第11話 休みたくても休めないぞ!
文字数 4,953文字
繁忙期で残業が続き、すっかりギガントパンサーズの試合を観られずに過ごしていた。アパートへ帰るとちょうど負けたところだったり、どうやって得点したのか7点差で勝っていたりして、なんだか生活の中から野球がこぼれ落ちてしまったような気分になった。
そういえばしばらくの間、ミカとも話をしていない。洗濯物は部屋干しで済ましているからベランダに出ないし、生活の時間帯がズレているのか、朝も夜も、ばったりと出くわすことは無かった。
それでも、火曜日から2勝1敗と、少しずつギガントパンサーズの勝ち試合は増えてきた気がする。シーズン最初の酷い連敗が無ければ、案外Aクラス争いも出来ていたのかも知れないと思うと、惜しい感じもする。
金曜日も夜遅く帰ってきて、試合結果だけ確認した。3対1で我が贔屓 のチームは勝利していた。
明日は休みだからと買ってきたビールを、風呂上がりにゴクッと飲む。動画サイトで、今日の試合のハイライト動画やヒーローインタビューを観て気持ち良くなって、歯を磨いてベッドに横になる。
ウトウトしながらタブレットでサヴェージ・ガーデンのアルバムを聴いていたら、いつの間にか眠ってしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
チャイムの音で起こされた。
何度も、ピンポンピンポンと鳴り続ける。カーテンからは、朝の光が部屋に入り込み広がっていた。
今は……6時だ。一体、何の用だ?
寝ぼけ眼 で、スウェットのままドアスコープも確認せずに玄関のドアを開ける。
そこには、ミカのおばあさんであるツネが困惑顔で仁王立ちしていた。
「ミカはここにおるのか?」
「おはようございます……ミカさんの部屋はそっちですよ」
サトルは、ミカの部屋の方向を指差す。
「そんなことは知っとるが、何度チャイムを押しても出ないから、サトルさんの部屋にいるのかと思ったんだ」
「最近は……僕が忙しくて全然、話すこともなかったんで。旅行とかに行ってるんじゃないですか?」
「あの子はそんな陽気な生活はしとらんよ」
……いやいや、旅行くらい行くかも知れないじゃないか。なんという偏見。
「ちょっと待っててくださいね。ベランダ見てきます」
そう言って、サトルはベランダからちらりと隣の部屋のベランダを確認する。あまりよろしくない行動だが、致し方ない。
洗濯物が干してある。ということは、部屋にいる可能性が少しだけ高くなった。少なくとも、長期で出掛けてはいないと思われる。
サトルは、玄関に戻りツネに報告する。
「洗濯物が干してあったので、多分、寝てるだけだと思いますよ」
「今日は、畑仕事を手伝ってもらう約束をしておったんだが……なら、サトルさんは今日、暇か?」
暇かと言われると、暇である。だが、平日の疲れを癒すためにベッドでゴロゴロしようと思っていた壮大な計画がパァになる。
「暇……です……」
そう、残念ながらサトルは嘘が好きではないのだ。
「よし、ジャージか、動けて汚れても良 い服に着替えてきなさい。今日は忙しいぞ」
……いやもう平日ずっと忙しかったんですが。まあでも、明日も休みだし、いいか。
「分かりました。準備するので、少し待っててくださいね」
ジャージに着替えて、フェイスタオルを首にかける。髪の毛がボサボサだが、もうミカと付き合っていないのはバレてるから今更、格好を気にする必要もないだろうし、汗をかけば髪もまとまるだろうと考え、そのまま出ることにした。
