間話 躊躇いの指先 ~同じ思いを抱く人~

文字数 3,281文字

《どうされた?》
(あ、いえ、別に。――えっと、つかぬ事をお伺いしますが、もしかして僕が普通じゃないこと、初めからご存じ……なんでしょうか?)
 とりあえず初歩的な問いかけをしてみると、お坊さんはあっさりと首を縦に動かした。
《私は既に生きてはおらぬ。その私が視えてこうして話をしている時点で、そなたは普通ではない》
 淡々と言ってのけるお坊さんに、俺は『ですよね』と苦笑を返してから、さらに次の質問を投げかけた。
(あの、もう一つ尋ねてもよろしいですか? あなた様はずっとここにいらっしゃるのですか?)
 真っ直ぐお坊さんの目を見つめて尋ねると、俺の眼差しを受け止めていたその眼は、ふいにお堂へと向けられた。
《あぁ。私が亡き後、ここがどのように変わってゆくのか、見ていたくてな》
 えっ……。
 何処かで聞いたことのある似かよった言葉が、ふっと脳裏に蘇った。

《俺が亡き後、世がどのように変わってゆくのか、見てみたいと思うてな》

 殿も、同じことを言ってたっけ。
 何だろう、ほんの少し前のことなのに、うんと昔みたいに感じる。
 思い出して無意識に笑むと、俺の方へ眼差しを戻したお坊さんが不思議そうに見つめていた。
(あ、すみません。ちょっと、あなたと似かよったことを言ってた人がいたもので。つい思い出してしまって)
《私と似かよったことを? ――と言うことは、その者ももう》
 先の言葉を窺うように俺を見るお坊さん。その眼差しに俺は頷いた。
(ええ。魂だけがこの世に残った人です。――でも、どうしてだか急にあの世へ往くことに決めたそうですけど)
 言って笑みを向けると、しばし無言で俺を見やっていたお坊さんは《そなたは、その者を往かせたくはないのだな》と静かに言葉にした。
 ……。
(どう、なんですかね。僕にもよく分からないんです。すごく迷惑ばかりかける人なので、往ってくれるというのなら、その方がいいのかも……っていう気持ちと、本当は往ってほしくない、ずっといてほしい――っていう気持ち……、その両方あって)
 子供の頃から開けたかった、絶対開けると決めた〈開かずの錠〉――。開けないなんて選択肢は、今まで俺の中に微塵も存在しなかった。なのに――、今は……、こんなにも開けることを躊躇ってる自分がいる。
 無意識にグッと手を握りしめると、お坊さんがそっと俺の腕を掴んだ。
 っ!
 ハッとして目を向けると、そこには穏やかな顔。
《手のかかる者ほど愛着が湧くと言う。そなたにとってその者は、既にそういう存在になっておるのだろう。幸せだな、その者は。そなたをこれほどまでに悩ませておるのだから》
 そう言うとお坊さんは、口角を上げる。
 その笑みに(本人はそんなこと微塵にも思ってないでしょうけどね)と苦笑したところで、視界の端――お茶所の隅にある仏像前に、いつの間にやらマダム御一行様と黒い僧衣を纏ったお坊さんの姿があった。
 あれって……。もしかして案内始まってる感じ……?
 こんな時間からの無茶ぶりなのに、なんて優しいんだ、ここのお坊さん。
 じっと御一行様を見ていると、ふいに傍から声がした。
《そなたも案内してほしいのか? ならば、私がしよう。私の名は》
 っ!
(い、いえ、けっこうです。案内は、また今度時間に余裕を持って来たときにしていただきますので。それに、お名前も聞かずにおいておきます。きっと、その方がいいと思うので)
 だって、ものすごーく嫌な予感しかしないし。
 無意識に首を振って、丁重にお断りをしたその時、
「あの、どうかなさいましたか?」 
 と、さっきまで受付にいた黒い僧衣を身に纏った、三十半ば過ぎくらいだろうと思われる僧侶が、心配そうな面持ちで俺に声をかけてきた。
 えっ、いや、どうかさなったと言われたら、なさってるんですけど……。 
「あ、いえ、別に何も」
「さようですか? 先ほどからお見かけしていて、少しご様子が気になりましたもので」
 どうしても気になると言いたげな眼差しを俺に向ける僧侶は、直後、周囲にその視線を動かし、再び視線を俺に戻した。
