第1話
文字数 3,661文字
放課後を知らせるチャイムが鳴ると、僕のいる五学年の教室は、ランドセルを背負った子供たちの声でお祭りみたいに騒がしくなった。
「コーイチ!」
ランドセルに教科書やら筆記用具やらを詰め込み、背負った瞬間、友達の赤沢 新田 に話しかけられた。
「コーイチは、このあと何かやることある?」
「いや、ないよ」
「じゃあ、ボクと一緒に深海生物を見に行こう!」
「水族館に行くってこと?」
「違う違う。深海に直接行って見るんだよ」
「深海?」
「コーイチ! 一緒に帰ろう!」
僕と新田の間に、天然パーマの女の子——獺沢 杏 が割り込んできた。
「ダメだよ杏。今日のコーイチは忙しいんだ。一人で帰ってくれ」
「えー、なんで?」
「ボクと一緒に深海生物を見に行く用事があるからだよ」
「僕はまだ行くって言ってないよ」
「はい、今言った! 行くって言った!」
「なんでもいいから早く行こう!」
僕と新田と杏は廊下を歩いて昇降口まで行き、靴を履き替えて外に出た。西の空にある太陽の光が肌を照らす。校庭を進むたびに足裏に砂の熱が伝わってくる。着ているシャツが汗で濡れ、肌にべたべた張りついて不快な気分になった。
僕のうしろを歩く杏と新田は、夏の暑さも汗のべたつきもまったく気にならないようで、仲良さげに会話していた。
「コーイチ!」
「うわっ!?」
新田にいきなり肩を掴まれて、僕はビクッとした。
「もうっ、いきなりなんだよ!?」
「ボクたちの話、聞いてた?」
「ごめん、聞いてなかった。暑さでそれどころじゃなくて……」
「さっき、このまま博物館に行こうって、三人で相談していたんだよ」
「僕を会話に入れないで『三人で相談』はおかしいよね」
「で、行くってことになったの!」
僕の突っ込みを無視して、杏が相談の結果を言った。
「博物館の地下に、深海に行ける隠し通路があるんだって!」
「博物館の地下? 本当に?」
「そうだよコーイチ! ボクたちが住んでいる町に博物館があるでしょ? その地下室に、深海へ続く隠し通路があるんだ!」
「その話は誰から聞いたの?」
「従妹から聞いた。従妹のお父さんがね、子供の頃に博物館の地下室に入ったことがあって、そのときに地下へ続く階段を発見したんだって。それで、気になって階段をおりてみたら……。あらビックリ! なんとそこは、深海生物が暮らす町だったのです!」
従妹のお父さんは、地下室で居眠りしていたのではないだろうか。深海生物が暮らす町に行った夢を見て、その夢の話を新田は本当の話だと信じたのだ。
「多分、その話は嘘だよ」
「いやいや、嘘じゃないって! 多分、間違いなく本当の話なんだって!」
「多分なのか、間違いないのか、どっちだよ」
「んー、多分!」
「自分もそこまで信じてないじゃん……」
僕は呆れて溜息を吐いた。これ以上、新田の嘘の話につきあうのは面倒だ。校庭を出たところで僕は立ち止まって新田に言った。
「僕、帰るね。深海には二人で行ってよ」
「どこに帰るの?」
「家だよ」
新田には、家以外に帰る場所があるのだろうか。『生まれ故郷の星に帰る』とか? お前はウルトラマンか。
「二人とも、また明日……」
「ちょっとコーイチ! せっかく誘ってるのに、そんな冷たくあしらわなくてもいいじゃん!」
杏は頬をフグみたいに膨らませた。
確かに、杏の言うことにも一理あると思った。内容が嘘でも、僕と一緒に博物館に行きたがっている新田と杏の気持ちは嘘じゃない。その気持ちを適当に聞き流すのは、さすがにひどい。僕が誘う側の立場で二人に冷たくあしらわれたら、心が傷ついて二度と二人を遊びに誘おうと思わなくなるかもしれない。
「ご、ごめん。やっぱり僕も博物館に行くよ」
「ホント? コーイチ、あたしたちと一緒に来てくれるの?」
「うん」
「やったぁ!」
「じゃあ、博物館にレッツゴー!」
二人が嬉しそうに笑うのを見て、僕は「まぁいいや」って気持ちになった。
僕たちが住んでいる町には、大きな博物館がある。このあたりの土地で発見された古生代、中生代の化石や、縄文時代の土器、骨角器などが数多く展示されており、大昔から現代までの長い歴史を知るにはもってこいの場所だった。
「で、どうするの?」
博物館の正面玄関前で、僕は新田にきいた。
「『深海に行ける隠し通路を探しに来た』なんて理由じゃあ、地下室には入れないよ?」
地下室は、学生や生徒なら、入るに相当する理由が書かれ、校長が印を押した見学証明書を提示しなければ絶対に中に入ることができないのだ。
「大丈夫だよ。ボクにはとっておきの
最終ということは、それ以外に手は用意されていないのだろう。
新田は背負っていたランドセルを下ろし、中からA4サイズの紙を一枚取り出した。
「これを見るがよい!」
「なんだよその紙は? ……って、ええっ! それ、見学証明書じゃん!」
紙には達筆で、歴史の勉強のために地下室の見学をさせてほしい等の文が書かれており、校長先生の印もちゃんと押されていた。
間違いなく、これは見学証明書だ。しかし、見学証明書はどんな生徒でも簡単に手に入れられる代物ではない。日々の授業態度や成績などを担任が考慮し、問題がないと判断された場合のみ校長先生に話が行く。そこでさらに校長先生の審査が入り、それをクリアしてやっと手に入れられるのだ。
新田は成績は良いが、授業態度が悪いので審査で落とされる可能性が高い。なのになぜ、見学証明書をもらうことができたのだろうか。
「もしかして、他の人にお願いした?」
「その通り!
