第4話
文字数 4,942文字
叔父さんの家は、商店街の端に存在した。
「崖の端に立って小便すると最高だよ! 穴に吸い込まれていくみたいで面白いんだ!」
叔父さんが下品なジョークを言ったが、僕と新田と杏はクスリとも笑わなかった。
入り口の暖簾をめくって、中に入る。五畳ほどの広さの中に、木製のテーブルと椅子が並べられていた。家具はそれ以外に無い。
「この家って、叔父さんが自分で建てたの?」
「いや。誰も住んでいなかったから、僕の家にした」
〈深海町〉では、基本的に、何をやってもいいみたいだ。
それならもっと良い住家があっただろうに、と僕は思ったが、叔父さんが自分で選んだのだから文句は言えない。
それに、叔父さんは昔から地味なものを好むタイプだった。生きている頃の叔父さんの部屋は、研究に使う物以外、何も置いていなかった。
「……おや? 今日は先客がいるのか」
そんなことを言いながら、知らない人が叔父さんの家に入ってきた。
「やあどうも。福田 さん」
誰だろう、と首を傾げる僕と新田と杏に、叔父さんは「この町で仲良くなった人だよ」と囁く。
福田さんは漁師のような格好をした男だった。腰を曲げて、右手に杖を持っているから、多分、お爺さんだ。初対面だが、僕は福田さんの顔の魚だけは、一目見て名前がわかった。
つるっとした肌に、左右に薄く伸びた体型。福田さんの顔は、ウチワフグだった。
腹部(顔で言うと顎)に、ひだ状に発達した膜があり、敵に襲われたとき、その膜をぷくーっと団扇 のように広げ、体を大きくして敵を驚かす行動をとることから、ウチワフグという名が付けられた魚だ。
和名はウチワフグ。だがしかし、英名では〈Three tooth puffer(三本歯のフグ)〉、中国名では〈三歯魨 〉と呼ばれている。その理由は、基本、フグは四枚の板状の歯を持つのだが、ウチワフグは上顎に二枚、下顎に一枚の三本歯という特徴を持っているからだ。
ちなみに、大抵のフグは体内に毒を蓄えているのだが、ウチワフグは無毒。沖縄では食用の魚として扱われているが、一般には流通していないので、珍味とされている。
「坊やたちは、見たところ、この町に来たばかりのようだねぇ」
福田さんは人懐っこい笑みを浮かべて、僕と新田と杏に話しかけて来た。
「まぁ、ちょっと色々あって……」
僕は曖昧に答えた。
「みんな色々な理由があってこの町にやって来る。歳は違えど、同じ境遇の者同士、仲良くしようじゃないか」
福田さんは、ぷくぷくと頬を膨らませて笑った。
多分、福田さんは良い人だ。現実のウチワフグみたいに、毒気がまったく感じられない。
「よっこらしょっと……」
福田さんは適当な椅子に腰かけ、足元に杖を置いた。
「想一君。良い酒が手に入ったから、一緒にやろうよ」
「おー、それはそれは! ぜひぜひ、いただきます!」
僕たちを無視するかのように、叔父さんと福田さんは酌を交わし始めた。
「君たちは呑まないのかい?」
小学生に対してそれはおかしい、と突っ込みたくなることを福田さんが言う。
「僕たちは、未成年ですので……」
当たり前の返答をすると、福田さんは「真面目な子たちだねぇ」と笑った。
「福田さんは、なんで死んだんですか?」
とんでもない質問を、新田がサラッと口にする。
「孫を連れて、船で沖まで釣りに出た。そこで突然の嵐に襲われて、沈没……。気がついたら幽霊。そして、このザマだよ」
相手によっては、落ち込んだり、怒る質問だったが、福田さんは柔和な笑みを崩さず、新田に答えた。
「お孫さんは、どうなったんですか?」
杏が、悲しげな表情を浮かべて訊く。
「ここに来ていないようだから、生きていると信じたいねぇ」
福田さんは酒が好きなのか、コップをテーブルに置こうとしなかった。
「……どうも」
暖簾をめくって、また知らない人が入ってきた。
