第11話 思いもよらない言葉

文字数 5,017文字

「どういうことですか?」
「稀音家様のお宅には、信忠公もいらっしゃるそうですね。信長公から伺いました。その信忠公を成仏させてほしいと、頼まれましてね」
 言って、殿たちが去って行った方を見やる龍晶様。
「殿が、信忠さんのことを?」
 それって、自分が自由になれないからか?
 有り得る。
「ええ。でも、信忠公だけでなく、その後には自分のことも頼む――と」
 え? 自分の、ことも……?
 驚きで目を見開いたまま龍晶様を見返すと、無言の頷きを返された。
「信じられない。殿が、そんなこと」
「世の移り変わりは、もう十分に見た。ただ、あと一つ、まだ見たいものがある。旬之助があの〈開かずの錠〉を開けることだ――と。自分を成仏させるのは、開かずの錠が開いてからにしてくれと仰っていました。見届けたいのですね、貴方様が〈開かずの錠〉を無事に開けるのを」
 穏やかな口調でそう告げる龍晶様に、俺はすぐに返す言葉が見つからなかった。
 殿……。
「第六天魔王にそんなことを言わせるなんて、稀音家様は、本当にすごいお方だと思いますよ。並大抵の人間では、絶対無理ですから」
 そう言い、目を細めた龍晶様は、『さぁ、あまり遅くなっては第六天魔王がご機嫌を悪くします。お昼の食事へ参りましょう』と俺の背中を優しく支えた。
「……はい、そうですね」
 複雑な心境のまま応じた俺は、龍晶様とともに食堂へと歩きだした。
 本気なんだろうか、殿。成仏のこと。
 そんなこと、一言も言ってなかったのに。

 昼食を終え、仕事終了の報告を済ませた崇行は、道具バッグを担ぐと、俺の前で足を止めた。
「とりあえず、絶対に病院行けよ。でもって、もし、打ったとこがどうかなってたら言えよな。治療費出すから。分かったな?」
 へ?
 思いもしない言葉に目が点になっていると、『それだけだ。じゃ』とだけ言い置いた崇行は、さっさと靴を履き、一足先に寺務所から出て行った。
 ……もしかして、今のって、心配してくれてた?
「解錠を手伝ってもらった手前、責任を感じておられるのでしょうね」
 隣でぼそりと呟いた龍晶様に、俺は『そんなの、感じてくれなくてもいいんですけどね』と苦笑してから、思い出して椿の箸置きを取り出した。
「あ、そうだ、これ、さきほど昼食の時に出しそびれてしまって」
 布に包んだそれを差し出すと、龍晶様の手が、スッとそれを俺に押し返した。
「え?」
「そのままお持ち帰りいただいて、開けて下さい、開かずの錠を。私も、もう一枚がどうして矢伏神社にあったのか、早く知りたいですから」
 そう告げるとふわりと笑んだ龍晶様。
「はい、ありがとうございます。さっそく、帰って〈開かずの錠〉に差し込んでみます」
「ええ。どうなるのか、私も楽しみにしています。後日、結果を教えて下さい」
 柔らかな表情で要求してきた龍晶様に大きく頷いた俺は、『次は、二枚対で持って来ますので』と付け加えると、包みなおした椿の箸置きをボディバッグに仕舞い込み、大きく一礼したあと、玄関に用意してくれていた自分の靴を穿いた。
《例の件、頼んだぞ》 
 龍晶様の横を通り過ぎる際にそれだけ囁いた殿も、俺のもとまで階段を下りてくると、《昼餉だが、美味かった。馳走になった》と礼と褒め言葉を残し、帰路に着くべく踵を返す。
「あの、今日は本当にありがとうございました。また後日、伺わせていただくまで、椿はお借りします。あと、あの猫と僧霊のこと、よろしくお願いいたします」
「いえ、私どもこそ、蔵を開けるお手伝いまでしていただいて、本当に助かりました。猫のことも、あの僧霊のこともお任せ下さい。後日、開かずの錠が開いた報告を楽しみにお待ちしております。それでは、お気を付けてお帰り下さい」 
 優しい微笑みとともに軽く会釈をした龍晶様は、スッとさり気なく俺の手に折り畳んだ紙を手渡すと、俺たちが寺務所を出て扉を閉めるまで、ずっと玄関で見送ってくれていた。
 扉を閉めてすぐ、先を行く殿の後ろで、渡された紙をそっと開いてみると、そこには『気になると思いますが、触れずにいて差し上げて下さい』と書かれていた。
 これって、あのこと?
 ちらりと前方へ目を向けると、振り向いて《早う来い》と急かす殿。その言葉に『あ、はい』と返事をしながら、さり気なく手紙を上着のポケットに仕舞い込んだ俺は、龍晶様の言葉通り、そのことには触れずにいることにした。

