第9話 親友の忠告

文字数 2,348文字

 夜はお酒も飲める、適度に音楽が賑やかなカフェは、人に聞かれたくない相談に打ってつけだ。

 私は、待ち合わせ相手から「遅れる」と連絡を貰ったので、薄く作ってもらったジントニックを一人啜っていた。

 お店のドアを開けて、男の人が入ってきた。きょろきょろと誰かを探している風情の彼に、私は軽く手を振った。

 黒いキャップ、黒縁のメガネ、黒のライダースジャケット。耳にはピアス。間違いなく会社勤めに見えない出で立ちの彼は、軽快に私のテーブルに駆け寄った。

 「ナオさん、ごめん。お待たせ」
 「ううん。忙しいのに来てくれてありがとう、佑哉くん」

 三年前、私が今カレと付き合い始める前に付き合っていた山内佑哉さんは、当時、ちょうど念願叶ってプロになりたてのミュージシャンだった。今は、音楽好きの人の間では、ちょっとした有名人だ。

 彼の生活の変化に、私の気持ちがついていかず、不安ばかり募る恋に疲れて、私から別れたが、友人としては、その後も良い関係が続いている。

 車で来たから、と、ジンジャーエールを注文する彼の横顔は、もともと細面だったけど、更に少し頬が削げて、シャープな頬や顎の線が、以前より大人っぽくセクシーになった。表情にも、余裕や落ち着きが滲み出ていて、仕事の充実振りが伝わってくる。

 「久しぶりだね。仕事は相変わらず激務なんだろうけど、ナオさん、今、女として充実してるでしょ。そういう顔してる」

 開口一番、いきなり直球をど真ん中に放ってくる彼は、眼鏡の奥で、切れ長の目を優しげに細めて微笑んだ。

 私が、びっくりして、口をポカンと開けて言葉を失っていると、

 彼は、大きいけれど薄い唇をおかしそうに歪め、テーブルに片肘をつき、拳に自分の顎を載せた。途端に、悪戯っぽい表情に変わった。

 「俺を呼び出すってことは、きっと、男絡みの相談なんでしょ」

 「・・・相変わらず勘が良いのね。話が早くて助かるけど、ここまでズバズバ当てられると困っちゃう。そんなに私って分かりやすい?」

 私は、頬を赤らめ、気まずさから、少し唇を尖らせて、抗議する振りをした。

 かいつまんで、彼に今の状況を説明した。

 三年付き合ってきた、同い年の会社の同僚からプロポーズされたこと。
 その少し前から、上司である既婚男性と、男女の仲になっていること。

 「結婚、おめでとう」

 彼の方が五歳も年下なのに、まるで出来の悪い妹を嫁がせるように、目を弓形に細めて、優しく微笑んだ。

 佑哉くんは、穏やかに続けた。

 「その上司との関係は、清算したほうがいいんじゃないかな。

 俺は、ナオさんを幸せにできなかったけど、今の彼は、それができる人だよ。男だったら、自分の人生を捧げる妻には、自分だけを見てもらいたいものじゃないかと、俺は思う。

 それに、既婚者との恋愛は、結婚というゴールもないけど、終えるタイミングがないからさ。『ちょうど良い』って言い方は、不謹慎かも知らないけど、良いタイミングじゃないかな。ナオさんは、そんなに器用なタイプじゃないと俺は思ってるしね。長く続けると、ばれた時、みんなが不幸になるよ。俺は、ナオさんが不幸になるのは見たくない」

 付き合い始めた5年前に比べたら、話し方が、ずいぶん大人っぽくなったなぁ、等と、私は、関係ないことを考えていたが、黙っているので気を悪くしたのではと、彼は気遣ってくれ、軽く私の二の腕を叩いた。

 「ちょっと言い方きつかったかもしれない。ごめんね。でも、俺は、友達として、ナオさんのこと大事に思ってるから。そのことは忘れないで。」

 私は、正直に告白した。

「ありがとう。佑哉くんの意見は、いつも正しい。付き合う前から、今まで、アドバイスしてくれたことで、外れてたこと、一度もない。私のためを思って言ってくれてるのも、よく分かってる。今日も、まぁ要するに不倫の相談してるのに、一度も私のこと非難しなかったでしょ。嬉しかった」

 彼は、頭を振って、続けた。

 「ナオさんを見てたら、わかるよ。その上司も、相当いい男だ。ナオさんの顔と身体だけ見てる男じゃないもんな。一人の女としては、感受性が豊かで、色んなことを感じてる繊細なところとか、人間や世界を見ている優しい眼差しとか。俺も、ナオさんのそういうとこが好きだったけど、彼も、仕事仲間という関係の中で、そこまで見抜いてくるって、すごいよ。

 それに、ナオさんって、前は、彼氏ができたら、その人しか見えなくなって、ガッツリ依存するとこがあったと思うんだけど、今は、ふわっと軽やかになったね。お互い奥さんとか彼氏がいて、ちょっとだけ心を通わせるって経験が、ある意味で、余裕を身に着けるキッカケになったのかもね」

 そんな風に、私のことを見ててくれたんだ、と改めて思い知らされ、私は胸が熱くなった。

 佑哉くんは、私の気持ちを軽くするかのように、明るく言った。

 「ナオさん、既婚者になったら、ぜひ、結婚生活について教えてよ。俺も、今の彼女と付き合って1年ちょっとになるんだけど、最近、『早く結婚しよう』プレッシャーきつくてさー。

 でも、俺と同じ業界の男って、私生活ハチャメチャな奴が多いじゃん?バツイチどころか、バツ2、バツ3とかさ。『佑哉、結婚なんかやめとけ。人生の墓場だぞ』って、みんな口を揃えて言うんだよー。

 ちょっと、女性側からの意見も聞きたい。ナオさんは、実際、プロになった俺と付き合ってた期間もあるしさ」

 持つべきものは、良い友人だ。私は、恋人としては終わった後も、友人としての関係を繋いでくれた彼の心の広さに、改めて感謝した。
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