第9話

文字数 7,564文字

 一九九三年十二月四日、土曜日。
 早朝。八神さんからの電話のベルで起された。浩一さんが亡くなった。
 湾岸道路を猛スピードで走り、パトカーを振りきれずにガードレールに激突。即死だったらしい。後日、警察の調べではディスコで大量の御酒を飲み、時速百キロを超えたスピードで走っていたそうだ。
 さすがに八神さんも二週間、私の家に顔を出さなかった。
 八神さんと浩一さんの仲を引き裂き、命を奪ったのは自分ではないかと自己嫌悪になりかけた。ある意味、私を救ったのは佳伸だった。次々と現実を突きつけられる。野戦場のように荒らされた家の中。大量の洗濯もの。買い物に行く事も出来ない。
 私は限界を知り、無我夢中で回りに頼った。なりふり構わずに連絡して助けを求めた。自治体。ボランティア団体。その頃から私は積極的に外に出た。佳伸を沢山の人と関わらす事が将来も救いになると考えたの。自治体の児童相談所にも行き療養手帳をもらった。佳伸の障害は中程度。私は将来、佳伸の自立を目指した。現実は甘くなかったが、時折見せる佳伸の笑顔が救いだった。私が居ないと、この子は生きていけない。そう思い込んでいた。

 一九九四年三月十九日、土曜日。
 実の息子さんを亡くした八神さんにかける言葉が無い。それでも、二週間に一回は必ず顔を出してくれる。母の所へも週に一回は行っているようだ。
 辛い筈なのに、時間を追うように動き続ける八神さん。私は結局八神さんを頼り続けた。
「和子さん、赤坂の地権の整理なんだけど、和子さんは駐車場でもいいから地権者として家賃収入が入るようになればイイと思うんだ。それから、この神楽坂の自宅の一階部分を小さなギャラリーにして絵の仕事をする気はないかい」
「えっ。そんな事、私に出来るかしら」
「サポートするよ。知人に絵のレンタルをしている人がいるから紹介するよ。とにかく、今の生活を守りながら収入源を確保する仕組みを作ろう」
 以前にも増して精力的に動く八神さん。何かに急いでいるようだった。

 一九九四年十一月三日、木曜日。
 母は私の顔を見ると笑顔になる。佳伸の事は認識できているのかしら。
「ご飯は食べたの。足りなかったら後で作るからね」
 今ではリンゴも、むけなくなった母が言う。今も私を心配し続ける母。母の髪を櫛でとかす。
「御母さんは、いつの時代に戻りたいの」
「今が良いよ」
 母の穏やかな顔。本を読むのが好きだった母に童話を読み聞かせると、嬉しそうな表情をしたまま眠ってしまった。
 母に、ただ寄り添うだけの八神さん。母の命の燈火。傍に居るだけで充分だと教わった。

 一九九四年十一月三十日、水曜日。
「和子は。和子は」
 今にも消えてしまいそうな声で私のを呼ぶ御母さん。
 ベットから腕をのばす。私は御母さんの枯れ枝の様な手を握ったわ。母の呼吸が苦しそうだった。病院で検査。血液中の酸素が足りない。肺に水が溜まっている。若い時から不整脈があり、心不全が起きた。検査の結果、どうやら心筋梗塞も起きていたらしい。病院に着いて一時間もせずに母が亡くなった。
 まるで眠っているような母。今にも目を覚まし、喋り出しそうだった。
「もう何も心配しなくていいからね。ゆっくり眠ってね」
 母の左目で涙が光った。
 私は、もうろうとして座り込む。これからの事を考えて現実を知る。母はいない。涙が止まらずに、こぼれ落ちてくる。死と向き合った時、世の中の悩みごとなど、なんと、たわいもなく、大した問題でない事が分かった。
 私の中で何かが崩れていった。人は何故、死ぬの。私は知りたい。理由があるなら教えて。
 まるで覚悟が出来ていたかのように八神さんは落ち着いていた。直ぐに電話をして葬儀の準備に取り掛かる八神さん。
 翌日、母の遺影が出来上がった。それは、十数年前の若々しい母の笑顔だった。
 母の葬儀には小料理キクの常連の方が数人参列してくれた。
 一連の葬儀を終え、遺影の前に母の遺骨を置く。祭壇の前に座り込む八神さん。夕刻の光で浮かび上がる八神さんの陰影。独りになった八神さんの背中は小さかった。
 分かっていた筈なのに、寂しさと不安で落ち着かない私。佳伸の笑顔が嬉しかった。