僕と新田と杏が知らないのは当然だが、どうやら、叔父さんと福田さんもその人のことを知らないらしく、二人してキョトンとしていた。
「えっと、どちらさま? ここ、僕の家なんだけれども……」
「高野森 と申します……」
少し震えた声で、その人は名乗った。
高野森さんは、赤黒いポンチョを被った不気味な容姿の——声のトーンから察するに、たぶん、女性だと思う。
「ここに、子供が三人、入っていくのが見えたので……」
「はぁ……」
叔父さんは難しい顔で高野森さんを見つめた。
高野森さんがここに来た理由が、よくわからない。
さらに言うと、高野森さんがなんの生物なのか、僕にはわからなかった。
赤黒いポンチョを被ったような生物。タコだろうか。それとも、クラゲだろうか。
「子供……。私の……」
高野森さんは顔をポンチョみたいな物体で隠したまま、ぽつりぽつりと呟きだした。
「私の息子と娘も、今頃は、君たちと同じくらいの年齢になって、元気に学校に通っているのでしょうね……」
高野森さんは上目遣いで、僕と新田と杏の顔を嘗めるように見回した。
僕は、初めて高野森さんの目を見た。青白くて光の無い、死人のような瞳だった。
「君たち、寂しいでしょ? お父さんとお母さんと離れ離れになって、辛いでしょ?」
質問の内容が重い。なんなんだ、この人は。
僕と新田と杏は生きているし、帰ろうと思えばいつでも帰れるので、寂しさなど感じていない。
しかし、そのことを正直に答えてしまうと色々とマズいことになりそうな気がする。
僕たちはこの世界の人と同じ、死人を演じ続けなければいけないのだ。そのためには、嘘も方便。高野森さんの話に合わせて、答えるしかない。
「そう、ですね……」
「ボク、お父さんとお母さんと会えなくなって寂しいです」
「あたしも……」
「そっか」
高野森さんの口が、くにゃっと不気味に歪んだ。
「それなら、私と家族になりましょう」
「……はい?」
それは、どういう意味だろう。固まる僕と新田と杏の傍に、高野森さんがゆらりと来る。
「今日から私が、あなたたちのお母さんになってあげる」
高野森さんがそう言った、次の瞬間、彼女はもの凄い速さで僕と新田と杏の身体をまとめて両腕で抱き上げ、ニコリと笑った。
「お家に帰ろう。すぐ着くから、大人しくしていてね?」
「はぁ!?」
僕は何が起きているのか理解できず、頭の中が真っ白になってしまった。
「うわぁあっ! は、放して~!」
「いやぁああっ!」
新田と杏は理性ではなく身体で危険を察知したらしく、両手両足をぶんぶん振って大暴れした。
しかし、高野森さんは細身の身体からは想像できない怪力で新田と杏を脇に固定し、暴れる手足が身体に当たってもビクともしない。
「おい! あんた何やってんだ!?」
叔父さんが高野森さんの前に飛び出し、叫んだ。
「退 いてください。私の邪魔をしないでください」
「三人を解放しろ! さもないと……」
「痛い目をみるぞ、ですか?」
高野森さんが苦笑する。そんなことをしても無駄だ、と言いたげな態度で高野森さんは叔父さんに接近する。
「ぼ、僕を甘く見るな!」
僕たちを助けるために、叔父さんは拳を握って高野森さんに飛びかかった。それに対して高野森さんは、僕がまったく予想だにしていなかった、極めて奇妙な行動をとった。
突然、高野森さんが被っているポンチョの下部が、風で煽られたみたいにふわりとなびいた。穿いているスカートを、手で下からめくり上げたようにも見える。そして次の瞬間、ポンチョの下部が——スカートでいうところの、裾のあたりから八本の尖った針のようなものが突き出し、針の先端から青白く発光する光線が凄まじい速度で放たれた。
針の先にいた叔父さんは光線を腹部に受け、「ぐぅっ!?」と唸り、三メートル先にある壁際まで吹っ飛んだ。
「そ、想一君……!」
