第4話 ワケありの僧侶と、開かない理由

文字数 5,526文字

「なぁ、智明、この鍵差した時、すんなり入ったか?」
「へ?」
 俺の問いに間の抜けた声を出した智明は、すぐさま首を振った。
「あ、ううん、鍵穴に鍵を差すとき、簡単には差さらないようになっているので――って最初に教えてもらったから、それを踏まえてトライした」
「やっぱりそうか。これは、横鍵式のからくり錠だ」
 でも、珍しいな、寺でこんなの使ってるなんて。
 よほど大事な経典なのかな。
「横鍵式のからくり錠……」
 扉に付いたままの錠を掴んだ智明は、ぽつりと呟く。
「あぁ。こういうとこでは、あまり使わないんだけどな。それにしても、中に詰まってる鍵っぽい物って言うのが気になるな。ちょっと見せてもらっていい?」
 錠の傍に近寄ると、『あ、うん、もちろん』とすんなり退いた智明が『見た感じ、何か黒っぽい物でさ』と加える。
「黒っぽい――か」
 智明の言葉を繰り返しつつ、ボディバッグの中から取り出したペンライトで鍵穴を覗こうと、錠を掴んだ瞬間――、いつものように周囲が一変した。
 来たか。
 そう思った次の瞬間、俺の目の前、とんでもなく至近距離に立っていたのは、作務衣姿の若い男。
「っ!!」
 あまりにも近すぎる距離に、驚いて半歩後退ったその時、突然、その作務衣姿の――、おそらく僧と思われる若い男は、思いつめた顔で書院のある方へと駆けだして行った。
 え?
「あ、ちょっと! 何かあったんですか!?」
 咄嗟に声をかけたものの、彼の耳に俺の声は届いていないようだった。
 ……? どうしたんだろう? 何かあったのかな?
 男の様子が気になって周囲を見渡してみたが、視界に広がる光景は、至って普通の蔵と、その入り口前の廊下と、書院や寺務所へと繋がる渡り廊下のみで、特に異常は見られない。
 ……いったい、何であの人……?
「どうかしたのか? 旬くん。もしかして、何か視えた?」
 ふいに横から聞こえた智明の声に振り返ると、同じように渡り廊下の向こうを見つめる智明の瞳。
「あぁ、作務衣姿の若い男が、何か思いつめた顔で駆けて行った。たぶん、僧侶だと思うけど」
「僧侶? って、勿論だけど、この寺の?」
 聞き返す智明に、俺は僅かに間を置いてから頷いた。
「おそらく」
「ってことは、これに別の鍵を差し込んで折ったのって、その坊さん?」
「さぁ、それはどうかな。この錠を掴んで視えた光景だから、あの人がこの錠に関わってるのは確かだろうけど、彼が錠をこんな風にしたかどうかまでは分からないな。俺が視たのは、彼が走り去ったところだけだし」
 だけど、あの様子からして何かあったのは、きっと間違いない。
「そっか」
 俺の言葉に一言だけ零した智明は、小さく一つ息を吐いた。
「それと、この錠の中に詰まってるのが本当に鍵だとしたら、別の鍵が詰まってる可能性は低い。考えてもみろ、これはからくり錠だ。別の鍵は絶対に合わない」
 別の鍵で開いたなら、それはもうからくり錠じゃない。
「……確かに。それもそうか。じゃあ、錠の中に詰まってるのって、まさか、本物……?」
 周囲を窺いながら声を抑えた智明は、じっと俺を見つめる。
「とにかく、錠の中を調べてみよう。あの人が思いつめた顔で走り去った理由も、何か分かるかもしれない」
 そう、すべてはこの錠にある。
「うん、そうだな」
 素直に応じた智明は、廊下に腰を落ち着けた。
 さてと。本当に鍵なのかどうか、確かめてみるか。
 手に持っていたペンライトでさっそく鍵穴の奥を照らしてみると、智明の言葉どおり、黒っぽい何かが板バネの一番手前部分をスポッと銜えたままのようにも見える。
 あれか。確かに、鍵っぽいな。窄め口らしき物も付いてるし。
 さらに、ライトに照らされた〈嵌っている物〉の一番手前に見えている折れ口を、目を凝らしてよく見ると、状態は悪いもののほぼ平ら。
 あの折れ方は、金属。――ってことは、やっぱりこれは、鍵だ。
 しかもあの窄め口、この板バネにやけにピッタリ嵌ってる。まるで、もともとの対の鍵みたいに。
 それに、もう一つ気になるのは、どうして鍵が途中で折れたのか――ってことだ。
 この手のからくり錠を開ける為には、鍵穴部分の知恵の輪をクリアして鍵を差し込み、板バネを窄めるようにして押し込みながら錠の雄部分を引き抜く。ただそれだけだ。なのに、どうして柄の途中で折れたんだ? 
