢が関係してます?」

 心なしか目をキラキラと輝かせている彼女に、半ばうんざりとしながらもマリファは彼女の問いに答えた。

「それだけではないがな。どうも奴はその騎士の存在自体が気に喰わないらしい。まぁ、当然かな。その騎士の名前が明るみに出れば、奴はその立場を失うことになるからな」

「そんなに話が大きくなるんですか!? 因みに、興味本位なんですけど、その騎士の名前を教えていただけますか?「ゼロ・ディヴァインだ」……えっ?」

 興味本位で聞いた問いにすぐさま返された答えに、彼女は一瞬固まる。しかし、ハッとして頭を振った彼女は、その頭に浮かんだ聞き覚えのあるファミリーネームの真偽を確かめるために、恐る恐る、言葉を震わせながら問う。

「た、大戦の両英雄……の?」

「ああ、二人の息子らしい。一度サシで飲む機会があったんだが、その時に教えてもらった。私個人としてはもう少し彼自身の知名度が上がってもいいと思うが……他人のために自分を押し殺すような奴だからな。今のままでは危険だが……王都にいる性根が腐った連中とは違う純粋な心意気に心を打たれてしまった私には止められん」

 まさかのビッグネームに、副ギルド長は開いた口が塞がらなかった。
 しかし同時に、英雄の息子ともなれば実力は折り紙付きであり、そんな彼を自分の欲望で討伐隊のメンバーに組み入れなかった副騎士団長の行動に、彼女は苛立ちを覚えていた。

「それで、英雄の息子と商会のご令嬢は恋仲なのですか?」

「いや、まだ恋仲ではないらしいが、かなり仲はいいらしいな。週に二回一緒に剣術の鍛錬をしていると聞く。恋仲になるのも時間の問題だろうが……どうも奴はそれすらも気に喰わないらしい」

「うわ~それであんなこと言ってたんですね。人の恋路を邪魔するとか、馬に蹴られて死んでしまえばいいのに」

「馬と言わず、今回はドラゴンというチャンスがあるからな。奴には勿体無いが……寝物語の英雄たちの宿敵に殺されたとなればそう恥ではないだろう」

 恐ろしいことを口にする彼女たちだったが、それは冗談では無いようだった。
 彼女たちは恐ろしい含みのある笑みで笑いあうと、マリファが遠くから本部に向かって駆けつけてくる軽装の騎士の姿を捉えた。

「斥候が帰って来たか……」

「みたいですね……不本意ながら、戻りましょうか」

「そうだな」

 そうして彼女たちは斥候が入っていった本部へと再び戻っていった。










「斥候が持ち帰った情報によると、ドラゴンはこちらに向かってきているらしい。大方、人が多くいる場所を感知して人里と勘違いしたのだろう。ふっ、飛んで火にいる夏の虫とはこのことよ!」

「前線に立たない貴様がなにをほざくかと思えば、よもや龍を虫に例えるとは……随分と余裕だな」

 相変わらず雰囲気が悪いまま行われている軍議にため息を吐きつつ、副ギルド長は後ろに控えていた斥候に質問した。

「ドラゴンは村人からの情報通り炎龍だった?」

「いえ、種類までは……遠くからだったのでわかりません」

「なに?! 貴様! 騎士のくせに臆病風に吹かれたというのか!」

「も、申し訳ありません!!」

 副騎士団長が斥候を責めると、斥候は青ざめて頭を地に着けて謝罪した。
 「どの口がほざくんだか……」と言ったマリファの言葉は副ギルド長にしか聞こえていなかったようで、彼女も苦笑する。

「しかし副騎士団長殿、ドラゴンはそう多く生息しておりません。王都で確認できたドラゴンならば、それは炎龍に違いないでしょう」

 目で見た情報の信頼性には劣るが、千人長の言葉に納得したのか、副騎士団長は責めるのをやめ、椅子にどっかと座りなおした。

「確かにその通りだな。だが、私は討伐隊に参加している全ての人間の命を背負っているのだ。万が一にも備えておかなければならない。副ギルド長殿、今回用意した対炎龍滅龍陣は他の属性ドラゴンにも効果は望めるのか?」

