第6話 解かれる過去(1)

文字数 6,561文字

 佐木さんに連れられてやって来た書殿には、声が出ないほどたくさんの書物が保管されていた。
 ……まさか、これ全部?
「悪鬼封じに関する記録は、こちらの棚の上から下までです」
 右奥に設置された棚を指示し説明してくれた佐木さんは、薄暗い室内のほぼ中央にある小さな文机の上に、簡易の照明器具を置いた。
 良かった、あの棚だけか。とは言え、とてつもない量だな。……と、そうだ。
「あの、佐木さん。さきほど聞き忘れたことがあるんですが、ひとついいでしょうか?」
 思い出して声をかけると、
「晃矢で結構ですよ。見たところ同じくらいの年のようですし」
 と、佐木さんは柔和な顔で俺を見やった。
「あ、じゃあ、お言葉に甘えて、そう呼ばせていただきます」
「――で、話とは何でしょう?」
「あ、そうだった。魔封じの錠には、悪鬼を捕縛するための鍵があると聞いたんですが、本当なんですか?」
「まぁ、鍵――と言えば鍵ですが、矢の形をしているんです」
「矢?」
「はい。使用方法としては、まず、悪鬼の出る場所にある物を何でもいいので一つ拝借し、それに護符を巻きつけるんです。そしてそこに悪鬼を集め、捕縛し、祈祷を施した神の矢を突き立てる。そうすることで、悪鬼は浄化の状態へと入るんです」
 説明しながら文机の上を綺麗に拭いた晃矢さんは、『他には何か質問はありますか?』と俺に聞き返した。
「あ、じゃあ、外の錠はいつ頃朽ちるんですか?」
「中にいるものがすべて浄化した後に、自然と朽ちて外れるようになっています」
「そうなんですか」
「他には?」
 再び同じ問いを俺に向けた晃矢さんに、俺はすかさず首を振った。
「いえ。ありがとうございました」
「では、私も祈祷の手伝いがあるので、これで。何か用があれば呼んでください」
 そう言い軽く会釈すると、晃矢さんは書殿を出て行った。
 ……。――と言うことは、その山本邸の蔵の中にいる何かは、いまだ消えずにいるってことか。捕縛された悪鬼の中に、相当なのがいたのかな?
 だとしたら、一刻も早く蔵で起こったことを明らかにして、解錠&浄霊しないと。
「よし、仕事開始だ」
 気合を入れて棚から数冊抜き取ったところへ、スマホが震えだした。
 誰だよ、忙しい時に。
 抜き取った書を片手で持ち堪えながらスマホを取り出してみると、かけてきたのは崇行だった。
 ……何だよ、いったい。
「何だよ」
『別に。お暇な稀音堂さんは、何やってんのかなぁ~って気にしてやっただけ』
 ……ムカつく。
「仕事してんだよ、仕事! 用も無いのにかけてくるな!」
 イライラしながら吠えた直後、ふといいことを思いついた。
 そうだ、こいつに手伝わせれば一気に捗るじゃん。
 イライラを一旦消し去るように大きく一つ深呼吸してから、再び崇行に向かって喋りだした。
「それはそうと、お前、仕事終わったのか?」
『はぁ? だったら何だよ』
 めんどくさそうに答えた崇行は、電話の向こうで何か飲み物を飲んでいた。
「そっか。じゃあ、今、手が空いてるんだよな? だったら、これからもう一仕事しないか?」
『……。もしかして手伝えってのか? やだね。即刻、断る。お前と仕事で関わると碌なことが無い』
「そうか、残念だな。本当は今日、奏真と来るはずだったんだけど、あいつ高熱で来れなくなっちゃってさ~、そんな兄貴の代わりに仕事やってくれたら、舞依ちゃん、お前のことすんげえ見直しちゃうと思うんだけどなぁ~。そっかぁ、手伝ってくれないか。残念」
 大げさに残念がってしょぼくれると、案の定釣れた崇行が鼻息荒く喋りだした。
『ほ、ほんとに、見直してくれると思うか?!』
「勿論。っていうか、そのまま優しい崇行に惚れちゃったりもするかもな」
『っっ!? ほ……、……わ、分かった、仕方ねえから付き合ってやる。場所教えろ』
 むふふふっ、かかった。楽勝だな。
「場所教えたいんだけど、正直何処をどうやって来たか覚えてないんだよ。だから、マップで矢伏神社って検索して来てくれ」
『矢伏神社だな。分かった』
 それだけ言うと、崇行は一方的に電話を切った。
「よし、これで人材確保はバッチリ。さぁて、先に作業に取り掛かろう」
 文机の上にドサッと書の束を積むと、さっそく一番上の物からページを捲り始めた。

