第5話

文字数 7,245文字

 一週間前に口にしたあの味は四十年前のものと変わっていなかった。
 もしかしたら、私の舌がもう上手く機能していなくて、味を正確に判断できなかったのかもしれない。それか彼のコーヒーを淹れる技術が上達していないか。
 きっと前者なのだろう。
 彼は立派な喫茶店の店長になっていた。
 私が彼を避けている間に、彼は彼なりの道を進んでいたのだ。美波夏美のいない第二の人生を。
 それで良かった。昔の味を楽しめたのは、立ち止まっていた私にとって最高のご褒美だったのだから。

 それから私たちは二度目の遠距離恋愛をはじめた。寂しいのは変わらない。また渡ることのできない谷が私たちの間にできるのではないだろうか。
 それを防ぐため、一つだけ一年前とは違うことを二人で決めた。
 それは手紙を一ヶ月毎に送るということだった。ビデオ通話にバーチャル通信は主流のコミュニケーションツールで便利だった。しかしそれらはお互いの顔を見ることができても、実態は見ることができないのだ。慣れてしまうと目の前にしている恋人の姿が機械に創られた虚像だと感じる。連絡を取れば取るほど、自分たちが離れていることを実感させた。
 最初の手紙を受け取り、それは正解だったと感じた。彼の字はお世辞にも綺麗とはいえない字だったが、一つ一つの文字に彼の心を感じたのだ。彼が部屋の机でペンを持ち、一生懸命考えながら書いている姿が想像できた。本当に同じ世界に、同じ空の下に彼がいるのだと思うことができたのだ。
 手紙の枚数はあっという間に増えた。お互いに月を重ねる度に手紙を書くことになれたおかげか、書く内容や文の構想にぎこちなさはなくなり、彼をさらに近くに感じた。手紙を送り続けて、半年が経ったころ、もう寂しくはなかった。実際に会えない時でも、故郷から送られてくる手紙が私たちを支えたのだ。
 私たちはそれとなく大学の単位を取り、社会人となった。長く、辛い就活の末、私たちは無事に内定をもらうことができたのだ。私はスポーツ業界大手の会社に、彼は地元では名が通っていた建設会社へと入社した。大学を卒業してもお互いの距離は離れたまま。だが、問題はなかった。休暇があれば私たちは愛知県と東京都を行き来した。
 二◯三八年八月十八日。私は有給を使い、二泊三日で南知多へと帰ってきていた。彼に久しぶりに祭りに行かないか、と誘われたからだった。東京へと上京してからなんだかんだ一回も日本の伝統的な祭りに行ったことはなかった。
 南知多花火大会は何も変わってはいなかった。昔ながらの堤防沿いの一本道に人が集まり、提灯の淡い光が屋台から溢れ出る煙を潜りぬけて、道路を照らしていた。
 私は大人っぽく白色に紺色と緑色の花の模様が描かれた浴衣を着ていた。彼もしっかりと紺色の浴衣で身を飾っていた。髪もきちんとジェルで整えられ、手には浴衣に合わせるように黒色のシンプルな巾着袋を持っていた。初めて二人でお祭りに参加した時も同じような身なりだったが、その時の彼からはより大人で落ち着いた渋い雰囲気が醸し出されていた。もちろん、成人式の時やその後に会った時も大人びた彼を幾度となく見てきたが、その夜は時がゆっくりと流れるような祭りの風情が一層彼を大人っぽくさせたのかもしれない。
 私たちははぐれないように指を絡めるように手を繋いで、一歩一歩噛みしめるように歩いた。その日、私は彼の目をまともに見られなかった。まるで中学生の頃、相手の気持ちを探り合っていた時のように瞳が合わさると、私の鼓動は妙に速くなり、不可抗力的に顔を背けてしまっていたのだ。
 女性のアナウンスが丁度聞こえた頃だった。私たちは屋台が並ぶ道から延びる細道へと入っていった。提灯からの光はその細道には入ってこないで、数メートル間隔で設置してある電灯があやしく道を照らしていた。あの時のようにコツコツと二人の下駄の音だけが小道に響いた。後ろから聞こえていた人の声はどんどん遠くなり、無音の空間に私たちは二人きりになった。
「覚えてる?」
「そりゃあ、覚えてるよ」
 私たちが初めてキスした公園だった。忘れられるわけがない。何年経っても人気がない公園。幸いにも私たちの場所はまだ誰にも見つけられていなかった。
 ベンチに座ると、花火が打ち上げられた。真っ赤で綺麗な菊型の花火。おお、という歓声が海の方から聞こえてくる。私たちは何も言わずにただただ眺めた。花火が打ちあがるたびに彼の顔が鮮明に照らされた。一秒にも満たない刹那の間。私は彼の顔をちらりと見上げた。