「本来の効果とまではいきませんが、それなりには……」

「なら問題は無いでしょう。今回の作戦はまず、炎龍が降り立った瞬間に滅龍陣を起動して行動を鈍らせ、そこへ魔術師達が魔術を撃ち込み、最後は我々精鋭騎士が決死の覚悟で突撃してトドメを刺すのですから。副騎士団長殿はご安心下さい。おっと、もう騎士団長殿とお呼びした方がよろしいですか?」

 千人長の言葉に機嫌をよくしたのか、副騎士団長は声をあげて笑った。その雰囲気に斥候は「ほっ」と安堵の息を吐く。

「では、総員に伝えよ! 我々はこの場で炎龍を迎え撃つ! すべては我が王と国民のために!」

 芝居がかった指令をとばした副騎士団長に、その場にいた騎士は跪いた。

「馬鹿な、なんの遮蔽物も無い平野で龍を迎え撃つだと……?」

「これは、決定事項だ。それに、我々討伐隊は場所の不利など関係ない」

「クソ! もう好きにしろ!」

 マリファは付き合ってられないという様子で本部を立ち去った。









「はあ、はあ、はあ」

 もう少しでドラゴンがここまで来るという方向を聞いてから、激しい動機と息切れが収まらない。
 いつもの何倍もの時間をかけて支援魔術の術式を構築した後も、私は部隊の隅で震えているしかなかった。

「大丈夫か?」

「えっ、貴女は……副魔術師団長ですか?!」

 しゃがみ込む私の肩に手が置かれ、気遣う言葉をかけてくれたのは副魔術師団長のマリファさんだった。
 私みたいな新米騎士とは立場が全然違う、雲の上の存在から声をかけてもらえるなんて……
 それがこんな状況じゃ無ければとも思うが、声をかけていただいたことで私の体の震えは少しだけ収まっていた。

「うむ、いかにも。デルダルクよ、それほど緊張していては普段の力の半分も出せんぞ? 確かに、今回の相手は強力だが、戦うのはお主一人ではないのだ」

「そ、それはそうなのですが……」

「不安か? ならば私がついていてやろう」

「えっ! マリファさんが!? あ、失礼しました! 副魔術師団長がですか?!」

「はっはっは! マリファさんで良い。なに、初陣をサポートするのは年長者、及び上司の務めだ。気にするな」

 突然の申し出に驚いたけど、私の首は無意識に頷いていた。
マリファさんがどうして私なんかを気にしてくれるのかはわからないけど……聞いてみてもいいかな?

「マリファさんはどうして、私なんかを気にしてくれるんですか?」

「ん? いや、魔術にも覚えのある騎士というのは非常に珍しく有望だからな。こんなところで失いたくないというのが一つ。もう一つは……今回の討伐隊にディヴァインを参加させなかったことへの怒りが一つ。どうせ、ドラゴンが恐ろしいなら傍にいろとでも言われたのだろう? 副騎士団長に」

「なんで知ってるんですか?」

「出世欲にとりつかれた馬鹿が考えそうなことくらいわかる」

 マリファさんの口から先輩の名前がでたことも驚いたけど、副騎士団長に辛辣なことを言ったこともかなり驚いた。
 でも、冗談とかで言っているような雰囲気じゃなくて、本心から嫌っているような感じがする。やっぱり、騎士団と魔術師団の仲が悪いって話は本当だったのかな。
 ……おかしいな。マリファさんの言葉が少し、自分の中で引っかかる。
 いや、具体的に言うと、先輩のファミリーネームが出てきたことだ。改めて聞いた先輩のファミリーネームに聞き覚えがあるということもあるけど、私が気になるのはもっと……なんで先輩を参加させなかったことに対しての怒りを、マリファさんが抱いているのかということ……

「あの、マリファさん、一つ下らないことを聞いてもいいですか?」

「なんだ突然、私は構わないが……」

「あの、マリファさんはせんぱ……ゼロさんとどんなかんけ「ドラゴンが来たぞ!!!!」

 私の言葉は騎士の誰かが発した声にかき消されてしまい、マリファさんの耳に届くことは無かった。
 声の方を向くと、まだ遠くの空にではあるが、ドラゴンらしい姿を確認することができた。

「デルダルク、すまんが話は後だ。お主は、構築した『耐炎』の支援魔術を精鋭騎士共にかけてやれ。私は『氷球アイスボール』の魔術を準備する!」

「わかりました!」

 さっきまで震えていたのが嘘のように、私はドラゴンを前にしてもマリファさんからの指示をこなすことができた。
 頼りになる人が近くにいるというだけで、こんなに違うなんて……