ガチャリと玄関のドアを開けると、ツネの横に、さっき起きたばかりと思われる、やはり髪がボサボサのミカがいた。
ツネが、ふたりを交互に見て、呆れたような顔をした。
「とりあえず、ふたりとも髪をきちんと整えなさい! そんなナリで家 に来ないでおくれ!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ツネは自転車で、ミカは原付で、自転車も原付も無いサトルは自分の足で走って、ツネの家へ向かう。
途中には長い登り坂がある。ツネの自転車は電動アシスト付きであり、スイスイと坂を登っていく。
「ちょ、ちょっとこの坂はキツくないですか? ハァ……ハァ……」
息を切らせながら言うサトルに、ツネが悪戯 に微笑んで返す。
「帰りは下り坂だから、安心しなさい」
「そ、そういう問題……じゃあ……ないです……」
なんとか坂を登り切り、その後 10分ほど走った所にツネの家があった。大きな古い木造の建物で、裏には畑が広がっている。
「こっちの方 は初めて来たんですけど、こんなに畑がいっぱいあったんですねぇ」
いつもは、アパートと駅の往復しかしないので、駅とは反対側に、全く別の世界が広がっていて驚いた。ゴミゴミしている駅の周辺とは違って、空気が美味しそうな、緑色が一面に広がっている場所だ。
ツネが、大きめのコップに何やら冷たい飲み物を入れて持ってきてくれた。
「走った後 はコレを飲むと回復が早い。口に合うかは分からんが」
サトルは、恐る恐るそのドリンクをいただく。喉を達る瞬間に、甘さと少しの酸っぱさが心地よく広がる。
「うっっっま!」
喜ぶサトルの顔に、少しだけツネの顔が綻 んだ。
「塩とレモン汁とはちみつを水に溶かしただけ。汗をかいた時には美味 しかろう」
原付で楽々辿り着いたミカは、腕を伸ばしたり、屈伸したりと準備運動している。
「サトルくん、着替え持ってきた? もう汗だくだくじゃない」
「ツネさんの自転車のカゴに入れてもらいました。着替えてきます」
ツネの家の玄関の土間でシャツを着替えて、水色のジャージを着る。着替えながらふと呟 く。
「あれ? そもそもミカさんがいるなら、別に僕は来なくても良かったのでは」
しかしながら、ここに来てしまったからには、畑仕事を頑張らねば。
そう、サトルは無駄に律儀でもあるのだ。
「今日は、2月に植えたキャベツを収穫しようと思ってな。ネットの中で結球したキャベツを、このコンテナに入れとくれ」
青い、車輪と紐のついた大きなコンテナを動かしながら、大きくなったキャベツの球を、包丁のような刃の道具で切り離していく。割と切れ味が鋭いので少し怖いが、怖がっていても仕方がないので諦めて言われた通りに収穫する。
他のふたりは、既に畝 立てした所へ、球根やタネを植えているようだ。サトルにとっては、そちらは完全に門外漢なので、自分に出来ることをちゃんとやり切ることにする。
「サトルさん、キャベツはその辺でもういいから、キュウリを頼むよ」
ずっと座りっぱなしだったので、腰が完全に固まってしまった。ゆっくりと身体を起こして伸ばす。
キュウリのツルの伸びた一画に歩いていくと、形は少し歪 だが、市販のものより一回り大きなキュウリが大量に実っていた。
「大きくなりすぎると味が悪くなったり割れたりするからね、大きいものから獲っておいとくれ」
「分かりました。コンテナが一杯になったら終わりですか?」