 そんな簡単に折れるほど、鍵が腐食してたのか? でもそれだと、あの場所で折れるのはおかしい。
 あそこで折れる為には、中の板バネを捉えたまま鍵を回さない限り無理だ。
 ……。
 もしかして、この鍵を差し込んだ人物は、それをしようとしたのか? ……で、無理な力がかかって……、あの場所で折れた。
 だとしたら、この錠には、鍵穴部分だけじゃなくて中にもからくりがあるってことになる。そして、鍵を差し込んだ人物は、そのことを知っていたことに。
 つまり、これは、外部の犯行じゃない。
 間違いなく、この寺の誰か――。……やっぱり一番考えられるのは、さっきの僧侶か。
「どう? やっぱ鍵?」
 横から覗き込んで問うてくる智明に、ペンライトの灯りを消した俺は頷いた。
「うん、間違いなさそうだな。窄め口も付いてる」
「そっか。で、どんな鍵?」
 どうにも気になって仕方ない様子で、興味津々に俺を見る智明。
「窄め口が、板バネに一寸の隙間もなくピッタリ嵌ってる」
「え? ピッタリ? ……じゃあ、中で折れてる鍵は、やっぱ、本当に本物……?」
「その可能性は高いな」
「マジかよ……。じゃあ、これは……」
 小さく零した智明は、自分の手に握られてる鍵へ視線を落とし、しばらく見つめてから再び俺へ顔を向けた。
「……でもさ、ここの寺の人は、『中の錆が酷くて鍵が入らない』って言ってただけで、折れた鍵が詰まってるなんて言わなかった。この鍵だって、普通に渡されたし」
 そう言い、困惑した顔で預かってる鍵を見せる智明。その顔に、俺は僅かに黙してから口を開いた。
「たぶん、誰も知らないんだろう。何せ、150年以上開けられてない――って話しだし。現に、錠の中に折れた鍵が嵌ったまま錆びついてるのが、誰もここに近づかなかった証拠だ。だから、例えもし仮にこの鍵がコピーだったとしても、誰も気づくはずがない。その鍵を錠に差すことがなかったんだから。今日、今この時まで」
「……そっか」
 俺の言葉に低く一言だけ呟いた智明は、改めて自分の手にある鍵を見つめた。
「それからこの錠、鍵穴だけじゃなくて、中の板バネ部分もからくりになってる可能性が高い。たぶん、これに鍵を差した人物は、その仕掛けを知ってたんだと思う。だから、鍵を差して、中の板バネを捉えたところで鍵を時計回りか、もしくは、反時計回りに回そうとした。けれどその時に、鍵が折れるという不測の事態が起きた……」
「板バネ部分もからくり?」
 目を見張った智明は、『いったいこの蔵には、どんなすげえ経典が仕舞ってあるんだよ』と頬を引き攣らせながら蔵を見上げた。
「さぁな、こんな錠を付けてるくらいだし、そうとう貴重な物なんじゃないか?」 
 同じように蔵を見上げると、『でもさ』と隣で智明が切りだした。
「ん?」
「結局、錠の中に詰まってるのが、実は本物の鍵っぽいことは分かったけど、旬くんが視た坊さんが何で思いつめた顔して走り去ったのかは、分からないままだな」
 ぽつりと呟くように言った智明に、ほんの少し間を置いてから言葉を返そうとしたその時、突然、渡り廊下の向こうから駆けて来る足音が聞こえた。
 ん?
 気になって振り返ると、そんな俺に釣られてか、智明も同じ方へと振り返った。
 そんな俺たち――否、俺の前に視えたのは、さっき走り去ったあの作務衣姿の若い僧侶。
 彼は、俺と目が合った途端、驚いたように立ち止まった。
《あ、あなたは……?》
 そう言葉をかけてきた男の手には、何か長い棒のようなものが握られている。
(僕は、鍵師です)
《鍵師……? あなたは、私のことが視えるのですか?》
(ええ。僕、古い錠や鍵やなんかに触れると、その当時、それに強い念を持った人のことが視えるんです)
「旬くん、どうかしたの?」
 ふいに横から割り込んできた智明に、スッと手を出して制した俺は、思い出したようにその肩を掴んだ。その瞬間、『わっ! な、何で!』と声があがった。
「落ち着け。俺を介して視えてるんだよ」
 状況を飲み込めてない智明に一言だけ説明をすると、『えっ! そうなの!? じゃあ、この人が』と目の前にいる男をマジマジ見入る智明。それに頷きだけを返した俺は、再び作務衣姿の僧に、今度は普通に話しかけた。
「さっき、この錠を掴んだ時、何か思いつめた顔をしてここから走り去るあなたを見かけました。何かあったんですか?」
 訊ねた俺を前に、男は、しばし無言を通してから、重く口を開いた。
《実は――、とんでもないことをしてしまって……》
「とんでもないこと?」
 聞き返した俺に頷いた僧侶は、ゆっくりと話しを始めた。