『魔導技師よ! 滅龍陣を起動させよ!』

 拡声の魔道具で伝えられた副騎士団長の指示で、滅龍陣が起動する。
 ドラゴンが近づいてきたことで起動した炎龍滅龍陣だけど、そのドラゴンの体は白かった。
 でも、かなり貴重な魔道具だから、他の属性龍にも効果が期待できるらしい。

 期待……できたはずだった……

『ど、どうなっている?! 滅龍陣は起動したはずではなかったか!』

「総員! ドラゴンは炎龍ではない! 『炎球ファイヤーボール』か『岩球ロックボール』を撃ち込め!!」

 動揺する副騎士団長の声が拡声の魔道具で伝わり、討伐隊の間にも不安の波が広がっていく。
 マリファさんはそれを打ち消すかのように大声で見方を鼓舞し、指示を飛ばしていた。
 私も、今できることをやらなくちゃ!

「マリファさん! 私、『沈静カルム』の魔術を使います!」

「っ! 頼む!」

「はい! 支援します! 『沈静カルム』!」

 範囲で魔術を使うのは久しぶりだったから、かなりの魔力を持っていかれてしまったけど、魔術師や精鋭騎士の皆さんは落ち着きを取り戻した。
 ……これは私が、私でもやれたんだ!
 湧き出てくる高揚感にずっと浸っていたくなるけど、ここはもう一度気を引き締めて自分は今何をすべきかを考え続ける。決して思考を止めてはいけない。これは、先輩との鍛錬で常に言われていることだ。
 先輩……
 やっぱり、少し心細い。でも、先輩との時間で学んだことが、今の私を助けてくれる。
 だから、どんな絶望的な状況になったとしても、私は絶対にあきらめない! 自分に妥協してしまったら、私は二度と会えなくなってしまうから。だから、私は、どんなに絶望的でも……

「なっ!! このドラゴン! 魔術が通用しないぞ! 白い鱗だから雪龍の筈じゃなかったのか!」

「雪龍が王国まで来るわけないだろ! でも、何なんだこいつは!? 魔術を弾いてるんじゃない、まるで、ぶつかった瞬間に無かったことのように……!」

「炎や水でダメなら岩や氷の魔術を撃ち込め! 形があるものなら関係が無いだろ!」

「試したわよ! でもダメ! 魔力を紡いだ攻撃事態が効かないみたいなの! だから滅龍陣も効果が無かったのよ!」

 魔術を無かったことにしてしまうドラゴン。そんな存在は聞いたことが無い。でも実際に、私より何倍も経験を積んでいるはずの魔術師の魔術が、ドラゴンに当たっては消えていく。

「全員そこを離れなさい!」

 魔術師達の絶叫が響く中で、マリファさんの凛とした声が通った。

「禁呪発動……恒星魔術……『紅炎プロミネンス』!」

 マリファさんが得意とする炎魔術を発動させた。ドラゴンの地面まで融解するような熱量でドラゴンを包み、魔術師達は一転、精鋭騎士たちも勝利を確信した歓声を上げていた。
 やがて、マリファさんの魔術によって発生した炎は勢いを弱めていき……そう上手くはいかないのが人生だと。私達は身をもって知ることになる。

「お、おい! まだ生きてるぞ!」

「うそ……でしょ……無傷、だなんて……」

 絶望の中に一点の希望を見出し、それが潰されたら人はどうなるのか……
 あ、あれ? なんで、私も動けなくなって……

「精鋭騎士よ! 総員、突撃準備!!」

 士気はもう完全に低かった。脱走者が出るか出ないかというところで、千人長が突撃の指示を出した。
 拡声の魔道具からは、あれ以来、特に指示などは入ってきていない。

「俺に続け!! 突撃!!!!!!」

 千人長が先陣を切って突撃を敢行する。
 そうだ、魔術が効かなくても物理攻撃だと効果があるというのはよくある話だ。逆もまた然りだけど、今回の相手は魔術に関してほぼ無敵という破格の性能だ。それくらい弱点があるはず。

