第5話
文字数 3,594文字
コウモリダコパラシュートでどんどん沈んで行く。もう、中深層の明かりは見えなくなってしまった。僕たちの周りは、完全に闇で覆われた。漸深層を通過し、深海層あたりまで来たのかもしれない。
当たり前の話だが、普通、深海へ行くためには潜水艇などの乗り物を用いる。乗り物内の気圧を目的地の深度に合わせて調節し、呼吸のための空気も、潜水用に作られたヘリウムと酸素を混ぜ合わせた混合ガスなどの専用のものを準備しなければいけない。さらに、ヘリウムには体温を奪う性質があるので、身体を冷やさないように加温服の着用も必須だ。でも、僕たちは誰も身体に異常をきたしておらず、普通に息を吸い、普通に話をすることができた。
「高野森さん。一つ、きいてもいいですか?」
「いいわよ」
「どうして僕と新田と杏を、家族にしたいと思ったんですか?」
「君たちが、私の息子と娘に似ているからよ」
高野森さんの顔が僕の方を向いた。何が楽しいのか知らないけれど、高野森さんはニコニコ微笑んでいた。
「コーイチ君。君は、私の長男によく似ているわ。喋り方もそっくり」
「ただ似ているだけでこんなことをしたのですか?」
「そうよ」
高野森さんは正直な人だった。大胆不敵な行動派で、相手と接するときは嘘をつかない。
きっと、生きていた頃の高野森さんは、家族みんなから慕われる良いお母さんだったのだろう。
「私は寂しかった……。家族を残して、たった一人で海の底へ沈んだ悲劇をどうしても忘れることができなくて、この世界で新しい家族を見つけることにしたの」
寂しい、という感情が大きくなると、人は平気で誘拐犯になってしまうのだろうか。
「ていうか、高野森さんは、なんで死んだんですか?」
ウチワフグの福田さんに続き、新田が死人に対してまたもや失礼な質問をしたが、高野森さんはまったく怒る素振りを見せず、普通に答えてくれた。
「家族で海水浴に出かけたの。息子二人と娘一人が沖の方へ行きたいと言ったから、泳ぎが苦手な父の代わりに、私が付き添って三人と一緒に足が底につかない深い場所まで行った。そしたら、長男が突然、体調不良を訴えて、まともに泳ぐことができなくなってしまった。……海中にいた、クラゲに刺されたことが原因でね」
クラゲという生物は、世界中の海に生息し、種類も多い。水族館の、観賞用の生物として飼われている姿だったり、海で泳いでいる最中にたまたま出会ったりなど、その姿を直接目にしたことがある人も多いはず。透明でプニプニした体と、水中をフワフワ泳ぐ姿が好きで、癒し系ペットとして飼う人も多くいると聞く。クラゲは、海洋生物の中で、かなり知名度の高い生物といえるだろう。
だが、可愛い見た目に油断してはいけない。クラゲという生物は、甲殻類や魚類などを積極的に襲って食べる、活発な肉食動物なのだ。加えて、クラゲは、ほとんどの種が毒を持っており、また、海中では透明な体がステルス迷彩のように機能するため、自身の姿を認知されることなく敵と見なした生物や捕食対象に攻撃することができる、まさに、水中の〈暗殺者〉だ。
毎年、海水浴の時期になると、多くの海水浴客が世界中の海でクラゲに殺されている。陸上で最も多く人間を殺している生物は〈蚊 〉や〈蜂 〉などの昆虫だといわれているが、海中で最も多く人間を殺している生物は、間違いなく〈海月 〉だろう。
「息子は、一緒にいた次男と長女にお願いして、浜まで運んでもらったから、命を落とさずに済んだと思う。でも、私はダメだった。私も刺されていたことに、あとになって気づいた。先を行く息子二人と娘一人を追っている最中に目まいを感じたの。全身に痺れるような痛みが走って、まともに泳げなくなってしまった。でも、長男を連れて泳ぐ二人に助けを求めたら、みんなそろって海に沈んでしまうと思った。だから、私は自力で陸まで行こうと努力した。でも、ダメだった……。眩い光を放つ太陽が、徐々に遠退いて行ったわ。足に重りを付けられたみたいに、私は下半身から海の底へ沈んで行ったの……」
そして、高野森さんは死んだ。幽霊になり、案内人に出会って、この町へやって来た。
「着いたわよ」
高野森さんはパラシュートを閉じ、僕たちを降ろした。
「ここ、どこですか?」
