第10話 魔王と扇子

文字数 4,638文字

「貴方が、この箱の中に入ってる扇子の」
《遅い! あんな錠ごときに、何を手こずっていた!》
 個性的過ぎるセンスで着物を身に纏った彼は、思いきり吊り上がった目で叱り飛ばしたかと思いきや、ズカズカと目の前まで来て、俺の頭を扇子で叩いた。
「だっ!」
 いっったー! 何で?! 何で叩かれんの?! ってか、その扇子、めっちゃ硬くて痛いんですけど!
 咄嗟に叩かれた頭を押さえて、
「そ、そう言われても、鍵がなかなか」
 と、言いかけた瞬間、
《貴様、俺に盾突く気か》
 と、扇子の先が俺の喉元に付きつけられたかと思うと、ひやりと冷たい硬いものが触れた。
 ひっ!!
 これって……、仕込み杖ならぬ、仕込み扇子?!
 間違いない。やっぱこの人は、あの〈魔王〉だ。箱ん中の扇子まだ見てないけど、絶対絶対間違いない。
「い、いえ、滅相も無い。盾突くつもりなんてありません。ただ、ほんとに、鍵がなかなか見つからなかったもので、それで遅れてしまって」
 嘘じゃ無いし! 事実だし!
 硬直したまま答えると、彼は、しばし俺を睨みつけてからスッと扇子を引いた。
《ふん、まぁいい。あの錠を開けたことは、ひとまず褒めてやる》
 上から物言いでそう言い放った彼は、近くにあった大きな桐箱に腰を下ろした。
「ど、どうも」
 た、助かった。
 一気に全身の力が抜けてその場にへたり込むと、じっとこっちを見ていた彼が口を開いた。
《ところで、蔵を開けたにも関わらず、何故、あそこに札を貼る? 貴様、この俺をもう一度ここに閉じ込める気か?》
 ギッと睨みつけてきた眼差しに、俺はすぐさま首を振って否定した。
「い、いえ、そんなつもりはありません。ただ、この蔵の中には、貴方以外にも霊がいるかも知れないので、その霊たちが外に出ないように結界を張ってるだけです」
《ほぅ……。確かに、俺の他にも何やらおるな》
 周囲をぐるっと一瞥した彼は、さらりとそう言うと、《で、俺を含め、奴らを動けぬようにしてどうするつもりだ?》と、俺を見据えた。
「今から、お祓いをしてくれる人を呼びます。そして、お祓いをしてもらって危険を取り除いてもらいます」
 ポケットからスマホを取り出しながら説明すると、じっと俺を見据えていた彼が口を開いた。
《祓う? それはつまり、この俺も祓うということか》
 えっ。あー……
「え、えと……」
 まずい、空気が……。
《ふん、分かりやすい奴め》
 軽く鼻を鳴らした魔王は、両手で扇子を弄びながら、愉快気に口の端を上げる。その笑みが、何かを含んでそうで、思わずごくりと唾を呑み込んだ。
 とにかく、早く先輩を呼んでお祓いを……あっ。
「あ、あの……、そういえば、伺ってもいいですか? 台所の火を点けたり、箪笥から着物を取ったりしてたのも、あなただったんですか?」
 菓子棚荒らしは、この人で間違いなさそうだもんな。さっきの金平糖からみても。
 ずっと気になってた怪現象のことを恐る恐る訊ねてみると、彼は平然とした顔で口を開いた。
《着替えは要り様だからな。それに、あの火が点く道具は、中はどうなっておる? 実に面白い。何度やっても飽きんうえに、愉しくて仕方ない。今度、何処かに火を点けてやろうかと思うていたところだ》
 えっ! 火?!
「や、やめて下さい! 絶対、絶対やめて下さい!」
 冗談じゃない! 放火だし、それ!
《何故だ?》
「何故って、そりゃあ、あちこち一帯が大火事になって、大変な騒ぎになるからですよ!」
 んなこと、言わなくても分かるでしょうが!
 やっぱこの人には、一分一秒でも早く成仏してもらわないと。そんな軽いノリで焼き払われたら、町が危険だ。
 身振り手振りを加えながら言い返しつつ、ふと、手に持ったままの桐箱に目がいった。
 そういや、これの中身、まだ見てなかったな。
