第21話 ビーナス
文字数 1,839文字
倫子はタクに語り始めた。
「実はね、私は智美さん……あなたのお母さんから聞かせてもらったことがあるの。お母さんは自分の胸だけに留めておく覚悟だったと思う。でも、それを知っている私がこうしてあなたと出会ったのには意味があるってずっと思ってた。私からあなたに伝えて欲しいって、お母さんが願ってる気がして仕方ないの」
「僕の身体のことですか? 気遣ってくれてるならほんとにお構いなく。ストレートに話してくれた方が僕は楽なので」
まわりくどいのが苦手というタクの心を倫子は理解したつもりだった。しかし、まだ単刀直入に伝えることを躊躇していた。
「もしあなたが優香と結婚するようなことになったら、ちゃんとお話ししなくちゃって思ってたんだけど……。だって、お父さんとずっと仲違いしたままでしょ?」
「あんなやつ父親とは思ってませんから」
沈黙が二人の間に流れた。
倫子は少し考えてから話を続ける。
「もし……もしお父さんが他人だったら、あなたがして貰ったことで、感謝出来るようなことも少しはあったんじゃない?」
「そりゃ、食わせて貰ったし、学校も行かせてくれたし、旅行も行かせて貰ったし。でもそんなの親としては当たり前でしょ?」
「残酷ね、現実は。でも知らない方がもっと残酷だと思うから、辛くても受け止めてね」
「え?」と漏らしたあと、タクは言葉を失った。
「あなたが生まれたときに病院に毎日来てくれた……和彦さんだったわね。伯父さんって言っても、ご両親の兄弟じゃないでしょ」
「和彦さんは、母の又従兄弟のはずです」
「そう言われてたのね? さっき、実の父親以上に面倒見てくれたって言ったでしょ?」
タクはゴクリと唾を飲み込んだ。
「智美さんが私にだけそっと打ち明けてくれたの。『いつも来てくれるあの人がこの子の本当の父親なんです』って。同世代だったからきっと言いやすかったのね。誰にも言えずに苦しかったんだと思う」
平静を保つことが出来なくなったタクは、急に立ち上がって辺りを歩き始めた。
「もし神様がいるならほんとに……」と倫子が言いかけた時、玄関の鍵を開ける音がした。
「ただいま」と帰宅した優香の声が聞こえる。
タクは急いで部屋に駆け込むと、バタンと音を立ててドアを閉めた。
「どうしたの? なにかあったの?」と優香は母に訊ねたが、倫子は首を横に振った。
「今は彼を一人にしておいてあげて」
夕食の時間になってもタクは部屋から出てこない。
倫子の呼びかけに対して、タクは「食欲がないので夕飯はいりません」とドア越しに返した。
深夜近くに、タクの部屋から『リトル・ウィング』が聞こえてきた。
優香はゆっくりとタクの部屋に向かい、ドアをノックする。
「タク、あなたの辛さ、あなたの苦しさ」
タクは静かにドアを開ける。
「……私が代わってあげたい」と言うと、優香の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
タクは優香を抱きしめ、何も言わずに唇を奪った。
強く抱き合っていた二人の身体が離れたあと、優香はタクの手を取って自室のベッドへと導いた。
部屋の扉を閉めると、タクは荒々しく互いの衣服を取り払う。しかし数分後、タクは深く溜息をついた。
「Apres tout c'est inutile.(やっぱりダメだ)」とタクは呟く。
それでも優香は優しく微笑みかける。
「Tu vas y arriver.(あなたならできる)」
温かく柔らかい胸に顔を埋めてタクは嗚咽する。まるで傷ついた我が子を護る母親のように優香はタクを抱きしめた。
いつのまに眠ってしまったのだろう。タクは朝の日差しで目を覚ました。
光がカーテン越しにベッドに差し込み、薄目を開けて隣を見やると一糸纏わぬ優香の身体が陽光に照らされている。そのビーナスのような稜線は、どんな彫刻よりも美しく輝いていた。
優香の瞼は開かれたままその瞳はじっとタクを見つめている。その時はじめて優香が一晩中愛する人の目覚めを待ち続けていたことにタクは気づいた。
「Je suie ameureux de toi.(僕は君に恋してる)」とタクは呟いた。
「Je suis amureuse de toi . (私もあなたに恋してる)」と優香が返す。
長い長い口づけの後、二人は激しく抱擁して互いの鼓動を同調させていく。タクは自分が真の男になったことを自覚し、拓也と優香は初めて一つになった。
