第5話 遅れてきたライバル

文字数 5,602文字

 作務衣姿の僧侶が消えた直後、隣から聞こえてきた話し声に、とてつもなく嫌な予感がした。

「え? あぁ、旬くんと偶然会ってさ、で、今見てもらってるとこ。……うん、え? もう着くの? 分かった。……え? いや、でも、……うん、分かった、じゃあ、兄貴が来たら戻る。……了解、じゃ」

 まさか、崇行が来るのか?
 いやーな予感を胸の奥で漂わせていると、電話を切った智明が俺の元に戻って来た。
「旬くんと会う前に、兄貴にヘルプの電話したんだよ。で、向こうの仕事が済んだから、今、こっち向かってるみたい。もう着くって。で、兄貴が来たら俺が家に帰れってさ」
 え?
 不満そうに言う智明に『何で?』と訊ねると、途端にめんどくさげな口調で喋りだした。
「何か、この間、兄貴の代わりに行ったとこのお客から電話があったみたいでさ。俺に用があるらしくて、来て欲しいんだってさ」
「そうなんだ? ってことは、お前の仕事ぶりを気に入ったんじゃないか?」
「絶対違うって。だって、結構苦戦したし」
 即否定する智明の肩を、俺はトンと一回叩いた。
「分かんないだろ、そんなの。行ってみたら、意外といいことかもよ」
「絶対違うと思うけど」
「とにかく、呼んでくれてるんだし、行ってみな。想像で決めつけるのはよくないぞ」
「……分かった」
 しぶしぶ行く覚悟を決めた智明に、俺は笑みを向けてから手中の錠を見せた。
「さ、崇行が来るまでは、ここはお前の引き受けた仕事だ。ギリギリまで頑張ろうぜ」
「そだな」
 素直に応じた智明は、『で、どうやって取り出す? この中で使えそうなもんあるかな?』と、自分が持って来た道具バッグを広げた。
「いや、取り出すのは無理だ。中に嵌ってるのが本物なら、それを使う方法で解錠策を考えよう」
「え、使う方法で?」
 驚いた顔をした智明が、まじまじと俺を見返す。
「そう。せっかく先端部分に本物が嵌ってくれてるんだ。使えそうな物は、使わないと」
 あとは折れてしまった部分の解決策さえ見つかれば、からくりは解ける。
「なるほど。でも、どうするんだよ? 金属棒の先に瞬間接着剤でも付けて、中の鍵の折れ口部分とくっつける?」
 持ってた接着剤を見せて提案する智明に、俺は顎に手を添え考え込んだ。
「そうだなぁ……、確かに、接着剤を使って鍵を元の長さに戻せれば解錠は可能になる。けど、その為には、そうとうしっかり接着出来ければならない。それを考えると、中の鍵の折れ口部の錆は、かなりネックだ」
 かと言って、あれを綺麗にするのは、相当時間がかかる。
「そっか。錆てる分、表面に凹凸が出来てるからな。じゃあ、どうする?」
「……」
 どうする……。
 何か、もっと良策はないか――……。
 もっと…………。
 折れた鍵の柄と何かを接着するんじゃなくて……。
 たとえば、そう、中で嵌ってるあの鍵を、何かで固定出来れば――。
 それが出来れば、回せるかもしれない。
 でも、何で固定する? 
 鍵穴に入る物で、少々折り曲げても折れない頑丈な物で……。
 っ! そうか、あれなら使えるかも知れない。「智明、ピック何本持ってる?」
「ピック? ピッキング用の? えっと、今持ってるのは一本かな。――あ、でも、もうすぐ兄貴が来たら数は増えるけど」
 そう答えた智明は、『ピックでどうするんだ? もしかして中の鍵を引掛けるとか?』と小首を傾げた。
「違うよ、ピックを二本突っ込んで、中の鍵を固定して回す。そうすれば、中のからくりもクリアできるかもしれない」
「なるほど! 旬くんナイスアイデア! でも、そうなると、兄貴が到着するまで待たないと」
「大丈夫、俺も常に一本持ってる」
 言って自分のボディバッグからピックを一本取り出して見せると、智明が目を見張った。
「旬くん、それ、いつも持ち歩いてんの? ってか、そのペンライトもそうだけど」
「あぁ。いつどこで何があるか分かんないしな。携帯用の解錠グッズは常に持ち歩いてる」
 鍵師としては、当然の必須アイテムだろ。
「……鍵師魂すごすぎ……。あ、でもさ、ピック突っ込むって言っても、どうやって? このままじゃ鍵穴に入らないよ?」
 自分の道具バッグから取り出したピックをマジマジと見つめながら、智明は、気づいた疑問を俺に投げた。
「あぁ。だから、折り曲げるんだよ」
「折り曲げる!?」
 驚いた声をあげた智明は、『これを?』と自分のピックを俺に見せた。
「そう、それを。そして、俺の持ってるこれもな」
 言って自分のピックも見せてやると、『いったい、どうやって?』と怪訝な顔をされた。