真っ暗闇で、自分の身体だけじゃあなく、新田や杏、高野森さんの身体さえ見えない。
遠くの方から、謎の呻き声が聞こえてくる。重い荷物を引きずって歩いているような音もする。
「ここは超深海層よ。暗くて、隠れるにはもってこいの場所……」
親魚の尻尾を追いかける小魚のように、僕と新田と杏は、高野森さんのあとをついていった。
僕は右手で新田の左手を握り、新田は右手で杏の左手を握って、お互いに離れ離れにならないようにしていた。高野森さんの体色と超深海層の暗闇はかなり相性が良いようで、気を抜くと景色と身体が同化し、見失いそうになるので、僕は彼女の背中に身体が当たるギリギリまで接近して、絶対に迷子にならないよう、細心の注意を払って歩いていた。
こっちは歩く道を探すのだけで大変なのに、高野森さんは灯り無しで見えない道をずんずん進んで行く。
そして、どこをどう歩いたのかまったくわからないが、僕たちは目的地に到着した。
しかし、そこもやはり、何も見えない暗闇だった。ここではライトを使っていいのか、高野森さんはスカート状の膜が張られた腕を翻し、発光液を天井に向かって放った。べっとりと天井にはり付いた発光液が光を放ち、周りがパッと明るくなって、僕たちが今いる場所が、
「お腹空いてる? 何か食べる?」
高野森さんにそうきかれ、新田が「めちゃくちゃお腹空いた」と答えた。
「そう。じゃあ、ちょっと取りにいってくるわ。眠くなったら、私のベッドを使っていいからね」
「ここって、安全なんですか?」
杏が怯えた声で質問する。
「安全よ。外にいる連中は、この家には入って来られないからね」
「……外にいる連中って、なんですか?」
僕の質問に、高野森さんは「とんでもなく身体が大きな生物たち」と答えた。知っている、ということは実際に会ったことがあるのだろう。ここに着くまでの道中で、僕が聞いた呻き声や物音は、きっと、高野森さんが言う巨大生物たちが発していた音だったに違いない。
「その生物たちは、どうしてここに入って来られないのですか?」
「身体が大きすぎるのが一番の理由ね。後は、目が悪いっていうのもある」
「こんな暗い場所にいたら、僕たちの目も悪くなってしまいます。火を灯すためのロウソクとマッチとかは無いのですか?」
「ロウソクとマッチはあるけれど、ここでは点けない方がいいわ。火の灯りを目印にして、外にいる奴らが集まってくるのよ」
「目が悪いのに、火の灯りが見えるのですか?」
「目が完全に見えない奴もいるけど、中には、光を感知できる奴もいる。そういった奴らを近づけさせないようにするために、私は暗闇で生活をしているの」
僕はチラリと天井へ目を向けた。
「発光液、めちゃくちゃ光ってますよ?」
「あなたたちに部屋の中を見てもらうために明るくしたのよ。でも、すぐ消えるから大丈夫。発光液の灯りが無くなったあとは、絶対に外に出ないようにしてね」
「はい」
僕たちが返事をしたあと、天井の発光液から放たれる光がフッと消えた。それと同時に、高野森さんの気配も消えた。
「……コーイチ、どうしよう?」
杏が僕の腕をぎゅっと抱いて、不安げに訊いてくる。
「諦めるな。僕たちはまだ生きている。両手両足も動く。そして、高野森さんもいなくなった。今なら脱走できる」
「そうは言っても、外には巨大生物が沢山いるんでしょう……? 出たら危ないんじゃ……」
「巨大生物なんてのは、ただデカいだけで怖くない。だって、この町の住人は、現実の深海に住む生物みたいに、生物を襲って食べたりしないんだ。つまり、この世界の巨大生物なんてのは、極端に身体が大きくなった、ただの人間なんだよ」
人間であれば、話が通じるはず。勿論、全員が良い人とは限らないけれど、中には、こちらの頼みを聞いてくれる親切な人もいるはずだ。
「巨大生物から逃げるのではなく、逆に見つけるんだ。そして、その生物に上の階層へ行く方法を聞く。運が良ければ、その人が僕たちの案内人になってくれるかもしれない」
ここまで言ってもまだ心配なのか、新田と杏は黙ってしまう。
僕は二人の肩を掴んで、強い口調で言った。
「希望を持とう。二人はまだ、死にたくはないだろう」
新田と杏は頷いた。
「僕も死にたくない。だから、行動するんだ。僕たち三人で中深層へと戻る」
