第3話 場違いな錠

文字数 4,312文字

 先導されて蔵の漆喰扉の前まで行くと、そこに付いていた錠は、思ったとおりの物だった。
 やっぱり。ものすごく錆びてボロボロになってるけど、船型錠だ。
 何で、社寺の錠がこんなとこに……?
「これです」
 扉の前で足を止めた悠太さんが、掛けられている錠を視線で指示した。
「あの、こちらのご先祖や親戚に、神社や寺の関係者がいらっしゃったんですか?」
 道具バッグを下ろしながら気になった疑問を投げると、怪訝な顔をした悠太さんが首を振った。
「いえ、いませんけど」
「そうですか」
 社寺関係者はいない……か。じゃあ、ますます不可解だな。
「あの、それがどうかしたんでしょうか?」
 首を傾げた悠太さんに、俺はすかさず首を振った。
「いえ、ちょっと、気になったもので」
 答え返しながら、錠をそっと両手で包んで持ってみるも、特に何も視えてこない。
 ダメか。この錠に対しての念は強くないのかも知れないな。
 胸の内で呟いた刹那、指先に感じた妙な違和感。
 あれっ?
 左右、裏面、底面を細かく見ると、やっぱりあるべきものがない。
 何で? この錠――、鍵穴が何処にも無い。
 どういうことだ? まさか、からくり? いや、そんなはずない。社寺にからくり錠は無いはず。
 だったら、何で鍵穴が? どうなってんだ、この錠――。
「あの……、気になる――とは?」
 恐る恐る訊ねてくる悠太さんに、俺は錠を掴んでいた手を緩めた。
「あ、すみません。この〈錠〉のことです。これは、昔の船の底のような形をしてることから、船型錠と呼ばれる物で、神社や寺で使われる錠の一つなんです」
「神社や寺……」
「はい。一言で船型錠と言っても関東型と関西型があって、これは、裏にほら、長方形の箱のようなものがついてるでしょう? こういう箱型が付いてるのは関西型って呼ばれていて、昔はこれが主流だったようです。通常、個人の家で使われることは無い物なんですが、どうしてここに付いてるんだろうと思いまして……」
「……、あの、それって何かヤバいんでしょうか?」
 言いながら俺の顔を窺う悠太さんに、僅かな笑みを向けた。
「いえ、そうとは限らないです。でも、気にはなりますね。実はこの錠、鍵穴も見当たらないんですよ」
「鍵穴? どういうことですか?」
「錠には、いろいろ種類があって、中には簡単に鍵を開けられないように仕掛けが施されてる〈からくり錠〉っていうのがあるんです。けど、社寺錠にはそういう〈からくり〉は備わってないので、普通に〈御匙〉と呼ばれる鍵をさせば開けられるはずなんですが、これには鍵穴が見当たらない。――これはあくまで僕の推測なんですけど、もしかするとこの錠は、初めから鍵穴が造られていないのかも知れません。そのため、鍵も紛失したのではなく、もともと存在しないのかも」
 もしそうだとしたら、何でそんな鍵穴の無い錠を付けたんだろう? 付けたら二度と開けられないのは、初めに分かってたはず。なのに、何で……。
 もしかしたら、何か理由が……?
「……何でうちの先祖は、そんな二度と開けられないような錠を、付けたんでしょうか」
 顔を強張らせながら口にした悠太さんへ、俺は間を置かず首を振った。
「それは僕にも分かりません。でも、二度と開けられないのは、付けた時に分かってたはずですし、考えられるのは、何かしら蔵を閉める理由があったんじゃないでしょうか。例えば、もう使わないから閉めてしまった――とか」
 あるいは……
「あるいは、何か別の理由で、二度と開けられないようにする必要があった――とか」
 俺が喉の奥に呑み込んだ言葉を、先輩があっさり口にした。
 ちょっ!
「先輩! 何言ってるんですか」
「何って、お前だって同じこと思ってんだろ? 旬」
 見透かしたように言われて言葉に詰まると、悠太さんの顔から色が失せた。
「どういうこと……ですか? 別って。正直に言ってください、稀音家さん」
 縋るような眼差しに、俺は小さく息をついた。
 はぁ……、ったく、何で余計なこと言うかな。先輩の阿呆。不安にさせない為にも、言わないでおこうと思ったのに。言わなきゃいけなくなったじゃないか。
「これはあくまで僕の推測なんですけど、当時この蔵で災いのようなものが起こったか続いたかして、そのために社寺の者を呼んでこの錠を付けさせた――とも考えられます」
「災い……」
「はい。使わなくなった蔵を閉ざすだけなら、別に社寺錠じゃなくてもよかったはずです。なのに、わざわざ社寺錠を付けてる。おまけに、鍵穴の無い特殊な物。何かあったと考えた方がいいかも知れません」
 言い切ってから、ポケットから取り出したペンライトで船型錠を詳しく調べ始めると、ふいに後ろから声がした。
「もしかすると、霊が関わってるかもな」
 え? 霊?
「どういうことですか?」
 振り返って聞くと、先輩は蔵の周囲を観察するように見ながら口を開いた。
「この蔵一帯から、霊気を感じる」
「蔵から?」
 聞き返した俺の傍で、悠太さんが己の身を両腕で包みつつ、警戒するように周囲を見やる。
「あぁ、とても強い。でもって、それに引き寄せられるように、他の霊がここに集まって来てる。このせいで、今回の怪現象が起きてるのかも」
 冷静に分析する先輩を前に、悠太さんは、『そ、そ、そ、そんな』と、すっかり怯えきっていた。
 ……蔵一帯から、霊……
「もし、この蔵が閉ざされてる理由が霊と関係あるんだとしたら、ここに社寺錠が付いてるのも、納得いく話だな。――とりあえず、この錠をどうにかする前に、この蔵がどういった経緯で閉ざされたのか調べる必要がありそうですね。でないと、開けるのは相当危険かも知れない」
 慎重にしないと、山本邸に今以上の災いが起こる危険性がある。
「だな。俺もその意見に賛成。けど、どうやって調べる? 錠はボロボロなうえに錆だらけで、元の姿すら想像し難いし、何処の社寺の物かも分からないぜ」
 言った最後に、お手上げだなと言いたげな顔をした先輩へ、俺は口端を挙げた。
「俺を何だと思ってるんです? 鍵師ですよ? 錠のことは任せてください。何としてでも調べ上げますよ」
「頼もしいね、後輩」
 にっと笑む先輩を一瞥してから、俺は悠太さんへ向き直った。
「撮影のある月曜までに何とかします。そして、怪現象の方も一気に解決しましょう」
「はい。よろしくお願いします」
 深々と頭を下げた悠太さんに、『任せてください』と言って立ち上がった俺は、胸元のポケットからデジカメを取り出した。
「何枚か写真を撮らせてもらいます。調べるために必要なので」
「はい。どうぞ」
「じゃあ、僕たちは家に戻りましょう。怪現象の方をもう少し詳しくお伺いしたいので。――旬之助、お前はここ終わったら、その足で調べに向かうんだろ?」
 振り返りざまに言った先輩に頷くと、悠太さんが『それなら』と一点を指さした。
「この庭を少し戻ったところの右手に裏口があるので、そこから出てもらって大丈夫です」
「分かりました。ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げると、悠太さんはそのまま先輩と一緒に家へと戻って行った。
 さてと、始めるか。
 さっそく数枚、錠の写真を撮ると、ぐるっと周囲を見渡した。
 ほんと、昼でも暗くて不気味だな。
 けど、ちょっと歩いてみるか。手掛かりになる何かが見つかるかも知れないし。
 警戒しつつ蔵の周囲を念入りに見渡し歩いていると、裏手側へと辿り着いた。
「ここが、蔵の真裏か。ますます真っ暗だな」
 恐る恐る足を運び、鬱蒼と生える木々と雑草の中を進んでいくと、ひっそりと置かれた石碑(?)のような物を見つけた。
「何だ? これ。何か書いてある」
 しゃがんで石に刻まれた字を読もうと、苔を擦り落として目を凝らすと、どうやら『跡』という字にも見える。
「跡?」
 何の?
 顎に手を添え、いろいろ思考を巡らせてみるが、まったく何も思い浮かばない。
「とりあえず、これも写真撮っとくか。何か関係あるかも知れないし」
 写真に収めてから、再び周囲を細かく見ながら雑草をかき分け歩いて行くも、さっきの石碑以外には特に何も見当たらない。
「あれだけ、か。よし、じゃあ、まずは帰って調べてみるか」
 来た道を引き返し、悠太さんに教えてもらった裏口から出ると、真っ直ぐコインパーキングへと駆け戻った。