「もちろん、火で熱して曲げるんだよ。まぁ、そのへんは俺に一計あるから任しとけ。それより、このピックでどうやってあの折れた鍵を捕まえるか――だ」
 自分のピックと錠の鍵穴を見比べながら、どう折り曲げるか考え始めたその時、『交代しに来たぞ』と、背後から聞き知った声がした。
 声に反応するように振り返ると、渡り廊下の向こうから歩いて来たのは崇行。
「あ、兄貴」
「あとは俺が代わるから、お前は早く中屋邸に行け」
 持ってきた道具バッグを下ろしつつ智明にそう指示した崇行は、俺の方へと目を向けた。
「で? 何がどうなってんだよ? その錠」
「説明するより、見た方が早い。自分で確かめてみろ」
 そっと錠から手を放しその場を譲ると、代わりに腰を下ろした崇行が、取り出したライトで鍵穴の奥を覗き込むなり声を出した。
「なんだ、ありゃ」
「見たまんまだ。中で、板バネを捉えたところで鍵が折れてる」
「何でこんなことになってんだよ。板バネ窄めて雄鍵引き抜くだけだろ。何で、途中で折れんだよ? あり得ねえだろ」
「たぶん、板バネ部分がからくりなんだ」
「はぁ!? 板バネがからくり!?」
 反射的にこっちを見返した崇行が、『マジかよ?』と声にした。
「たぶん、マジだ。そう考えると、中で折れたのも頷ける」
「まぁ、確かにな」
 現状を考えた上で頷いた崇行は、『けど、これじゃ、解錠は無理だろ』と呟いた。
「いや、方法は無くもない」
「そうだよ、兄貴。旬くんがいいアイデア思いついたんだ」
「いいアイデア?」
 智明の言葉に反応するように俺を見た崇行は、視線で『どんな?』と問う。
「ピック二本の先を加工して、中で折れてる鍵を捕まえてから、ハリガネか何かでピックの柄の部分を固定する。そうすれば、中で嵌ったままの鍵を動かせるし、からくりをクリアすることも可能だろ」
「……なるほど。確かに、それが出来りゃ解錠も可能だろうが、あくまで脳内イメージだろ? 巧くいく確率は、相当低いぜ?」
 厳しい発言をした崇行は、続けざまに智明にも声をかけた。
「ほら、何してんだよ。お前はもう中屋邸に行け。向こうさんが待ってるから」
「あ、う、うん、分かった。じゃあ、行く」
 言われて後ろ髪を引かれるように、自分の道具バッグを担いで俺たちの傍から離れて行った智明は、渡り廊下の途中で足を止め振り返った。
「旬くん、もしそこが開いたら、中にいる猫のこと……」
「分かってる、ちゃんと弔っておく。だから、お前は心配しないでお客さんとこ行ってきな」
 安心させる為に、笑みと言葉で背中を押してやると、智明は安堵した様子で今度は立ち止まることなく帰って行った。
「おい、中にいる猫ってなんだ?」
 智明の姿が見えなくなった途端、何の話だと言いたげに問いを投げた崇行。その質問に、俺は、あの作務衣姿の僧のことを話して聞かせた。
「……なるほど。っつか、また霊かよ」
「ま、そういうワケだ。だから、ここを開けるのは寺からの依頼で、猫の亡骸を弔うのは、その僧侶の望み。つまり、この扉は絶対開けなきゃいけないってことだ」
 言ってから、『はい、お前の仕事な』と崇行に自分のピックを差し出すと、それを受け取った崇行は『で、これをどうやって加工すんだよ?』とため息混じりにぼやいた。
「もちろん、熱して曲げる。けど、その前にどういう形にすれば巧く固定出来るか、それを考える。ほら、お前んとこが受けた依頼なんだから、きびきび考えろ」
 言って廊下に胡坐をかいたところで、『こちらでしたか』と背後から知った声がした。
 その声に反応するように振り返ると、渡り廊下を歩いてこちらに向かって来たのは龍晶様。
 しまった、書院で待っててくれたのかな。
「あ、すみません、戻るのが遅くなってしまって。もう少ししたら書院に戻ろうと思っていたんですけど。あちこち見て歩いていたら、商売敵の万錠屋(ばんじょうや)さんと出会ったもので」
 慌てて立ち上がって言い訳――もとい、説明すると、龍晶様はふわりと笑んだ。
「そうでしたか。いえいえ、構いません。こちらも、まだ見つかっておりませんので。ただ、少しお話しがありましてね」
 そう言うと崇行に『ご苦労様です』と軽く頭を下げた龍晶様。
 話し?
 まさか、それって……。
「あの、もしかしてそのお話しというのは、お寺の菓子棚のこと……でしょうか?」
 恐る恐る訊ねてみると、『菓子棚?』と聞き返して来た龍晶様は、数秒後、『あぁ……』と思い出したように言葉を繋げた。
「それはもしかして、信長公のことでしょうか?」
 っ!!