 しばらく、時間を忘れて夢中に記録を読んでいると、ふと、あることに気が付いた。
「魔封じの錠も、例の矢も、毎回使われてたワケじゃないんだ?」
 書によれば、ほとんどのお祓いは護符と祈祷のみで終わっていて、錠と矢は出て来ない。時折出てくるものを見るとそれは、お祓いだけでは浄化しない手のかかる霊が相手の時のみ使われている風な感じだった。
「つまり、山本邸の蔵にいた霊も、こっちの類ってことか?」
 しかも、いまだに錠が朽ち果てずに役目を果たしてる……となると、相当厄介なもんが中にいる?
 ……。うわー、何かちょっと、開けるの怖っ。
 けど、そんなこと言ってられないしな。
 気持ちを戻して再びページを捲り始めた矢先、背後からガタンと音がした。それに反応して振り返ると、入り口に立っていたのは崇行だった。
「来たぞ」
「遅かったな。もしかして道に迷ってたのか?」
「うるさい。来てやったんだから、文句言うな」
 不機嫌さ満開でズカズカ入って来た崇行は、文机の横にドサリと荷物を置くと、書殿の中を見渡した。
「で? こんなとこで何やってんだ? お前は」
「調べものだよ」
 言いながら手元の書物をトントンと人差し指で叩いて示すと、『調べもの?』と俺の手元へ視線を落とした崇行。
「そう。あの棚に入ってる書物全部の中から、ある屋敷で起こった悪鬼祓いの記録を探してるんだ」
「悪鬼祓いの記録? ってか、棚全部だと!?」
 俺の衝撃発言にがばっと棚を見返した崇行は、思いきり横顔を引き攣らせた。
「そう、上から下まで全部」
「……」
「そういうワケだから、とりあえず、お前もちゃっちゃと持ってきて仕事開始な。詳しいことは、手元動かしながら話すから」
 それだけ言って再び手元の書へ目を戻すと、文字を追い始めた。そんな俺の傍で、嫌そうなため息を零した崇行は、渋々棚の方へと歩いて行った。


「――で? 何で悪鬼祓いの記録なんて探してんだよ?」
 文机に山のように積んだ書の一冊を手にして開きながら、さっそく崇行が質問を飛ばしてきた。
「今、依頼受けてる家に関わることでさ――。まぁ、そもそもの蔵開け理由は、鑑定番組に出演するためのお宝を探したいから――ってものなんだけど、実はちょっと厄介なことになってて――」
 今回の依頼の件を細かく説明すると、終わった途端に崇行が大きなため息を吐きだした。
「前回は、歴史変えるヤバイ代物の入った桐箱で、次は蔵の中の幽霊かよ。お前の仕事って、ほんっと余計なもんがくっついてるな」
 呆れと嘲りを混ぜたように言った崇行は、手にしている書物のページをペラペラと指先で弄ぶ。
 むっ。
「俺だって別に、選んで受けてるワケじゃない。たまたま前回から、そういうのが続いてるだけだ。っていうか、この仕事やってりゃ、そういうものに遭遇する率は高いだろ。年代物扱ってるんだし」
「まぁ……。それは否定しないけど」
「とにかく、今回に関しては早急に過去の記録を見つけて、あの蔵に何が起こったのかを知ったうえで、魔封じの錠の解錠を試みる」
「は? 試みるって、どうする気だよ? 鍵穴が無いんだろ? 開ける以前の問題だろうが」
 すかさず突っ込みを入れてきた崇行は、完全に呆れ顔。
 確かに、からくりにでもなってない限り、鍵穴の無い錠を開ける術はない。だけど、社寺にからくりは存在しない。しかも、船型錠は頑丈で切ることも不可能だ。でも――
「例えそうだとしても、きっと何か一つくらい方法はあるはずさ」
 きっと――。
「一つくらいねぇ……。俺には、あるとは到底思えないけどな」
 そんな文句を垂れながら手元の書物に視線を落とした崇行は、『ま、とりあえず、その山本邸の記録ってのを探そうぜ』という言葉だけを俺に送った。
「あぁ」
 一言だけ答えて同じように書物に目を向け、再び文字を追い始める。それからしばらくの間、書殿には、紙を捲る音だけが静かに響いていた――。