僕は二人の肩から手を離し、家の奥を指差した。
「ロウソクとマッチを探そう。光を灯して、ここへ超深海層の住人を集められるだけ集めるんだ」
当たり前の話だが、普通、深海へ行くためには潜水艇などの乗り物を用いる。乗り物内の気圧を目的地の深度に合わせて調節し、呼吸のための空気も、潜水用に作られたヘリウムと酸素を混ぜ合わせた混合ガスなどの専用のものを準備しなければいけない。さらに、ヘリウムには体温を奪う性質があるので、身体を冷やさないように加温服の着用も必須だ。でも、僕たちは誰も身体に異常をきたしておらず、普通に息を吸い、普通に話をすることができた。
「高野森さん。一つ、きいてもいいですか?」
「いいわよ」
「どうして僕と新田と杏を、家族にしたいと思ったんですか?」
「君たちが、私の息子と娘に似ているからよ」
高野森さんの顔が僕の方を向いた。何が楽しいのか知らないけれど、高野森さんはニコニコ微笑んでいた。
「コーイチ君。君は、私の長男によく似ているわ。喋り方もそっくり」
「ただ似ているだけでこんなことをしたのですか?」
「そうよ」
高野森さんは正直な人だった。大胆不敵な行動派で、相手と接するときは嘘をつかない。
きっと、生きていた頃の高野森さんは、家族みんなから慕われる良いお母さんだったのだろう。
「私は寂しかった……。家族を残して、たった一人で海の底へ沈んだ悲劇をどうしても忘れることができなくて、この世界で新しい家族を見つけることにしたの」
寂しい、という感情が大きくなると、人は平気で誘拐犯になってしまうのだろうか。
「ていうか、高野森さんは、なんで死んだんですか?」
ウチワフグの福田さんに続き、新田が死人に対してまたもや失礼な質問をしたが、高野森さんはまったく怒る素振りを見せず、普通に答えてくれた。
「家族で海水浴に出かけたの。息子二人と娘一人が沖の方へ行きたいと言ったから、泳ぎが苦手な父の代わりに、私が付き添って三人と一緒に足が底につかない深い場所まで行った。そしたら、長男が突然、体調不良を訴えて、まともに泳ぐことができなくなってしまった。……海中にいた、クラゲに刺されたことが原因でね」
クラゲという生物は、世界中の海に生息し、種類も多い。水族館の、観賞用の生物として飼われている姿だったり、海で泳いでいる最中にたまたま出会ったりなど、その姿を直接目にしたことがある人も多いはず。透明でプニプニした体と、水中をフワフワ泳ぐ姿が好きで、癒し系ペットとして飼う人も多くいると聞く。クラゲは、海洋生物の中で、かなり知名度の高い生物といえるだろう。
だが、可愛い見た目に油断してはいけない。クラゲという生物は、甲殻類や魚類などを積極的に襲って食べる、活発な肉食動物なのだ。加えて、クラゲは、ほとんどの種が毒を持っており、また、海中では透明な体がステルス迷彩のように機能するため、自身の姿を認知されることなく敵と見なした生物や捕食対象に攻撃することができる、まさに、水中の〈暗殺者〉だ。
毎年、海水浴の時期になると、多くの海水浴客が世界中の海でクラゲに殺されている。陸上で最も多く人間を殺している生物は〈
「息子は、一緒にいた次男と長女にお願いして、浜まで運んでもらったから、命を落とさずに済んだと思う。でも、私はダメだった。私も刺されていたことに、あとになって気づいた。先を行く息子二人と娘一人を追っている最中に目まいを感じたの。全身に痺れるような痛みが走って、まともに泳げなくなってしまった。でも、長男を連れて泳ぐ二人に助けを求めたら、みんなそろって海に沈んでしまうと思った。だから、私は自力で陸まで行こうと努力した。でも、ダメだった……。眩い光を放つ太陽が、徐々に遠退いて行ったわ。足に重りを付けられたみたいに、私は下半身から海の底へ沈んで行ったの……」
そして、高野森さんは死んだ。幽霊になり、案内人に出会って、この町へやって来た。
「着いたわよ」
高野森さんはパラシュートを閉じ、僕たちを降ろした。
「ここ、どこですか?」
真っ暗闇で、自分の身体だけじゃあなく、新田や杏、高野森さんの身体さえ見えない。
遠くの方から、謎の呻き声が聞こえてくる。重い荷物を引きずって歩いているような音もする。
「ここは超深海層よ。暗くて、隠れるにはもってこいの場所……」