「活路を見いだせれば……」

 そこで私は白いドラゴンが、この場に降り立ってから何のモーションもしていなかったことに気づいた。いや、気づいてしまった! 
 ドラゴンと言えばと聞かれて想像する、もっともポピュラーな攻撃モーション。

「う、うわああああああああああああ!!!!!」

 その白いドラゴンはブレスを吐いたのだと思う。遠くからではあまりわからないが、ブレスを吐いたと思われる方向の空間が歪んでいた気がした。
 仮に、このドラゴンの能力は魔力による攻撃の無効化だとしよう。ドラゴンから発せられた、透明なブレス。突然恐慌状態になる精鋭騎士たち……

「ま、まさか……支援魔術を無効化する魔術なの?!」

 私は、この場にいる全員に『沈静カルム』の支援魔術をかけ、混乱を抑えた。きっと、魔術の効果はまだ続いているはず。それなのに恐慌状態に陥るということは、それしか考えられない!

「うおりゃああああ!!」

 千人長の剣が白いドラゴンに届いた。
 しかし、私達は忘れていた。
 寝物語の英雄たち、その手にはこの世に名を残す武器が握られていたこと。硬い鱗に阻まれ、龍殺し(ドラゴンスレイヤー)になる夢を志半ばにして剣ごと折られた多くの勇者たちがいたこと。

 千人長の剣が折れた。騎士団で給付されているようなものでは無い、かなりの業物だったはずだが、それでも文字通り刃が立たなかった。

 この白いドラゴン、実は、まだ一度も私達を傷つけるような行動を起こしていない。それが余裕の表れか何なのかはわからないけど、このドラゴンは私達を傷つけずに、戦意を奪うことに成功したのだった。

「総員! 退却!!」

 千人長の絶叫を受け、全ての魔導技師、精鋭騎士、魔術師が我先にと逃げ出した。
 白いドラゴンに興味をひかれていた私もハッとなって駆け出そうとする。

「痛い!」

「あ゛!? 邪魔すんじゃねぇよ! このガキが!!」

「痛い! 痛い! 痛い!」

 チェインアーマーを着た騎士にぶつかられた私はその場に転んでしまった。そのあとも何人かの騎士に足を踏まれてしまい、痛みでどうにかなりそうだった。そして、さっきの騎士は数日前、私と巡回が一緒で、私の私生活を聞き出そうとしてきた人だった。

「~~~っ!」

 無理矢理立とうとしても激痛が走り、まともに立つことすらできない。見れば、私の右足首は青黒く腫れていた。多分折れている。
 皆、自分の命が一番大事だ。私だって、多分そう。誰かを助けることができるのは、自分に余裕がある人だけ。私の横を通り過ぎていく魔導技師も、魔術師も、精鋭騎士も、私なんかには目もくれずに逃げていく。そう、それが普通。
 私が、彼らに文句を言う筋合いは無い。

 そして、私の横を通り過ぎていく人がいなくなったころ、ズシンズシンと地響きを伴いながら、なにか重いものが近づいてくるのがわかった。

「あっ……」

 影が私を覆いつくほどの巨体、白いドラゴンは私を静かに見下ろしていた。

「私を食べる……のかな? なら、せめて痛くないといいな……」

 はは、ドラゴンに話しかけるなんて、自分でもどうかしていると思う。
 でも、もういいんだ。私は私にできることをやった。もう何も悔いは……悔いは……

「あ、まだ、私……先輩に謝れてないや」

 なぜかは分からないけど、私は、先輩とあんなお別れをしたままで、一生会えなくなるなんて嫌だと思った。
 そう思ったら……私は……震える手で剣杖をドラゴンに向かって構えていた。
 立ててすらいない、地べたに座り込み、あまりの痛さで涙目になりながらも精いっぱい張った虚勢。
 このまま死んでもいいと思ってた、死んでも仕方がないって思ってた、だって、最終的には私が選んで決めたことだから、でも、それでも……!

