第2話 怪現象と、蔵解錠の理由
文字数 3,660文字
見事な光景に目を奪われながら歩いていると、突然何かにぶつかった。
「だっ!」
「おい、旬、何してんだよ、前見て歩けって」
飛んできた先輩の言葉で、顔を摩りながら前を見ると、ぶつかったのは太い松。
「……。(何で、こんなとこに松が……)」
胸の内でぼやいた刹那、再び先輩の声が聞こえた。
「すみません、山本さん。お待たせしました。鍵師が到着したので、連れてきました」
「すみません……、遅くなりまして……」
顔を摩りながら玄関に向かい挨拶すると、出て来た三十代前半くらいの男性が、俺を見て『顔、どうかされたんですか?』と心配そうに声をかけてきた。
「あ、いえ、何でもありません」
よそ見してて松にぶつかったなんて、恥ずかしくて言えない。
「そうですか。あ、どうぞ、おあがりください」
山本氏に促されて先輩とともにお邪魔すると、応接室へと通された。
「今日は本当に、突然お呼び立てして申し訳ありません。あの、僕はこの家の次男で、山本悠太と言います。父は今、取り込んでいますので、代わりにお話しさせていただきます」
人数分のお茶をテーブルに置いてからそう自己紹介した悠太さんは、ソファにゆっくり腰を下ろした。
「あ、いえ、お気になさらないでください。お困りのお客様のもとへ、逸早くお伺いするのが、当店のモットーですので。――あ……っと、遅れました、僕、和錠の解錠を専門に扱っています、稀音堂の鍵師の稀音家旬之助と申します」
名刺を差し出しながら自己紹介し返すと、悠太さんはそれを両手で丁寧に受け取りながら『綺田さんから伺いました。とても優秀な鍵師さんだそうで』と微笑んだ。
……。先輩、またいい加減なこと言ったな。
「いえ、僕はまだまだです。もっと勉強しないと。――ところで、先ほど少し綺田さんからお話を伺ったのですが、怪現象が起こってるとか?」
出された緑茶を一口喉に流し込んでから切り出すと、悠太さんが困った顔をしてから口を開いた。
「そうなんです。半年ほど前から、奇妙なことが起こり始めまして。ロックかけてあるのにガスコンロの火が突然ついたり、書棚の本が全部落ちてたり……。他にも、箪笥の引き出しが開いてて、僕や父の着物や浴衣がなくなってたり、来客用の菓子棚から菓子が無くなってることも……。それら以外にも、あげるときりがないくらいたくさんあって。もう気味が悪くて、母も妹もすっかり怖がってしまって」
ロックしてるのに火がついたり、戸棚の菓子が無くなったり、着物や浴衣がなくなってたり? 確かに、そりゃ気味悪いな。
「確かに。怖いですね」
相槌をうつと、悠太さんはさらに続けた。
「なので家族で話し合って、きちんと調べてもらおうってことになりまして。で、今日、綺田さんに来ていただいたんです」
「なるほど……。そうですね、きちんと調べてもらって対処してもらうべきだと僕も思います。――ところで、蔵の鍵開けの件ですが、今回ご依頼下さったのは、どういう理由で?」
きりのいいところで本題を切りだすと、悠太さんは、『それが……』と、さっきよりもさらに困った顔をした。
……? 何だ? 怪現象以上に厄介なのか?
「綺田さんに来てもらったすぐ後に、テレビ局から電話がありまして。ほら、今、骨董品を鑑定する番組ってやってるじゃないですか? あれが、今度この辺に来るらしいんです。それに、うちの祖母が勝手に出演応募してたらしくて。うちには古い蔵があって、素晴らしい骨董品が多数あります――なんて、デタラメなこと書いちゃったみたいなんです。それでテレビ局の方から、是非出て欲しいって言ってこられて。うちとしては怪現象の件を先に何とかしたいし、それに、蔵の方はもともと鍵がないから開けられないので、父は出演を強くお断りしたんですけど、どうしても――と、引き下がってくれなくて……。まぁ、場所的なことも影響してるんだと思いますけど……、で……」
「やむ無く開けることに……ということですか? 確かに、この辺は有名な土地ですしね」
なるほど、そういう〈困った〉か。
まぁテレビ局としても、期待して当然食いついてくるよな。場所が場所だし。――ってか、んなことより、さっき、蔵にはもともと鍵が無いって言わなかったか?