「そうだね。午前中はそれで一旦、キリをつけようか」
なるほど、午後も仕事はあるということか。サトルの土曜日は畑仕事で終わるわけだ。
悲しい表情で大きいキュウリをコンテナに入れていく。額に滲 んだ汗をタオルで拭きながら、この世界には色んな仕事があるもんだと身に沁 みて思う。
普段はエアコンの効いた室内でヘッドフォン越しに文句を言われたり、日本語の定型文の面倒臭さに辟易 しながらメールや報告文を書き書きしているわけで、どちらが良いとかではなく、どちらの仕事にもきっと色んな苦労があり、そして達成感があったりするのだろう。
「よし、サトルさん、ミカ。お昼ご飯にしようか」
サトルは手についた泥を落としてしっかりと洗い、ツネの家の縁側に座って休憩する。
ここからは見えないが、ツネとミカは昼食の準備をしているのだろう。
鳥の鳴き声が聞こえてくる。さっきまで元気一杯に畑に陽射しをもたらしていた太陽は薄い雲に隠れ、柔らかな陽光が緑の景色を明るく照らし出している。
生暖かく植物の匂いを含んだ風が汗を徐々に乾かしていく。多分、今サトルはすごく汗臭い。
「サトルくん、はいどうぞ」
ミカが笑顔で、縁側にお盆を置いた。おにぎりと、漬物、そうめん、スイカが並んでいる。
「漬物、すごく美味しいよ。びっくりするから」
とんでもないネタバレをくらうも、サトルはおにぎりを頬張り、箸でキュウリやナスの漬物に手を伸ばす。漬物を口に含むと、汗で逃げた塩分が身体に戻ってくるような気がした。
「ミカさん、漬物、ホントに美味 いです」
「でしょ、でしょ。おばあちゃんの漬物は、すごいのよ!」
その勢いでそうめんを啜 り、あっという間におにぎり3個も平らげてしまった。相当お腹が減っていたらしい。そういえば、朝ご飯を食べ損ねていたことに気付いた。
スイカにかぶりつき、種をどうしようか困っていると、ミカが隣でスイカの種をぷっぷっと地面に飛ばしていた。それで良 いのか? 怒られやしないか?
サトルの視線に気付いたミカが、微笑みながら種を飛ばす。サトルも意を決してスイカの種を口から宙に向けて吹き飛ばしていく。
スイカを食べ終え、ふたりは目を見合わせる。
「不思議なんだけどね、いつの間にか種がどっかいっちゃうのよね」
ミカがそう言って、何がそんなに面白いのか、大笑いする。鳥なのか、蟻なのか、何者かが種を持っていってしまうらしい。
午後もサトルはひたすら野菜の収穫を続けて、コンテナ5杯を埋めた。
「ツネさん、こんなに獲って、どこかで売るんですか?」
「こんな歪 なのは売れないよ。ご近所さんに分けたり、ミカや他の親戚にあげたりしてるんだ。サトルさんも持って帰っとくれよ」
「僕はカレーくらいしか作りませんけど……でも、この大きいオクラ、カレーに入れたら美味 しそうですね」
ツネは満足そうに頷 いた。
ミカが、サトルの肩をポンと軽く叩く。
「ねえ、今日は帰ったら一緒にカレー作ろうか。ちょうどギガントパンサーズの試合もあるし、黒ビールで乾杯したら勝てるかも」
「いいですね。僕、途中でカレーのルーとビール買って帰ります」
ツネが、ふたりのやり取りを不思議そうに見つめて、首を傾げる。
「いっそのこと、一緒に暮らせば良 いんじゃないか。家賃が1部屋分で済むよ」
「何言ってんのおばあちゃん! まだそういう関係じゃないから!」
赤面して、ミカがブンブンと手を振る。
……まだ、ということは、いつかはそうなれるのか……?