 一九九五年一月十八日、水曜日。
 八神さんが手配してくれた御坊さんが御経を唱える。私と八神さんと佳伸だけで簡単な四十九日法要を終える。
 御墓は決めていない。母の遺骨は埋葬せず、しばらくは自宅に置く事にした。先の事を考えて、墓石の無い樹木葬を考えていたの。
 祭壇の遺影に写る母は若々しく楽しそうに笑っている。三十代後半かしら。こんな写真があった事さえ知らなかった。五十歳で亡くなった母のアルバムには数枚の写真しかなかったの。

 一九九五年一月十九日、木曜日。
 珍しく午前中に八神さんが訪れたの。母の遺影に御線香をたて手を合わせる八神さん。いつになく長い。母と会話をしているように永い時間が経った。
 八神さんが振り向いて私に言ったの。
「和子さん。よく聞いてください」
 いつになく真剣な口調の八神さん。
「はい。何ですか」
「うん。時間が無いんだ。佳伸君の死後認知。それから私が死んだ時の財産分与。問題は複雑で厄介なんだよ」
「私も佳伸も八神さんや浩一さんの遺産なんて要りません。決めたからには一人で佳伸を育てます」
「分かっている。きっと和子さんなら、そうするだろう。だけど、よく考えて。和子さんが寝込んだらどうする。佳伸君の生活環境を作っておきたいんだ。赤坂の地権整理も目途がたってきた。和子さんと佳伸君の生活環境を整えたいんだ」
「どうするんですか」
「和子さん。私と入籍しよう」
「えぇっ」
 言葉にならない。考えもしなかった事。とんでもない事を言い出した。
「八神さん、それこそ大変な問題になりますよ」
「大丈夫だ。入籍と言っても形だけだ。和子さんは若い。私は、もう長くない。来年同じように暮らせているか分からない」
「そんなぁ。八神さん、そんな」
「私には進行性の癌がある。大動脈瘤もある。破裂したら一瞬で死ぬ。だから一刻も早く入籍しないと」
「だって。そんな事したら浩一さんの奥さんが」
「そっちも話はついた。ある程度の生前贈与をあっちの孫にもしてある。それ相応の財産が残るように遺言書も作るつもりだ。浩一の嫁も納得させた」
 私は返事が出来なかった。父親のように思っていた八神さんと結婚。しかも、八神さんは浩一さんの実の父親。
 浩一さんとの一件があって以来、言葉遣いや距離感が変わった。八神さんは私の事をどう思っているのかしら。八神さんにとって私は女性としての対象なのかしら。
 世間の常識を超えた発想だわ。でも、心の何処かで私は自分が世間からどう見られてでも佳伸を守らなくてはいけないと考えていたの。
「和子さん。佳伸君は私が認知する。佳伸君は私の実の子供になるんだ」

