第2話

文字数 6,707文字

 正直言うと、あまり子供の頃の話は覚えていないんです。その、震災の時に記憶を失ってしまって。解離性健忘症と言うらしいです。重度のストレスを受けると、過去の記憶を失くしてしまうとか。医者には数年以内には回復するなんて言われていたんですけど、あれから四十年経った今でも完璧には取り戻せていないんです。両親やわたしが震災前に何をやっていたのかは徐々に思い出せたのですが、覚えていないものの方が多いんです。先ほどの二人が話していたお祭りの話もそうです。わたしが昔、ここに住んでいたのは本当なのですが、その祭りがどんなものだったかは残念ながら覚えていないんですよ。
 そうですね、治療も受けました。カウンセリングも週に一回は受けていたんですけどね、なかなか成果が出なくて、行くのを止めてしまったんです。担当してくれていた人には「パズルのように大切なピースが欠けているのかもしれない」とも言われました。ですが、わたしには未だにその「ピース」というのが何なのか分からないんです。頼みの綱の一つだった若年手術を受けても同じでした。見た目は老人から社会に慣れてきたような三十代の青年に戻ったのですが、記憶は僅かしか戻りませんでした。なので、申し訳ないのですが震災前の話はあまり参考にはならないかもしれません。
 すいません、話が逸れてしまいましたね。さて、どこから話しましょうか。難しいですね、こうやって自分のことを誰かに語るというのは。では、あの大震災が起こった日からにしましょうか。記者さんも知っているかもしれないですが、南海トラフ大地震は今から四十年前の二◯三八年十月一八日に起こりました。記憶が薄れているわたしでもあの日は忘れたくても忘れられません。頭というより、身体に染み付いてしまっているのでしょうね。未だに大型車両が近くの道を通る時に家が揺れると、眠れなくなるんです。またあの震災が襲ってきたのではないかと体が悲鳴をあげてしまうんです。
 体験してみるとより理解できるのですが、あれは今なお言われている通り、観測史上最大でした。当時わたしはここら辺にあった工業系の中小企業に勤めていました。その日も大変暑い日で熱中症に何度もなりかけたのですが、それからのことと比べると熱中症なんて細やかなものだったと思います。午後一時でした。お昼休憩が終わり、さて作業に戻ろうと気合いを入れた時でした。遠くからゴゴゴゴ、と地面が擦れ合う音が聞こえました。遠くといっても正面や横、後ろではありません。地面、地の底から湧き上がるような感じでした。その瞬間、わたしを含め、その場にいた人達全員が空中に放り出されたんですよ。「地震がきたらテーブルの下に隠れろ」なんて言いますけど、そんなこと出来るはずないです。隠れられそうな物まで飛んでしまうんですから。わたしは運よく何にも潰されずに済みましたが、目の前の光景はまさに悪い夢をみているようでした。多くの人が雨のように降ってきた作業道具や鉄骨に潰されていたんです……。

 わたしは息を荒げていた。堪らずカウンターに置いてある水の入ったピッチャーを手に持ち、グラスに注いで、それを乾いた口の中に流し込んだ。目を瞑ると、夏の暑さで乾いた血が一面に広がっているシーンが瞼に映された。骨が抜き取られたかのように力の抜けた身体があちこちで倒れていた。
「大丈夫ですか?」と彼女は立ち上がりながら言った。
 眉を下げ、心配そうにわたしを見ていた。
「ええ、大丈夫です」
「もういいですよ、無理しなくて」
「いえ、本当に大丈夫です」
 わたしは氷だけになった彼女のグラスを指差し「もう一杯いかがですか?」ときいた。
 続きを話す前に何か全く違うことを考えたかった。