「まだ、死にたくない……!」

 こんな絶望的という言葉すら生ぬるい状況で、私に何ができるのか、考えても仕方ないのかもしれない。どうしようもないかもしれない。でも、考えなきゃわからない!
 泣いても何も変わらない筈なのに止まらない涙は、もうどうしようもない。このドラゴンには剣も効かない、魔術も効かない、私は逃げることができない、この状況で私が生き延びるには……

「助けて……「間に合った!!!」

 私が最後の最後に行きついた答え、それは情けないことに助けを求めることだった。
 無駄だと思った。でも、これしかなかった。最後の最後に、運命の神様というものに縋ってみた。
 白いドラゴンの頭部に何やら凄い勢いでぶつかって来た人がいた。でも、それは、初めてこの白いドラゴンにダメージらしいものを与えたらしい。ドラゴンの眼が有象無象を見る目では無くなった……そんな気がする。

「殺させない、俺は、彼女を失わないためにここに来た……邪魔するというなら斬り捨てる」

 『殺気』というものを初めて感じたのだと思う。目の前の存在が大きく変わるような……でも、何だろう、初めて感じた殺気からは、私を守ってくれるという頼もしさを感じた。私は、おかしいのだろうか。
 いや、きっと浮かれているんだ。私が求めたときに英雄が助けに来てくれる。まるで、寝物語のお姫様のような気分になれたから。
 だから……

「最後までお願いしてもいいですか……私の、英雄せんぱい」

 小さい声だったから返事は無い。でも先輩の背中が「任せろ」と言っている気がして、胸が高鳴る。
 ははっ、自分でも妄想甚だしいですね。

 ああ、きっと、私は先輩に……恋をしている。









 リノアリアさん白いドラゴンの前で倒れていたのを見た時は心臓が止まりそうだったが、上体を起こし、震える手で剣杖を構え、助けを請う姿を見たときは、王都を出た直前よりも速い速度で飛ぶようにして走った。
 最後に跳び過ぎてドラゴンの頭にぶつかってしまったが、それはご愛嬌ということで。うん、やっぱり僕にはお姫様を助ける英雄のような役目は向いていないのかもしれない。
 でも、いくらかっこ悪くても、僕は今、彼女を護れればそれでいい。そう思って、僕は白いドラゴンに殺気を向けた。

「やっぱり、ドラゴンクラスになると効き目は無いか……」

 オーガクラスまでなら、殺気を向けるだけでひるんだりするが、僕にはドラゴンを恐れさせるだけの力は無いらしい。
 遥か格上の存在、力の差は歴然。僕の勢いまでつけた剣を用いての体当たりを頭部に受けて平然としているのが何よりの証拠だろう。だが、それでも……

「属性槍展開! 行け!!」

 ぶつかってやる! 死力を尽くして! 最後の一滴まで振り絞って死んでも、きっと悔いは残る。でも、リノアリアさえ守れたなら、失わずに済むのなら! 俺・は死んでもいい!!
 なぜ、自分が彼女に対してこれほどの思いを抱くのかは俺もわからない。でも、いつかわかればいい。

「効かねぇか……!」

 最も破壊力が強い槍を全属性展開して撃ち込んだのにも関わらず、ドラゴンには傷一つついていなかった。

「先輩! そのドラゴンに魔力を用いた攻撃は効きません!」

「そういうことは、次からはもっと早くいってくれ!」

「先輩! ブレスに気を付けて!」

 後輩からの指示が飛ぶ。
 白いドラゴンはその大口を俺に向けていた。
 空気の振動のようなものが伝わり、俺の中の何かが抜けていく感覚……

「このブレス! 俺の魔力を奪うのか!」

 いや、違うな。おそらくは魔力を消しているのか。つまり、こいつに効くのは物理攻撃だけ……

「わかりやすくていいなぁ! 俺はただ全力で剣を振るだけだ!」

「先輩……口調が……」

 こんな時だというのに、後輩の戸惑いの声は僕・の耳にしっかりと届いた。
 昔から、自分より強い存在と対峙すると徐々に高揚感が増し、戦闘狂のようになってしまう悪癖があった。かといって、普段の僕が仮面というわけでは無い。どっちも僕だ。
 でも、王都に来てから、特にリノアリアさんが後輩になってからは気を付けていたんだけど……

 僕は少なからず動揺し、そして隙が生じる。

「先輩!!!!」

 後輩の声で気づいたときにはもう遅い。
 無防備な僕の左横を、ドラゴンの太い尾が襲った。

「がはっ!」

 息も出来ないほどの衝撃で吹き飛ばされた僕は、地面に何度かバウンドして、止まる。
 内臓へのダメージも酷かったのか、口の中には血がたまり、俺はかなりの量の血を吐きだした。