サトルは妙な期待を、頭を振って吹き飛ばす。悪魔と天使の戦いはもう勘弁だ。
ツネは、笑ってふたりの顔を見る。
「まあ、またちょくちょく呼びに行くから、手伝っておくれよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
帰り道、ミカは原付を押しながら、サトルと一緒に歩く。
「ごめんね、サトルくん。今日は完全に被害者だよね。私がすぐに起きれなかったから」
「いやぁ、面白かったですよ。たまには運動しないと。もう、凄い筋肉痛ですけど。明日は動けないかも」
「じゃあ、明日は私がご飯作ってあげるよ。おばあちゃんにもらった野菜を消化しないと」
ミカの笑顔が、夕暮れのオレンジ色で映える。サトルは、ミカの笑顔を見るたびに鼓動が大きくなる気がする。
「じゃあ、そうしてもらおうかな。今日は動けそうだから、カレーは作りますけど」
「うん。……ホント、一緒に暮らしてるみたいになっちゃいそうだよね」
サトルの足が止まる。
少し進んだところで、ミカが振り返る。
「この前も言ったけど、僕はミカさんのことが好きです。いつか、……いつか本当にそうなれたらいいなって思ってます」
「サトルくん……」
「でも、まだ、良 いお隣さんとして、楽しく過ごしたいです。もっとミカさんのこと、教えてください。僕のことも、もっと知って欲しいです」
ミカは、辺りを包み始めた夕闇を見渡して、考えを巡らせた。
「分かった。でも、どうしても我慢できなくなったら言ってね。この前みたいに何かと必死に戦ってるの見てると、こっちも落ち着かないから」
どうやら、サトルの中の悪魔と天使の大戦争はバレていたようだ。
「それは……なんとかします」
ミカが吹き出して笑った。
「やっぱり、サトルくんは面白いや。じゃ、買い物行こっ」
ふたりは話をしながら歩いていく。先へ先へと延びる街灯の明かりが、ふたりの未来をたどたどしく照らし出していた。
そういえばしばらくの間、ミカとも話をしていない。洗濯物は部屋干しで済ましているからベランダに出ないし、生活の時間帯がズレているのか、朝も夜も、ばったりと出くわすことは無かった。
それでも、火曜日から2勝1敗と、少しずつギガントパンサーズの勝ち試合は増えてきた気がする。シーズン最初の酷い連敗が無ければ、案外Aクラス争いも出来ていたのかも知れないと思うと、惜しい感じもする。
金曜日も夜遅く帰ってきて、試合結果だけ確認した。3対1で我が
明日は休みだからと買ってきたビールを、風呂上がりにゴクッと飲む。動画サイトで、今日の試合のハイライト動画やヒーローインタビューを観て気持ち良くなって、歯を磨いてベッドに横になる。
ウトウトしながらタブレットでサヴェージ・ガーデンのアルバムを聴いていたら、いつの間にか眠ってしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
チャイムの音で起こされた。
何度も、ピンポンピンポンと鳴り続ける。カーテンからは、朝の光が部屋に入り込み広がっていた。
今は……6時だ。一体、何の用だ?
寝ぼけ
そこには、ミカのおばあさんであるツネが困惑顔で仁王立ちしていた。
「ミカはここにおるのか?」
「おはようございます……ミカさんの部屋はそっちですよ」
サトルは、ミカの部屋の方向を指差す。
「そんなことは知っとるが、何度チャイムを押しても出ないから、サトルさんの部屋にいるのかと思ったんだ」
「最近は……僕が忙しくて全然、話すこともなかったんで。旅行とかに行ってるんじゃないですか?」
「あの子はそんな陽気な生活はしとらんよ」
……いやいや、旅行くらい行くかも知れないじゃないか。なんという偏見。
「ちょっと待っててくださいね。ベランダ見てきます」
そう言って、サトルはベランダからちらりと隣の部屋のベランダを確認する。あまりよろしくない行動だが、致し方ない。
洗濯物が干してある。ということは、部屋にいる可能性が少しだけ高くなった。少なくとも、長期で出掛けてはいないと思われる。
サトルは、玄関に戻りツネに報告する。