 急いで店に戻ると、親父が驚いた顔で口を開いた。
「あれ、早かったな、旬」
「あぁ、うん。ちょっと、いろいろあって」
 答えながら椅子の上に道具バッグを置くと、書棚から古地図を引っ張り出した。
「どうしたんだい? そんな古地図なんかだして」
「ちょっと、今行って来た家のことで、気になることがあって」
 言いながらペラペラとページを捲り、目的の場所で捲る手を止めた。
 油小路六角下……、油小路六角下……、あった、ここだ。
 ……けど、あの石碑と関係ありそうな物は何もないな。あの〈跡〉って、いったい何の跡なんだろう?
「気になることって?」
 傍に来て声をかけた親父は、横から古地図を覗き込んだ。
「ん? うん、今行って来た家の蔵が、ちょっとワケありっぽくてさ。その蔵の裏手に小さな石碑が建ってて、〈跡〉って書いてあったから、それが何か知りたかったんだけど……」
「分からなかった――か」
「うん」
「その蔵、ワケありってどんな?」
 気になったように訊ねてきた親父は、傍の椅子に腰かけた。
「漆喰戸に船型錠が付いてたんだ」
「船型錠?」
 驚いた顔をした親父は、その先を待つように俺を見上げる。
「そう。蔵の解錠を頼まれて行ったんだけど、そしたら、どういうワケか社寺が付いてて、しかもその錠、鍵が無いどころか、そもそも鍵穴が無かったんだよ」
「鍵穴が無い? ……旬、その錠の写真、撮って来たならちょっと見せてくれないかな?」
「え? あぁ、うん、いいよ。これ」
 言われてデジカメに収めてきた写真を見せると、親父は早速それを念入りに見始めた。
「そうとう錆びてるなぁ。これ、触った感じはどうだった?」
「別に、後から細工された痕跡も無かったし、観た感じでは、からくり風でもなかった。たぶん、初めから鍵穴を造ってないんだと思う。けど、そんな社寺錠聞いたことも見たことも無いし。蔵の周辺に何か手がかりがあるかと思って見てきたら、さっき言ったように裏手に石碑が建ってたってワケ」
「なるほどな。それで古地図を引っ張り出して調べたってことか」
「そう。結局分からず仕舞いだけど」
 苦笑を返して親父の傍にあった椅子に座ると、視線をずっと写真に向けたままの親父が、難しい顔のまま喋りだした。
「旬、これ、もしかしたら、アレかも知れないぞ」
 え?
 あれ?
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