親魚の尻尾を追いかける小魚のように、僕と新田と杏は、高野森さんのあとをついていった。
僕は右手で新田の左手を握り、新田は右手で杏の左手を握って、お互いに離れ離れにならないようにしていた。高野森さんの体色と超深海層の暗闇はかなり相性が良いようで、気を抜くと景色と身体が同化し、見失いそうになるので、僕は彼女の背中に身体が当たるギリギリまで接近して、絶対に迷子にならないよう、細心の注意を払って歩いていた。
こっちは歩く道を探すのだけで大変なのに、高野森さんは灯り無しで見えない道をずんずん進んで行く。
そして、どこをどう歩いたのかまったくわからないが、僕たちは目的地に到着した。
しかし、そこもやはり、何も見えない暗闇だった。ここではライトを使っていいのか、高野森さんはスカート状の膜が張られた腕を翻し、発光液を天井に向かって放った。べっとりと天井にはり付いた発光液が光を放ち、周りがパッと明るくなって、僕たちが今いる場所が、
かまくら
みたいなドーム型の洞穴であることがわかった。「お腹空いてる? 何か食べる?」
高野森さんにそうきかれ、新田が「めちゃくちゃお腹空いた」と答えた。
「そう。じゃあ、ちょっと取りにいってくるわ。眠くなったら、私のベッドを使っていいからね」
「ここって、安全なんですか?」
杏が怯えた声で質問する。
「安全よ。外にいる連中は、この家には入って来られないからね」
「……外にいる連中って、なんですか?」
僕の質問に、高野森さんは「とんでもなく身体が大きな生物たち」と答えた。知っている、ということは実際に会ったことがあるのだろう。ここに着くまでの道中で、僕が聞いた呻き声や物音は、きっと、高野森さんが言う巨大生物たちが発していた音だったに違いない。
「その生物たちは、どうしてここに入って来られないのですか?」
「身体が大きすぎるのが一番の理由ね。後は、目が悪いっていうのもある」
「こんな暗い場所にいたら、僕たちの目も悪くなってしまいます。火を灯すためのロウソクとマッチとかは無いのですか?」
「ロウソクとマッチはあるけれど、ここでは点けない方がいいわ。火の灯りを目印にして、外にいる奴らが集まってくるのよ」
「目が悪いのに、火の灯りが見えるのですか?」
「目が完全に見えない奴もいるけど、中には、光を感知できる奴もいる。そういった奴らを近づけさせないようにするために、私は暗闇で生活をしているの」
僕はチラリと天井へ目を向けた。
「発光液、めちゃくちゃ光ってますよ?」
「あなたたちに部屋の中を見てもらうために明るくしたのよ。でも、すぐ消えるから大丈夫。発光液の灯りが無くなったあとは、絶対に外に出ないようにしてね」
「はい」
僕たちが返事をしたあと、天井の発光液から放たれる光がフッと消えた。それと同時に、高野森さんの気配も消えた。
「……コーイチ、どうしよう?」
杏が僕の腕をぎゅっと抱いて、不安げに訊いてくる。
「諦めるな。僕たちはまだ生きている。両手両足も動く。そして、高野森さんもいなくなった。今なら脱走できる」
「そうは言っても、外には巨大生物が沢山いるんでしょう……? 出たら危ないんじゃ……」
「巨大生物なんてのは、ただデカいだけで怖くない。だって、この町の住人は、現実の深海に住む生物みたいに、生物を襲って食べたりしないんだ。つまり、この世界の巨大生物なんてのは、極端に身体が大きくなった、ただの人間なんだよ」
人間であれば、話が通じるはず。勿論、全員が良い人とは限らないけれど、中には、こちらの頼みを聞いてくれる親切な人もいるはずだ。
「巨大生物から逃げるのではなく、逆に見つけるんだ。そして、その生物に上の階層へ行く方法を聞く。運が良ければ、その人が僕たちの案内人になってくれるかもしれない」
ここまで言ってもまだ心配なのか、新田と杏は黙ってしまう。
僕は二人の肩を掴んで、強い口調で言った。
「希望を持とう。二人はまだ、死にたくはないだろう」
新田と杏は頷いた。
「僕も死にたくない。だから、行動するんだ。僕たち三人で中深層へと戻る」
僕は二人の肩から手を離し、家の奥を指差した。
「ロウソクとマッチを探そう。光を灯して、ここへ超深海層の住人を集められるだけ集めるんだ」