「げほっ! げほっ! はあっ、はあっ、はあ」

 剣を杖にして立ち上がり、呼吸が整うのを待つ。
 白いドラゴンを見ると、奴は俺の方を向いていなかった。
 眼中にないってことか、俺ごときがお前に敵う訳がないとでも言いたいのか! 俺は何も守ることができないと、そういいたいのか!
 しかし、俺が抱いた怒りは見当違いだったことに気づかされた。

「GRRRRRRRRRRRRAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!」

 腹にドシンと響くような咆哮に、思わず耳を塞ぐ。
 天を仰ぎ見ると、そこには赤き鱗を持つドラゴンがホバリングしていた。翼で扇いだことによる風の勢いを踏ん張って耐える。

 ドラゴン二頭……炎龍はともかく、白いドラゴンは攻略の糸口すらつかめてねぇ。魔力も白いドラゴンのブレスを受けちまったせいでスッカラカンだし……体はボロボロ……ははっ、笑えるくらいの修羅場だな。
 俺はリノアリアの前に移動し、彼女を背にして二頭のドラゴンを迎え撃つことにした。

「先輩! もう、いいです。助けに来てくれたのは、本当に、本当にうれしかったです。でも、ここで先輩が命を落とす必要はありません! 夢なら、もう十分に見せてもらいましたから、先輩は逃げてください!」

 リノアリアがそんなことを言う。

「なんだ、俺じゃ頼りないか?」

「そんなこと……!」

「俺じゃ役不足か?」

「違います! 私が言いたいのはそんなことじゃなくて……!」

「俺でいいなら、黙ってそこで見ていろ。君が見ているのは夢じゃない、現実だ。勝手に逃げるな。でも、絶望する必要も無い。俺が守ると決めたら、絶対に守る。君が俺を英雄だと思ってくれたなら、俺は英雄になれる」

 言いたいことは言った。あとは何も気にする必要は無い。
 戦って、勝って、彼女を負ぶって帰るだけだ。
 ああ、でもその前に一つ。

「でも、できれば終わった後に、今の俺のことは忘れていてくれ」

 俺はそれだけ言い残し、二頭のドラゴンの元へと決死の特攻を試み……たのだが、どうも様子がおかしい。

「GRARARARARARARARARARARARARA!!!!!」

「……」

 空中から咆哮を続けている炎龍と、大地で何一つ発さず、ジッと炎龍を見つめている白いドラゴン。目の前の光景は何だかシュールで、思わず力が抜けてしまいそうになった。

「GRARARARA!!!」

「うおっ! まずい!?」

 突然炎龍は空中でホバリングしたまま俺の方を向くと、口を大きく開け、ブレスの兆候を示した。
 だが、今の俺には広範囲を焼く炎龍のブレスに耐えるだけの術を持っていない。

 ここまでか……

 決死の覚悟で飛び出しておいて呆気ない幕切れだったと、迫りくる死を覚悟していたが。そこで、俺の予想外の事態が起きた。

「……」

「なっ!?」

 白いドラゴンが魔力を消失させるブレスを放ち、炎龍の炎のブレスをかき消した。確かに、ドラゴンのブレスは魔術では無いが、古来に存在し、現代ではほとんど失われてしまったとされる魔力を用いて世界の断りを操るという魔法であるという話を聞いたことがあるから、理論上炎龍のブレスを消すことはできるのだろう。
 相変わらず、白いドラゴンは静かなままで意図が読めない。

「GRARARARARA!!」

「ぐっ、だが……!」

 以前、空を飛ぶことのできない俺には、炎龍に剣を届かせる術がない。属性槍や属性剣を飛ばすにも、魔力が無い。

「……なんだ」

 炎龍の炎のブレスが消えてから、白いドラゴンの双眸が、俺を見据えていることは分かっていた。俺が目を合わせると、白いドラゴンは首を地面に下した。

「斬って欲しいのか?」

 剣を振り上げても、白いドラゴンは何の反応も示さない。ただ俺の顔をジッと見つめてくるだけ。

 あ~も~、わかったよ!