 一九九五年一月三十日、月曜日。私と八神さんは戸籍上、夫婦になった。
 八神さんが住んでいた家に浩一さんの奥さんと息子さんが住む事になったの。八神さんが私の住む神楽坂の家に引っ越してきた。段ボール箱一つの簡単な引っ越し。荷物は数枚の着替えのみだったの。シングルのベットを一つ新調して、佳伸と私と八神さんが同じ部屋で寝た。戸籍上の形だけの結婚とはいえ、私は緊張したわ。だけど、何日経っても八神さんは静かに寝息をたてているだけ。
 ある日。八神さんが私のスケッチを見て言ったの。
「絵、続けているんだね」
「いいえ。スケッチだけ、時間も無いし」
「江戸風鈴と花火だね。良い構図だよ。完成させて飾りなよ」
「いえ。そんな」
「うん。そうか。いつか飾ればいいよ」
 八神さんはスケッチブックを置き、哀しい眼で微笑んだ。
「和子さん。和子さんは自由に生きればいい。これから好きな人生をおくってください。私はあと、どれくらい生きれるか分からない。私の事を気にせず、自分の人生を大切にしてください」
「そんな事、言わないでください」

 八神さんを傷つけるつもりはなかったの。私が馬鹿だった。
 その日の晩。一人静かに寝床に着く八神さん。その背中が(いと)おしく、哀しい。
 私は八神さんのベットに潜り込み、背中を抱きしめたの。八神さんのペニスを握った。柔らかいペニスが大きく硬くなる。
「うっ」
 小さな声を漏らす八神さん。八神さんは身動き一つしない。私の手を取り、起き上がる。
「有難うね、和子さん。私の事は気にしなくていいから。今夜は隣りの部屋で寝るよ」
「待って。ごめんなさい。私、どうして良いか分からなくて」
 八神さんが静かに微笑み、部屋を出て行こうとした。
「八神さん。八神さんは御母さんの事が好きだったの」
 八神さんの背中は何も答えなかった。
 翌日。八神さんに紹介されたのは二人の弁護士と会計士。
「和子さん。私に何かあったら、この人達に連絡をしてください。今後の事、財産分与の事も全て準備は出来ているから。そんな事はないと思うけど、万が一に浩一の嫁から連絡があっても会わないように。直ぐに、この人達に連絡をして」
「そんな。でも、あちらにも御子さんがいるんですよね」
「大丈夫。もう、話は済ませているから。和子さんには御願いがあるんだ。私が死んだら墓も位牌も戒名もいらない。骨は散骨して欲しいんだ」
「だけど、奥様の御墓に入るんじゃないんですか。私の事を気にしているんなら心配はいりませんよ」
「いや。前の女房の遺骨は永代供養塔に納めたんだ。墓じまいしたんだよ。浩一の嫁さんにも供養は頼めないし。出来る事は片づけておきたいんだ」
「でも、散骨っていっても、どうすればいいのか」
「うん。もう、業者に頼んである。湯河原の海に撒いて欲しいんだ」
「えっ、湯河原。どうして」
「いやぁ。一度、旅行で行ってね。気に入っちゃたんだよ」
 そう言って八神さんは哀しい眼をしたの。それ以上、私は何も聞かなかった。

 一九九五年七月十五日、土曜日。
 一ヵ月前にホスピスの病棟に入院したの。八神さんの癌は数か所に転移していた。一切の治療をせず、痛みだけを取り除く。血圧が下がり、今夜が峠だと言われた。病院に泊まるつもりで支度をしてきた。佳伸は静かに寝ついてくれた。
 八神さんに話しかけても息苦しそうに呼吸をするのが精いっぱい。八神さんが水を欲しがる。看護師さんに止められていたので困惑する私。看護師さんを呼ぶ。脱脂綿で八神さんの口をしめらす。口をアップアップさせる八神さん。私は八神さんの腕をさすりながら、一緒に深呼吸をする。もはや何も外界の様子に気付かない八神さん。私は、どうしていいか分からず、八神さんの腕をさする。八神さんが信じられないくらい強い力で、私の右手を握った。八神さんが何か言っている。私には八神さんが何を言いたいのか理解できない。
 真夜中。「フェーッ」息を吸い込む音。静かな病室。八神さんの口が閉じ眼は開いている。動かなかった。主治医がやって来る。
 一九九五年七月十六日、日曜日。午前一時四十六分。七十三歳の誕生日の日に八神さんが亡くなった。子供の頃から私と母を守ってくれた人。私の全てを受け止めてくれた人。
 八神さんは、どんな人生をおくったのかしら。八神さんにとって母はどんな存在だったのかしら。八神さんにとって私は何だったのかしら。
 これからは私が一人で何もかも決めていかなくてはいけない。弁護士さんに連絡したの。八神さんが勤めていた商社の方も駆けつけてきた。『社葬にしたい』と言われたけど断ったわ。密葬にして荼毘にふしてから公表する事になったの。
 浩一さんの奥さんには弁護士さんから連絡する事になった。葬儀を取り仕切る業者の方も、やって来た。まるで、八神さんが、まだ生きていて指示をしているかのように全てが敏速に的確に進んでいく。私は守られていると実感した。
 葬儀は関係者のみ十数人で済ませた。御坊さんの読経が終わり、出棺。(ひつぎ)の中に湯河原から取り寄せた、きび餅を入れた。

