空爆エンドレス

文字数 2,413文字

 トンボが。空を飛んでいる。今日も。明日も。明後日も。
 昨日ももちろん。飛んでいた。悠々と。ぼくたちを。見下すように。唾を吐きかけるように。爆弾を落として。ぼくの幼なじみは。その爆撃で。家族もろとも。粉々になって死んだ。幼なじみと。幼なじみのお母さんが。地面に散らばって混ざっていた。四肢も臓器も。顔がそれぞれ半分だけ残っていたから。だれなのかやっと判別できた。半分になった顔は。ぽかんとした表情を。浮かべていた。死んだことに。気づいていなかったのかもしれない。
 トンボは。優美な姿をしている。経済力とテクノロジーの圧倒的格差を思い知らされるような。対地制圧生物兵器。殺戮に特化した無人機。二対の透明な翅を震わせ。節くれだった細長い腹を伸ばし。感情のない複眼が。殺すべき虫けらたちを。見下している。ぼくたちを。睥睨(へいげい)している。蔑視している。ぼくたちの魂を。賤視(せんし)している。無視している。ぼくたちを。地上から拭い去ろうとしている。神を奉じるぼくたちを。滅ぼしてしまえば。神になれるとでも。信じているのだろうか。あのトンボたちは。トンボを彼方から操る。富裕なプレイヤーたちは。
 ぼくたちの国は。とても小さい。資源が潤沢な。わけでもない。文化資本も。お笑い草だ。痩せ細った(あし)のような。脆い寄り合い所帯。ただ位置が。悪かった。覇権を握る大国に。無謀に楯突く独裁国家の。戦略拠点になりかねない。中立を完璧に装えるほど。ぼくたちの上層部は。器用ではなかったし。頭も悪かった。外交努力も。実を結ばなかった。この国は。世界の敵と見なされた。悪のはびこる病巣だと。海の向こうのだれかに。そう決められたのだ。滅んでもいい国だと。ソドムとゴモラにも劣る掃き溜めだと。そう決められたのだ。顔も知らないだれかに。
 だからトンボは。ひっきりなしに飛んでくる。草木を食べつくす。イナゴのように。ぼくたちを。殺しつくすために。
 太陽をかすめて。青空をなにかが横切る。竜だろうかと。最初は思う。蛇のような。天の使いが。末世に降り立ったのではないのかと。
 もちろんそれはトンボで。天の使いなんかではなく。ぶくぶく太った人間の使いで。神と同じような無慈悲さで。ぼくたちを殺すためにやってきたのだ。
 トンボが尾から。糞を撒き散らす。それはとても美しい光景だ。青空に。虹色の軌跡が広がり。だれかに宛てたメッセージのような。空の独り言のような。詩が落ちてくる。死ねという。ただそれだけの。シンプルな言葉を伝えるために。トンボは無言で爆撃に従事する。意志もなく。機械的に。ひたすらに。こよなく。
 一昨日は。結婚式の挙げられていた教会が。トンボに爆撃された。もちろん花嫁も花婿も。バラバラに四散した。花嫁と花婿の両親も。バラバラに四散した。花嫁と花婿の友人たちも。バラバラに四散した。酒瓶を積み上げたディオニソス風の塔だけが。奇跡的に。バラバラに四散せず残っていたらしい。酒を飲む者は。だれひとり生き残らなかったけれど。
 国際的なニュースでは。軍事基地を。破壊したことになっているのだとか。結婚式を挙げている教会と。軍事基地を。どうやって間違えたのかはわからないが。人間はだれだって間違えるものだから。海の向こうのプレイヤーたちも。うっかり間違えて殺してしまったのだろう。結果的には。悪くなかったのかもしれない。少なくとも。花嫁と花婿は。一緒に旅立てたわけだ。素敵なハネムーンだ。生きているよりよほどいい。トンボの下を這いずりまわるよりも。優雅な境遇だ。羨ましいかぎりだ。死だけが二人にとっての永遠だから。なにものにも邪魔されることはない。きっと泉下で喜んでいるだろう。泣きながら。むせびながら。儚んで。
 ぼくたちが生きられる唯一の希望は。海の向こうの国の憐れみを買うことだ。同情してもらうことだ。幸いにもいまは情報化されたグローバル社会。子どもの死体が映った写真や映像を。みんなでありったけ世界に発信した。わざと死体を集めたりもして。凄惨さをアピールするために演出して。ぼくの幼なじみの死体の姿も。きっと世界にばらまかれることだろう。
 ところがどっこい残念なことに。いまは情報に飽和したグローバル社会。シャーデンフロイデすら喚起しない断絶。無視が最上の美徳。見捨てる態度が文明人の嗜み。ぼくたちの国の膨大な死体たちは。ジャンプに失敗するかわいらしい猫の映像にすら。閲覧数において敗北してしまう。笑える話だ。その気持ちはよくわかる。だれだって死体なんて見たくない。だから死体の製造は。トンボに任せっきりなのだろう。殺戮のオートメーション化は。武器を握った猿人の夢だ。万物の霊長は遂に。その夢を叶えたのだ。おめでとう。賢くて偉大なる人間さま。叡知のみなぎるご尊顔に拍手。進歩の果てのハッピーエンド。おめでとう。争いしか生まなかった人類。おめでとう。
 いつかの夕暮れ。赤い空を。おびただしい数のトンボが飛んでいた。夕焼けに。天使が踊り狂っているようで。なんだか懐かしく。泣きたいくらいだった。その日はたしか。母さんがバラバラに四散した日だった。夕暮れにトンボがまきちらす虹色の光跡は。砕けたステンドグラスの雨みたいで。夜明けの太陽よりも綺麗だった。神はたしかにいるのだと実感して。吐きそうになりながら泣いてしまった。
 昨日バラバラに四散した幼なじみは。家族と一緒に死ぬことができた。ぼくはその夜まんじりともせず。恥ずかしいくらい。きみに嫉妬していたんだ。夢もみず。死んだきみが羨ましくて。ぼくの母親が死んだ時。きみは。なにも言わず抱きしめて。ぼくを励ましてくれたというのに。
 トンボが空を飛んでいる。今日も。明日も。明後日も。
 いずれ遠からずぼくは死ぬ。それだけを待っている。雲の影に怯えるような。死が落ちてくる空の下で。
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