 情けないことにわたしは一人で避難場所へと向かいました。その時にはすでに津波警報のサイレンの音が街中に響いていました。わたしは喧騒の中を死にものぐるいで走りました。今の人は当然かもしれないのですが、地震の発生予想を正確に行えるようになったのはあの地震の数年前でした。南海トラフが数年以内にやってくると知っていたわたし達はそれに準じた避難経路や津波の進行経路は嫌というほど聞いていたので、避難場所として伝えられていた小さな山の上にある神社へと迷わず行けました。そこへ着くと、わたしがいかに一心不乱だったかを思い知らされました。街の大半が瓦礫の山と化しているのにわたしは高い場所から見るまで気付かなかったんです。周りの人も疲弊していました。全員が泣き叫ぶかうな垂れるかのどっちかをしていました。前向きになれる人なんてその時には到底いませんでした。じきにわたし達が子供の頃から馴れ親しんでいた美しい海が怒り狂った怪物のようになり、襲ってきました。見た瞬間に飛び込みたくなるようだったわたし達の海は多くの土砂物を飲み込み、茶色い濁流と変貌したんです。わたし達は、ただ生まれ育った故郷が洗い流されていくのを見届けることしか出来ませんでした。
 それにあの富士山までも噴火しました。火の玉やマグマが火口から流れ出るわけではなく、噴き出してきたのは本当に細かな火山灰でした。なので、地形が変わるほどではなかったのですが、灰色の雪がゆらゆらと降ってきて、それはもうこの世の終わりかと思うほどでしたよ。火山灰があらゆる機械類を妨害して、色々な会社のデータが無くなってしまったなんて事件もありましたよね。それにそのせいで復興も遅れる羽目になった。もう知っているかもしれませんが火山灰と地震で太平洋寄りの東海道新幹線などの交通網は完全に封鎖、高速道路なんかも通行止めになったらしいです。そのせいで日本の社会全体、例えば科学技術の遅れにも繋がったとか。わたしには詳しいことはよく分からないのですが、そのせいでわたしは過去に辿り着くために鍵となる物を失ったのはたしかです。
 それからは曖昧にしか覚えていないんです。靄がかかったみたいに頭がふんわりとして、何も考えられませんでした。きっとこの頃から健忘症が発症していたのでしょう。ただひたすら指揮をとってくれる勇敢な方に続き、気付けば、わたしは岐阜県の北部に設置されていた避難施設にいました。設置されたと言っても、市営の体育館を避難所にしただけで、一人に与えられたのは布団が敷けるスペースのみでした。段ボールで仕切りが作られてはいたんですけど、やはり人が密集している分、プライベートスペースを感じることはなく、刑務所に入れられた気分で、正直いうと最悪な場所でした。常に糸がピンと張られたような環境でしたから、避難所内での口喧嘩や暴力沙汰はよくありました。日々積もる不満を発散できる場所がないのも原因なのかもしれないですね。そんな避難所で毎日寝続け、支給される食事を食べ、未来に不安を抱きながら過ごす日々でした。東日本大震災や熊本地震、多くの災害から避難所の改善を考えられて来てはいたらしいのですが、地震というのはいつ来るか分からないもの。結局あの大震災の時も唐突な災害に全国各地の避難所は人を受け入れるだけで精一杯の劣悪な環境だったらしいです。
 わたしもそんな生活を何日も繰り返すうちに脳が活動を辞めてしまうかのように生きる気力を失っていきました。時間感覚はなくなり、震災から何日経ったのかも分からなくなっていたのですが、今考えると生きているだけ幸せですよね。当時はそんなことも気が回らないほど、その場にいた人達は生きる希望を失っていました。
 そんな時でした。たしかあれは施設が寒くなり始めて、毛布が一人一枚配られていたので、たしか震災から二ヶ月ほど経った十二月頃でした。その時から毎日避難所にパソコンと厚いファイルを手にした方々が訪れるようになったんです。公務員かボランティアなのか、わたしには分からなかったのですが、その人たちが家族の安否を確認してくれる人だったことは覚えています。その人達が座る長テーブルの前には長蛇の列ができていました。わたし達が抱えていた不安の一つは紛れもなく家族や友人の安否でした。その不安を早く払拭したいと、皆脇目もふらずに並日ました。
 わたしもその一人でした。
 自分の家族がどうなったか、どこの避難所にいるのかを知りたかったんです。気も遠くなるほどの列に並びました。まるで閻魔大王の前で天国行きか地獄行きかを言い渡されるようなものでした。並んでいると、前から誰かしらの嗚咽と叫び声が聞こえるんです。それが聞こえる度に全身に散りばめられた関節が針を刺されたように痛みました。きっと目に見える酷な現実がわたしの中で漠然な不安の種となったのでしょう
 自分の番が着々と近づく毎に、重圧がのしかかり、もういっそのこと列を抜け出そうかと思ってしまうほどでした。ですが、家族がどうなっているのか知らなくては夜も眠れなくなる。この二つの葛藤がひしめき合っていると、いつの間にかわたしはスーツを着こなした男性の前に突っ立っていました。
「お名前と、知りたい方の名前と年齢を教えてもらってもよろしいでしょうか」
 そう聞かれ、わたしは両親の名と年齢を伝えました。彼はキーボードでその情報を素早く入力し、眉間に気難しそうなシワを浮かべました。
「本当に心苦しいのですが、東山様のご両親は未だに行方不明となっております」
 あの時ほど喪失感を感じたことはありませんでした。筋肉という筋肉が身体を支えられなくなって、膝から積み上げたジェンガが壊れるように崩れ落ちました。あれから、わたしの記憶は遠いどこかに流されてしまったんです。今では両親のことや自分が当時何をやっていたのかを呼び起こすことができたのですが、その時は本当に何もない空間に一人で放り込まれたような気分でした。ずっと座り込んで、ぼんやりと宙を眺めていたそうで、食事も摂らない日が何度もあったとか。え、誰か知り合いなどが訪問してきたことはなかったかですか。わたしを訪問してくれた人も中にはいたそうです。残念ながらその人がどんな顔で、どのようにわたしと関わっていたのかは分からないのですが……。何を話したのかも分からないので、せっかく貴重な時間を割いてわたしに会いに来てくれたのにあんな姿だったのは申し訳なく思っています。

