第1話

文字数 1,108文字

 誘拐というのは、通常、身代金目的で子供をさらい、その親に対して身代金を要求するのが一般的だ。それが企業相手であっても話は同じ、仮に役員などといった重要なポストが誘拐されたとしても、交渉相手は大人だと相場が決まっている。
 だが、この事件は違った。
 ある夫婦が誘拐され、犯人は八歳になるその息子に身代金を要求したのである。
 一体どういう訳なのか? それはこんな経緯だった……。

 都内有数の資産家である磯村泰造(いそむら、たいぞう)はそのドケチぶりでも有名であった。株や不動産には大金をつぎ込むクセに、外食は一切せず食事はいつも質素、半額の総菜か賞味期限ギリギリのレトルトなどが中心。ハイブランドの立派なスーツを何着も持っているにもかかわらず、プライベートはいつも三流品だった。街を歩けばティッシュは必ず貰い、デパートの試食は三回廻る。妻である春枝(はるえ)さえも辟易するほどだ。
 彼の自宅に大きな金庫があり、現金が一億円以上保管されていると近所では噂されている。もっともそれは事実であり、磯村はセキュリティーに対して金を惜しもうとはしなかった。

 磯村夫婦には一人息子がいた。今年八歳になる勇也(ゆうや)である。
 長年子供が出来ずにいた夫婦にとって待望の子供であり、目の中に入れても痛くないほどの可愛がりようであった。万が一のことを恐れ、通学にはガードマンを雇って常に付き添わせていたほどだ。
 
 そんなある日、磯村は息子の勇也に声を掛けられた。その手にはハガキが握られており、どこからかのダイレクトメールのように映った。
「パパ、郵便受けにこんなのが入っていたんだけど。今日は結婚記念日でしょう。僕のことはいいから一緒に行って来たら?」
 それは最近新規オープンしたというフレンチレストランからの招待状だった。『先着五名様に特別ディナーセットをペアでご招待』と書いてある。
 勇也の言う通り、その日はちょうど結婚記念日だった。磯村はダメ元で電話を掛けると何とOKとの事。早速磯村は息子の勇也に留守番させて、妻の春枝と共に出掛けることになった。

 夕方六時、家の前に黒塗りの車が止まった。店側の用意したハイヤーである。勇也は両親と共に玄関先で待ち構えていた。
 車から降りてきた運転手の男は頬にアザがある何処か不気味な男であった。
「磯村様でございますね。お約束通り、先方からの言いつけでお迎えに上がりました」
 にこやかに笑顔を振りまくと、後部座席のドアを開ける。磯村夫婦が乗り込むと運転手の男はドアを閉め、車を走らせていった。
 以下は後日、警察が磯村夫妻の証言から作成した調書を基に、その時起こった出来事を文章へ起こしたものである。
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