「はい。とりあえず、仕方なく一応開ける方向に……。それに有名な土地って言っても、石碑が建ってるのは、ここより少し下がった場所なんですよ。でも、よその人には分からないみたいで。来週の月曜には、うちに取材に来るとのことです。たぶん、こっちの気が変わらないうちに……って感じなんだと……」
言った最後に重い重いため息を吐いた悠太さんは、がっくりと項垂れた。
「来週月曜って……、今日を入れてあと三日しかないじゃないですか。それは困ったことになりましたね」
ほんと、気が変わらないうちにって感が見え見えだな。
「そうなんですよ」
即答した悠太さんは、重い空気を漂わせたまま。
「あの、ところでさっき、蔵には鍵が無い――って仰ってましたけど、それはどういう?」
気になってたことを訊ねると、悠太さんは重い空気を漂わせたまま俺を見返した。
「……あぁ……、父から聞いた話なんですが、父の高祖父が子供の頃から、既に蔵の鍵は無かったそうで」
「お父様の、高祖父にあたる方が幼少の頃から……ですか。と言うことは……」
「ざっと逆算して、明治初期くらいか」
横から会話に加わった先輩が、俺の代わりにそう言って腕を組んだ。
「ですね。でも、その方が幼少のころから既に無かったってことは、その頃に紛失した――とか?」
言いながら悠太さんを見ると、彼は首を捻った。
「そこまでは」
「お聞きになったことないですか。となると、考えられるのは二つですね。その頃に紛失したか、もしくは、それ以前から鍵が無かった――か」
「それ以前から……?」
向かいで聞きながら小さく呟いた悠太さんは、怪訝そうに俺を見つめた。
「もしかしたら――です。でも、高祖父の方が幼少の頃から鍵が無かったってことは、少なくともその頃から蔵は開けられていないってことですよね?」
見返して問うと、彼は『あ、はい』と応えた。
「蔵の中には、どんなものが入ってる――とか、そういう記述は?」
「いえ、何も。蔵に関する書物は、うちには一切残されてませんので」
言って首を振った悠太さんは、小さく息を吐いた。
「そうですか……。とりあえず、蔵を見せてもらっていいでしょうか?」
「あ、はい。ご案内します」
言って立ち上がった悠太さんに続いて立ち上がると、『俺も同行させてもらおうかな』と先輩も立ち上がった。
「先輩も行くんですか?」
「怪現象の手掛かりが無いとも限らないしな」
そう言うと、『さ、行きましょう』と悠太さんに声をかけた先輩。
……。単に興味あるだけでしょうが。ま、いいけど。
母屋の裏口を出て、手入れされた裏庭を抜けた先に見えたのは、周囲を背の高い木々で覆われた薄暗い場所。そこでどっしりと存在感を放っていたのは、古い蔵。
かつて白かっただろう漆喰の壁は、褐色に変色して無数の亀裂さえ入っている。
うわー……、かなり年代感じる蔵だな。今にも何か出そうで、ちょっと不気味だ。
「この蔵です。子供の頃から怖い場所だから近づいちゃいけないって言われてて、だから僕も、実際ここに来るのは二十年以上ぶりくらいなんです」
「怖い場所?」
反応するように聞き返した先輩は、『もしかして、霊が出るとか?』と付け加えた。
「そんなようなことも言われましたけど、でも実際のとこは、一度も補修工事してないから古いしボロいし亀裂が入ってて危ないし、おまけに周りには木が鬱蒼と生えてて昼でも真っ暗だから、そう言ったんじゃないかと」
苦笑顔で言った悠太さんに、『一度も補修してないんですか?』と先輩が問うと、『はい』と即答が返された。
建てられた当時のまま……か。それでこの状態を保ててるなんて、逆に凄いな。
改めてじっくりと蔵を見やると、屋根に近い場所にある通気用の漆喰窓が少し開けられていた。
閉め忘れ? にしても……
「……(当然だけど、夜戸は閉められたままか)」
「夜戸?」
俺の独り言に反応したように聞き返して来た悠太さんは、首を傾げた。
「あぁ……、夜戸っていうのは、蔵の一番外側の漆喰扉のことです。蔵の扉は三重構造になってて……、(……あれ? あの錠……)」
「そうなんですか。初めて知りました」
傍で素直に感心してる悠太さんをよそに、じっと錠を見つめていると、不意に横から声がした。
「(まさか、ほんとにあるとはな)」
え?