 ふう、とわたしは一息ついた。こんなにも自分自身を語ったのは久し振りだったからか、自分の話の中で息を吸うタイミングを見失っている。
「あの、トイレをお借りしてもよろしいですか?」話の合間に彼女は言った。
 わたしは店の奥にあるトイレを案内すると、彼女は黒い上質そうな革のバッグを持ち、席を立った。
 医者に行った時もカウンセリングを受けた時も同じだった。話している間に少しでもきっかけを見つけられるのではないかと微かに思っていた。いつも滑らかに震災の出来事を話せるのに、肝心な部分を忘れている感覚は記憶を取り戻し始めた時からわたしに付き纏っていたのだ。それは今、いや今日は妙に強くわたしの心を逆撫でていた。
 わたしは洗ったグラスにもう一度水を注ぐと、ポケットからタブレットケースを取り出した。わたしは客の前では錠剤を飲まないようにしていた。せっかく若い姿をしているのに、わざわざ自ら自分は年をとっているのだとアピールしたくないからだ。
 わたしはケースから二錠取り出し、口に含み、飲み込んだ。あと残り少ない。もうすぐ病院に行かなければ。
 数分経ち「すいません」と彼女が言いながら戻ってきた。
 今日は彼女のインタビューを受けるためかのように客は来なかった。
 日が落ち始めている。
 まあ、こんな日があってもいいかと思い、わたしは話を続けた。