福田さんが持っていた酒の入ったグラスが、床に落ちて大きな音をたてた。
僕と新田と杏は、三人揃って絶句した。
高野森さんは今、何をしたのだろう。光線を発射したように見えたが、もしもアレが本物のレーザーだったら、叔父さんの腹に風穴が空き、焼け焦げた痕が残るはずだった。
でも、叔父さんの腹部には目立った傷がない。その代わりに、光線を食らった部分にギラギラと眩い光を放つ発光液がねっとりと塗りたくられていた。光線の正体は、大人を吹っ飛ばすほどの勢いで噴射された発光液だ、と僕は思った。
深海生物の中には、身体のどこかしらを発光させたり、発光する液を体内で生成して、それを飛び道具に使う生物がいる。先ほどの行動から考えて、高野森さんは発光液を飛び道具として使うタイプの生物で間違いないだろう。
けれど、発光する液体を手足から放つならまだしも、衣服の先端から噴射するなんて、どう考えてもおかしい。
だがもしも、高野森さんが着ているポンチョが、彼女の〈身体の一部〉だとしたら、発光液を噴射できたことに納得できる。
恐らく、高野森さんはタコの触腕の如く、身体の一部であるポンチョの下部を持ち上げ、体内で生成した発光液を叔父さん目がけて噴射したのだ。
赤黒い不気味な体色と、ポンチョのような身体。子供三人を抱えて平然と歩く怪力。そして、飛び道具として使う発光液……。僕はやっと、高野森さんの正体がわかった。
「……コウモリダコ」
僕の呟きに、新田と杏が「えっ?」と反応する。僕は二人の方へ顔を向け、高野森さんの正体を教えてあげた。
「高野森さんは、コウモリダコという名前の軟体動物だ」
「蝙蝠 ?」
「蛸 ?」
「……そう。二つ合わせてコウモリダコ。英語で、〈吸血鬼イカ 〉という恐ろしい異名を付けられている深海生物だ。でも、恐ろしいのは見た目だけで、吸血鬼 のように吸血はできない。英語名ではイカなのに、和名ではタコと呼ばれているのにも理由があって、コウモリダコは進化の過程において、イカとタコが別種族として分化する前の原始的な頭足類と言われているらしいんだ」
「つまり、コウモリダコは、タコとイカのご先祖様ってこと?」
「そういう風に考える人もいるらしい」
新田の問いに、僕は曖昧に答えた。
コウモリダコは、本気で身の危険を感じると、スカート状の膜が張られた八本の腕を裏返して体全体をすっぽりと覆い隠すといった意味不明な行動をとる生物で、生態についても、解明されていないことが多い。
しかし、コウモリダコが持つ〈武器〉については、度重なる観察によって明らかにされている。
「コウモリダコは、敵に襲われると腕の先端から発光液を噴射する習性がある。本来は、敵を驚かすための飛び道具として使うらしいけど、人と同等のサイズで放てば、人を吹っ飛ばすほどの威力を持つ〈武器〉となる。加えて、タコは全身のほとんどが筋肉でできているため、腕の力が非常に強い。発光液を使わなくても、腕力で叔父さんを殴り倒すこともできていたはずだ」
高野森さんが、自慢の力ではなく飛び道具で叔父さんを攻撃したのは、コウモリダコの習性を濃く受け継いでいるからだと思われる。
身体の半分がコウモリダコに変化している高野森さんは、叔父さんよりも長くこの町にいる、転生する一歩手前の状態の女性なのだろう。
「こ、高野森さん……! あなたは、コウモリダコだったのか……!」
腹をさすりながら叔父さんが立ち上がる。叔父さんも、僕と同じように高野森さんの正体に気づいた様子だった。
しかし、気づいたところで状況は何も変わらない。
むしろ、さっきよりも悪くなった。相手が、飛び道具持ちの軟体動物だと知ってしまったことで、叔父さんはすっかり怖気づいてしまったのだ。
何もしてこない叔父さんを一瞥し、高野森さんは僕と新田と杏を抱えて外に出た。そのまま裏へと向かい、闇が広がる奈落の底へ飛び、スカート状の膜が張られた腕をパラシュートのように使って、ゆっくりと降下した。