「――あ、あの、怪現象のことは分かりましたし、それに火のことも、焼き払うのは絶対に止めてもらうってことで、ひとまずこの話はお仕舞にして、この箱、開けてみてもいいですか?」
 話題を変え、手にしたままの桐箱を彼に見せると、《構わん。好きにしろ》と快諾の言葉が返された。
「ありがとうございます」
 礼を言ってから、それをそっと開けてみると、入っていたのは、紫の扇子袋。その中には、親骨部分が黒塗りされている8寸の鉄扇が一本。
 ……鉄扇……。
 どうりで、凄まじい痛みだったはずだ。
 叩かれた頭の痛みを思い出しつつ扇子を開くと、扇面は白地で、何やら薄墨で文字が書かれていて、もう一方の親骨には、織田木瓜の彫り物に金箔が埋め込まれていた。
 やっぱりこの人は、あの〈信長〉本人だ。
 それにしても凄いな、これ。シンプルなのに、ものすごい存在感を放ってる。さすが、魔王の持ち物。
「これ、もしかして、敦盛を舞った時の物ですか?」
《だったら何だ》
 そっけない返事をした彼は、退屈そうに扇子で自分の肩をトントンと叩く。
「いえ、凄いなと思って。こんなのが見つかったら、今の時代の人は驚きますよ」
《驚く? 何故だ?》
「何故って、貴重な歴史的遺物だからですよ。実際、僕も興奮します」
《は? おかしな奴だな、貴様は》
 そう言うと、嘲笑にも似た笑みを零した彼。
「そうですか? そんなことないと思いますけど」
 いたって普通の反応だと思うけど。
《それはそうと、すっかり忘れているようだが、祓い屋を呼ぶのではなかったのか?》
 え? あっ!
「そうでした! ……、あの、浄化させられてしまうのに、余裕な顔なんですね」
 まったく臆することのないと言った風の彼に言葉をかけると、《そうか? そう見えるのなら、そうなのだろうな》と、何やら意味深な返事を返された。
 ……? 
 ――と、先輩に連絡だ、連絡。
 扇子を扇子袋に仕舞い桐箱に入れると、急いで先輩へ連絡を入れた。すると、すぐに電話に出た先輩は『どうだ? 開いたか?』と俺の言葉を聞く前に質問を投げてきた。
「はい、ようやく。すみません、時間がかかってしまって」
『いや、今からそっちへ行くよ』
 そう言うと、一方的に電話を切った先輩。それから3分も経たないうちに、彼は悠太さんを連れて駆けてきた。
「うわー、やっぱ、蔵ん中の方が、霊気が凄まじいな」
 そう言いながら蔵の中へ足を踏み入れた先輩の後ろから、『稀音家さん、大丈夫ですか?』と心配そうな悠太さんの声がした。
「あ、はい。僕は大丈夫です。霊とか視えないもんで」
 まぁ、特殊に視える場合はあるけど。
「それか、捕縛の矢を使う時に利用した扇子ってのは」
 俺の手元を見て告げた先輩に頷くと、『ちょっといいか』と、桐箱を取り上げられた。
「何かちょっと重量感があるな。それに、神主が言ってたように、これが今回の怪現象に関わってた可能性は高いかも。かなり強い霊気を感じるし、実際に俺が蔵の外で感じたのもこれだ。それにこの蔵ん中には、これの他にも強い霊気を持ったのがウヨウヨしてる。さっさと祓っちまわないとマズイ」
 言って、ポケットから俺の持ってるのとは違った札を取り出した先輩は、それを扇子の入った桐箱に巻いて床に置き、蔵内のあちこちにも札を貼り始めた。
「そんなにたくさんお札を貼らないといけないほど、たくさん霊がいるんですか?」
 ビクビクと怯えながら言葉にした悠太さんへ、『ええ、かなりの数がいます。ここを綺麗に祓えば、怪現象は鎮まると思いますよ』と返した先輩は、『じゃあ、危険なので二人とも蔵の外へ』と俺たちに外へ出るよう促した。
 言われるまま蔵の外へ出ると、間もなく蔵の引き戸が閉められ、まったく中の様子が見えなくなってしまった。
「綺田さん、大丈夫でしょうか?」
 心配そうに扉を見つめる悠太さんに、『大丈夫。心配いりませんよ』と笑顔を向けつつ、俺の頭の中では魔王の言葉が離れなかった。