 寺務所を離れて大門に向かうと、そこには何故か、俺と入れ違いで帰って行ったあのアンティークコレクターの青年の姿があった。
《何だ、あやつは》
 真っ直ぐ射抜くように青年を見て呟いた殿に、俺と入れ違いで帰って行ったアンティークコレクターだと説明すると、《あんて?》と首を傾げられた。
「アンティークコレクター。骨董品を収集してる人のことです。このバッグに入ってる、殿の鉄扇や、椿の箸置きのような古くて価値のある物を集めてる人です。椿の箸置きを譲ってもらう目的で来た――って、龍晶様が言ってました。何でも、市に出すそうで」
《ほぅ。市にか》
 一言声にした殿は、真っ直ぐ青年を見やる。
「でも、断ったって言ってました。そんなところへ出す為に譲れる品は、寺には無い――って」
 言いながら横に立つ殿を見やると、《――であろうな。当然だ》と腕を組んだ殿は、続けて《ところで、帰った奴が何故おる?》と加えた。
「さぁ、どうしてでしょうね。もしかしたら、諦めきれず戻って来たのかな?」
 だとしたら、相当手に入れたいんだな。この椿を。
 そんなことを考えながら横を過ぎようとしたところで、『あの』と声をかけられた。
「え? あ、はい」
「僕と入れ違いで、寺務所に入って行った方ですよね?」
 そう言うと、俺の顔をもう一度確かめた彼。
「ええ、……だったと思いますけど。何か?」
 あんな、一瞬すれ違っただけで、俺に用があるとは思えないけど。
 真っ直ぐ彼を見返し訊ねると、上着のポケットからゴソゴソと何かを取り出した彼は、それを俺に差し出した。
 名刺?
 差し出された名刺には、アンティークコレクター・瀬崎直人(せざき なおと)と記され、北山で〈Ankh(アンク)〉というショップを経営していると記されていた。
 そうだ、確か、こんな名前だった、本間くんの言ってた先輩の名前。
「あの、僕、昇華大学の学生で、瀬崎と申します。アンティークコレクターをしています」
「はぁ。その学生さんが、俺に何か?」
 受け取った名刺をボディバッグの外ポケットに仕舞いこみながら訊ねると、彼は『もしかして……』と話を切りだし、先を続けた。
「貴方も、僕と同業者の方ですか?」
 え?
 予想すらしなかった突拍子もない質問に驚かされたものの、俺はすぐに首を振った。
「いえ、違いますけど」
 ハッキリ否定した途端、今度は彼の方が驚いた顔をした。
「そう、なんですか? 僕と入れ違いで入って行ったまま全然出て来られないので、てっきり同業者の方なのかと……」
「いえいえ、そんなすごい仕事してませんよ、俺は。ここに来たのも、家にある〈錠〉のことで、ちょっと知りたいことがあったからで」
「錠のことで?」
「ええ。あ、うち、鍵屋なんです。それで、ちょっと調べてもらったりしてたから時間がかかったんですけど、解決したのでこれから帰るとこです」
 大まかにだけ告げて笑みを向けると、『そうですか』とだけ返した瀬崎くんは、『すみません、呼び止めて、失礼なことを聞いてしまって』と頭を下げた。
「いえ。それより、わざわざ呼び止めたってことは、もし俺が同業者だったとしたら、取られたらまずい骨董品でもあったんですか?」
 わざと意地悪な質問を投げてみると、瀬崎くんは図星を差された顔で、すんなりとここへ来た目的を話し始めた。
その内容は、本間くんが話してくれたのと同じことと、龍晶様に話したことをそのままと、それから、自分が骨董イベントにかける意気込み。
「――なるほど。信長が使ってた膳に添えられていた箸置き……ですか。それはまた、凄い品物を狙ってるんですね。でも、さすがに宝物を譲ってもらうのは無理じゃないかな。だって、言葉通りお寺にとって〈宝物〉だし。それは諦めて、別の物を考えた方がいいんじゃないですか?」
 諦める方向へ持って行こうと助言すると、瀬崎くんは真っ直ぐな眼差しで
「難しいのは、重々承知しています。だから、お金はいくらでも出すって言ったんです。だけど、断られてしまって」