ここで暴れたら、底の見えない闇の奥へと真っ逆さま。叔父さんは助けに来てくれない。僕たちだけでは、コウモリダコには勝てない。もう、ダメだ……。
僕と新田と杏は抵抗を止め、高野森さんの両腕に、大人しくその身を委ねた。
かまくら
みたいな形で、飾りも模様も無い、地味な見た目だった。うしろは崖で、かなり深いのか、黒一色で染まっている。「崖の端に立って小便すると最高だよ! 穴に吸い込まれていくみたいで面白いんだ!」
叔父さんが下品なジョークを言ったが、僕と新田と杏はクスリとも笑わなかった。
入り口の暖簾をめくって、中に入る。五畳ほどの広さの中に、木製のテーブルと椅子が並べられていた。家具はそれ以外に無い。
「この家って、叔父さんが自分で建てたの?」
「いや。誰も住んでいなかったから、僕の家にした」
〈深海町〉では、基本的に、何をやってもいいみたいだ。
それならもっと良い住家があっただろうに、と僕は思ったが、叔父さんが自分で選んだのだから文句は言えない。
それに、叔父さんは昔から地味なものを好むタイプだった。生きている頃の叔父さんの部屋は、研究に使う物以外、何も置いていなかった。
「……おや? 今日は先客がいるのか」
そんなことを言いながら、知らない人が叔父さんの家に入ってきた。
「やあどうも。
誰だろう、と首を傾げる僕と新田と杏に、叔父さんは「この町で仲良くなった人だよ」と囁く。
福田さんは漁師のような格好をした男だった。腰を曲げて、右手に杖を持っているから、多分、お爺さんだ。初対面だが、僕は福田さんの顔の魚だけは、一目見て名前がわかった。
つるっとした肌に、左右に薄く伸びた体型。福田さんの顔は、ウチワフグだった。
腹部(顔で言うと顎)に、ひだ状に発達した膜があり、敵に襲われたとき、その膜をぷくーっと
和名はウチワフグ。だがしかし、英名では〈Three tooth puffer(三本歯のフグ)〉、中国名では〈
ちなみに、大抵のフグは体内に毒を蓄えているのだが、ウチワフグは無毒。沖縄では食用の魚として扱われているが、一般には流通していないので、珍味とされている。
「坊やたちは、見たところ、この町に来たばかりのようだねぇ」
福田さんは人懐っこい笑みを浮かべて、僕と新田と杏に話しかけて来た。
「まぁ、ちょっと色々あって……」
僕は曖昧に答えた。
「みんな色々な理由があってこの町にやって来る。歳は違えど、同じ境遇の者同士、仲良くしようじゃないか」
福田さんは、ぷくぷくと頬を膨らませて笑った。
多分、福田さんは良い人だ。現実のウチワフグみたいに、毒気がまったく感じられない。
「よっこらしょっと……」
福田さんは適当な椅子に腰かけ、足元に杖を置いた。
「想一君。良い酒が手に入ったから、一緒にやろうよ」
「おー、それはそれは! ぜひぜひ、いただきます!」
僕たちを無視するかのように、叔父さんと福田さんは酌を交わし始めた。
「君たちは呑まないのかい?」
小学生に対してそれはおかしい、と突っ込みたくなることを福田さんが言う。
「僕たちは、未成年ですので……」
当たり前の返答をすると、福田さんは「真面目な子たちだねぇ」と笑った。
「福田さんは、なんで死んだんですか?」
とんでもない質問を、新田がサラッと口にする。
「孫を連れて、船で沖まで釣りに出た。そこで突然の嵐に襲われて、沈没……。気がついたら幽霊。そして、このザマだよ」
相手によっては、落ち込んだり、怒る質問だったが、福田さんは柔和な笑みを崩さず、新田に答えた。
「お孫さんは、どうなったんですか?」
杏が、悲しげな表情を浮かべて訊く。
「ここに来ていないようだから、生きていると信じたいねぇ」
福田さんは酒が好きなのか、コップをテーブルに置こうとしなかった。
