第2話

文字数 3,653文字

「ちょっと待って」

 突然、先頭の新田が足をとめた。

「なんか、

があるよ」

 僕と杏は、新田にぐいっと前に押され、そして、階段の下からこっちに近づいて来る光を見た。それは無数の紐のような物体を生やした塊で、電球みたいにピカピカ点滅していた。

 僕は、一目でそれが何かわかった。チョウチンアンコウという名前の深海魚が頭の上につけている、釣竿のような突起だ。先っぽに紐状の器官が何本もぶらさがっていて、その先端が青白く発光することから〈提灯〉という名が付けられた魚である。

「長旅、お疲れ様です」

「うわぁああああっ!?」

 提灯が女の声で喋り出し、僕と新田と杏は驚いて階段から転げ落ちそうになった。

「大丈夫ですよ。ここには怖いものなんて一つもありませんから」

 優しい言葉で語りかけながらヌッと暗闇から顔を出したのは、チョウチンアンコウそっくりの顔の女性だった。頭に提灯に似た光る突起をつけていて、頭部だけがチョウチンアンコウ、両手両足、胴体は人間という、不気味な姿をしていた。

「私はチョウというものです。あなた方を〈深海町〉へと導く、案内人でございます」

 チョウは僕たちを手招きした。

 深海魚を顔面にくっつけた化け物にビビった僕たちは、完全に判断能力を失っていた。言われるがまま、チョウの頭部についた灯りを頼りに、暗い階段をくだっていった。





「ここが、〈深海町〉……!?」 

 チョウと名乗る女性に案内されてたどりついた場所は、サイコロみたいな形の石造りの建物が並ぶ巨大な町だった。

 ずっと高いところにある漆黒の空に、沢山の星々が散りばめられている。野球ボールみたいな形の光る塊が空中を浮遊しており、動きは不規則だが速度は空気を撫でるようにゆっくりなので、まるで波に身を委ねて海中を漂うクラゲのようだった。

 光るクラゲが下にくると、僕たちの正面の景色が照らし出された。どうやらクラゲは、この町を照らす照明器具の役割を果たしているようだ。

 正面の広場に、たくさんの人の姿が見えた。みんな、チョウのように身体は人でも、顔は魚だったり、貝だったり、クラゲだったり、イカだったり、タコだったり、まるで化け物のパレードだった。

「私の案内はここまでです。では、お達者で」

 チョウは僕たちを残し、来た道を戻っていった。

「あたしたちはどうする?」

 杏が僕と新田の顔を交互に見た。

「そんなの決まってるだろ! せっかく来たんだし、観光しようよ!」

「観光! いいね!」

 新田と杏は意気投合して、ここにしばらく留まることを決めた様子だった。こんな化け物だらけの場所に来て観光などという発想が浮かぶ二人のメンタルの強さには、チョウを初めて目にしたときよりも驚かされた。

「コーイチもこいよ!」

「う、うん……」
 
 一人になるのは嫌なので、僕も二人に付き合うことを決めた。

 沢山の商店が立ち並ぶ大通りを進む。あちこちから活気のある声が絶え間なく聞こえてくる。石畳が敷かれた路上を深海生物の顔を持つ人々が行き来していた。まるで、本当に深海に来たみたいだ、と僕は思った。

 太陽の光が届かない深海には、植物がほとんど存在しない。理由は単純で、光の届かない深海は、植物が生存できる環境ではないからだ。

 植物は、基本的に、光のエネルギーを利用して光合成を行う。そして、光合成を行うことによって、植物はデンプンや糖分などの有機物を生み出す。さらにその植物を草食動物が食べ、草食動物を肉食動物を食べる。これら生態系のサイクルを作り出す重要な役割を担っているのが、植物という名の生産者なのである。

 では、植物のいない環境で、深海生物たちはどのように暮らしているのか?

 深海生物たちは、海の浅いところから深海へとふってくる〈マリンスノー〉と呼ばれるプランクトンの死骸を食べたり、生物の排泄物を食べたり、沈んできた大型生物の死骸を食べて生きている。

 大型の哺乳類の死骸が深海へふってくると、ただでさえ餌の少ない環境に現れた大きな食べ物に深海生物たちは歓喜し、バーゲンセールみたいにあちこちから大量に集まってくる、といった現象が起こる。

 その、大きな餌に深海生物たちが群がる様子が、今現在、僕が見ている景色と類似しているように思えたのだ。

「……おや?」

 通りを歩く一人の男が、僕たちを見て足を止めた。ラフなTシャツにジーパン。履いている靴はサンダル。腰のあたりに、英語の文字が書かれたエプロンを付けていた。

 顔は魚だった。出目金みたいに両目が大きく、頬には小さなエラがついている。顔全体が透明な膜のようなもので覆われていて、まるで宇宙飛行士がつける強化ガラスのヘルメットを被っているみたいだった。