 どれくらい経った頃か、突然傍からブンブンと音が鳴り、文机が振動した。
 その音に驚いて作業を中断すると、傍で呼んでいたのは俺のスマホ。その画面には、綺田先輩の名前が。
 先輩? 何かあったのかな?
「もしもし」
『あぁ、悪いな、忙しい時に。蔵と錠のこと、何か分かりそうか?』
「錠を取り付けた神社までは見つけたんですけど、書が多すぎて山本邸の蔵のことまでは、まだ」
『そうか。実はちょっと困ったことになってな。蔵にどんどん霊が引き寄せられてて、増えてるんだ。そのせいで、今までには無かったような怪現象まで起こってる。このままじゃ、危険だ。何とか食い止めるつもりだが、あんまり時間がかかるとそれもだんだん難しくなってくる』
 切羽詰まった話の内容に、聞きながらくっと唇を噛みしめた。
「分かりました。出来る限り早急に蔵の秘密を見つけ出します。なので、それまで何とか持ちこたえておいて下さい。先輩なら余裕でしょ」
 まずいな。もっとスピードあげて作業を進めないと。
『そりゃそうだけどな。それでも、俺にだって限界ってのがあんだよ。だから、とりあえず急いでくれ』
「はい」
 電話を切って文机に置くと、じっと俺の様子を窺っていた崇行が口を開いた。
「どうかしたのか?」
「山本邸で怪現象が増してるらしい。しかも、蔵に引き寄せられてる霊が増えてるそうだ」
「つまり――、蔵の中にいる霊の力が増してるってことか?」
 そう訊ねてきた崇行は、眉根を寄せる。
「分からない。けど、もしかしたら捕縛している矢に何か起こったのかも。とにかく今は、一刻も早く山本邸に関する記録を見つけ出さないと」
 そうだ、俺がすることは、まずそれだ。
「そうだな。スピードあげてとりかかるぞ」
 言った傍から、手元の書に目を通し始めた崇行。それに遅れまいと、俺もさっそく書物のページを捲った。

 それから何時間過ぎたのか――、俺のたちの傍には、昼に晃矢さんが運んできてくれた昼食の平らげた後と、確認し終わった書物の山が幾つも幾つも出来上がっていた。
「これだけ調べても、まだ出て来ないのかよ」
 指先で目頭をマッサージしながら、崇行が独り言を零したところに、ガタンと背後で音がした。
 それに反応して振り返ると、そこにいたのは神職姿の晃矢さん。
「どうですか?」
「それが、まだ何も分からず仕舞いで」
 落胆しながら答えると、『そうですか』とだけ口にした晃矢さんは、『そろそろ神社を閉める時間なのですが』と申し訳なさげに告げた。
「もうそんな時間なんですか?」
 驚いて晃矢さんの背後を見ると、すっかり陽は暮れ、薄暗くなっていた。
 いつの間に……
「すみません。じゃあ、今日はここまでにして引き上げます」
 さすがに、持って帰って……ってワケにはいかないもんな。
「すみませんね。追い出すようで。ここは、また明日続きから出来るよう、このままにしておきますので」
「ありがとうございます。では明日また、来させていただきます。崇行、今日は帰ろうぜ」
 言いながら立ち上がると、『仕方ないな』と同じように立ち上がった崇行、――と、次の瞬間、文机に積み上げていた書物の山に彼の足があたり、一気に雪崩を起こした。
 うわっ!
「げっ! やべっ」
 慌てて雪崩を食い止めるべく、両手を伸ばした崇行。だがその行動も空しく、まだ読んでいない書物たちは文机の下に派手に雪崩落ちていった。
 ぎゃーっ!
「何やってんだよ! 調べ終わったやつと混ざったら分からなくなるだろーが!」
「んなもん、しょーがねえだろ! 当たったもんは!」
 文句を返しながら、雪崩落ちた書物を見分けつつ集め始める崇行。その傍で同じように集めていると、突然『あっ』と崇行の声が飛んできた。
「何だよ、一々。さっさと集めろよな」
 視線を向けずにきつく言い返し、黙々と書を集め続けていると、次は思いきり腕を掴まれた。
 わっ!
「だから、何なんだよ!」
「これだよ、これ!」
 言いながら開いたページを俺に向けた崇行。そこには〈山本〉という文字が。
「……。もしかして」
「あったんだよ。山本邸の記録!」
 開いたページを平手で叩いた崇行から、俺は無意識に書を奪い取っていた。
 すごい! なんつー奇跡!
「崇行ナイス! 良かった、これで今日中に蔵のことが分かる! ……あ、けど、もう出ないといけないんですよね」
 書を掴んだまま晃矢さんへ目を向けると、『持ち出しは出来ませんので、今回は特別に、必要なページだけコピーしてお持ち帰りいただいてけっこうですよ。事情が事情ですし』と彼は声を抑えて告げた。
「本当ですか! ありがとうございます! 助かります」
 やった! これで早く解錠に取り掛かれる。
「では、さっそく、コピーして来ましょう」
 言って手を差し出す晃矢さんに書を手渡すと、彼は、少しお待ちくださいねと、俺たちに背を向けた。
「よろしくお願いします。その間に、書を片付けておきます」
 晃矢さんの背中に向かって告げると、すぐさま崇行の腕を叩いて合図した。