「……どうも」
暖簾をめくって、また知らない人が入ってきた。
僕と新田と杏が知らないのは当然だが、どうやら、叔父さんと福田さんもその人のことを知らないらしく、二人してキョトンとしていた。
「えっと、どちらさま? ここ、僕の家なんだけれども……」
「
少し震えた声で、その人は名乗った。
高野森さんは、赤黒いポンチョを被った不気味な容姿の——声のトーンから察するに、たぶん、女性だと思う。
「ここに、子供が三人、入っていくのが見えたので……」
「はぁ……」
叔父さんは難しい顔で高野森さんを見つめた。
高野森さんがここに来た理由が、よくわからない。
さらに言うと、高野森さんがなんの生物なのか、僕にはわからなかった。
赤黒いポンチョを被ったような生物。タコだろうか。それとも、クラゲだろうか。
「子供……。私の……」
高野森さんは顔をポンチョみたいな物体で隠したまま、ぽつりぽつりと呟きだした。
「私の息子と娘も、今頃は、君たちと同じくらいの年齢になって、元気に学校に通っているのでしょうね……」
高野森さんは上目遣いで、僕と新田と杏の顔を嘗めるように見回した。
僕は、初めて高野森さんの目を見た。青白くて光の無い、死人のような瞳だった。
「君たち、寂しいでしょ? お父さんとお母さんと離れ離れになって、辛いでしょ?」
質問の内容が重い。なんなんだ、この人は。
僕と新田と杏は生きているし、帰ろうと思えばいつでも帰れるので、寂しさなど感じていない。
しかし、そのことを正直に答えてしまうと色々とマズいことになりそうな気がする。
僕たちはこの世界の人と同じ、死人を演じ続けなければいけないのだ。そのためには、嘘も方便。高野森さんの話に合わせて、答えるしかない。
「そう、ですね……」
「ボク、お父さんとお母さんと会えなくなって寂しいです」
「あたしも……」
「そっか」
高野森さんの口が、くにゃっと不気味に歪んだ。
「それなら、私と家族になりましょう」
「……はい?」
それは、どういう意味だろう。固まる僕と新田と杏の傍に、高野森さんがゆらりと来る。
「今日から私が、あなたたちのお母さんになってあげる」
高野森さんがそう言った、次の瞬間、彼女はもの凄い速さで僕と新田と杏の身体をまとめて両腕で抱き上げ、ニコリと笑った。
「お家に帰ろう。すぐ着くから、大人しくしていてね?」
「はぁ!?」
僕は何が起きているのか理解できず、頭の中が真っ白になってしまった。
「うわぁあっ! は、放して~!」
「いやぁああっ!」
新田と杏は理性ではなく身体で危険を察知したらしく、両手両足をぶんぶん振って大暴れした。
しかし、高野森さんは細身の身体からは想像できない怪力で新田と杏を脇に固定し、暴れる手足が身体に当たってもビクともしない。
「おい! あんた何やってんだ!?」
叔父さんが高野森さんの前に飛び出し、叫んだ。
「
「三人を解放しろ! さもないと……」
「痛い目をみるぞ、ですか?」
高野森さんが苦笑する。そんなことをしても無駄だ、と言いたげな態度で高野森さんは叔父さんに接近する。
「ぼ、僕を甘く見るな!」
僕たちを助けるために、叔父さんは拳を握って高野森さんに飛びかかった。それに対して高野森さんは、僕がまったく予想だにしていなかった、極めて奇妙な行動をとった。
突然、高野森さんが被っているポンチョの下部が、風で煽られたみたいにふわりとなびいた。穿いているスカートを、手で下からめくり上げたようにも見える。そして次の瞬間、ポンチョの下部が——スカートでいうところの、裾のあたりから八本の尖った針のようなものが突き出し、針の先端から青白く発光する光線が凄まじい速度で放たれた。
針の先にいた叔父さんは光線を腹部に受け、「ぐぅっ!?」と唸り、三メートル先にある壁際まで吹っ飛んだ。