 やっぱり、見つかってたんだ。
 だから盗んじゃダメだって言ったのに。
「稀音、お前、信長連れて来てんのかよ!?」
 すかさず会話に割り込んできた崇行に、『付いてきたんだよ』と吐き捨てるように言い返してから、慌てて龍晶様に深く頭を下げた。
「申し訳ありません!! 勝手に盗んじゃダメだって、殿には強く言ったんですけど、あの人、ほんと俺様主義で、周りの忠告何一つ聞かなくて。うちでも、勝手に冷蔵庫や菓子棚のお菓子を盗み食いしたりして大変なんです。――お菓子代は、後で僕がお支払いします。本当にすみません!」
 深々と頭を下げて謝罪すると、直後、『怒っていませんから大丈夫ですよ』と優しい声が頭上から降って来た。
 え……
「ですが」
「さきほど、偶然お見かけしたときには正直驚きましたが、信長公には、好きなだけ食べて下さって結構ですと伝えましたので、稀音家様が謝る必要はありません。それに、信長公から《すべては俺のしていることゆえ、あやつは関係無い》と言われておりますので、ご安心を」
 そう言うと俺の両肩をそっと掴み、身を正してくれた龍晶様。
「そう、なんですか?」
 殿がそんなことを? 有り得ない。
 絶対何か裏があるに違いない。
「ええ。それよりも、驚いたのは、稀音家様が信長公とお知り合いだということです。いったいどのような経緯でお知り合いに?」
 興味津々に訊ねてくる龍晶様に、『話すと長くなるので、今度機会があるときにゆっくりお話しします』と先送りにしようとしたその時、
《こやつは、ある屋敷の蔵で〈神の矢〉に捕らわれて動けずにおった俺を、救うたのだ》
 突然聞こえた声にハッとして顔を向けると、そこには、美味しそうに饅頭にかぶりつきながら渡り廊下を悠々歩いてくる殿の姿。
「……と、殿、まだ食べてるんですか……」
 大きなため息とともに額を押さえたと同時、『神の矢?』と龍晶様の問いかけが聞こえた。
「あぁ、えっと、悪鬼を捕縛して浄化させる為に使う道具のことです。と言っても、殿が悪鬼だったわけじゃなく、ただのとばっちりで一緒に捕縛されてたんですけど」
「悪鬼を捕縛し、浄化……」
 小さく繰り返す龍晶様に俺は頷き、簡単な説明を加えた。
「平安の頃から、悪鬼退治を生業としてきた神社が使用していた物で、結界を施す〈魔封じの錠〉と一緒に使うんだそうです」
「もしかしてその神社が、先ほど書院で伺った矢伏神社……?」
 窺うように聞く龍晶様に『はい』と頷くと、『なるほど』と納得した様子で呟いた龍晶様は、ちらりと殿へ目を向けた。
「信長公、お話しくださりありがとうございました。ところで、菓子はもう十分堪能なさいましたでしょうか?」
 穏やかな口調で問う龍晶様に、《あぁ。今度は、ぷりんとけえきを用意しておけ。また来てやろう》と薄く笑んだ。
 はぁ!?
「ちょっと、殿! 盗み食い許してもらったからって、何、お菓子のリクエストしてるんですか! やめてくださいよ! 龍晶様、準備しなくていいですからね。この人の言うことは聞き流しておいてください」
 まったく、図々しいにもほどがあるっつーの。
「まぁまぁ。私としては、来て下さるのはとても光栄ですから、大丈夫ですよ。――分かりました。では、今度はご注文の品を用意しておきます。いつでもお越しください」
 俺と殿の間に割って入り微笑む龍晶様の横で、俺は、大きな大きなため息をつかずにはいられなかった。
 やっぱり、この人は連れて来るんじゃなかった……。
 思いきり後悔していた最中、一人だけ現状についていけてない崇行が『なぁ、おい、さっきから何が起こってんだよ?』と俺の肩を掴んだ途端、『うわぁっ!』と大声をあげた。
「何だよ、うるさいな」
 今、お前にかまってる気分じゃないんだよ。
「あ、あ、あ、あ、あ」
 一点凝視のままどもる崇行に、『何なんだよ、言いたいことがあるならちゃんと言えよ』とうざったく言い放つと、『あ、あ、あれ』と崇行の指が真っ直ぐ殿を指さした。 
 ん?
「あぁ、さっき言ったろ、殿がついて来てるって」
 お前が俺に言ったんだろうが。忘れるなよ。ったく。
「ほ、本物の、信長……」
「当たり前だろ。あれの何処が影武者に見えるんだよ」
 そんなのがいたら、俺が困るわ。
 呆れながら返したところで、重要なことに気付いた。
 ……あっ! そっか、こいつ、殿を視るの初めてだったんだ。忘れてた。
《貴様、先ほどの男ではないな》
 真っ直ぐ崇行を見据えて言葉を放った殿に、当の崇行は俺の肩を掴んだまま、返事も返せず硬直状態。
 ……完全にフリーズしてやがる。
 ま、あの魔王と初対面じゃ、しょうがないっていえば、しょうがないか。
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