「乗ればいいんだろ?!」

 俺は、生まれて初めてドラゴンに跨った。帝国では、ワイバーンなんかの亜龍を調教し人が乗るドラゴンライダーなる職業があるらしいが……本物のドラゴンを駆るドラゴンライダーはいないだろう。
 まぁ、ワイバーンも魔物だからかなりの信頼関係を築かないと乗せてすらもらえないらしいが、こいつが俺をのせてくれた意図は全くの謎のままだ。
 でも、力になってくれるというならありがたく乗らせてもらおう。

「うおっ!!!!」

 初めて、空を飛ぶものの気持ちを味わった。うん、かなり怖い。というか、上昇するとき絶対に俺のこと考慮してくれて無かったよね? すごいスピード出てたからな? 必死でしがみついたんだからな?

 だが、これでようやく俺の剣が炎龍に届く。ドラゴンライダーの訓練をしたことのない俺の剣が届くのは一度きり。しかも、捨て身だ。

 だから、こいつにはもう一仕事してもらう必要がある。

「頼めるか?」

「……」

「任せた」

 反応は無かったが、何となく伝わった気がした。そして、任せていいことも。

「GRARARARARARARA!!!!!」

 俺が頼んだのは炎龍との格闘、俺が振り下ろされる可能性も高いが、その分炎龍と距離が近づく。
 幸い、白いドラゴンが完璧に抑え込んでくれてるおかげで揺れも少ない。
 ここなら、当たる。

「久遠くおんの剣つるぎ……五ごの剣けん……」

 剣は上段に、間合いを図り、気を読む。
 間合いと気が成ったなったなら、俺は、剣という武器の全てを引き出すことができる。
 そうなれば、剣の限界を引き出し、金剛だろうと龍だろうと、斬り砕くことが可能になる。
 それが俺の奥義、久遠の剣『五の剣……

『刃の極地』

 俺は白いドラゴンから飛び降り、炎龍の脳天から斬っていく。
 この技は実践では隙が生まれ過ぎて使いにくい分、他の四つに比べれば習得するのが容易だったし、何より、決まった時の効果が絶大だ。
 気を読むということは即ち、相手の弱点を見破ること。
 気を読めたのなら、どんなモノが相手でも、どこにどう刃を入れたらいいかがわかる。
 そして剣が真価を発揮する間合いを見極め振り下ろす。筋力なんかも必要だが……おまけみたいなもんだ。

「炎龍、討伐完了」

 空中で炎龍を真っ二つにした俺を、白いドラゴンが空中で受け止めてくれる。ははっ、意外と相性がいいのかもな俺達。

「……」

 白いドラゴンは俺を降ろすと、自らは地に降りることなくただジッと再び俺を見つめる。
 今更俺と戦おうってわけでは無いだろう。
 しばらくすると満足したのか、力強く、だが静かに羽ばたき、大空へと飛んで行ってしまった。

「あの白いドラゴン……いったい、何だったんでしょうね」

「さあな……っ」

 自然に返してしまったが、そこで俺、いや僕は! 後ろにリノアリアさんがいたことに気づいた。

「先輩、その口調……」

「なんのことかな? それより、足は大丈夫かい? 僕が負ぶっていってあげよう!」

 さあ! と少し芝居がかった動作で背を向ければ、彼女はため息を吐き、苦笑しながらも僕の背中に密着してきた。 
 うん、背中のことについては考えないようにしよう。煩悩退散、煩悩退散。