 小さな一つの花火が爆ぜ、細かな花火たちがパチパチと散らばった。千輪菊だ。
 高校の時と同じ光景だった。ただ彼が私ではなく夜空を真剣に眺めていることを除いては。
 私はより筋肉質になった彼の肩に頭をそっと置いた。
 目を閉じ、彼の体温と鼓動を直接感じたかった。今この幸せな一コマを存分に噛みしめたかった。
 握っていた手は離れ、間も無く私の髪の毛に触れた。目をあけると、彼の視線と空中で合わさった。
 微笑むと、彼は微笑み返してまた花火の方に目をやった。
「あのさ」と彼は言った。
「なに?」
「愛してる」
「私も」
 彼はその言葉を聞くと、私の方に振り返り、もう一度瞳を見つめながら巾着袋に手を入れた。
 花火が彼の後ろで咲いた。それでもなお私の視線は彼の顔だけに集中し、周りの情報を切り落とした。時間は限界まで引き延ばされ、花火と花火の間隔は何時間にも感じた。
「俺と結婚してほしい」
 巾着袋から出された手のひらサイズの小さな箱を取り出すと、彼はそれを開けた。中には、何もかも透き通すようなダイヤがついた指輪があった。
 引き延ばされた時は再び流れ始めた。私の心臓の音が町中に響き渡るように、花火の爆破音が聞こえる。クライマックスに入ったのか、様々な花火が打ち上がった。赤、青、黄、緑、オレンジに白銀。それらが夜空を飾るたびにダイヤはその色を変え、虹色の宝石となった。
「うん」と私は喉から絞り出して答えた。
 胸からは何かが込み上げ、鼻がむず痒くなった。それを止めることは出来ずに私は大粒の涙を流した。ひどい泣き顔だったかもしれない。でも、そんなことを考える余裕なんてなかった。それは人生で一番泣いた出来事だったのだから。

 打ち上げられ始めてから二十分ほどが経過しただろうか。
 もう終盤に差し掛かっている。
 すると、外から女性の声でアナウンスが聞こえた。
「南知多花火大会にお越しいただき、誠にありがとうございます。これから打ち上げられる花火は四十年前に打ち上げられた花火と同じ種類のものとなっています。是非、これから打ち上げられる花火を眺めて、四十年前の南知多も皆様のお心に留めておいて下さい」

 そう。あれからたった二ヶ月後に日本を揺るがす南海トラフ大地震が起きたのだ。大地が割れるかの如く揺らぎ、ありとあらゆる建物は一瞬で崩れ去った。海はいつ猛威を振るおうかと力をずっと溜め込んでいたように、あの日全てを洗い流す勢いでこの町を襲った。
 東京は愛知県ほどではなかったが、地震が起こった時にそれがテレビやニュースで取り上げられていた例の南海トラフ大地震だと瞬時に理解できたし、それによって私の故郷が壊滅的な被害を受けるのを知っていた。
 幸い職場にいた人の誰も怪我することはなかった。その中の誰かが叫んだのを覚えている。
「誰か、テレビをつけろ!」
 会社の広告や事業成績などが表示されていたテレビは即座に民放の番組に変えられた。ヘルメットを頭に装着したアナウンサーが必死に避難を呼びかけていた。画面の端には被害地域が永遠と流れており、私はそれに釘付けになった。「愛知県」の文字を筆頭に聞き覚えのある市名が次々に流れてきた。出てくるな。私は何回も、何回も心の中で祈った。が、そんなことはお構いなしに「南知多市」が表示された。私が悲観に崩れ去ろうと、その表示は無頓着に横へと流れていった。
 そして追い討ちをかけるように富士山は噴火した。
 東京の上空は埃のような火山灰に覆われ、太陽の光はそれらを通り抜けることは出来ずに、まるで世紀末のような雰囲気が日本中を蔓延した。
 周りの声がどんどん遠ざかっていく。携帯で連絡を取ろうとしても、電波塔が壊れたか、それとも火山灰の影響か、職場にいた皆の携帯全てが圏外となっていた。何度メッセージを送ってもエラーになる。何度電話をかけても繋がることはなかった。
 私は、いや職場にいた全員、テレビから聞こえる情報を聞き入れるしかなかった。
 被害地の中継が放送されるようになったのはそれから五時間が経った頃だった。交通機関や連絡網が麻痺してしまったことが、テレビ局にも影響を及ぼしたらしかった。
 地震と津波、神々しい日本の象徴が大量の煙を排出している映像が繰り返し放送された。
 もう定時の時間は過ぎていたが、私は帰らなかった。外に出るのは危険ということもあったが、一人で今の状況を受け入れられる気がしなかったのだ。