「(何か言いました?)」
声を潜めて先輩に聞き返したのと同時、二~三歩踏み出した悠太さんが俺たちを振り返った。
「問題の錠前は、その漆喰扉に付いてるやつなんです。さぁ、どうぞ」
「はい」
俺の代わりに返事をした先輩が、俺の背中をドンッと押してから歩き出した。
さっき何か言ったよな? 何言ったんだ? ってか、そんなことよりもあの夜戸に付いてる錠って――。
「だっ!」
「おい、旬、何してんだよ、前見て歩けって」
飛んできた先輩の言葉で、顔を摩りながら前を見ると、ぶつかったのは太い松。
「……。(何で、こんなとこに松が……)」
胸の内でぼやいた刹那、再び先輩の声が聞こえた。
「すみません、山本さん。お待たせしました。鍵師が到着したので、連れてきました」
「すみません……、遅くなりまして……」
顔を摩りながら玄関に向かい挨拶すると、出て来た三十代前半くらいの男性が、俺を見て『顔、どうかされたんですか?』と心配そうに声をかけてきた。
「あ、いえ、何でもありません」
よそ見してて松にぶつかったなんて、恥ずかしくて言えない。
「そうですか。あ、どうぞ、おあがりください」
山本氏に促されて先輩とともにお邪魔すると、応接室へと通された。
「今日は本当に、突然お呼び立てして申し訳ありません。あの、僕はこの家の次男で、山本悠太と言います。父は今、取り込んでいますので、代わりにお話しさせていただきます」
人数分のお茶をテーブルに置いてからそう自己紹介した悠太さんは、ソファにゆっくり腰を下ろした。
「あ、いえ、お気になさらないでください。お困りのお客様のもとへ、逸早くお伺いするのが、当店のモットーですので。――あ……っと、遅れました、僕、和錠の解錠を専門に扱っています、稀音堂の鍵師の稀音家旬之助と申します」
名刺を差し出しながら自己紹介し返すと、悠太さんはそれを両手で丁寧に受け取りながら『綺田さんから伺いました。とても優秀な鍵師さんだそうで』と微笑んだ。
……。先輩、またいい加減なこと言ったな。
「いえ、僕はまだまだです。もっと勉強しないと。――ところで、先ほど少し綺田さんからお話を伺ったのですが、怪現象が起こってるとか?」
出された緑茶を一口喉に流し込んでから切り出すと、悠太さんが困った顔をしてから口を開いた。
「そうなんです。半年ほど前から、奇妙なことが起こり始めまして。ロックかけてあるのにガスコンロの火が突然ついたり、書棚の本が全部落ちてたり……。他にも、箪笥の引き出しが開いてて、僕や父の着物や浴衣がなくなってたり、来客用の菓子棚から菓子が無くなってることも……。それら以外にも、あげるときりがないくらいたくさんあって。もう気味が悪くて、母も妹もすっかり怖がってしまって」
ロックしてるのに火がついたり、戸棚の菓子が無くなったり、着物や浴衣がなくなってたり? 確かに、そりゃ気味悪いな。
「確かに。怖いですね」
相槌をうつと、悠太さんはさらに続けた。
「なので家族で話し合って、きちんと調べてもらおうってことになりまして。で、今日、綺田さんに来ていただいたんです」
「なるほど……。そうですね、きちんと調べてもらって対処してもらうべきだと僕も思います。――ところで、蔵の鍵開けの件ですが、今回ご依頼下さったのは、どういう理由で?」
きりのいいところで本題を切りだすと、悠太さんは、『それが……』と、さっきよりもさらに困った顔をした。
……? 何だ? 怪現象以上に厄介なのか?
「綺田さんに来てもらったすぐ後に、テレビ局から電話がありまして。ほら、今、骨董品を鑑定する番組ってやってるじゃないですか? あれが、今度この辺に来るらしいんです。それに、うちの祖母が勝手に出演応募してたらしくて。うちには古い蔵があって、素晴らしい骨董品が多数あります――なんて、デタラメなこと書いちゃったみたいなんです。それでテレビ局の方から、是非出て欲しいって言ってこられて。うちとしては怪現象の件を先に何とかしたいし、それに、蔵の方はもともと鍵がないから開けられないので、父は出演を強くお断りしたんですけど、どうしても――と、引き下がってくれなくて……。まぁ、場所的なことも影響してるんだと思いますけど……、で……」
「やむ無く開けることに……ということですか? 確かに、この辺は有名な土地ですしね」
なるほど、そういう〈困った〉か。
まぁテレビ局としても、期待して当然食いついてくるよな。場所が場所だし。――ってか、んなことより、さっき、蔵にはもともと鍵が無いって言わなかったか?