そして新田は、みどりの容姿が好きなのか、教室では積極的に絡んで行く姿をよく目にする。クラスの誰もが「みどりと新田は仲良しだ」と思っているに違いない。
それが本当の友達の関係なのか、みどりの下につくことで自分の評価を上げようとしているのか……。真偽はわからないが、新田がみどりにお願いして見学証明書を手に入れたことは、嘘ではなさそうだ。
僕たちは正面玄関からエントランスホールに入った。受付のオジサンに見学証明書を見せると、あっさり、地下室に案内してくれた。
オジサンが電気のスイッチを押すと、部屋の中がパッと明るくなった。広さは教室二つ分はありそうだった。床から天井までの高さは三メートルほどだ。図書館みたいに沢山の大きな棚が壁に背中をつけて並べられていて、年代が書かれたファイルがぎちぎちに納まっていた。
あれは、もしかして……。
床の一角に取っ手の付いた扉があり、あれが噂の、深海へ続く隠し通路ではないかと僕は思った。
「私は上にいますので、何かあったら声をかけてください」
そう言って、オジサンは部屋から出て入口の扉を閉めた。
オジサンの足音が部屋の外から聞こえなくなると、新田が、今がチャンスとばかりに床の扉に駆け寄った。
「これだ! 多分、間違いないよ!」
新田は取っ手に両手をかけ、強く引っ張った。僕と杏は、新田の肩越しに中をのぞきこんだ。人が通れそうな通路が見える。その奥は、部屋の光がとどかず真っ暗で、どうなっているか確認できなかった。
「誰か電灯持ってない?」
「ボクは持ってない」
「あたしも」
「そのへんに非常用の電灯とか置いてないかな?」
「必要ないよ。ボクが入って中を確認してくる」
新田は穴の縁に腰かけ、下半身から中に滑り込んで行った。
「おい新田! 気をつけろよ!」
「わかってるわかってる。……あっ!」
「どうしたの!?」
「階段見つけた!」
「ホント!? あたしも見たい!」
新田を追って杏も穴の中に入る。
「コーイチも早く入れよ! どんだけ怖がりなんだよ!」
「お前が着地地点にいるから、おりられないんだよ!」
騒ぐ新田を足でどかして、僕も穴の中に全身を入れた。
入り口は狭かったのに、穴の中は両手を広げても壁に手がつかないほど広かった。
「奥に行ってみよう。深海に行けるかもよ」
「電灯も無しに行くのは危険だよ」
僕は、僕たちが入って来た穴を指差した。
「一旦さっきの部屋に戻って、電灯を探してからここに戻ってこよう」
「行くよー」
僕の提案を無視して新田と杏は進み始めた。
「本当にこのまま進むの?」
「大丈夫、大丈夫! 壁に手をつけながら進めばそんなに危なくないから!」
「足元が見えなくて危ないよ。スッ転んで頭をカチ割るかもしれない」
「それが楽しいんじゃないか」
もう何を言っても無駄だ、と僕は思った。
電灯は諦め、僕は両手を壁につけて先を行く新田の後を追った。僕の後に、杏が続く。少し進むと、足元が急に不安定になった。
「段差だ」
「階段でしょ」
「……だね」
僕らは両手を壁につけて、カニみたいに横歩きで階段をくだった。
カカカツン、カカカツン……。
僕らが一段おりる度に、三人分の足音が響いた。
「コーイチ!」
ランドセルに教科書やら筆記用具やらを詰め込み、背負った瞬間、友達の
「コーイチは、このあと何かやることある?」
「いや、ないよ」
「じゃあ、ボクと一緒に深海生物を見に行こう!」
「水族館に行くってこと?」
「違う違う。深海に直接行って見るんだよ」
「深海?」
「コーイチ! 一緒に帰ろう!」
僕と新田の間に、天然パーマの女の子——
「ダメだよ杏。今日のコーイチは忙しいんだ。一人で帰ってくれ」
「えー、なんで?」
「ボクと一緒に深海生物を見に行く用事があるからだよ」
「僕はまだ行くって言ってないよ」
「はい、今言った! 行くって言った!」
「なんでもいいから早く行こう!」
僕と新田と杏は廊下を歩いて昇降口まで行き、靴を履き替えて外に出た。西の空にある太陽の光が肌を照らす。校庭を進むたびに足裏に砂の熱が伝わってくる。着ているシャツが汗で濡れ、肌にべたべた張りついて不快な気分になった。
僕のうしろを歩く杏と新田は、夏の暑さも汗のべたつきもまったく気にならないようで、仲良さげに会話していた。