 その判断は正しいと中継をみて思い知らされた。
 山梨県、静岡県、三重県に次いで愛知県の映像が流れた。空中から撮られたものや監視カメラが壊れる前に撮った映像が編集もほとんどされていない状態で垂れ流された。
 それは見るも無惨なものだった。映画を観ているかのようにどす黒く濁った波が町を飲み込み、触れた建物一つ一つが飛沫を立てて崩れていた。後に残ったものは何もなく、そこには本当に町が、私の故郷があったのかと疑うほどだった。
 私は入社した時から仲が良かった同僚に泣き縋った。袖を掴み、無心で全神経を泣くことに使った。
 二ヶ月前に訪れた故郷の景色とテレビに映った瓦礫に埋まった荒野が入れ替わって頭に浮かんだ。
 波乱と失意が日本中に被さった。日本は終わりだと誰もが思った。

 火山灰の撤去がようやく始まった十二月。私は両親と大切な親友であった明梨と英里奈を失った。
 当初、プライバシーを守るために政府は電話受付での生存者や行方不明者、死傷者の確認をしていた。次第に一日に何千、何万件とかかってくる電話に対応しきれなくなったのだ。またそれらの情報を伝える方も精神的に深刻な問題が発生すると考えられ、政府はやむをえず是全国的にインターネットでの情報を公開した。
 大震災から二ヶ月経って、インターネットは復旧していたが、その時連絡を取れていたのは小学校から仲の良かった四人組の希子だけだった。彼女は避難施設で多くの人と共有して使っていた携帯をようやく使用し、安否の確認をしてくれた。
「私、これからどうしたらいいんだろう」
 彼女の声は酷くやつれ、枯れていた。声だけでも彼女が疲労で今にも倒れそうなのが分かった。
 そんな彼女に私はただ「大丈夫」と身も蓋もないことを投げかけることしか出来なかった。前向きな言葉は逆に彼女を追い詰め、逆撫させるのではないかと思った。
 情報公開の日、日本の至る所が音を失くした。皆、自分の大切な人の生死を確認するために手に嫌な汗をかき、小刻みに震えていた。
 新たに設置された復興庁の公式ホームページへとアクセスすると、一番上に三つのリストがあった。私はまず生存者リストをクリックする。するとそれぞれの県が表示されたので、「愛知県」を選んだ。そこには五十音順で市の名前が書かれており、その下にはびっしりと名前と元の住所が連なっていた。
 南知多市があった。指で辿っていくと、ハ行についた。そして私は彼の名前を、「東山海史」を最初に見つけた。横には彼が今どこの避難所にいるかも示されていた。
 深く安堵のため息をついて、私はまた探し始めた。
 気が付けばマ行を通り越し、次のリストへ移り変わっていた。
 両親の名前も、英里奈の名前も、明梨の名前もそこにはなかった。
 私は死に物狂いでリストを見返した。見逃さないように、声に出して読んだ。
 見つからなかった。いくら探しても、私の求める名前はなかった。
 生存者リストのページを閉じて、恐る恐る死傷者リストにカーソルを合わせた。何かの手違いで皆の名前を入力し忘れていたのだと信じていた。
 膨大な名前が並んでいた。そのリストはまるで墓場だった。もうこの世にはいない人の名が無造作に並べられていた。彼女たちの名前は全て死傷者リストに載っていた。
 私はその日、会社を休んだ。私と同じように多くの人が自分の中にいる悲しみと罪悪感と責任感と戦った。なんで助けられなかったんだろう。なんで私だけが悠々と生きているのだろう。
 そんな時、彼が脳髄に蘇った。しかも彼がいる場所も知っているではないか。
 幸いにも彼は生きている。絶望の淵に一筋の光のような存在。
 私は光を求めて、即座に電車で岐阜県へと向かった。当時被災地出身の人には特別に休暇を与える制度ができていたため、会社も私を止めなかった。ただ、自殺だけはするな、と念を押されるだけだった。東海道新幹線は未だに復旧しておらず、岐阜へと向かうには内陸部で被害の少なかった埼玉、群馬、長野をまたいで行くしかなく、片道だけで一日中電車に揺られることとなった。
 避難所には被災者が溢れていた。そこにプライベートスペースなどはなく、もちろん娯楽もない。悲しみは霧のように充満していた。
 私は避難所を管理している従業員の一人に東山海史の名を伝えた。目の下に暗雲のようなクマが出来ており、相当のストレスをそこに溜め込んでいるように見える管理人は青色の厚いファイルを開き、あるページで止めると指でなぞった。