 晃矢さんが戻って来るまでに大急ぎで書を棚に戻し整えると、しばらく後、白い封筒を抱えた晃矢さんが戻って来た。
「お待たせしました。……、この短時間に全部片付けられたんですか? すごいですね」
 すっかり綺麗になった書殿内部を見渡して晃矢さんが、驚きを隠せないように目を見張った。
「二人がかりですから大したことないです。それより、お手間を取らせてすみませんでした。それと、ご協力下さって心から感謝します」
 深く頭を下げて感謝の言葉を告げると、『そんな感謝されるようなことはしておりませんから。それに……』と、晃矢さんが言葉を切った。
 ……?
「それに、何ですか?」
「いえね、実は今回、稀音家さんの話を伺ってから、私も父も、ちょっと気になってるんですよ。本来ならとうに朽ちているはずの錠が、いまだに朽ちていないのはどうしてなのか……と」
 白い封筒を俺に手渡しながらそう口にした晃矢さんは、眉根を僅かに寄せた。
「中にいる霊の力が強くて、まだ浄化されてないってことじゃ?」
 俺より先にそう口にした崇行に、晃矢さんは静かに首を縦に動かした。
「確かに、その可能性が高いでしょう。しかし、それにしてもおかしい。先ほど、コピーする際に目を通したのですが、山本邸の蔵に錠が付けられたのは、300年も前のことです。その頃に刺した矢であれば、霊はとうに浄化していないとおかしいんです。それともう一つ、捕縛の矢を使う際に、桐箱に入れられた扇子と思わしきものを使用したと書いてあったんですよ」
「扇子と思わしき物……。でもそれって、その場にあったから使っただけでしょう?」
 ここへ来たときに、確か晃矢さんが『捕縛の矢を使用するとき、その場にある適当な物を利用する』って。
「ええ、その通りです。実際、当時祈祷を行った宮司もそうしたはずです。……なんですが、私には、どうもその扇子が気になるんです」
 考え込むように手を顎に添えた晃矢さんは、口を噤む。
 気になる?
「もしかしてその扇子に、実は強い怨念を持った霊が憑いていた――とか?」
 晃矢さんの顔を窺うように言った崇行は、真っ直ぐ彼を見据える。
「そこまでは断言できませんけど……。――私が思うに、当時と今とでは、怪現象を起こしている霊そのものが違うのではないかと……。実は、依頼の紙を貰った時からずっと、私と父の中で、山本邸の所在地が気にかかってるんですよ」
 そう答えると、晃矢さんは険しい表情を呈した。
 山本邸の所在地? ……っ! あの石碑。
「やっぱり、あの家が建つ前、あそこには何か別の物があったんですか?」
 蔵の裏手にあった古びた石碑を思い出して訊ねると、『あぁ、例の、蔵の裏にあったっていう石碑か』と横から崇行が小さく口を挟んだ。それに軽く頷いたところで、
「ええ。その通りです」
 とだけ答えた晃矢さんは、口を閉ざした。――が、それから少し間を置き、再びその口を開いた。
「実はですね――……」
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