 記憶を失ってから数週間後からわたしは定期的に避難所へと訪問してくれる医者に解離性健忘症と診断され、岐阜県で活動をしている心理カウンセラーを紹介されました。当時わたしのような人が沢山いたそうですから、かなり忙しかったと思います。ですが、カウンセラーの方は聞き込みや脳の状態をスキャニングして診断し、ストレスの軽減に努めてくださいました。おかげさまで震災から一年後にはなんとか正気を取り戻し、ボランティアに参加することが許され、そのまた半年後には避難所の近くにあった小さな町工場で働くことができるようになりました。特に目標もなく、食いつなぐために働き続ける中でふと立ち寄った喫茶店でわたしは思い出しました。わたしの両親が喫茶店を営んでいたことを。この店のように海が窓から見える店で、四人掛けのソファ席とカウンター席が数席あるだけのこぢんまりとした店でした。父がコーヒーなどの飲み物担当で、母がモーニングセットなどのご飯担当でした。ご近所さんに愛され、毎日お客さんのために笑顔で接客をしていた喫茶店。一つ浮かび上がると、喫茶店と繋がる記憶が水中か糸をたどるかのように段々と戻ってきました。外観や内観、香ばしい匂いや店でかかっていた音楽、さざ波の音。その瞬間にわたしは決心しました。わたしも両親がわたしの記憶に残していった店を継がなければいけないと。
 わたしは弱音を一切吐くことなく、何かに取り憑かれたように働きました。働きながら、色々な喫茶店やカフェなどにも行き、美味しいコーヒーを淹れるための色々な技術を教えてもらいました。
 四四歳になった年、震災から二十年が経った年のことです。ようやく資金が集まり、この店を建てることになりました。親がやっていた喫茶店の外観を少しアレンジして、現代風の木材を基調にしたものにしてみました。現代風にしたと行っても訪れるのは先程のご近所さんばかりなのですが。それからはずっとこの街に住み続けています。当時に比べると、この街もようやく活気付いてきました。震災の爪痕はもう無くなっていると言っても過言ではありません。皆笑顔でここに会話を楽しみにきてくれるので、本当に震災なんてあったのだろうかとも思うこともあるんですよ。そうですね、わたしが話せるのはこれくらいでしょうか。長くなってしまい申し訳ないです。

 彼女は右手でグラスから伸びるストローで溶けかけている氷を回した。カランカランと氷がグラスにぶつかる音は納涼のごとく、夏の暑さを凌ぐ。
「付き合っていた人や奥さんはいなかったのですか?」と彼女はきいた。
 常連客の人などによく訊かれる質問だった。東山さんみたいに穏やかで優しそうな旦那が欲しいわ、と一人の女性客にも言われたこともある。けれども、震災があってから特定の人と生涯をともにしようと思ったことはなかった。綺麗な女性はもちろん見かける。が、恋愛感情といったものが不思議と湧かなかった。まるで種の植えられていない畑のような感じだ。何もない場所に何も出てくるはずがない。
「いえ、いないんですよ。気付けばもう六十を越えていて、そういうのも遅いかと」
 わたしが冗談交じりに言うと「そうなんですか」と彼女は言った。
 彼女のすらりとした左手の薬指には銀色に光るものがあった。小さくも優雅なダイアモンドが指輪にはつけられており、シンプルながら限りない上品さを醸し出していた。
「失礼かもしれませんが、ご結婚されているんですか?」
 何故だか、言葉に出た。気まずくなった会話を何とか切らないようにしたかったのかもしれない。
「はい。ずっと一緒にいたんですけど、今は離れ離れになってしまって」
「そうですか。それは辛いですね」
「ええ」
 外からはすでに橙色の夕陽が店内まで伸びていた。眩しくも暖かい光は彼女の背を毛布のように覆って、陽の当たらない彼女の顔には濃い影が創られていた。神妙な表情はまるで美術館に置かれる美女の彫刻のようで、ずっと眺めてみたくなるような魅力があった。
 彼女は残ったカフェオレを啜ると、椅子をサッと引いて、立ち上がった。
「すいません、今日はありがとうございました」
 彼女は深く頭を下げてわたしに言った。
「いえ、こちらこそありがとうございました。またルポが完成したら教えてください」
 彼女はほんのりと笑みを浮かべ、両手を差し出した。
 カウンター越しに触れた手はやはり細く冷たかった。降り積もった雪を丁寧に削ってできた作品のようで、力を入れれば壊れてしまいそうな凛とした指だった。
「はい。東山さんも頑張ってください」
 彼女はそう言うと、二杯分の料金をわたしに払い、一拍も空けることなく踵を返して出口へと歩みを進めた。その彼女の後ろすがたはまだどこか寂しげで、わたしのように何か大切なピースを失っていたように見えた。
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