モノクロの世界に堕ちてゆく

文字数 2,356文字

 ピッピーちゃんが、皆いなくなってしまえばいいと願った途端、何か大きな音がした。
「これは、どういうことだ? なかなか面白いことが起きているな」
「そうね。みんなが苦しみのない世界に行きたがっているからじゃない?」
「え、どうして、ねえどうして、どうして世界が壊れてしまうの?」
「あなたがそう望んだからよ。誰も苦しまない世界がようやく実現する。これでみんな綺麗に死んでいくわ」
「お姉さんは、死なないの?」
「そうね、死なないわ。だって、生きていれば苦しいことがあるのを、もう受け入れているから」
「でもそれって、生きてて辛くないの?」
「それは、答えたくないわね」
「変なの。お姉さんは不幸せな一生をこれからも送っていくんだね。かわいそう」
「かわいそう、そうね、かわいそうだと思うわ」
「かわいそうな暮らしなんてやめちゃえ!」
「やめられないのよ、それが」
「どうして? かわいそうな暮らしをやめれば、楽しい毎日が待ってるのに?」
「そうね、それもありなんだけど、本当はそうしたいけれど、私の一生はこれしかないのよ。不幸せで人間なんて絶滅したほうがいいとか考えちゃってるけど、私には私の一生しかないの。だから、この暮らしをやめることはできないのよ」
「ふーん、変なの」
「そうね、変ね」

 唯が見下ろしていた日本の形をした土地が煙になって消えてゆく。

 夢から醒めたときの、後味の悪いけだるさと共に。

「唯、私はお前が言っていることも少しは変だと思うよ。ピッピーはあくまでも善意で人々に夢を見させているんじゃないか。それを全て否定するのは、大人げないぞ」
 突然、今まで唯を全肯定し続けてきたルーシーの態度が変わった。
「あなたは誰の味方なのよ、ルーシー? 私の願いを叶えてくれるんじゃなかったの?」
「願いか、お前は何も願っていないくせに。最上の幸福が自分の一生のうちに手に入らないと気づいて、それで最上の幸福の価値が色あせるのか?」
「あなたの言っていることの意味も分からないわね」
「手の届かない最上の幸福が、果たしてただの虚無の世界だとお前にはどうやって言える?」
「やめてよ、変に希望を見せないでよ。絶望させてよ」

 ルーシーはある意味で唯に希望を見せたつもりだったが、唯には少し刺激が強かったようだ。

 唯は幸せに傷つけられる、本当の意味で不幸な人間だった。

 ところが、目の前に広がっている幸せな世界はあくまでも幻。

 そして、唯自身も、何を目指したらいいのかわからなくなってしまっている。

「そうだよ。みんなハッピーなほうが素敵に決まってるじゃない。ルーシーお姉さんはわかってるんだなあ」
「ピッピーとやらは後先考えずに幸せを求めすぎだ。これでは、唯のような人間が置き去りにされてしまう」
「ルーシーお姉さんは誰の味方なの?」
「それは明確には言えないな。と、言葉を濁すことしかできない」
「いいの? この世界はピッピーが矛盾に気づいちゃったから、どんどん壊れていくけど? ひょっとして、この世界が壊れてなくなってしまうのが嫌だからピッピーの味方をしてるの?」
「唯、お前はどうしたい?」
「私? そんなの私に聞いてどうするのよ」
「夢を見続けるのか、それとも地に足をつけて地べたを這いつくばるのがいいか、どちらがいい?」
「私は地べたを這いつくばりたいわね。そのほうが現実的だもの。嫌で苦しくて、人間を絶滅させたいけど、それしかないわ」
「ピッピーとやらはどうしたい?」
「みんなを幸せいっぱいにしたいな!」
「そうか」
「ルーシー、あなたの目的は何なの?」
「私は、唯を幸せにしたかっただけだよ。ところが、唯の言うところの幸せが、私があげられる幸せではないようでな、お前がとても遠くの存在に見えてきてしまう」
「何いきなりポエム言ってるのよ。灰に塗れた私の毎日が不幸せだって、あなた言いたいの?」
「いいや、そうは言いたくない」
「言いたくないだけしょ?」

 そのあとは、誰も何も言わない時間が少しの間続いた。

 気が付いたら、唯は自分が寝ていたベッドの上にいることに気づいた。

 さっきまで、ルーシーとピッピーと、結論の出ない話を続けていた気がしたのだが、それも夢の中の話でしかない。

 あれはあくまでも非現実の話であり、ピッピーの言う幸せな暮らしも幻想であり、唯は少しくたびれた服を着て仕事へ行こうとするのだった。

 そうだ、これが唯の求めている現実だ。

 適度に誰もが不幸せな世界。

 本当のところ、生きないほうが本当は幸せな鬱っぽい世界。

 今日も仕事へ行こうと玄関の扉を開けると、待っていたかのようにルーシーがそこにいたのだった。

「すまないな、今の唯に大きな幸せは、ただの不幸だったか。お前はこの日常を続けていくのだな。迷いなく」
「うん、ひがんでると思うけど。なんだかごめんね、あなたのプレゼントを受け取れなくて」
「いや、いいんだ。大きな箱より小さな箱だ。小さな箱のほうに幸せが詰まっているから、お前は小さな幸せを選んだだけだろう?」
「無欲だと笑うかしら?」
「そうだな、無欲だと笑うよ。だが、それ以上に私が唯の中の幸せではなくなってしまうのが、寂しいな」
「今は、そうね。ごめん、幸せにはなれないかな?」
「でも、いいよ。唯が本当は何を望んでいるのか、それすらも私はよくわかっていない。が、ここで唯の生涯が終わるわけではない。唯は現実で生きるのを止めはしないが、私は夢のほうで待っているぞ。ずっと」
「そう。二度と会いたくないわ。あなたのこと、すごい嫌いだもの」

 それもそうか。

 ルーシーは幸せで唯を傷つけ続けてきたのだから、今まで。

 しかしながら、唯のルーシーへの評価はどうでもいいから、嫌いに上昇した。

「それじゃあな、いつか迎えに来る」
「うん、それじゃあ」
 ルーシーは煙になって消えた。
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登場人物紹介

ルーシー

ピッピー

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