 一九九五年九月三日、日曜日。
 二歳半の佳伸を船に乗せるのは不安だったので施設に預ける事にしたの。自治体の児童相談所に聞いたら低額で一日預かってくれる施設を紹介された。泣き叫ぶ佳伸を置いて駅に走った。湯河原には昼前に着いたわ。八神さんの遺言通りに遺灰を湯河原の海に撒く。私は母の遺灰も一緒に撒く事にしたの。それで良いわよね。八神さん。御母さん。
 太陽の光に煌めく銀色の海原に全てが溶けて逝き、遠くの彼方へと帰っていく。
 帰り。湯河原の駅前。三年半前に訪れたのが大昔のようだったわ。私は全く別の世界からやって来た通りすがりの異邦人でしかなかった。感傷の気持ちが湧く間もなく、東京に引き返す。一秒でも早く佳伸の所に行かないと。

 私と佳伸は、八神さんが亡くなり、神楽坂の自宅と数社の株券を相続した。八神さんの生命保険金も受け取る。相続税を支払っても十分に足りるものだった。
 自宅の一階部分で始めたギャラリーもオープンした。小料理キクの常連の方達に支えられて、それなりに収入があった。ホテルや公共施設に絵のレンタルをする事業もスタートさせた。
 夕方五時には施設に佳伸を迎えに行く日々。毎日が、あっという間に過ぎていく。

 仕事が忙しい時は楽だったの。目の前の事を処理していく。
 佳伸の笑顔と寝顔が救い。だけど、佳伸と同い年くらいの子供を見る時、不安になる。佳伸の表情や仕草、会話が障害者だという現実を思い出させる。日常の隙間に忍び寄る恐怖。自分が怖くなる。専門家にも相談した。
 私も佳伸自身も社会に関わるようにしていく。私は佳伸を公立の小学校で健常者と一緒に学ばせる事を目標にしたの。



 定期検診は異常なし。私の癌細胞が消えて十年近くが経つ。
 今にして思えば、私の病気も支えになったのかも。いつ再発するかも知れないという想いで過ごした日々が佳伸と生きていく為の力を与えてくれた。