 そっか、この人にも、この幽霊のお坊さんは視えてないんだ。
「すみません。お堂の大きさに感動したり、この梵鐘が石山本願寺のころからあったものなんだと知って驚いたりしてただけです」
 とりあえずこれ以上突っ込まれないために無難な返しをしてから、視線だけを幽霊のお坊さんに向けると、『そうでしたか』と素直に信じる僧侶の言葉に被るように、
《承知した。そなたがそう申すのであれば、そうしよう》
 と、落ち着いた口調の答えが返ってきた。
 ふぅ、良かった、押しの強い人じゃなくて。 
(はい、ありがとうございます)
 頭を下げたいのに下げれないまま礼だけ告げ、とりあえず霊の方とは話がついたその直後、
「今日はもう閉門の時間になってしまいましたので出来ないのですが、もしよろしければ、次にお越しくださった際に、あちらでもご案内している〈お西さんを知ろう〉の境内案内に参加していただければ、お寺の中を案内させていただきます」
 と、僧侶が自分の腕時計へ視線を流しながら、何とも聞き心地のよい声で申し出た。
 その僧侶の腕時計を横から覗き見ると、5時ちょうど。
 晃矢さんと5時半に待ち合わせだから、そろそろ行かないと。
「あ、はい、じゃあ、また近いうちに来ます。そのときに是非お願いします」
 ぺこりと頭を下げてお願いすると、俺を見て僧侶はにこりと笑みを浮かべた。
「はい、お待ちしております。――あ、案内時間以外でも、お声がけ下されば案内させていただきますので、お気軽に声をおかけください」
「はい、ありがとうございます。あ、えっと、お名前は?」
 重ねて頭をさげてから名前を訊ねると、僧侶は笑顔で胸元の名札を見せてくれた。
「岡橋と申します」
「あ、はい、ありがとうございます。じゃあ、次来させてもらった時は、岡橋さんご指名させてもらいます」
 返して笑った俺の傍で
《そうか、もう閉門か。そなたとは、もう少し話をしたかったが致し方あるまいな》
 と、霊の方のお坊さんが口にした。
(すみません。また今度、近いうちに来るので、その時にゆっくりお話させてください。僕もいろいろお話を聞きたいですし)
《あぁ。楽しみにしている》
 柔らかな笑みを口元に浮かべたお坊さんは、《では、気をつけてな》と補足したあと、思い出したように言葉を繋げた。
《そうであった。一つ良いか――、かの者が往くことを選んだのは、そなたの為ではなかろうか。私には、何故かそう思えてならん》
 それだけ言うと、俺の前からその姿はフッとかき消えてしまった。
 え……?
 殿が往くことを選んだのは、俺の為?
「ちょ、ちょっと、待ってください! それ、どういう意味ですか!?」
 つい反射的に大声で聞き返してしまった次の瞬間、ハッと我に返って、目の前にいる岡橋さんに視線を向けると、案の定、不思議そうな顔が向けられていた。
 ……。だよな、当然の反応だよな。
「あ、いや、その、ちょっとした大きすぎる独り言で。あはははっ、すみません、ビックリさせてしまって。何でもないので、お気になさらないでください。え、えっと、それじゃあ、また今度ゆっくり時間に余裕を持って来させていただきますので。今日はこれで失礼します」
 ぺこりと一礼して急ぎ一歩踏み出した俺は、そのまま急ぎ足を崩すことなく、お茶所を後にした。
 ヤバい。俺、絶対変な人だと思われたよな?
 はぁ……、次行くの、ちょっと勇気要りそう。
 それにしても、ここのお坊さんたち、みんなあの幽霊のお坊さんのこと視えてないんだな。
 まぁ、その方がいいと言えば、いいんだろうけど。だって、静かにこのお寺の行く末を見守ってもらうことが出来るし。
 そんなことを胸のうちで呟きながら急ぎ足で駅へ戻ると、改札前はいつものように待ち合わせの人たちで混雑していた。
 良かった、まだ待ち合わせまで余裕ある。
 何処か分かりやすい場所を探して――……と思った矢先、何やら周囲と違う空気を漂わせる一点に目が留まった。
 んん? 何だ? 
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