「コーイチ!」
「うわっ!?」
新田にいきなり肩を掴まれて、僕はビクッとした。
「もうっ、いきなりなんだよ!?」
「ボクたちの話、聞いてた?」
「ごめん、聞いてなかった。暑さでそれどころじゃなくて……」
「さっき、このまま博物館に行こうって、三人で相談していたんだよ」
「僕を会話に入れないで『三人で相談』はおかしいよね」
「で、行くってことになったの!」
僕の突っ込みを無視して、杏が相談の結果を言った。
「博物館の地下に、深海に行ける隠し通路があるんだって!」
「博物館の地下? 本当に?」
「そうだよコーイチ! ボクたちが住んでいる町に博物館があるでしょ? その地下室に、深海へ続く隠し通路があるんだ!」
「その話は誰から聞いたの?」
「従妹から聞いた。従妹のお父さんがね、子供の頃に博物館の地下室に入ったことがあって、そのときに地下へ続く階段を発見したんだって。それで、気になって階段をおりてみたら……。あらビックリ! なんとそこは、深海生物が暮らす町だったのです!」
従妹のお父さんは、地下室で居眠りしていたのではないだろうか。深海生物が暮らす町に行った夢を見て、その夢の話を新田は本当の話だと信じたのだ。
「多分、その話は嘘だよ」
「いやいや、嘘じゃないって! 多分、間違いなく本当の話なんだって!」
「多分なのか、間違いないのか、どっちだよ」
「んー、多分!」
「自分もそこまで信じてないじゃん……」
僕は呆れて溜息を吐いた。これ以上、新田の嘘の話につきあうのは面倒だ。校庭を出たところで僕は立ち止まって新田に言った。
「僕、帰るね。深海には二人で行ってよ」
「どこに帰るの?」
「家だよ」
新田には、家以外に帰る場所があるのだろうか。『生まれ故郷の星に帰る』とか? お前はウルトラマンか。
「二人とも、また明日……」
「ちょっとコーイチ! せっかく誘ってるのに、そんな冷たくあしらわなくてもいいじゃん!」
杏は頬をフグみたいに膨らませた。
確かに、杏の言うことにも一理あると思った。内容が嘘でも、僕と一緒に博物館に行きたがっている新田と杏の気持ちは嘘じゃない。その気持ちを適当に聞き流すのは、さすがにひどい。僕が誘う側の立場で二人に冷たくあしらわれたら、心が傷ついて二度と二人を遊びに誘おうと思わなくなるかもしれない。
「ご、ごめん。やっぱり僕も博物館に行くよ」
「ホント? コーイチ、あたしたちと一緒に来てくれるの?」
「うん」
「やったぁ!」
「じゃあ、博物館にレッツゴー!」
二人が嬉しそうに笑うのを見て、僕は「まぁいいや」って気持ちになった。
僕たちが住んでいる町には、大きな博物館がある。このあたりの土地で発見された古生代、中生代の化石や、縄文時代の土器、骨角器などが数多く展示されており、大昔から現代までの長い歴史を知るにはもってこいの場所だった。
「で、どうするの?」
博物館の正面玄関前で、僕は新田にきいた。
「『深海に行ける隠し通路を探しに来た』なんて理由じゃあ、地下室には入れないよ?」
地下室は、学生や生徒なら、入るに相当する理由が書かれ、校長が印を押した見学証明書を提示しなければ絶対に中に入ることができないのだ。
「大丈夫だよ。ボクにはとっておきの
最終兵器
があるんだ」最終ということは、それ以外に手は用意されていないのだろう。
新田は背負っていたランドセルを下ろし、中からA4サイズの紙を一枚取り出した。
「これを見るがよい!」
「なんだよその紙は? ……って、ええっ! それ、見学証明書じゃん!」
紙には達筆で、歴史の勉強のために地下室の見学をさせてほしい等の文が書かれており、校長先生の印もちゃんと押されていた。
間違いなく、これは見学証明書だ。しかし、見学証明書はどんな生徒でも簡単に手に入れられる代物ではない。日々の授業態度や成績などを担任が考慮し、問題がないと判断された場合のみ校長先生に話が行く。そこでさらに校長先生の審査が入り、それをクリアしてやっと手に入れられるのだ。
新田は成績は良いが、授業態度が悪いので審査で落とされる可能性が高い。なのになぜ、見学証明書をもらうことができたのだろうか。
「もしかして、他の人にお願いした?」
「その通り!
