第7話 嫌いなことを仕事に

文字数 3,037文字

 わたしは子どもの頃から、文章を読むのも書くのも嫌いで、すごく苦手だった。これはウソでもハッタリでも謙遜でも皮肉でもない。

 嫌いで苦手なことをやるようになったきっかけは、復讐心からだった。初めての就職先で、上司からパワハラとセクハラをされたことが悔しくて、文章で仕返しをしてやろうと思ったのだ。

 わたしがセクハラとパワハラに悩んでいたのは、警察官だった頃のこと(※職歴はプロフィール参照)。警察学校を卒業したあと、わたしは某警察署の防犯課に配属になった。日々、防犯課長から卑猥な言葉を浴びせられ、2人きりで飲みに行こうと誘われ、不必要に身体に触られた。拒絶したり嫌がったりすれば、新人のスキルに見合わない難しい仕事を押し付けられて、できなければ恫喝された。

 いま思えば、さほどたいしたことはなかった気もするが、22歳のウブなわたしには屈辱だった。当時はまだ「セクハラ」「パワハラ」という言葉が世に出回っていなかったため、わたしに隙があるのだろうか……という自己否定感や、恥ずかしさが先に立ち、誰かに相談するという発想には思い至らなかった。いや、たとえ思い至って誰かに相談したとしても、絶大な権力を持つ防犯課長が相手では何もできなかっただろう。

 だから黙って耐えていた。だが、防犯課に配属されて8カ月が過ぎたある日、ついに抵抗した。というよりも、抵抗せずにはいられなかった。帰宅途中に防犯課長の車に乗せられ、危うくホテルに連れ込まれそうになったのである。

 すんでのところで車から飛び出して事なきを得たが、身の危険を感じたわたしは、その数日後、警務課長に退職を願い出た。が、辞めることはできなかった。

 わたしは辞めたい理由を誰にも話さなかった。話したところで、誰も助けてくれないとわかっていたからだ。いろいろな人から「理由を言え!」と詰め寄られたが、頑として口を割らなかった。すると、しまいには副署長が乗り出してきて「こんな辞め方をしたら署長の体面に傷がつくのがわからんのか。お前に責任が取れるんか」と脅された。わたしは「責任」という言葉にビビってしまい、おめおめと退職願いを取り下げた。

 わたしの行動は防犯課長の逆鱗に触れ、即日、防犯課を追い出されて、外勤総務係に異動になった。署内では、わたしがワガママを言って防犯課を逃げ出したという、根も葉もないウワサ話が広まっていた。そして、新たにわたしの上司となった外勤総務係の係長は、そのウワサ話を鵜呑みにした。

 異動初日、わたしが「ご迷惑をおかけしてすみません。今日からよろしくお願いします」と挨拶をすると、係長は、

「あーあ、本当に迷惑だ。行き場のないおまえを俺が拾ってやったんだから、おまえは一生俺に感謝しろよ」

 と言った。この言葉を聞いたとき“きっと何かしらの形でこの屈辱を晴らしてやるからな”と誓った。で、その何かしらの形というのが、文章を書くことだったのである。イヤミな係長の下で働きながら、わたしはリアルな体験を原稿用紙に書き殴り、それを「女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞」というノンフィクション賞に投稿した。

 数カ月後、郵送で届いた結果は落選だった。ま、そりゃそうだ。なんせ、子供の頃から文章を書くのが嫌いで苦手なのだから。届いた通知には、落選結果のほかに審査講評も同封されていて、こんなことが書かれていた。

「いい題材を扱っていながらも文章が粗削りで、構成力や表現力が未熟なため……」

 文章が粗削り? 構成力や表現力? なんのこっちゃ。これが、文章ギライのスタンダードな反応だ。が、無知とは厚かましいもので、講評の「いい題材を扱っている」という部分だけを都合よく解釈し、題材がいいなら上手に書けば大賞を取れるんじゃン♪ と気軽に考えて、文章の書き方を学ぶ通信講座を申し込んだ。これが、わたしの文章修業の始まりで、ライターになったルーツである。

 以来、30年以上も文章修業をしてきたから、文章技術はそれなりに身に付いた。だが、わたしは今でも、本質的には文章を読むのも書くのも嫌いである。それなのにライターをやっている理由は、ただ一つ。努力して、苦労して、少しずつ身に付けた技術を捨てるのがもったいないから。

 文章修業を始めてからライターになるまでに、10年かかった。10年のあいだ、何種類もの文章講座を受講し、課題を提出してはケチョンケチョンにダメ出しを食らい、落ち込んだり、へこたれたりしながら地道に努力を続けた。

 やがて自信が付いたからライターになった、のではなく、たまたま求人の縁あって制作会社に採用されてライターになった。が、ライターになりはしたものの、編集長から「ヘタクソ!」とド叱られてばかりで、たった400字の原稿が3日かかっても書けずにメソメソ泣いていた。

 嫌いなことを仕事にしたわたしは、文章を書くのが好きでライターになった人よりも成長が遅かった。充実感や達成感を感じる経験も少なかったように思う。それでもわたしは、これまでに就いたどんな仕事よりも、ライターの仕事を気に入っている。そして、嫌いなことを仕事にするのもまんざら悪くないな、と思っている。

 嫌いなことを仕事にしていると、どんなにけなされようと自信喪失しない。なぜなら、最初から自信などないから。逆に、ちょっとでも褒めてもらえると、それが大きな励みになっていくらでも頑張れる。さらに、書くことに特別な感情がないから、ドライに客観的に文章を書ける。わたしのような商業ライターが書く原稿は、書き手の感情が出ないほうがいいので、ドライに書けることは強みになる。そんなこんなで、嫌いなことを仕事にするのも悪くないと思うのである。

 考えてみれば、警察で防犯課長や外勤総務係の係長に出会ったことは、わたしにとって幸運だったのかもしれない。もし、彼らがとてもいい上司だったら、屈辱を晴らすために賞に応募しようとは思わなかったし、文章修業を始めることもなかった。ひょっとして今も警察官を続けていて、調書や被害届ぐらいしか文章との関わりがなかったかもしれない。

 世間体で言えば、ライターよりも警察官のほうがいいに違いないが、仕事のやりがいは、わたしにとっては警察官よりもライターのほうが断然ある。だから、あの当時は恨めしく思ったけれど、今では、外勤総務係の係長が「俺が拾ってやったんだから、おまえは一生俺に感謝しろ」と言ってくれたことに感謝している。あの言葉があったからこそ、ライターのわたしが存在しているのだから。

 ライターをやっていなければ会うことはないであろう人たちに会い、取材を通じて、その人たちの考えや思いを聞かせてもらうとき、わたしはやりがいを感じる。話を聞きながら、ときにワクワクし、ときに憂い、ときに苛立ち、ときに大笑いし、わたしの感情はあちこちに揺れ動く。そして「この感覚が読み手に伝わるよう、読みやすくてわかりやすい文章を書こう」と、いつも思うのである。

 わたしは今も文章修業を続けていて、もちろんこれからも続けていく。そんなふうにして、嫌いなことをずっと仕事にしていくつもりだ。


文章修業を始めたばかりの頃に使っていた通信講座のテキスト。基本的な文法から学び直した。
学生時代、いったいわたしは授業中に何をしていたんだ……?


オッチョコチョイな婦警だったから、ガサ入れや交通立番のときに各種ヘマをやらかした。
そんなエピソードは、いずれまた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み