第5話 自分のモノサシ

文字数 2,758文字

  外部ライター募集のテストを受けて、不合格になったことがある。
 
 昔の話ではなく、4年ほど前のことだ。医療系メディアの編集制作会社が、外部ライターを募集していたので応募したところ、面接はなんなく通過したが、執筆テストで不合格になった。が、自分にはまったく非はなかった。と、わたしは自信を持って思っている。

 わたしが得意とする分野は、工業系、医療・介護系である。駆け出しの頃には、グルメやブライダル、求人、フリーペーパーなどもやっていたが、いろいろ試すうちに、性に合うものが絞られていった。性に合うものは、やはり原稿の出来もいいので、自然とその分野の仕事が増えていったのだ。

 わたしが不合格になった外部ライターの執筆テストは、とりたてて難しい内容ではなかった。90分程度の取材音声データをもらい、それをもとに原稿を2つ作成するというもので、1つは3500字程度のウェブ用、もう1つは600字程度の雑誌用だった。

 やるべきことは通常の仕事となんら変わりはなかったので、わたしはいつもどおり、音声データを聞きながら文字起こしを始めた。

 ほかのライターがどうしているか知らないが、わたしは自分で取材をしたときも、音声データをもらって原稿を書くときも、必ず文字起こしをする。取材時間が長かろうが短かろうが、取材の音声をすべて文字に書き起こす。理由は、文字起こしの内容を見てから原稿の構成を考えるから。

 そんなふうに言うと、真面目自慢かよ……と思われそうだが、そうではない。実はわたしは空間把握能力が低いので、話を聞きながら構成を考えることができないのだ。だから一旦、音声をすべて活字にして、「この部分を冒頭に持ってきて、こっちはあとに置いて……」という具合に組み立てければならないのである。

 執筆テストのときも当然、通常の仕事と同じように文字起こしから始めた。ところが、決定的に大きな問題があることがすぐにわかった。人様の仕事にケチを付けて恐縮だが、ライターの取材の質が、非常によろしくなかったのである。

 取材の相手は歯科の開業医で、医院の特徴や、院長が歯科医になった経緯などをライターがインタビューしていた。院長はなかなか話し上手で、おもしろいなと思いながら文字を起こしていたのだが、途中からだんだんイライラしてきた。ライターが、ことごとく話の腰を折ってしまうのだ。

 せっかく院長が話しているのに、その話を横取りして「ああ、○○ですよね」と知ったかぶりをしたり、知識をひけらかしたりする。院長がしゃべっている途中で次の質問をして、強引に話を切ってしまう。院長が大事なことを言っている最中に、大声で合いの手を入れたり、あいづちを打ったりする。

 という調子だったので、文字起こしは難航し、執筆のために必要な情報がかなり不足していた。とはいえ、これもわたしの通常の仕事のときの行動だが、情報が不足していれば自分で調べるだけのことなので、このテストでも同じようにした。

 が、またしても問題があった。医院の名称が故意に伏せられていたうえ、関東圏の医院だったため、名古屋にいるわたしにはまったく見当がつかなかったのだ。取材のなかで出てきた言葉をヒントに、院長の出身大学を検索し、どうにかして医院を見つけ出そうとしたが、どう頑張ってもわからなかった。

 わたしは仕方なく、取材から得られた情報だけで原稿を書き、医療系の仕事をしてきた経験値から、たぶんこういう理由で患者さんの信頼を得ているのではないか、という推測を、推測として原稿に盛り込んだ。

 テスト原稿は、本社の編集者にメールで送ることになっていたので、わたしは念のために、あいさつ文の最後にこう書き添えた。

「いくつか不明点があり、原稿に勘違いがあるかもしれません。修正が必要でしたら、お手数ですがご指示いただけますと幸いです」

 数日後、編集者から返信があった。返ってきたのは修正指示でも内容に対する質問でもなく、テスト結果は不合格、という知らせだった。

 何が問題なのか、わたしはさっぱりわからなかった。そこで、不合格の理由を編集者にメールで尋ねると、原稿の内容がかなり間違っていたから、という返事だった。さらに、わたしが取材の音声データをしっかり聞かずに、原稿を適当に作成したと疑っているような文言まで書かれていた。

 そういう理由であれば、仕方がない。わたしは何も言わず、不合格の結果を受け入れた。きちんと文字起こしをしていたことや、ライターの取材の質が悪かったことを言わなかったのは、編集者が聞いてこなかったからだ。

 医療系の取材執筆を得意とし、これまで何本も医療系の原稿を書いてきたライターが、なぜ今回に限って間違った原稿を書いたのか? そういう疑問も抱かず、確認もせず、簡単に一刀両断にするような編集者とは、わたしはとても一緒に仕事をできそうにない。だから黙って引き下がったのである。

 もし、この編集者が、わたしを無能なライターだと思ったとしても、なんの異議もない。ただし、編集者の考えに同意も共感もしない。わたしは取材音声データを必ず文字に起こし、足りない情報があれば調べ、最善を尽くして原稿を書いている。誰がどう思おうと、それがわたしの仕事のやり方だということは、まぎれもない事実なのだ。

 わたしは、取材のやり方を人から教わったことがない。過去の仕事の経験を生かすことと、山ほどある文章関連の本を読むことと、汗を書いたり恥をかいたりしながらいろいろな取材のやり方を試すことで、自分なりの取材方法を見つけ出した。文章関連の本には、取材のヒントになるようなことも書かれている。そのヒントがどうすれば使いものになるかを考えながら、コツコツと取材技術を構築していったのだ。

 人はみんな、自分のものさしで物事を見ている。そのものさしは、経験値でできている。経験値は人それぞれ違うから、測り間違いが起きることもある。どこが間違っていて、どこが合っているかを確認する作業が取材だと、わたしは思っている。

 わたしが取材のときに使うバインダーに、こんなメモが貼ってある。

【取材心得】
●相手の発言を阻止せず、最後まで聞け。
●相手の主張と、それを支える根拠のつながりを理解せよ。
●相手の話を理解できなければ、十分に質問して理解せよ。
●相手の言いたいことを推測せず、実際に聞け。
●誘導尋問や、知識のひけらかしをするな。

 これまでに読んだ山ほどの文章関連の本のなかから、必要だと思う部分を抜粋してまとめた心得だ。これを肝に銘じているから、わたしは適切な取材ができ、適切な原稿を書けているのだと思っている。

 だからこそ、不合格だったあの執筆テストも「わたしに非はなかった」と自信を持って言うのである。


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