第1話 自分語り

文字数 2,611文字

 取材現場に向かうとき、カメラマンの車に同乗させてもらうことが多い。

 東京のカメラマンは、公共交通機関で移動すると聞いたことがあるが、この地域のカメラマンはマイカー移動が当たり前で、気の毒なことに、ライターの送迎まで当たり前にやらされている。

 申し遅れたが、わたしは名古屋でフリーライターをやっている50代の女である。フリーランス歴は17年、ライター歴は20年になるので、カメラマンの車に同乗させてもらっている歴も20年ぐらいになる。

 撮影なし取材のみという仕事ももちろんあるし、最近では、簡単な撮影だから取材のついでに撮ってきてくれと頼まれることも増えたが、やはり取材と撮影がセットの仕事が圧倒的に多い。だからどうしても、カメラマンの車に乗せてもらわなければならない。

 “なければならない”というのはつまり、できれば同乗したくないという意味である。その理由は、疲れるから。

 あくまでわたし個人の感想に過ぎないが、ほとんどのカメラマンは自己愛にあふれ過ぎている。ゆえに、自分語りがすさまじい。逃げ場のない車内で突如始まる独演会を聞かされるこっちは、たまったものではない。

 あるカメラマンは、自分は警察に目を付けられていて、刑事課のブラックリストに名前が載っている、という真偽不明な謎の自慢をしてきた。

 あるカメラマンは、趣味を通じて知り合った熟女にモーションをかけられていて、しかもその女は大金持ちで、金塊を詰め込んだポリバケツを庭にいくつも放置していて、それを全部くれてやるから愛人になれと迫ってくる、というファンタジーを語った。

 また、松田聖子さんのファンだというカメラマンは、取材地に向かう2時間近くの運転中ずっと「松田聖子がスターになれたのはマネジメントが成功したからなんだよね。それに応えた松田聖子も自分をよくわかっていたんだよ」と、まるで自分がマネジメントをしたかのように語り続け、とどめに「松田聖子こそ本物のスターと言える」と、この世でそれを知っているのは自分だけと言わんばかりに聞かせてきた。そんなこたぁ私とて百も承知しとる。

 とまぁ、こんな具合なのだが、自分語りをしたがる人に共通して言えるのは、自分の話を誰しもが聞きたがっていると思い込んでいる点である。申しわけないが、わたしは興味のない相手の話などに興味はないのだよ。

 独演会が始まるたびに、わたしはいつも『三島由紀夫レター教室』(三島由紀夫 ちくま文庫)という小説を思い出す。男女5人の色恋沙汰が手紙形式で語られていく作品で、本編の決着が付いたあとに「作者から読者への手紙」と題した章があり、そのなかで三島氏が、手紙を書くときのスタンスについてこう説いている。

<手紙を書くときには、相手はまったくこちらに関心がない、という前提で書きはじめなければいけません。>

 で、なぜそうなのかを説明するために、女性読者から届いたこんなファンレターを引用している。

<前略。私は○県N市のOLで、私は小さいときから、人生の不条理に悩んできました。庭の柿の木の向こうに夕日が沈むとき、何がなし、涙がにじむような気持になったのをおぼえていますが、よほど早熟だったのでしょう。私の兄弟は、兄が二人。どちらもN市につとめて、上の兄はもう結婚しています。先生、結婚生活について、どう思われますか。そこには、何か悲傷とユーモアのものすごい結合があるように想像しているのです。先生の結婚観をきかせてください。できるだけ長く……>

 これに対し、三島氏は、

<こんな調子の手紙を、未知の女性からもらう男の迷惑を想像してごらんなさい。第一、この女性は私と何の関係もないのに、手紙の第一行で「N市のOL」と書けば、それでもう私が関心を持って、いろいろロマンチックな想像をめぐらすだろう、と独り決めをしているのかもしれませんが、それは法外な自惚れというべきで、私も忙しいし、よけいな幻想を描く暇なんかないのです。>

 と迷惑がる。そして、さらにこう畳みかける。

<いきなり「柿の木の向こうに沈む夕日」に付き合わされるわけだが、これもとんだ災難です。植木屋じゃあるまいし、私は人の家の柿の木なんかに興味はありませんし、柿泥棒を働いたこともありません。>

 そうそう、これ、これなのだ、わたしが言いたいのは。自分語りが好きな面々は、刑事課のブラックリストに載っているだの、金持ち女に言い寄られているだの、聖子ちゃんが大スターだのという話を勝手に始めれば、わたしが無条件におもしろがって聞く耳を持つとでも思っているのか知らないが、とんだ災難でしかない。聞き賃でもくれれば拝聴してやらんでもないが、ガムの一つもくれないくせに、タダで話を聞かせようとは厚かましいにもほどがある。

 と、さんざん文句を言っておいて恐縮だが、実は例外がある。

 以前、初めて一緒に仕事をしたカメラマンの車に同乗させてもらったときのこと。その御仁も、やはり自己愛に満ちあふれていて、こう語ってきた。

「この前サ、車を運転してて赤信号で止まったときにバックミラーを見たら、うしろの車の運転手がスゲー美人だったんですわ」

 わたしは中年カメラマンの女の好みには興味がないので「あぁそうですか」と気のない返事をしたら、このカメラマン、なかなか察しが良くて、

「実は俺、ちょっと霊感があってネ、たまに見えるんですわ」

 とガラッと話題を変えてきた。これには思わず食いついてしまった。霊の神通力でも働くのか、怪談を始められると、聞き賃をもらわなくてもつい聞き入ってしまう。そんなわけで、怪談にまつわる自分語りだけは例外的に許容しているのである。

 三島氏にファンレターを書いたN市のOL嬢も、もしかして怪談を盛り込んだら良かったかもしれない。たとえば、

「前略。私は○県N市のOLで、小さいときから幽霊の不条理に悩んできました。庭の柿の木の向こうに夕日が沈むとき、美人の幽霊が佇んでいるのが見え、何がなし、涙がにじむような気持になったのをおぼえています……」

 とでも書けば、興味を持ってもらえたのではなかろうか。ともあれ、ファンレターを書くときも、人に話をするときも、相手が興味を持ちそうな話題を選んだほうがいいということは間違いないだろう。

 なんやかんや言っても、いつも送迎してくれるカメラマンさんたちには、とても感謝している。

 ありがとうございます。



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