「それじゃあ、帰ろうか」

「はい……」

 もう日が暮れる。王都に着くころにはもう夜中だろうか? それに、この炎龍はどうすればいいんだろう? 考えないことにする。

 今は、僕が守ることのできた後輩との時間に浸っていたい。

「先輩、何で私を助けに来てくれたんですか?」

「リノアリアさんは大事な後輩だからね」

「答えになってるようでなってないです。先輩の後輩の子なら地味に私以外にもいましたよね?」

「それは、だな……」

 う~ん、答えてもいいんだけど。なんだか恥ずかしい気がするぞ? ここはなんとか話を逸らせるように……

「……『俺でいいなら、黙ってそこで見ていろ』バイ先輩」

「ぶふっ!!」

 思わず吹き出してしまった。いや、全ては僕の悪癖が原因なんだけど、それを言ったのは僕で間違いないんだけど……! それは僕であって僕じゃないというか……

「先輩も『俺』って言うんですね。それに、あんなに荒々しい口調で……」

「勘弁してつかぁさい」

 僕はがっくりとうなだれた。耳元でリノアリアさんが「じゃあ、なんで私を助けてくれたんですか?」とささやくもんだから、もう逃げ場は無いことを確信した。

「君を失いたくないと思ったからだ」

「ふぇ?」

 リノアリアさんが可愛らしい声を漏らす。どんな顔をしてその声を出しているのかが非常に気になるところだが、今は良いだろう。

「僕自身、何でそう思ったのかはわからない。でも、リノアリアさんがいない鍛錬場は寂しかった。あと、僕が君を不安にさせてしまったから、それを謝るために……かな」

「……なんですかそれ」

 彼女は僕の首の後ろに頭を擦り付けた。何か悶えているのか? できれば、汗をかいた後だからあまり嗅がないで欲しいんだけど……

「……私も同じです」

「えっ?」

「私も、白いドラゴンに剣を向けたとき、『あっ、先輩に酷いこと言ったこと、まだ謝れてない』って思ったんです。また、先輩と会いたいなって……」

「そうか……」

 彼女の言葉に深い意味はないのだろう。でも、少し嬉しく思うくらいは許してほしい。

「僕はリノアリアさんに謝りたかった」

「私は先輩に謝りたかった」

「それじゃあ、「「せ~の」」

「「ごめんなさい」」

「「……」」

「「ぷっ、あはは」」

 僕達は背負い背負われるままだったが、一緒に謝り、一緒に笑いあった。うん、僕が守りたいと思ったものは、変わらずにここに存在している。その事実が、今はただ嬉しかった。

「じゃあ、先輩。これからは私のことをリノって呼んでください。いつまでもさん付けをされていると、なんだかモヤモヤします」

「突然だね。でも、いきなり愛称で呼ぶのはちょっと……」

「『俺じゃ役不足か?』」

「わかった、呼ぶ。呼ぶからそのことは忘れてくれ」

「先輩が私のことをリノって呼び続けてくれたら忘れてあげます」

「はあ、わかったよ。リ、リノ?」

「う~ん、もう一回」

「リノ」

「なんですか先輩♪」

「……今度からはさ、もっと多く、一緒の鍛錬の時間を増やさないか?」

「そ、そうですねぇ、先輩がどうしてもって言うなら……」

「どうしても、僕はリノともっと一緒にいたい」

「ふぁ?! ふぁい、ひゅ、ひゅつつきゃものでしゅが、よろしくお願いします……」

「えっ?」

「な、なんでもないです! 先輩の頼みというなら、仕方ありません。不肖リノアリア・デルダルク、先輩にお付き合いしましょう! あ、それとは別なんですけど、今度ご飯を作らせていただけませんか? 先輩にお礼がしたいので……」

「大歓迎だよ! リノの作る料理か……今から楽しみだ」

「ふふっ、期待しておいてください」

 僕が守りたいと思ったもの。それは全く変わらないというわけでは無いみたいだ。
 でも、彼女との距離が縮まったことを、僕は純粋にうれしく思っている。
 彼女のことを想うと、胸が少し苦しくなるような、切なくなる感情は、いったい何だろうか。
 でも、いずれ分かるだろう。結論を急ぐことは無い筈だ。
 今は、今の彼女との距離を楽しもう。これから先、縮まるにせよ広がるにせよ、今の彼女との距離を楽しめるのは、今だけなのだから。

「『君が俺を英雄だと思ってくれるのなら……』」

「頼むから忘れてくれ!」

 それはともかくとして、俺は彼女に弱みを握られてしまったようだ。


 でも、俺が彼女の英雄になれる日も、いつかは来るのだろうか……できれば数年後も、彼女の隣に立っているのは僕でありたいな……な~んて。
 そんな空想を描きながら、僕は彼女と共に日が沈む王都までの帰路を歩いた。










 その後、僕が倒した炎龍の死体が発見され副騎士団長は正式に騎士団長になり、僕は勝手に王都を抜け出したという違反で三か月の謹慎処分を受けた。
 リノや、副魔術師団長のマリファさんなんかが猛反発して抗議し、マリファさんなんかドラゴン討伐での元副騎士団長の不祥事まで書類にまとめて提出しようとしていたらしいが流石に止められたらしい。

 でも、謹慎期間中は足首を骨折したリノと半同棲みたいな生活をしていたので、僕的にはそんなに悪い処分では無かった……と思う。
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