 この魚も、深海生物の図鑑で見たことがある。確か、名前はデメニギスだ。

「見たところ、君たちはこの町に来たばかりのようだね」

「まぁ、そうですね……。デメニギスさんは、いつからこの町に住んでいるんですか?」

 僕がそうたずねると、デメニギス男は感心した様子で言った。

「君、僕の顔の名前がわかるんだね。こんなマニアックな魚の名前を知っているなんて、君はなかなかマニアックな子だ」

「本を読んでるので、深海生物の姿と名前はある程度記憶しているんです」

 僕はランドセルから深海生物の図鑑を取り出し、デメニギス男に見せた。

 それは、僕がどこに行く時も必ず肌身離さず持ち歩いている、大事な宝物だった。

「これは、大好きな叔父さんからもらった物なんです。内容は頭に入っているので、今では、深海生物を見ただけで、その生物の名前がパッと頭に浮かんでくるようになりました」

「君の叔父さんも、深海生物が好きな人だったんだね」

「はい。僕よりも深海生物について詳しかったです」

「深海生物マニアなのかな、叔父さんは。……いや、ひょっとして叔父さんは、深海生物を調べる学者さんだったとか?」

「叔父さんは研究者です。とある海洋生物研究所に勤めていました」

「研究者? ……まさかっ!」

 デメニギス男はカッと目を見開いた。

「もしかして、君は……」

 デメニギス男は睨むように僕を見つめた。そしていきなり「ギョー!」と叫んで両手を上げた。

「いやぁ、なんてこったい! 沼川(ぬまかわ)幸一(こういち)君じゃあないか!」

「え?」

 名乗ってないのに本名を当てられて、僕はドキッとした。

「あの、どうして僕の名前を知っているのですか?」

「知ってるよ! だって君は、僕のお兄さんの息子だからね!」

「それって、つまり……。あなたは僕の叔父さんってことですか?」

「ああ!」

 絶対に嘘だ。僕の叔父さんは、こんなデメニギスみたいな顔じゃあない。

 そもそも、叔父さんは

のだ。こんなところにいるはずがない。

「こんな顔になっちゃったから、わからないのも無理はないね。でも、僕は本当に、君の叔父さんなんだ!」

「信じられません」

「そうか……」

 デメニギス男はぶよぶよの頭皮を右手で掻いた。

「それなら、証拠を見せてあげよう」

 デメニギス男は両手を上げて自分の頭の上で輪を作り、大きな目をさらに大きく見開いた。

「行くよ……。デメニギスのポーズ!」

 デメニギス男がとった奇妙なポーズを見て、新田と杏は口を半分開いて溜息に似た声を漏らした。

 僕は、絶句していた。叔父さんのポーズがヘンテコすぎて言葉を失ったわけではない。そのポーズは、生きていた頃の叔父さんがよくやっていたポーズだったのだ。

 幼かった頃の僕は、陽気な叔父さんの変なポーズを見て、きゃはきゃはと手を叩いて笑った。こんな変なポーズをとる人はこの世界に叔父さんしかいないだろうと僕は思っていた。

 あのとき懐いた気持ちは、叔父さんが死んだあとも変わらなかった。叔父さんしかできないポーズができるということは、目の前にいるデメニギス男の正体は……。

「……嘘だろ」

「嘘じゃないよ。コーイチ君」

「本当に、叔父さんなの? 氷上(ひかみ)想一(そういち)叔父さんなの!?」

「さっきから、そう言ってるじゃないか」

 デメニギス男は腕を組んだ。

「『なんで生きているの?』って、思っているだろ?」

「そりゃあ、誰だってそう思うよ……」

 今から三年前。海洋研究者の叔父さんは、深海生物に関する研究を行う施設で働いていた。

 ある日、叔父さんは仲間の研究者と共に、深海生物の研究サンプルを入手するため船に乗って沖へ出た。

 それから何日待っても、叔父さんは陸へ戻って来なかった。

 両親が言うには、叔父さんは気象が複雑で、かつ波の流れが激しい海域に入ってしまったせいで予想外の大波に襲われ、船諸共、海の藻屑になってしまったらしい。

 叔父さんと、一緒に船に乗っていた乗組員たちの死体を発見できなかったので、叔父さんたちは死んでしまった、と誰もがそう決めつけていた。

 だけど、叔父さんはずっと、このへんぴな町で生きていたのだ。

 なんでデメニギスの顔になってしまったかは不明だが、そんなことはどうでもよかった。

 叔父さんが生きているとわかった嬉しさで、僕は泣きそうになった。
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