みどり
にお願いしたんだよ!」みどり
は僕らがいるクラスの委員長を務める女子だ。クラスで一番信頼されているみどりが、「歴史の勉強をしたいので博物館の地下室に入るための見学証明書がほしい」と言えば、校長先生はコロッと納得するだろう。そして新田は、みどりの容姿が好きなのか、教室では積極的に絡んで行く姿をよく目にする。クラスの誰もが「みどりと新田は仲良しだ」と思っているに違いない。
それが本当の友達の関係なのか、みどりの下につくことで自分の評価を上げようとしているのか……。真偽はわからないが、新田がみどりにお願いして見学証明書を手に入れたことは、嘘ではなさそうだ。
僕たちは正面玄関からエントランスホールに入った。受付のオジサンに見学証明書を見せると、あっさり、地下室に案内してくれた。
オジサンが電気のスイッチを押すと、部屋の中がパッと明るくなった。広さは教室二つ分はありそうだった。床から天井までの高さは三メートルほどだ。図書館みたいに沢山の大きな棚が壁に背中をつけて並べられていて、年代が書かれたファイルがぎちぎちに納まっていた。
あれは、もしかして……。
床の一角に取っ手の付いた扉があり、あれが噂の、深海へ続く隠し通路ではないかと僕は思った。
「私は上にいますので、何かあったら声をかけてください」
そう言って、オジサンは部屋から出て入口の扉を閉めた。
オジサンの足音が部屋の外から聞こえなくなると、新田が、今がチャンスとばかりに床の扉に駆け寄った。
「これだ! 多分、間違いないよ!」
新田は取っ手に両手をかけ、強く引っ張った。僕と杏は、新田の肩越しに中をのぞきこんだ。人が通れそうな通路が見える。その奥は、部屋の光がとどかず真っ暗で、どうなっているか確認できなかった。
「誰か電灯持ってない?」
「ボクは持ってない」
「あたしも」
「そのへんに非常用の電灯とか置いてないかな?」
「必要ないよ。ボクが入って中を確認してくる」
新田は穴の縁に腰かけ、下半身から中に滑り込んで行った。
「おい新田! 気をつけろよ!」
「わかってるわかってる。……あっ!」
「どうしたの!?」
「階段見つけた!」
「ホント!? あたしも見たい!」
新田を追って杏も穴の中に入る。
「コーイチも早く入れよ! どんだけ怖がりなんだよ!」
「お前が着地地点にいるから、おりられないんだよ!」
騒ぐ新田を足でどかして、僕も穴の中に全身を入れた。
入り口は狭かったのに、穴の中は両手を広げても壁に手がつかないほど広かった。
「奥に行ってみよう。深海に行けるかもよ」
「電灯も無しに行くのは危険だよ」
僕は、僕たちが入って来た穴を指差した。
「一旦さっきの部屋に戻って、電灯を探してからここに戻ってこよう」
「行くよー」
僕の提案を無視して新田と杏は進み始めた。
「本当にこのまま進むの?」
「大丈夫、大丈夫! 壁に手をつけながら進めばそんなに危なくないから!」
「足元が見えなくて危ないよ。スッ転んで頭をカチ割るかもしれない」
「それが楽しいんじゃないか」
もう何を言っても無駄だ、と僕は思った。
電灯は諦め、僕は両手を壁につけて先を行く新田の後を追った。僕の後に、杏が続く。少し進むと、足元が急に不安定になった。
「段差だ」
「階段でしょ」
「……だね」
僕らは両手を壁につけて、カニみたいに横歩きで階段をくだった。
カカカツン、カカカツン……。
僕らが一段おりる度に、三人分の足音が響いた。