第2話 スポーツバーならどうだろうか?

文字数 3,861文字

 サトルは金属バットを構えた。
 ピッチングマシーンは、ベルトコンベアで運ばれてきたボールをひとつ取ると、細長い鉄の腕を回転させ、勢い良く放り投げてくる。

「フンッ!!」

 大きな声を上げてバットを上から振り下ろす。
 あえなく、ボールはするりと通り抜けて後ろのマットにあたり、サトルの足元に転がった。

「声だけじゃ打てないよー」

 隣の金髪お姉さん、もとい、ミカがネット裏から冷やかす。

「久しぶりだから、目が慣れてないだけです。まあ、見ててくださいよ」

 ここはバッティングセンター。サトルはアパートの隣の部屋に住むミカの誘いで、気晴らしにボールを打ちに来ている。600円使って60球程度、まだ2回カスっただけで一度も前に飛ばせていない。
 設定は120キロ。大学時代はソフトボール部で毎日のように体育会系の厳しい練習に耐えていたのだ。数年ぶりとはいえ、目が追いつけば打てるはずだ。

 ……よし、ど真ん中にきた!
 サトルは、しっかりとボールを目で追いかけながら金属バットをぐいんと振り抜く。
 芯に当たった感触と高い音。ボールは打ち返されて、「ホームラン」看板の少し下のネットまで飛んで行った。

「おー! やるじゃん。金属バットだから、当たれば飛ぶんだねぇ」
「ちゃんと芯に当てましたから。次は……」

 ミカの方を向いていたサトルの腰に、次に飛んで来たボールが思い切りぶつかった。

()ってぇ!」

 もんどりうって痛がるサトルの様子に、ミカは腹を抱えて大笑いする。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「いやー、アンタ面白いわ。贔屓(ひいき)が負け続けてるから、元気づけようと思ったら、意外と落ち込んでないし」

 ミカは、喫煙スペースでタバコをふかしながら、サトルにコーヒー缶を渡す。

「いきなりチャイム鳴らされた時は、いっつもうるさいんだよってクレームかと思ったんですけど、まさかこんな所に連れてこられるとは。でも、僕も楽しかったです」
「アンタの観戦中の雄叫(おたけ)びは、もう慣れたよ。だいたい、ノイキャンのヘッドフォンしてることが多いから聞こえてないし」
「え、僕の声のせいでノイキャンのヘッドフォンしてるんですか?」

 ミカは余裕の笑みを浮かべて答える。

「違うよ。あたし、DTMやってるから。仕事じゃなくて趣味だけどね」
「DTM……」
「音楽作ってるの。海外のサイトにアップして、再生してもらえた回数でほんのちょっぴりだけど、お金が入るのよ」
「へぇー、僕の知らない世界だ」
「アンタ、ギガントパンサーズの応援くらいしか趣味がない、とかじゃないよね」

 サトルは、天井を仰いで考える。何か他の趣味はあっただろうか。

「うそでしょ……? じゃあ月曜日は何してるの? 瞑想?」
「月曜日は試合が無いから、まとめサイトとか動画サイトでプロ野球全般の情報を集めてますね」

 ミカは、タバコの火を消して灰皿の中に落とした。

「そう。寂しい青春を送ってるんだね」
「寂しくないですよ。夢でも伊月選手がホームラン打ったところとか見たり、あの時もし判定が覆ってたらとか妄想して、毎日忙しいです」
「……まあ、趣味は人それぞれか。ゴメンね、あたしの価値観では理解できないけど、アンタは楽しい毎日を過ごしてるみたいだね」

 サトルは照れ笑いする。

「褒めたわけじゃ、ないんだよね」

 ミカは、なんだか妙に純粋な感じのサトルに微笑む。

「で、今日はギガントパンサーズの試合あるんだっけ? 一緒に観る?」
「なるほど、ふたりで一緒に観たら、勝てるかも知れないですね」
「引き分け挟んで10連敗中でしょ。しかも今日の先発はルーキー。どんな風に観ても、負けるもんは負けるのよ」

 サトルは腕を組んで考える。例えば、スポーツバーで観戦するのはどうだろうか。開幕から今まで、ずっと部屋で試合を観ていた。これが敗因だとすれば、ふたり共が外で観たら、あれがこうなってそれがああなって、色々巡り巡って勝てるのでは。

「ミカさん、スポーツバーに行きませんか。僕が(おご)ります」
「ホント?! 行くよ、行く!」

 ミカが満面の笑みで答えると、サトルはスマホで近辺のスポーツバーを検索した。電車で2駅先に、立ち飲みで野球観戦を出来るバーがあった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「海外の黒ビールですって。僕はこれとポテト頼みます。ミカさんはどうしますか?」

 メニューを(めく)りながら、ミカは唇に指を当てて考える。

「あたしはカシスオレンジにするよ。ポテトは多めにしてシェアしよう」

 既に試合は始まっていた。
 今日は大阪での試合で、ギガントパンサーズは先攻だ。三者凡退であっさりと敵チームの攻撃に移っていた。

「また、この展開。次の回で四番の伊月(いつき)が打っても、下位打線がパッとしなくてホームに帰って来れないのよね」
「1回に点が取れたのって、前に伊月選手が満塁ホームラン打ったあの日が最後だった気がします。で、先発が耐えきれなくなって2点くらい取られて終わり、みたいなのが多いかな」