「そ、想一君……!」
福田さんが持っていた酒の入ったグラスが、床に落ちて大きな音をたてた。
僕と新田と杏は、三人揃って絶句した。
高野森さんは今、何をしたのだろう。光線を発射したように見えたが、もしもアレが本物のレーザーだったら、叔父さんの腹に風穴が空き、焼け焦げた痕が残るはずだった。
でも、叔父さんの腹部には目立った傷がない。その代わりに、光線を食らった部分にギラギラと眩い光を放つ発光液がねっとりと塗りたくられていた。光線の正体は、大人を吹っ飛ばすほどの勢いで噴射された発光液だ、と僕は思った。
深海生物の中には、身体のどこかしらを発光させたり、発光する液を体内で生成して、それを飛び道具に使う生物がいる。先ほどの行動から考えて、高野森さんは発光液を飛び道具として使うタイプの生物で間違いないだろう。
けれど、発光する液体を手足から放つならまだしも、衣服の先端から噴射するなんて、どう考えてもおかしい。
だがもしも、高野森さんが着ているポンチョが、彼女の〈身体の一部〉だとしたら、発光液を噴射できたことに納得できる。
恐らく、高野森さんはタコの触腕の如く、身体の一部であるポンチョの下部を持ち上げ、体内で生成した発光液を叔父さん目がけて噴射したのだ。
赤黒い不気味な体色と、ポンチョのような身体。子供三人を抱えて平然と歩く怪力。そして、飛び道具として使う発光液……。僕はやっと、高野森さんの正体がわかった。
「……コウモリダコ」
僕の呟きに、新田と杏が「えっ?」と反応する。僕は二人の方へ顔を向け、高野森さんの正体を教えてあげた。
「高野森さんは、コウモリダコという名前の軟体動物だ」
「
「
「……そう。二つ合わせてコウモリダコ。英語で、〈
「つまり、コウモリダコは、タコとイカのご先祖様ってこと?」
「そういう風に考える人もいるらしい」
新田の問いに、僕は曖昧に答えた。
コウモリダコは、本気で身の危険を感じると、スカート状の膜が張られた八本の腕を裏返して体全体をすっぽりと覆い隠すといった意味不明な行動をとる生物で、生態についても、解明されていないことが多い。
しかし、コウモリダコが持つ〈武器〉については、度重なる観察によって明らかにされている。
「コウモリダコは、敵に襲われると腕の先端から発光液を噴射する習性がある。本来は、敵を驚かすための飛び道具として使うらしいけど、人と同等のサイズで放てば、人を吹っ飛ばすほどの威力を持つ〈武器〉となる。加えて、タコは全身のほとんどが筋肉でできているため、腕の力が非常に強い。発光液を使わなくても、腕力で叔父さんを殴り倒すこともできていたはずだ」
高野森さんが、自慢の力ではなく飛び道具で叔父さんを攻撃したのは、コウモリダコの習性を濃く受け継いでいるからだと思われる。
身体の半分がコウモリダコに変化している高野森さんは、叔父さんよりも長くこの町にいる、転生する一歩手前の状態の女性なのだろう。
「こ、高野森さん……! あなたは、コウモリダコだったのか……!」
腹をさすりながら叔父さんが立ち上がる。叔父さんも、僕と同じように高野森さんの正体に気づいた様子だった。
しかし、気づいたところで状況は何も変わらない。
むしろ、さっきよりも悪くなった。相手が、飛び道具持ちの軟体動物だと知ってしまったことで、叔父さんはすっかり怖気づいてしまったのだ。
何もしてこない叔父さんを一瞥し、高野森さんは僕と新田と杏を抱えて外に出た。そのまま裏へと向かい、闇が広がる奈落の底へ飛び、スカート状の膜が張られた腕をパラシュートのように使って、ゆっくりと降下した。
ここで暴れたら、底の見えない闇の奥へと真っ逆さま。叔父さんは助けに来てくれない。僕たちだけでは、コウモリダコには勝てない。もう、ダメだ……。
僕と新田と杏は抵抗を止め、高野森さんの両腕に、大人しくその身を委ねた。