《そうか? そう見えるのなら、そうなのだろうな》

 何か、奥歯に物が挟まったような、意味深な言い方だったよな。あれ、どういうことだったんだろう?
 無意識に持ってきてしまった捕縛の矢を握りしめながら、胸の奥でそんな言葉がぽつんと零れた。

 それから、蔵の外で待つこと四十分――。
 ようやく開いた引き戸の向こうから、疲れた様子の先輩が姿を現した。
「終わったんですか?」
「ああ。数が多くて苦労したよ」
 そう言うと、取り出したハンカチで額から滑る汗を拭った先輩は、俺に例の扇子が入った桐箱を差し出した。
「え?」
「とりあえず、これが一番手こずった。何とか浄化させたから危険はないはずだけど、ここには置いとかない方がいい。念のため、神社に渡して処分してもらってくれ。あと、蔵に付いてた錠は新しい物と交換したほうがいい。それに関しては、山本さんとこで用意してもらうから、今付いてるやつは、お前の方で処分しといてくれ」
 言うと、俺の手に箱を握らせた先輩。重量感のあるそれは、さっきとは違って、もう魔王の姿を視せてはくれなかった。
 ちゃんと、成仏したんだ。良かった。
「分かりました。じゃあ、そうします」
「あの、もうこれで、うちの怪現象は鎮まったんでしょうか?」
 横から会話に入って来た悠太さんは、不安そうな顔で先輩に尋ねかけた。
「はい。もうこれで大丈夫です。念のため、これから母屋の方にも戻って確認しますが、おそらく心配ないと思いますよ」
 営業用の笑みを向けて答える先輩の傍で、『良かったですね。これで、テレビ局の取材も問題なく受けられますよ』と加えると、悠太さんは『それに関しては、ほんとは来てほしくないんですけどね。うちに、そんな凄い骨董品とかがあるとは思えないんで』と、苦い笑みを浮かべていた。
「でも、実際に蔵の中を少し見させてもらいましたけど、かなりの数の品物が置いてありますし、中には素晴らしい物もたくさん埋もれていると思いますよ」
 ってか、実際埋もれてたし。テレビ局の人間も鑑定士も、ビックリするんじゃないか? 絶対。
「そう、ですか? 稀音家さんがそう仰るなら、間違いないんでしょうね。だとしたら、祖母が喜びます。楽しみにしてるみたいなんで」
 複雑そうな顔をして言う悠太さんへ、『それじゃあ、母屋の方へ行きましょうか。怪現象が鎮まったかどうか、きちんと確認しておかないと』と切りだした先輩は、続けて俺に向かって口を開いた。
「旬は、どうする? 一緒に確認しに行くか?」
「いえ、それは先輩に任せます。俺の仕事は蔵の解錠ですし、それも終わったんで、これからこの扇子と捕縛の矢を神社へ持って行きます」
 手にした桐箱を見せて言うと、先輩は『そうか。分かった』とだけ口にした。
「あの、稀音家さん、本当にありがとうございました。解錠の方の請求は、いつでも大丈夫なので、よろしくお願いします」
 先輩に続けるように言って、ぺこりと頭を下げた悠太さんは、『また何かあったら、その時はよろしくお願いします』と付け加えた。
「はい。その際は是非、うちの稀音堂までご連絡ください。それじゃあ、僕は一足先に裏口の方から失礼します。まだ、表の方が騒がしいかも知れないので」
 まだ、あの胡散臭い除霊師がいるかも知れないしな。
「そうですね。お気を付けてお帰りください。このたびは、本当にお世話になりました」
 最後にそう告げてもう一度深くお辞儀をした悠太さんに、応えるように頭を下げた俺は、一歩二歩と歩を引き、そのまま二人に背を向け裏口へと向かった。
 何か、来た時より道具バッグが重たくなったような?
 気のせいかな?
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