伊藤愛の歓喜

文字数 842文字

伊藤愛は、目を覚ました。
枕元に転がった目覚まし時計を見ると、時計の針は午後九時五十一分を指している。
自分が三時間ほどの睡眠をとったのだと理解した愛の心の中で次第に、ある感情が湧きあがってきた。久しく忘れていた気持ち。

それは歓喜だった。

今回の睡眠中、愛の目の前には、珍しく、ラッキーなことに、子供達の亡霊が出現しなかったのである。
これは、ここ数年間において初めての事かもしれなかった。
ほんの短い間とはいえ、何者にも煩わされることのない睡眠をとることができたという事実は、彼女に希望をもたらした。

あたしは、あいつらの亡霊から、ようやく解放されたのかもしれない。
あいつらは、ようやく諦めたのかもしれない。この世から消えて、あの世に戻ったのかもしれない。

彼女は、大きな大きな安堵のため息をつくと安らかな気持ちで微笑んだ。
そうだ。自分はもう十分過ぎるほど、理不尽に傷つけられ苦しめられてきたのだ。
誰にも助けてもらえずに一人で戦ってきたのだ。
もう、この地獄は終わってもいいはずなのだ。
自分をこれ以上苦しめていい奴など、この世にもあの世にもいるわけがない。
これからは、自分は幸せになるべきなのだ。
自分には、自分の人生があるんだ。

そう思い、喉の渇きを潤すためにのっそりと立ち上がって寝室を出た。行先は台所である。足取りはおぼつかなかったが、彼女の表情は珍しく穏やかなものだった。
明日からは、新しい人生を送れるのかもしれない。
伊藤愛の人生は、まだやり直しがきくかもしれない。

その想いが、彼女の心身に生きる力を与えていた。
悲劇のヒロインにして、健気な強い女の子である愛は、心の中で意気揚々と叫ぶ。

さぁ自分磨きがんばろう!

ゴミ塗れの廊下を通り抜けて台所にたどり着いた愛の視界に、あるものが飛び込んできた。愛は両目を見開く。歓喜で満たされていた彼女に見えたもの。それは。

胎児のようにうずくまっている、白いワンピースを着た、小さな女の子、だった。
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