《実は、……大僧正様……住職が飼っておられる猫がいるのですが、この猫がたいそう悪戯のすぎる猫で、みな困り果てていたのです。それで、懲らしめてやろうという話が、兄弟子たちの間で出まして……、普段誰も来ることの無いこの経蔵に閉じ込めてやろうと……。私は、そこまでしなくてもいいのではないかと申したのですが、みな聞く耳を持ってくれず……。結局、捕まえて閉じ込めることに……。そしてその役を、私が命ぜられてしまって……。断ったのですが、兄弟子の命令は絶対だから、やれと言われて。命ぜられるまま猫を捕まえ閉じ込めてしまったものの、可哀想でならず、しばらくしてから開けてやろうと思ったのです。それで、ここに来て開けようとしたのですが》
「鍵が、折れたってわけか……」
 男が言うより先にそう言葉にした智明。それに、作務衣姿の男は、素直に《はい》と頷いた。
 ここも猫か。何か今日は、親父も俺も、猫に縁があるのかな。
「あの、そのことは、誰かには?」
 訊ねてみると、男はすぐに首を振った。
《誰かに話せばすべてお前一人で企ててやったことだと、大僧正様に告げ口をすると言われていたので。それが怖くて、鍵を開けようとしたなんて言えず……》
「なるほど。それで、一人で何とかしようとしたのですね」
 彼の胸の内にある言葉を代弁すると、こくりと頷かれた。
《ひとまず、外出出来た日に同じ鍵を作ってもらって、それを鍵部屋に掛けて置くことにしまして。あとは、毎日、暇さえあればここに通い、いろいろ手を尽くしているのですが、どんなに頑張ってみても中に嵌ったままの鍵先が取れず……》
 肩を落とし俯いた男は、《今も、こうして使えそうなものを持ってきてみたのですが……》と手に持っていた棒を俺たちに見せた。
「そうですか。ずっと、そうやって頑張って来られたのですね」
 自分たちは手を汚さず、こんな心の優しい人を実行犯にするなんて……、許せない。
《どうしても、開けてやりたくて。そして、謝って……、せめて亡骸を弔ってやりたくて》
 言うと、手に持っていた棒をグッと強く握りしめた男。
 この錠に宿った強い念は、この人の苦しみの重さだったんだ。
 話を聞きながら、俺の手は無意識に手中の錠を強く握りしめていた。
 この人のためにも、ここを開けてあげたい。
 そう思ったと同時、俺の口からは自然と言葉が零れていた。
「あの、こうしてあなたと僕が出会ったのも、きっと仏さまのご縁だと思います。この錠を開ける役目、僕たちに任せてはいただけませんか? あなたの代わりに、僕たちに開けさせてください」
《っ! ですが……》
 驚きで目を見開く男に、俺はフッと口角をあげた。
「さっきもお話ししましたが、僕は鍵師です。解錠は、貴方よりも僕の専門ですから」
《よろしい……のですか……?》
 控えめな口調でそう聞く男に、俺は大きく頷いた。
「もちろんです」
《なんと有り難い。……有り難い。どうか、どうかよろしくお願いいたします。良かった、これでようやく……》
 そう言うと、深く頭を下げつつ両手を合わせた男。
「大丈夫、あっという間に開けますから。何しろ、旬くんは若いけどすごく腕がいいんで」
 言うと、俺の肩をポンポンと叩いた智明。
 ……。
「(お前なぁ、何適当なこと言ってんだよ。そもそも、ここの解錠は俺の仕事じゃなくて、お前の仕事だろ)」
「(いいじゃん、ここはこの人を安心させてあげないと)」
 ひそひそと言い返してきた智明は、ニッと笑む。
 ……お前なぁ……。
 と、今はこいつと言い合ってる場合じゃない。
「あ、えっと、とにかく僕たちに任せてください。大丈夫、必ず開けてみせますから」
 とりあえず彼を安心させるように改めて言葉をかけると、男は初めて安堵の表情と笑みを浮かべた。
《はい、どうぞ、よろしくお願いいたします》
「はい。では、開きましたら僕から声をかけるので、出て来てください。それまでは、姿を消しておく方がいいと思います。ここはお寺ですし、あなたの姿が視える方は多いと思いますから」
 智明にここの解錠を頼んでるってことは、いつ何時僧侶が来るとも限らないしな。
《承知しました。それではしばらく》
 男がそこまで言いかけたところで、突然、智明のスマホが鳴った。
《っ!》
「あ、大丈夫です、俺の電話が鳴っただけなんで」
 片手で大丈夫大丈夫とゼスチャーした智明は、ズボンのポケットからゴソゴソとスマホを取り出すと、俺から離れ、さっそくかけてきた相手と喋りだした。
「大丈夫です。さぁ、誰か来たら大変ですから早く」
《はい。それでは》
 そう言うと男は、その場からフッと姿を消した。
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