「実はね、私は智美さん……あなたのお母さんから聞かせてもらったことがあるの。お母さんは自分の胸だけに留めておく覚悟だったと思う。でも、それを知っている私がこうしてあなたと出会ったのには意味があるってずっと思ってた。私からあなたに伝えて欲しいって、お母さんが願ってる気がして仕方ないの」
「僕の身体のことですか? 気遣ってくれてるならほんとにお構いなく。ストレートに話してくれた方が僕は楽なので」
まわりくどいのが苦手というタクの心を倫子は理解したつもりだった。しかし、まだ単刀直入に伝えることを躊躇していた。
「もしあなたが優香と結婚するようなことになったら、ちゃんとお話ししなくちゃって思ってたんだけど……。だって、お父さんとずっと仲違いしたままでしょ?」
「あんなやつ父親とは思ってませんから」
沈黙が二人の間に流れた。
倫子は少し考えてから話を続ける。
「もし……もしお父さんが他人だったら、あなたがして貰ったことで、感謝出来るようなことも少しはあったんじゃない?」
「そりゃ、食わせて貰ったし、学校も行かせてくれたし、旅行も行かせて貰ったし。でもそんなの親としては当たり前でしょ?」
「残酷ね、現実は。でも知らない方がもっと残酷だと思うから、辛くても受け止めてね」
「え?」と漏らしたあと、タクは言葉を失った。
「あなたが生まれたときに病院に毎日来てくれた……和彦さんだったわね。伯父さんって言っても、ご両親の兄弟じゃないでしょ」
「和彦さんは、母の又従兄弟のはずです」
「そう言われてたのね? さっき、実の父親以上に面倒見てくれたって言ったでしょ?」
タクはゴクリと唾を飲み込んだ。
「智美さんが私にだけそっと打ち明けてくれたの。『いつも来てくれるあの人がこの子の本当の父親なんです』って。同世代だったからきっと言いやすかったのね。誰にも言えずに苦しかったんだと思う」
平静を保つことが出来なくなったタクは、急に立ち上がって辺りを歩き始めた。
「もし神様がいるならほんとに……」と倫子が言いかけた時、玄関の鍵を開ける音がした。
「ただいま」と帰宅した優香の声が聞こえる。
タクは急いで部屋に駆け込むと、バタンと音を立ててドアを閉めた。
「どうしたの? なにかあったの?」と優香は母に訊ねたが、倫子は首を横に振った。
「今は彼を一人にしておいてあげて」
夕食の時間になってもタクは部屋から出てこない。
倫子の呼びかけに対して、タクは「食欲がないので夕飯はいりません」とドア越しに返した。
深夜近くに、タクの部屋から『リトル・ウィング』が聞こえてきた。
優香はゆっくりとタクの部屋に向かい、ドアをノックする。
「タク、あなたの辛さ、あなたの苦しさ」
タクは静かにドアを開ける。
「……私が代わってあげたい」と言うと、優香の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
タクは優香を抱きしめ、何も言わずに唇を奪った。
強く抱き合っていた二人の身体が離れたあと、優香はタクの手を取って自室のベッドへと導いた。
部屋の扉を閉めると、タクは荒々しく互いの衣服を取り払う。しかし数分後、タクは深く溜息をついた。
「Apres tout c'est inutile.(やっぱりダメだ)」とタクは呟く。
それでも優香は優しく微笑みかける。
「Tu vas y arriver.(あなたならできる)」
温かく柔らかい胸に顔を埋めてタクは嗚咽する。まるで傷ついた我が子を護る母親のように優香はタクを抱きしめた。
いつのまに眠ってしまったのだろう。タクは朝の日差しで目を覚ました。
光がカーテン越しにベッドに差し込み、薄目を開けて隣を見やると一糸纏わぬ優香の身体が陽光に照らされている。そのビーナスのような稜線は、どんな彫刻よりも美しく輝いていた。
優香の瞼は開かれたままその瞳はじっとタクを見つめている。その時はじめて優香が一晩中愛する人の目覚めを待ち続けていたことにタクは気づいた。
「Je suie ameureux de toi.(僕は君に恋してる)」とタクは呟いた。
「Je suis amureuse de toi . (私もあなたに恋してる)」と優香が返す。
長い長い口づけの後、二人は激しく抱擁して互いの鼓動を同調させていく。タクは自分が真の男になったことを自覚し、拓也と優香は初めて一つになった。