「はい。とりあえず、仕方なく一応開ける方向に……。それに有名な土地って言っても、石碑が建ってるのは、ここより少し下がった場所なんですよ。でも、よその人には分からないみたいで。来週の月曜には、うちに取材に来るとのことです。たぶん、こっちの気が変わらないうちに……って感じなんだと……」
言った最後に重い重いため息を吐いた悠太さんは、がっくりと項垂れた。
「来週月曜って……、今日を入れてあと三日しかないじゃないですか。それは困ったことになりましたね」
ほんと、気が変わらないうちにって感が見え見えだな。
「そうなんですよ」
即答した悠太さんは、重い空気を漂わせたまま。
「あの、ところでさっき、蔵には鍵が無い――って仰ってましたけど、それはどういう?」
気になってたことを訊ねると、悠太さんは重い空気を漂わせたまま俺を見返した。
「……あぁ……、父から聞いた話なんですが、父の高祖父が子供の頃から、既に蔵の鍵は無かったそうで」
「お父様の、高祖父にあたる方が幼少の頃から……ですか。と言うことは……」
「ざっと逆算して、明治初期くらいか」
横から会話に加わった先輩が、俺の代わりにそう言って腕を組んだ。
「ですね。でも、その方が幼少のころから既に無かったってことは、その頃に紛失した――とか?」
言いながら悠太さんを見ると、彼は首を捻った。
「そこまでは」
「お聞きになったことないですか。となると、考えられるのは二つですね。その頃に紛失したか、もしくは、それ以前から鍵が無かった――か」
「それ以前から……?」
向かいで聞きながら小さく呟いた悠太さんは、怪訝そうに俺を見つめた。
「もしかしたら――です。でも、高祖父の方が幼少の頃から鍵が無かったってことは、少なくともその頃から蔵は開けられていないってことですよね?」
見返して問うと、彼は『あ、はい』と応えた。
「蔵の中には、どんなものが入ってる――とか、そういう記述は?」
「いえ、何も。蔵に関する書物は、うちには一切残されてませんので」
言って首を振った悠太さんは、小さく息を吐いた。
「そうですか……。とりあえず、蔵を見せてもらっていいでしょうか?」
「あ、はい。ご案内します」
言って立ち上がった悠太さんに続いて立ち上がると、『俺も同行させてもらおうかな』と先輩も立ち上がった。
「先輩も行くんですか?」
「怪現象の手掛かりが無いとも限らないしな」
そう言うと、『さ、行きましょう』と悠太さんに声をかけた先輩。
……。単に興味あるだけでしょうが。ま、いいけど。
母屋の裏口を出て、手入れされた裏庭を抜けた先に見えたのは、周囲を背の高い木々で覆われた薄暗い場所。そこでどっしりと存在感を放っていたのは、古い蔵。
かつて白かっただろう漆喰の壁は、褐色に変色して無数の亀裂さえ入っている。
うわー……、かなり年代感じる蔵だな。今にも何か出そうで、ちょっと不気味だ。
「この蔵です。子供の頃から怖い場所だから近づいちゃいけないって言われてて、だから僕も、実際ここに来るのは二十年以上ぶりくらいなんです」
「怖い場所?」
反応するように聞き返した先輩は、『もしかして、霊が出るとか?』と付け加えた。
「そんなようなことも言われましたけど、でも実際のとこは、一度も補修工事してないから古いしボロいし亀裂が入ってて危ないし、おまけに周りには木が鬱蒼と生えてて昼でも真っ暗だから、そう言ったんじゃないかと」
苦笑顔で言った悠太さんに、『一度も補修してないんですか?』と先輩が問うと、『はい』と即答が返された。
建てられた当時のまま……か。それでこの状態を保ててるなんて、逆に凄いな。
改めてじっくりと蔵を見やると、屋根に近い場所にある通気用の漆喰窓が少し開けられていた。
閉め忘れ? にしても……
「……(当然だけど、夜戸は閉められたままか)」
「夜戸?」
俺の独り言に反応したように聞き返して来た悠太さんは、首を傾げた。
「あぁ……、夜戸っていうのは、蔵の一番外側の漆喰扉のことです。蔵の扉は三重構造になってて……、(……あれ? あの錠……)」
「そうなんですか。初めて知りました」
傍で素直に感心してる悠太さんをよそに、じっと錠を見つめていると、不意に横から声がした。
「(まさか、ほんとにあるとはな)」
え?
「(何か言いました?)」
声を潜めて先輩に聞き返したのと同時、二~三歩踏み出した悠太さんが俺たちを振り返った。
「問題の錠前は、その漆喰扉に付いてるやつなんです。さぁ、どうぞ」
「はい」
俺の代わりに返事をした先輩が、俺の背中をドンッと押してから歩き出した。
さっき何か言ったよな? 何言ったんだ? ってか、そんなことよりもあの夜戸に付いてる錠って――。