「洗濯物が干してあったので、多分、寝てるだけだと思いますよ」
「今日は、畑仕事を手伝ってもらう約束をしておったんだが……なら、サトルさんは今日、暇か?」
暇かと言われると、暇である。だが、平日の疲れを癒すためにベッドでゴロゴロしようと思っていた壮大な計画がパァになる。
「暇……です……」
そう、残念ながらサトルは嘘が好きではないのだ。
「よし、ジャージか、動けて汚れても
……いやもう平日ずっと忙しかったんですが。まあでも、明日も休みだし、いいか。
「分かりました。準備するので、少し待っててくださいね」
ジャージに着替えて、フェイスタオルを首にかける。髪の毛がボサボサだが、もうミカと付き合っていないのはバレてるから今更、格好を気にする必要もないだろうし、汗をかけば髪もまとまるだろうと考え、そのまま出ることにした。
ガチャリと玄関のドアを開けると、ツネの横に、さっき起きたばかりと思われる、やはり髪がボサボサのミカがいた。
ツネが、ふたりを交互に見て、呆れたような顔をした。
「とりあえず、ふたりとも髪をきちんと整えなさい! そんなナリで
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ツネは自転車で、ミカは原付で、自転車も原付も無いサトルは自分の足で走って、ツネの家へ向かう。
途中には長い登り坂がある。ツネの自転車は電動アシスト付きであり、スイスイと坂を登っていく。
「ちょ、ちょっとこの坂はキツくないですか? ハァ……ハァ……」
息を切らせながら言うサトルに、ツネが
「帰りは下り坂だから、安心しなさい」
「そ、そういう問題……じゃあ……ないです……」
なんとか坂を登り切り、その
「こっちの
いつもは、アパートと駅の往復しかしないので、駅とは反対側に、全く別の世界が広がっていて驚いた。ゴミゴミしている駅の周辺とは違って、空気が美味しそうな、緑色が一面に広がっている場所だ。
ツネが、大きめのコップに何やら冷たい飲み物を入れて持ってきてくれた。
「走った
サトルは、恐る恐るそのドリンクをいただく。喉を達る瞬間に、甘さと少しの酸っぱさが心地よく広がる。
「うっっっま!」
喜ぶサトルの顔に、少しだけツネの顔が
「塩とレモン汁とはちみつを水に溶かしただけ。汗をかいた時には
原付で楽々辿り着いたミカは、腕を伸ばしたり、屈伸したりと準備運動している。
「サトルくん、着替え持ってきた? もう汗だくだくじゃない」
「ツネさんの自転車のカゴに入れてもらいました。着替えてきます」
ツネの家の玄関の土間でシャツを着替えて、水色のジャージを着る。着替えながらふと
「あれ? そもそもミカさんがいるなら、別に僕は来なくても良かったのでは」
しかしながら、ここに来てしまったからには、畑仕事を頑張らねば。
そう、サトルは無駄に律儀でもあるのだ。
「今日は、2月に植えたキャベツを収穫しようと思ってな。ネットの中で結球したキャベツを、このコンテナに入れとくれ」
青い、車輪と紐のついた大きなコンテナを動かしながら、大きくなったキャベツの球を、包丁のような刃の道具で切り離していく。割と切れ味が鋭いので少し怖いが、怖がっていても仕方がないので諦めて言われた通りに収穫する。
他のふたりは、既に
「サトルさん、キャベツはその辺でもういいから、キュウリを頼むよ」
ずっと座りっぱなしだったので、腰が完全に固まってしまった。ゆっくりと身体を起こして伸ばす。
キュウリのツルの伸びた一画に歩いていくと、形は少し
「大きくなりすぎると味が悪くなったり割れたりするからね、大きいものから獲っておいとくれ」
「分かりました。コンテナが一杯になったら終わりですか?」
「そうだね。午前中はそれで一旦、キリをつけようか」
なるほど、午後も仕事はあるということか。サトルの土曜日は畑仕事で終わるわけだ。
悲しい表情で大きいキュウリをコンテナに入れていく。額に
普段はエアコンの効いた室内でヘッドフォン越しに文句を言われたり、日本語の定型文の面倒臭さに
「よし、サトルさん、ミカ。お昼ご飯にしようか」
