第1話:俊子の生い立ちと落馬

文字数 1,763文字

 その後、1962年6月11日、花巻俊子を生んだ。花巻健介は、父が、花巻健吉が、夜は20時には、寝て、早朝3時前に起きて、歩いて厩舎へ行き、6時半頃に自宅に帰り、朝食をとると言う生活をしていた。そのため父との会話は、少なかった。

 また、花巻健吉は、寡黙な人で、必要以外、話をしない昔気質の男であったため、よけい、子供と話す機会が少なかった。花巻健介は、足も遅く、運動神経もあまりよくなかった。しかし、花巻俊子は、動物好きで、大人に好かれる活発で明るい娘だった。

 そして、幼い頃から牧場を駆け回り体力があり、馬を怖がらず、5歳になると、喜んで子馬に乗っていた、そして乗馬の上手で、運動神経も良かった。この様子を見て、父が、母に俊子と健介が、反対だったらよかったのにと、たまに話していたほどだった。

 また、花巻俊子は、馬が大好きで、父について、馬の餌をあげたりしていた。兄の花巻健介は、田舎暮らしが嫌で、しっかり勉強して、早く東京へ出たい考えていた。そのため中学に入ると、夜遅くまで勉強して抜群の成績であり、札幌東高校に1976年に合格した。

 そして、札幌の小さなアパートで一人暮らしをしていた。花巻俊子は、地元の中学から日高町の富川高校の商業科に入学した。そして、朝は、同じ牧場の仲間と一緒に、親が交代で送り迎えをしていた。高校が終わると、すぐに牧場に戻り、父の手伝いをした。

 6月以降、馬に乗って訓練の手伝いもしていた。そのため、学校の勉強は、宿題をやる程度で、あまり興味を持っていなかった。そして、1978年の9月3日、日曜、いつもの様に、馬に乗っていると何かに驚いた馬が、急に走り出した。

 何とか止めようと花巻俊子は、肘の動きを止めたり、脚を真下に落とし静かに馬のお腹につけたりしたが、上手に止まれず、少しして急停止したため、もんどりうって、落馬した。慌てて、近くの厩務員たちが、彼女の頬を叩いたりしたが、気を失ったままだった。

 彼女の母の車に乗せ速度を上げ15分ほどで町立病院に到着し、ドクターが診察すると外傷はない。ここでは、CTが取れないので詳細は、不明だと言ったが、心臓、脈、呼吸も正常で、顔面の異常もないから、少しベッドで、休んだ方が良いと言った。

 その後、念のため、近くの大病院の先生の意見も聞いてみますと言って、電話をかけて、30分程して、病室に戻ってから、花巻俊子の目が開いた。そして、ここは、何処と語った。すると先生が、意識が戻ったと言い倍たるを再チェックすると告げた。

 そして、眼球を見たり、左右の手、足、首、頭を診て、多分大丈夫でしょうと言い、気持ち悪いことはないかと聞くと、花巻俊子が、答えた。そして、先生が、どんな状態と聞くと、お尻と肘が痛いと言うと、落馬した時に打ったからねと語った。

 ベッドから起きて、少し歩いてみてと言い、まっすく歩けるのを確認して、もう30分くらい、様子見て、異状がなかったら、帰って結構ですと言われた。そして、先生は、去っていった。母が、どんな感じだったと聞くと、最初痛いと思っていたら、何か、夢見ている感じになったと告げた。

 そして、馬を全速力で、走って追いかけてる映像が見えたと言い、走っても走っても、馬に追いつけない。しばらくして、ここの先生の声が、遠くに聞こえ、目が覚めたと述べた。こうして、夕方には、牧場に帰った。父が、大丈夫かと声をかけ大丈夫だと答えた。

 あんまり無茶すんなよな、父は、笑顔で話して風呂に入ってから床についた。翌日は、静かにして室内で過ごしてテレビを見てると、以前ビデオが、壊れて画像が遅くなったり急に早くなったりした時と同じ現象が、俊子の頭の中で起こった。

 画像が遅くなったと思うと、そのすぐあと、早送りみたいに画像が急に早くなるのだった。その時間は、30秒くらいで、気にしていなかったが、それが1,2分になると、何とな気味悪くなった。でも、頭が痛くなることもなかったので、黙っていた。

 その後、何か集中して好きなビデオを見ていると、その現象が現れ、ただ、テレビの番組を無意識に見ていると、不思議に、その現象が出てくることはなかった。そこで、あまり気にしない様にしていた。しかし、この事件後、馬に乗るのが怖くなって、乗らなくなってしまった。
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