死について

文字数 1,699文字

死は人生の課題である。
死ぬことを考え始めたのは、いつからだろう。小学五年生の頃からだと思う。その頃は田舎から都会に引っ越して、地元の公立の学校に転学してきた。余所者の僕が当たり前のようにイジメを受けた。イジメに決して負けないと気丈に振舞っていても、内心はずっと恐怖が渦巻いていた。親に相談しても我慢なさいと言われ、先生に言っても目に届かない所でやるからどうしようもなかった。
人生を振り返って、その時は僕の人生の中で一番辛い時期だったかもしれない。家で親喧嘩はしょっちゅうするし、父は嫁や子供に暴力振るうし、学校ではイジメされ、今日遊んでくれる友が明日裏切ってイジメに加担することもあった。思えば、その時から自分は人間不信になった。根暗の性格になったのもそれが原因だと思った。家族や友達や恋に救いを求めた。それが一方通行な思いで、結局心の拠り所を見付けられなかった。絶望した。何に対しても期待しないようになった。
辛い時は死ぬことを頻繁に考えるようになった。死に対する妙な憧れを持っていた。自殺まがいのことも何回やってきた。初めは父との喧嘩で断食した。それが二日も持たずに終わった。二度目は鼠を毒殺する薬を飲み物に混ぜて飲んだ。飲んだ直後に胃が焼けたような気がして戻した。その後数日尿が赤色になっとこと以外何も起きなかった。三度目もまた父と喧嘩して、家出して、地下鉄の終着駅に行き、適当にバスに乗り、数百キロ先の町へ行った。持ち金を失くし、どうしようもなく川へ飛び込んだ。泳げない僕は藻掻きせずそのまま水に沈む予定だったが、何もしなかったのが逆に人を浮かばせることを、その時初めて知った。その瞬間ではっと思い浮かぶのが、気に入ったアニメはまだ配信し終わっていないことだった。自分まだ生きる楽しみがあって、心底死にたいわけじゃないことを気付いた。四度目はカミソリの刃で腕を切った。思っきり横に切ったが案外痛みはなかった。傷口は動脈に届いていないから少しの出血で終わった。後で分かったが、色々条件を揃わないと腕きりは中々死ねないことだった。目立った傷痕が残った以外何も得られなかった。

苦痛のない死に方を選びたかった。学生時代はそれを常に考えていた。本当に死にたければ、屋上から飛び降りるのが一番確実で手っ取り早い方法だった。眠れない夜にそれを思い付くことも何回あった。ただ実行する勇気がなかった。死に憧れながら、苦痛の伴う死を迎え入れる勇気はなかった。
今になって、もう自ら死ぬことを進んでやる気はなくなった。何もかもどうでもいい時期があって、人生を諦めた。それでも死ねない自分が居る。死ねない以上、何もかもを捨てたい思いを、何も自分に向ける必要はないと思った。自分以外のものを捨てればいいのだ。それは家族だったり友達だったり恋への憧れだったり、色んな物捨てて、僕は純粋に生きることにした。それは死ぬまで生きること。希望も期待もせず、生きる意味を問わず、ただ死が迎えに来る時まで生き延びること。もちろん、死に対する恐れや対抗心はない。自分の死は間近だと告げられても、僕はそれを喜んで受け入れるだけ。
死は僕の人生のモチーフだと言っていいくらいだ。今まで書いた小説は、必ずどこかに死があった。それは僕にとって欠かせないものである。
学生時代の自分が描いた人生の未来図は、二十代で死ぬことが理想的だった。アラサーになった今頃は、思い描いた道から大きく外れたと言っていいだろう。
とにかく、楽しみがある内は、まだ死ぬ気はないということだ。それがアニメだったり、ゲームだったり、小説だったりして、何か一つ趣味さえあれば、案外他のことはどうでもいいと思った。
昔ある本の表紙に見た一言が印象深くて、今でも覚えている。
「自伝なんか書き始めた人間にとって、自分の人生はその時点で終わっている」
僕は前々から自分の人生について何か書こうと思った。中学の頃はよく作文の課題で「人生」という言葉を使って、国語の先生に叱られた。「お前のような餓鬼がまだ人生を語る資格はない」、と。
人生の三分の一?を過ぎた今では、その資格を手に入れたのかな?
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