サトルは手についた泥を落としてしっかりと洗い、ツネの家の縁側に座って休憩する。
ここからは見えないが、ツネとミカは昼食の準備をしているのだろう。
鳥の鳴き声が聞こえてくる。さっきまで元気一杯に畑に陽射しをもたらしていた太陽は薄い雲に隠れ、柔らかな陽光が緑の景色を明るく照らし出している。
生暖かく植物の匂いを含んだ風が汗を徐々に乾かしていく。多分、今サトルはすごく汗臭い。
「サトルくん、はいどうぞ」
ミカが笑顔で、縁側にお盆を置いた。おにぎりと、漬物、そうめん、スイカが並んでいる。
「漬物、すごく美味しいよ。びっくりするから」
とんでもないネタバレをくらうも、サトルはおにぎりを頬張り、箸でキュウリやナスの漬物に手を伸ばす。漬物を口に含むと、汗で逃げた塩分が身体に戻ってくるような気がした。
「ミカさん、漬物、ホントに
「でしょ、でしょ。おばあちゃんの漬物は、すごいのよ!」
その勢いでそうめんを
スイカにかぶりつき、種をどうしようか困っていると、ミカが隣でスイカの種をぷっぷっと地面に飛ばしていた。それで
サトルの視線に気付いたミカが、微笑みながら種を飛ばす。サトルも意を決してスイカの種を口から宙に向けて吹き飛ばしていく。
スイカを食べ終え、ふたりは目を見合わせる。
「不思議なんだけどね、いつの間にか種がどっかいっちゃうのよね」
ミカがそう言って、何がそんなに面白いのか、大笑いする。鳥なのか、蟻なのか、何者かが種を持っていってしまうらしい。
午後もサトルはひたすら野菜の収穫を続けて、コンテナ5杯を埋めた。
「ツネさん、こんなに獲って、どこかで売るんですか?」
「こんな
「僕はカレーくらいしか作りませんけど……でも、この大きいオクラ、カレーに入れたら
ツネは満足そうに
ミカが、サトルの肩をポンと軽く叩く。
「ねえ、今日は帰ったら一緒にカレー作ろうか。ちょうどギガントパンサーズの試合もあるし、黒ビールで乾杯したら勝てるかも」
「いいですね。僕、途中でカレーのルーとビール買って帰ります」
ツネが、ふたりのやり取りを不思議そうに見つめて、首を傾げる。
「いっそのこと、一緒に暮らせば
「何言ってんのおばあちゃん! まだそういう関係じゃないから!」
赤面して、ミカがブンブンと手を振る。
……まだ、ということは、いつかはそうなれるのか……?
サトルは妙な期待を、頭を振って吹き飛ばす。悪魔と天使の戦いはもう勘弁だ。
ツネは、笑ってふたりの顔を見る。
「まあ、またちょくちょく呼びに行くから、手伝っておくれよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
帰り道、ミカは原付を押しながら、サトルと一緒に歩く。
「ごめんね、サトルくん。今日は完全に被害者だよね。私がすぐに起きれなかったから」
「いやぁ、面白かったですよ。たまには運動しないと。もう、凄い筋肉痛ですけど。明日は動けないかも」
「じゃあ、明日は私がご飯作ってあげるよ。おばあちゃんにもらった野菜を消化しないと」
ミカの笑顔が、夕暮れのオレンジ色で映える。サトルは、ミカの笑顔を見るたびに鼓動が大きくなる気がする。
「じゃあ、そうしてもらおうかな。今日は動けそうだから、カレーは作りますけど」
「うん。……ホント、一緒に暮らしてるみたいになっちゃいそうだよね」
サトルの足が止まる。
少し進んだところで、ミカが振り返る。
「この前も言ったけど、僕はミカさんのことが好きです。いつか、……いつか本当にそうなれたらいいなって思ってます」
「サトルくん……」
「でも、まだ、
ミカは、辺りを包み始めた夕闇を見渡して、考えを巡らせた。
「分かった。でも、どうしても我慢できなくなったら言ってね。この前みたいに何かと必死に戦ってるの見てると、こっちも落ち着かないから」
どうやら、サトルの中の悪魔と天使の大戦争はバレていたようだ。
「それは……なんとかします」
ミカが吹き出して笑った。
「やっぱり、サトルくんは面白いや。じゃ、買い物行こっ」
ふたりは話をしながら歩いていく。先へ先へと延びる街灯の明かりが、ふたりの未来をたどたどしく照らし出していた。