第10話 ファームを観に行くぞ!

文字数 4,172文字

 土曜日の朝6時、社内サーバのメンテナンス立ち会いのため休日出勤しなければならない日であることに気付いた。
 慌てて出勤の準備をして、寝癖だけ直してスーツに着替えてアパートを出て、平日と違ってやたらと()いている電車に乗った。

 別の課がメンテナンス業務をした後に、サトルとふたりの同僚は社内のシステムが正常に動作するかの検証をした。奇跡的に、特に問題は発生しなかった。
 そんなことを言いつつ、どうせ月曜日には色々と問題が発生するのだろうが、サトルは代休なので気にしない。ちゃんとチェック項目は埋めて、上司にグループウェアで報告しておいたので、やることはやりましたよ、と。

 家に帰る電車の中、スマホでチェックしたら、ギガントパンサーズはデイゲームであっさり完封負けしていた。どうしても勝ちの波に乗れないようだ……。

 日曜日は家事やら買い物をして過ごした。
 あまり集中して観戦出来なかったが、ギガントパンサーズはまたもや貧打により2対1で負けた。2点しか取られなくても勝てないとか、なかなかの投手泣かせなチームである。

 夕方、コンビニ弁当を食べていたら、スマホの着信音が鳴った。画面を確認すると、姉のヒロコの名前が表示されていた。
 サトルは通話ボタンをタップしてすぐに、スピーカーモードに変える。

『もしもーし。サトル、明日仕事ぉ?』
「いや、代休で休みだけど」

 昔から、ヒロコは勘が()い。それは超能力レベルで、一時期は駅地下で占い師の仕事をしていたくらいだ。結婚して辞めてしまったが、今でもタイミング良く連絡をしてくることが多い。

『じゃあ、昼間にウチの子の面倒見てくれない? 明日、小学校の創立記念日で休みなんだよね』
「うーん……。まあ、用事ないから別にいいけど、(ねえ)ちゃん()、ゲーム機すら無いよね。何をして過ごそうかな」
『それは自分で考えて。私はママ友の会合に参加するから、ジュンに鍵を渡しておくね』
「会合って、どうせランチ食べるだけだろ。……まあいいや、10時くらいに行くよ」

 代休が潰れる悲しい音がした。サトルは、何をして過ごすべきか考えつつ、コンビニ弁当を食べ終えた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「サトル、どっかいきたい」

 小学2年生、男子、ジュン。短髪で背は低め、くりっとした目に低い鼻。昔から走るのが得意で、勉強は苦手だ。
 サトルは、生まれた時からジュンのことを知っている。姉から生み出され、なかなか産声を上げなかったので、医者に尻を叩かれてオギャーと泣いていたのを見ていた。
 2歳くらいまでは天使のように可愛らしかったが、言葉を覚えだしてから、どんどん気が強くなり、サトルのことは最初から呼び捨て。姉の口調を真似たのだろう。

 サトルは、昨夜色々と考えた結果、安い料金で時間を潰せて、ちょっと楽しめそうな所を発見していた。

「よし、バスに乗って行こう」
「どこいくの? どうぶつえん?」
「ちょっと違うかな。でも、サトルおじさんも楽しめる場所だよ」

 むしろ、サトルしか楽しめない可能性もある。悪いな、ジュン。

 ふたりで姉夫婦の一軒家を出てバスに乗り、30分揺られる。その間、ジュンは流れる景色を真剣に眺めていた。車窓に映る景色は、徐々に緑が多くなり、逆に建物は少なくなっていく。

「ひろいこうえん?」
「おお、かなり近いな。でも、公園じゃなくて、球場だよ」
「きゅう……じょう」

 ジュンは(いぶか)しげな顔でサトルを見る。

「さあ、着いたぞ。ここからちょっと歩くよ」

 バスを降りて、歩道のない道をしばらく歩くと、高く(そび)え立つ緑のネットが見えてきた。
 ギガントパンサーズの2軍の本拠地だ。今日は月曜日なのに、珍しく試合がある。

 チケット売り場でふたり分のチケットを買う。なぜだか3塁側がギガントパンサーズの応援席のようだ。
 席に向かう前に、売店で昼食とジュースを買うことにした。

「ジュン、好きなもの選んで」
「うーんと。あれにする」

 ジュンはスタミナ丼を指差した。
 写真が美味(うま)そうに見えたので、サトルも同じものを頼んだ。

 リンゴジュースとコーヒーを買って、3塁側のプラスチック席に座る。背もたれはないが、それほど狭くもなく、一番上の席なので球場全体が見やすい。
 お客さんは、それほど入っておらず、300人程度だろうか。これが多いのか少ないのかは、よく分からない。

 13時の試合開始まであと20分ある。守備練習を眺めながらスタミナ丼を食べることにした。

「おいしーい。サトル、これおいしい」
「よかったな。まだ試合じゃないから、ゆっくり食べていいぞ」

 黙々と食べながらも、時々、ジュンの箸が止まる。プロの守備練習に、目が釘付けになっているようだ。

「もしかして、野球、観るの初めて?」
「うん。なんかパパがテレビでみてるけど、ボクはみたことない」

 なら、試合が始まったら解説するかな、と思いつつ、スタミナ丼を食べ終えた。ひとりで来てたらビール飲んでただろうなぁ。

 ジュンが食べ終えた頃、ちょうどメンバー表が交換された。2軍の試合とはいえ、バックスクリーン右側には、フルスクリーンのスコアボードがあり、綺麗に出場選手の名前が映し出されている。
 スタメンには、調子を落として2軍で調整中の、昨年の盗塁王もいた。