 二〇〇四年三月二十九日、月曜日。
 赤坂の街。小料理キクがあった場所にはホテルが建っている。すっかり変わった街並み。
 ホテルのロビーで広告代理店の元局長と待ち合わせ。
「やぁ、和子ちゃん、元気。佳伸君はどう」
 七十歳近くにしてはエネルギッシュで活動的な元局長。
「有難う御座います。佳伸も今年で十二歳になります。クラスの人気者なの。来年は中学生になるんですよ」
「あっそう。早いね。ところで和子ちゃんは、このホテルの地権者でしょう」
「いいえ。そんな。この開発地域の一部の地権者なだけです」
「はぁはっはっ。まぁ、たいしたもんだよ。絵のレンタル業も順調なんでしょう」
「はい。御蔭様で。絵の調達が大変で」
「そう。それでね。このホテルの絵なんだけど、和子ちゃん、プロデュースしなよ」
「えっ。私が」
「そうそう。ここのホテルのデザイナーが知り合いでね。話は通してあるから、会って打ち合わせしてよ」
「本当ですか。有難う御座います」
 大きなビジネスチャンスをもらったわ。私は今も沢山の人に支えられていた。
「そういえば、ここにバーがありましたね」
「あぁ。バーのマスター、九年前に亡くなったよ。八神さんと同じ年に」
「えっ。御店は、どうなったんですか」
「うん。マスターの奥さんが経営者という事になったんだけど、どうやら若いバーテンダーに譲ったらしいよ。今は何処かに移転したんじゃないかな」
「そうですか。沢村さん、バーのマスターになったんですか」
「そうねぇ。彼とは親しかったの」
「いえ。挨拶する程度でした」
 健一さんと過ごした短い時間が実際にあった事だったのか思い出せない。今は目の前の現実が波のように押し寄せてくる。
  
 淡々と月日が過ぎていく。そんな生活が十数年続いたわ。
 私は今年、五十歳になる。
 気付いたら仕事も順調にこなしていた。沢山の人に支えられている。今でも八神さんや御母さんに守られている気がするの。

 二〇一九年八月二十五日、日曜日。夕刻。
 元号が平成から令和に変わった。あの平成元年の時とは随分、街の雰囲気が違う気がするわ。
 ホテルの支配人に勧められて、初めて私が描いた絵を飾ったの。二十数年前に描いた風鈴と花火の絵。『うん。そうか。いつか飾ればいいよ』八神さんの声が蘇る。
 私は秋模様の絵の納品の為にホテルを訪れた。玄関に立っている見覚えのある男性。健一さんだった。
「やぁ、久しぶり」
「お久しぶりです」
「そういえば、今は八神和子さんだっけ。御子さんも居るんだよね」
「そう。もう、二十六歳なの」
「えぇ。そうなんだぁ。凄いなぁ。二十六歳の子の母親なんだ。男の子だっけ。名前は」
「佳伸。母の両親から一文字づつ取ったの」
「そういえば、障害があるって聞いたんだけど」
「うん。ダウン症」
「今、どうしているの」
「週に四日ぐらい働いているわよ。食堂の洗い場で」
「へぇ。会いたいな。会ってみたいよ」
「うん。来ているわよ。車の中に」
 私は佳伸の乗っている車のドアを開けた。
「沢村さんよ。御母さんの御友達」
「さっさわぁむぅらさっ。こんにちわっ」
「はい。こんにちは。有難う。うん。私は御母さんに御世話になった沢村です。宜しく御願いします」
「おっおねがいしぁす」
「凄いね。しっかりしているね」
 なんだか不思議。三十年近く時が経った気がしない。だけど、嬉しそうに話す健一さんの髪は白かった。
「沢村さんは、どうしているんですか。今」
「あぁ。青山墓地の近くでバーをやっているよ。食べるのがやっと」
「ご結婚は」
「うん。中学の同級生と結婚したんだ。十年前に離婚したけどね」
「ふーん。でも、御店、続けているんですね。凄いですね」
「いや。ぜんぜん。何とかやっている程度。今度、飲みに来なよ。一杯ぐらい御馳走するよ。佳伸君は、御酒は飲めないの」
「飲むのよ。カンパリの御湯割りが好きなの」
 そういえば、あの頃、よくカンパリを飲んでいたのを思い出した。

 夕陽が健一さんの笑顔を照らす。あの頃の面影が蘇る。
「また会いたいな」
「健一さん、私なんかじゃなくて、もっと若い()の方が良いでしょう」
 嬉しそうに笑う健一さん。
「俺、もう孫が居るんだぜぇ。あはっはぁ。先の事は分からないよ。今は、また会いたいんだ。いいかな」
「はい。私で良ければ」
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