第2話 聞く字、見る字

文字数 1,785文字

 音声言語を文字で伝えるのは難しい。

 以前、住宅情報サイトの仕事で、三河地方の工務店の取材をさせてもらったことがある。昔ながらの“手きざみ”という工法で木組みの家を建てることに特化した工務店で、ちょうど施工中の家があるというので、見学がてら話を聞かせてもらった。

 休憩中の大工の親方をつかまえて、家の特徴を尋ねると、リビングのド真ん中に薪ストーブを据え付け、屋根を突き抜ける煙突を取り付け、吹き抜けを設けるという。木組みの家でそれを全部やるのは大変ではないかと思ったので、そう質問を投げかけ、親方の返答と併せて原稿を書いた。

 どの媒体でも同じだが、原稿が完成したら、必ず編集者にチェックしてもらわなければならない。メールで原稿を送り、1週間ほど待っていると、朱入(あかい)れをした原稿が戻ってくる。で、このときは、こんな(あか)が入っていた。

“会話文の親方の言葉がオネエっぽいので、普通の言葉に直してください”

 へっ? わたしは首をかしげた。思い当たるふしがまったくないのだ。

 原稿を読み返してみると、たしかに親方の言葉を括弧書きした箇所が1箇所あるにはある。だが、オネエっぽい言葉など使っていない。

 こんなインネンを付けて遊ぶほど編集者も暇ではないだろうし、どういうことかなぁと考えながら何度も読み返すうちに、もしかしてこれか? と気がついた。「吹き抜けと薪ストーブの造りは大変でしたか?」というわたしの質問に対する親方の返答を、

「別に大変てことはないわね」

 と書いていたのである。

 この媒体の編集部は東京にあり、編集者も東京出身の人だった。だから編集者は「大変てことはないわね」の「ね」の音を上げて読んだのだろう。そう考えれば、オネエっぽいという指摘もうなずける。が、実際に親方が発した言葉は「ね」が下がっていた。このイントネーションは、三河弁や名古屋弁の特徴なのだ。

 たぶんこれだろうと思い、その部分を「別に大変てことはない“よ”」に修正して編集者に送ったら、OKだった。このときに、音声で聞いた言葉を文字で伝えるのは難しいなぁ……と感じた。

 わたしは絵本を書かないが、『絵本づくりトレーニング』(長谷川修平 筑摩書房)という本を持っている。なぜ持っているかというと、『だからこそライターになって欲しい人のためのブックガイド』(田村章,中森明夫,山崎浩一 太田出版)という本に、ライターになりたい者が読むべき書籍として取り上げられていたから買ったのだ。

 『絵本づくりトレーニング』のなかの「文字の効果」という項目に、こんな一節がある。

<絵本の場合は、音声言語っていうよりもむしろ、視覚言語、見る字ですよね。紙芝居なんか、聞く字ですから。絵本のは、位置とか、大きさとか書体とかが、大事です。こういう内容でも、教科書体みたいな字で書けば、道徳の教科書みたいに見えるかもね(笑)>

 紙芝居のことを“聞く字”とは、上手いことを言う。ならば、ライターのわたしの場合、取材するときは“聞く字”でインプットし、原稿を書くときには“見る字”でアウトプットしているということだろうか。入力と出力の形式が違うのだから、完全に同じように再現できないのは無理もない。音声言語を文字で伝えるのが難しいと感じるのは、だからだろうか。

 わたしが知りたいのは、どうすればその不一致をカバーできるかということである。絵本や紙芝居の場合は絵や声で補うことができるが、わたしは文字しか使うことができない。

 大工の親方のケースもそうだったが、取材相手の個性を伝えようとして方言をそのまま書き表すと、意図したように伝わらないこともある。原稿に(あか)が入ったから修正したものの、そのおかげで親方の個性はすっかり消えてしまった。

 「別に大変てことはないよ」では親方の魅力が伝えられていなくて、もどかしい。三河弁の「大変てことはないわね」だからこそ、70歳を過ぎてなお現役で活躍する親方の、どこか照れたような、それでいて誇らしげなあの感じを表現できるのになぁと思う。

 こんな言いわけをダラダラせずとも、音声言語を文字できちんと伝えられるようになりたい。今のところ、どうすればそうできるのか明確な答えをつかめていないから、とにかく書いて試してみるしかない。

 わたしにはライターとして学ばなければならないことが、まだまだたくさんある。





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