「ライト……一番遠くにいるのが、めちゃくちゃ足の速い選手だよ」
「あしがはやいから、あそこにいるの?」
(みんな)、球がどこに飛んでもすぐに追いつけるように、決まった場所にいるんだよ。あっちが外野で、こっちの方が内野。今、投げる練習してるのが、ピッチャーな」

 ジュンは口を少しぽかんと開けて、ピッチャーの投球練習を見つめる。

「サトルも、あんなにはやくなげれるの?」
「僕には無理だなぁ。あの人は毎日、速く投げるためのトレーニングをしてるんだよ。僕はパソコンのキーを叩いてるだけだからね」
「しごと? あれもしごとなの?」
「そうだよ。野球をして、お給料もらってる人たち」

 審判が試合開始を告げた。案外、2軍の試合でも緊張感は伝わってくる。今日の先発は、今シーズンのチーム初勝利をもたらしたルーキーだ。あの奇跡的な1勝後は、立ち上がりに難があり、3回もたずにKOされたりして、今は2軍で投げている。

 それでも、2軍相手でのびのびと投げられるのか、ポンポンとバッターを追い込んで、決め球のフォークで三振を取る。簡単にツーアウトを取り、三番は追い込まれる前に打ちにいってセンターフライ。

 ちらりとジュンを見ると、リンゴジュースを握りしめて、真剣な表情で試合を観ていた。

「どう? 面白い?」
「なんか、かっこいい。たまがはやい」

 これは、是非とも攻撃でも()いところを見せて欲しいものだ。もしかすると、ギガントパンサーズのファンがひとり増えるかも。

 一番打者は、昨年の盗塁王。今シーズンは開幕からスタメンだったものの、1軍での打率が低すぎて、1割を切ったところで2軍に落とされている。
 初球を引っ掛けて、ボテボテのショートゴロ。だが、さすがの俊足で内野安打にしてしまった。

「ジュン。あれがヒット。だから、そのまま1塁に残るんだ」
「まにあったから?」
「そうそう。間に合うと、塁に残れるの。多分、すぐに次の塁へ走るから、見てな」

 ランナーは広めにリードして、2度牽制を受ける。それでも、やはりリードは広い。
 ピッチャーがクイックで投球動作を始めると、やはり走った。アウトコースに外してキャッチャーが素早く2塁に投げるも、余裕でセーフとなった。バッティングの調子が良ければ、間違いなく1軍で活躍できるだろうに、惜しい人材だ。

「あれも、まにあったからヒット?」
「あれは盗塁。間に合ったからセーフだね」
「ふーん」

 ルールをイチから説明するのは、なかなか難しい。

 その(あと)も、ホームにランナーが帰ったら1点になるとか、3アウトで攻撃が終わるだとか、一つ一つのプレイに対して、ジュンに説明する。
 初めての野球観戦が面白いのか、サトルの言葉にジュンは耳を傾けながら、試合を食い入るように見つめ続ける。

 試合はテンポ良く進み、2時間で9回裏、3対1でギガントパンサーズ2軍が負けたまま2アウト。しかしながら、1塁、3塁にランナーを置いている。

「ここでホームランが出たらこっちの勝ちなんだけど、そんなのは、なかなか無いんだよなぁ」

 ジュンは、指を折って数える。

「あっちが3で、こっちが1なのに、かてるの?」
「ホームランっていうのは、今のバッターと、塁にいるランナーが(みんな)一緒に帰れるんだ。1足す3は?」
「うんと、4!」
「そう。だから、ホームランを打つと……」

 球場の、まばらな観客がどよめく。綺麗な弧を描いてボールが飛んでいく。バックスクリーン直撃のホームランだ。
 3塁側から大きな拍手が起きる。サトルも、拍手をしながら、ジュンに説明する。

「これで、逆転サヨナラホームラン! こっちの勝ち!」
「さようならなの?」
「ここで試合が終わりだからサヨナラ。こんなの、なかなか見れないよ。運が良かったな」

 ジュンも、周りに合わせてパチパチと拍手を送る。なんだか満足気な表情に、サトルは連れてきて良かったと思い、ホッとした。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 球場を(あと)にして、手を繋いでバス停まで歩く。

「どうだった? 野球、面白かった?」
「うん! さようならのホームラン、すごかった!」

 ……良かった、良かった。このままジュンがギガントパンサーズのファンになってくれれば最高だ。

 バス停でバスを待つ間、ジュンは何度もバッティングの真似事をする。

「カーンっていったね。たまがポーンってとんでった」

 楽しそうに、脳裏に焼きついたであろうホームランを身振り手振りで表現しようとする。
 そして、ジュンはサトルを見て言う。

「ボク、やきゅうやろうかな。カナタくんもやきゅうのクラブにはいるっていってた」
「小学校にクラブがあるのかな? (ねえ)……ママに()いてみたら?」
「いいっていうかな?」
「さあ……。まあ、頼んでみたらいいんじゃない? 何でも、やってみなきゃ分かんないからさ」
「ホームラン。うちたいな」

 こうして、サトルの代休とジュンの初めての野球観戦は終わった。

 そしてジュンはいずれ、高校球児として甲子園のマウンドに立つことになるのだが、それはまだ、ずっと先の、未来の話。
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