「ご案内します」
 果てしない時間の緊張はピークに達していた。もはや体の疲れは彼に会えることに興奮しているかのように錯覚し、心臓は他の人にも聞こえるのではいかと恥ずかしくなるほど高鳴っていた。
 今年も終わりに近づいているというのに湿っぽい空気が全身に張り付く。故郷へと帰ることができない人たちの大半の人は無駄な気力を使わないように横になって時間がただ彼らの上を通り過ぎるのを待っていた。中には、私を睨むような人や羨ましそうに見てくる人もいた。
 彼もその絶望の渦中にいた。
 寝てはいないものの、体育座りをした彼は口を半開きにし、じーっと自分の斜め上を眺め、避難所を透視して壁の向こう側を見ようとしているように見えた。
「東山さん、美波さんという方がおみえですよ」
 管理人が肩を軽く叩いても彼は反応しなかった。魂を抜かれた人形のようにありとあらゆる顔のパーツをピクリとも動かさなかった。管理人は痺れを切らし、東山さんと呼び掛けながら肩を掴んで前後に揺らした。それが間違いだった。
 彼は頭を抱え込み、癇癪を起こした。体全体が小刻みに震え、子鹿が捕食者に狙われているような怯え方をしていた。
 そんな彼に私は近寄れなかった。美波という名前を聞いても何の反応もしなかったのだ。私のこと、私との思い出、二ヶ月前の婚約、その全てはあの津波に連れ去られてしまった。
「あの、もう大丈夫です」
 私は管理人に呟いた。
「そうですか、お力になれなくて申し訳ないです」
「いえ、大丈夫です。彼の顔を見られただけでもよかった」
 私たちは彼を背にして、出口へと向かった。もう一度振り返ると、彼はまだ震えていた。
 私の身体も震えた。入口から入ってくる乾いた寒気のせいか、悲しいのか、それとも憤りか。感情は様々な色の絵の具を混ぜたときのように黒く、醜いものとなっていたに違いない。
 それから私は彼に会うことはなかった。
 何度も会おうと思った。そう考える度に震える彼が私の脚にしがみついた。要は臆病になっていたのだ。震災で両親も失って、彼までも失うのが。私の存在がもはや彼の脳内から消されてしまっていることを認めるのが堪らなく恐かった。
 だからといって、彼を忘れられるわけもなかった。あの日、虹色に輝いた宝石は燻すむことなく、光を待っていた。歳を重ねるたびに結婚はちらついた。しかし、指輪を見ればそんな浮ついた思いは一瞬で消え去った。臆病なのに信じていた。そのせいで私は自分から何も行動できずに四十年近くの時間を持て余した。
 彼を待つ時間を延ばそうと、私は若年手術を受けた。細胞を活性化させ、見た目も若くして、長生きできる。その間に彼が何もかも思い出してくれれば、私はこの空白の時間を取り戻せる。
 現実はそんな私を見放した。
 一年前のことだった。若くなった私の身体は圧倒的速さで老化を始めた。病院へ行くと、科学技術が発展した現代ですら治療は難しいとされているA Y G―06だと診断された。治療薬はなく、余命もあと二年未満ということだった。
 神様は私の命を使って遊んでいるようだった。
 医者が言ったのだ。
「美波さんは愛知県の南知多出身でしたよね? あそこには若年手術の研究とA Y Gの治療を積極的におこなっている病院があるんですよ。海の見える病院らしくてですね、ここにいるよりもそちらの方が心が安定するかもしれません」
 すでに長年勤めてきた会社を定年退職し、私にやれることはほとんどなかった。
 私は医者の言葉を信じて、故郷へと帰った。
 すると数奇な運命が動き出したのだ。進藤先生と出会い、町に彼がいることを知った。さらに進藤先生は彼と相当仲がいいと言う。
 色々な話を聞き、私は手紙を送り始めた。そして、一週間前。決死の覚悟で彼が営む喫茶店に赴いたのだ。
 もう後悔はない。なんて信用できない言葉だろうか。私は待ってしまっている。廊下から病院なのに必死に走る音が聞こえ、扉をノックもせずに開く彼の姿を。何度願って、挫折したことだろうか。もう本当は分かっているのだ。一週間前、確信したではないか。目の前に、四十年前に近い見た目で現れても彼は私と道端で会ったような顔をしていた。
 私では記憶は戻らなかったのだ。もうきっと一生忘れたまま。なのに、私はまだ願っていた。
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