 ブツブツ喋っているのはサトルとミカくらいで、他のテーブルでは、もう酔っ払って大声で応援歌を叫んでいる人もちらほら。とにかく(せわ)しなく怒号が飛び交っている。(みんな)、ギガントパンサーズに勝って欲しいという願いは同じはずなのだが。

「スポーツバーって、こんななんだね。あたし、陰キャ体質だから、ひとりじゃ絶対来ないし、そもそもギガントパンサーズのファンの知り合いがアンタくらいだからなぁ」
「去年の春は、穏やかに観戦してましたけどね。やっぱりこんだけ負けてると、ファンも荒れますよ」

 話していると、他のテーブルから流れて来た初老の男が、ミカに絡んだ。

「姉ちゃん。もうギガントパンサーズを応援するのやめてさ、俺らと飲もうよ。どうせ今日も負けなんだからさ」

 強引に、手を取って連れていこうとする。ミカは、困り顔でサトルの方を向く。
 サトルは相手の腕を(つか)み、ミカを引き()がすと、注意事項が書かれたボードを指差す。

「ちゃんとあそこに書いてあるだろ。他のテーブルのお客様にみだりに話しかけないようにって。野球だってルールは絶対なんだ。酔ってるからって、何でも許されるわけじゃないぞ」

 相手は、舌打ちして元のテーブルに戻って行った。
 ミカは、意外な出来事に、目を丸くしてサトルを見つめた。

「かっこいいことするじゃん。アン……」

 バーの中に歓声が沸き起こる。
 大型モニターに、助っ人外国人のモーガンのツーランホームランが映し出されていた。サトルが飛び跳ねて喜ぶ。

「やった、やった! 久しぶりの先制点ですよ!」

 無邪気な笑顔のサトルに、ミカは少し鼓動が大きくなるのを感じた。
 ……あれ? これはホームランで、だよね?

 その後、追加点は取れなかったが、先発のルーキーがまさかの8回無失点。9回裏は、この連敗中にポンポンとホームランを打たれていた一応守護神と呼ばれているピッチャーに託された。

「大丈夫かな、この人、ランナーが出るとピッチングが急に不安定になるんだよね」
「そうですね。三者凡退で締めてくれたら……」

 ふたりの願いは叶わず、先頭打者をフォアボールで歩かせてしまう。素人目にも明らかなほどに、守護神が動揺している。

「またこの展開だよ。球は速いんだから、思い切って勝負すればいいのに」
「でも、相手も下位打線ですし、さっき代打の切り札は使ったから、流れはまだ向こうに行ってないはずです」

 サトルは両手をグッと組み合わせ、祈るようにして大型モニターを(にら)んでいる。ミカもその真似をしてみる。

 守護神の投げたストレートにドンピシャでタイミングを合わせ、鋭い打球が1塁線上を飛んで行く。
 その時、1塁手のモーガンが、ひとっ飛びして腕を伸ばし、ギリギリでボールをファーストミットにおさめた。
 飛び出していたランナーも帰塁できず、アウトとなった。

 サトルがミカの手を取る。

併殺(ゲッツー)ですよ! あとワンアウトです!」
「わ、分かってるよ。……アンタも随分お酒が回ってるね」

 赤ら顔で、キラキラ輝く目で大型モニターを観るサトル。その様子を眺めて、ミカは()い趣味なのかも、と思った。

 そして、フルカウントから2球ファールで粘られ、渾身のストレート。最後のバッターのバットは、(くう)を切った。

『三振、試合終了! ギガントパンサーズ、ようやく1勝をあげました!』

 バーの中がお祭り騒ぎになる。気付けば、さっき絡んできた奴とも、サトルはハイタッチを交わしている。ミカはそれを(あき)れ顔で見ていた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 電車を降りて、アパートへ。ふたりは並んで歩く。

「ねぇアン……サトルくん。まさか、毎日スポーツバーで観戦しようとか、言い出さないよね」
「それはさすがに、しませんよ。でも、これからも僕はギガントパンサーズが勝つためのバタフライ・エフェクトを探します。まだまだやれることはあるはずです!」

 ミカは、小さく息を吐いて、微笑む。

「なんかさ、今日は楽しかったよ。また遊ぼうね」
「はい! 僕ひとりでは、この勝利は成し得なかったかも知れないので、またミカさんの力を借りたいと思います」
「……そういうことじゃないんだけど、まあ、いいや。はいはい、いつでも力を貸しますよ」

 ミカは、サトルの頬をつねる。
 彼が、なぜつねられたのか分からず戸惑っていると、ミカは小走りし始めた。

「ばーか、ばーか」
「あれ、僕、(なん)か変なことしました? ねぇ、ミカさんってば」

 サトルも、(あと)を追うように駆け出す。

 車のライトやビルの明かり、街灯やらなんやらの街の光がキラキラと、走るふたりを明るく照らし出していた。
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