 と、衝撃発言をぽろり。
 えっ! お、お金をいくらでも……。
 さすが、自宅が骨董屋。金は腐るほどあるってか。
 でも、大学生でそのセリフはどうなんだ?
「お金の問題じゃないんですよ。君にだって、いくらお金を積まれても、譲れない大切な物ってあるでしょう?」
「え? あ……、それは、まぁ……」
 逆に俺から問われて口ごもった瀬崎くんは、スッと斜め下へ視線を落とす。そんな彼へ、俺は続けて語りかけた。
「それと同じなんですよ。このお寺にある宝物は、いくらお金を積まれても譲れない大切な物なんです。君は、仕事柄、お金を積んで欲しい骨董品を片っ端に手に入れてるのかも知れないけど、それでは手に入らない物もある。だから、諦めて別の品を探した方がいいと思うよ」
「でも、後輩たちや他校のサークルさんに期待されてるんです」
 どうしても諦められないと言いたげに言い返す瀬崎くんに、俺は一つ息を吐いた。
「周囲の期待を裏切りたくない気持ちはよく分かる。君自身も、今度はもっと凄い物を――っていう思いが強いんだと思う。だけど、無理なものは無理なんだし、そこは素直に引くべきなんじゃないかな? ――って、鍵師として俺は思う」
「鍵師……」
「うん」
 一言だけ頷いて自分の名刺を手渡すと、それを受け取った瀬崎くんは、『稀音堂――って、和錠を専門に取り扱ってる有名な骨董鍵店!』と大きく見開いた目で俺を見返した。
「いや、古いだけで、そんな有名な店じゃないから」
 って言うか、全然有名じゃないから。
「有名ですよ。骨董品を扱う業界じゃ。うちの父も、稀音堂の鍵師は凄いって言ってました。開けられない錠はない――って」
 えっ。
 それは、だいぶ言い過ぎだと思うな。
 あー……、でも、親父のことなら頷けるか。
「だから、稀音堂さんと是非仲良くさせてもらいたいけど、骨董品屋は嫌われてるから、仲良くしてもらえない――って、嘆いてます」
 言いながら苦笑を見せた瀬崎くんに、俺も同じく苦笑を向けた。
「それは申し訳ない。でも、錠の向こうにある、大切に保管されている骨董品たちをたくさん見て来てる俺たちにとって、高値で買い取って売りさばく骨董品屋は、どうしても好きになれない職種なんだ。そこは、理解してくれとは言わないけど、汲んで欲しい」
 正直な気持ちを口にすると、理解してくれているのか瀬崎くんは『はい』とだけ返答した。
「ありがとう。鍵師の俺が、君に言えるのはそれくらいかな。もし、どうしても諦められないなら、君が納得するまでお寺の人に交渉するのも、悪いことではないと思うよ」
 そのうえで諦めるのも悪くない。
「……いえ、このまま帰ります」
 え?
 予想外な反応をした彼を見つめると、『他に出せそうな骨董品を探すことにします』と穏やかに言葉を加えた瀬崎くん。
「いいの? それで」
「はい」
 迷いのない返事をした彼は、『あの、それと、もしよろしければ――なんですけど、今度何かあった時、ここへ連絡してもいいですか?』と俺の名刺を見せて問いかけた。
「え? あ、別に構わないけど。でも、あげられるような骨董品は、うちには無いよ?」
 あるけど、あげないよ。
「はい、何かくれなんていいません。ただ、仕事のことで、何か聞きたいこととかあった時に、相談させてください」
 大事そうに俺の名刺を握りしめる瀬崎くんに、俺は、断る理由も特に思いつかず了承した。
「どうぞ。君と俺は、正反対の職種だし、お役に立てるかどうか分からないけど。――っと、ごめん、俺、急いで行かなきゃいけないところがあるから、これで失礼していいかな」
 しまった、早く晃矢さんとこに行かないと。
 腕時計を見て慌てた俺に、『あ、すみません、引き止めて。どうぞ、行ってください』と手で合図した瀬崎くん。
「ごめん。それじゃあ」
 それだけ言い置いた俺は、背中の痛みを堪えつつ、殿を連れて大急ぎで駐車場へと向かった。

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