第17話 希望

文字数 1,915文字

 ニュース速報が流れた。国連の会議場が映し出されている。
 珍しく未来も、ゴン太と一緒にテレビの画面に食い入っている。過去の記憶は戻らないが、これからの世界情勢についてはよく勉強していた。記憶が失われても、人間の素質は変わらないのかもしれない。
 温暖化が地球と社会の限界に達し、世界はいよいよ最後の手段となる気候工学に頼らざるを得ない状況になっていた。今日の国連会議で、世界の合意が決定される。
 議長は最初に、オゾン層破壊、酸性雨、極端な寒冷化など、気候工学のリスクを説明した。大方の予想通り、百九十三の国連加盟国全員一致で、「成層圏エアロゾル注入」が採択された。地球全域の壊滅的な状況から、あらゆるリスクを覚悟したに結果に違いない。
 もう地球は、後戻りはできなくなった。
 これ以上温暖化が進むと、海水の温度上昇はじわじわと深海に及ぶことは目に見えていた。世界の海底に眠るメタン分子は、水温が限界値を超える瞬間を静かに待っている。水深五百メートルの水温は二度。四度を超えると周辺のメタンハイドレートが崩壊を始める。メタンは十二年で二酸化炭素に変わる。地球は悪魔のサイクルへと突入し、無尽蔵と言われる海底のメタンハイドレートが牙を剝き始める。人類の窒息死に勝るリスクはないだろう。どの国も、断腸の思いで下した判断なのだろうと、翔は唇をかみしめた。

 北極に、当たり前に雨が降るようになった。すでにグリーンランドの氷床の三分一が北極海に解け出している。海面は学者の予想をはるかに超え、二メートル上昇した。海岸を襲う高波は、その三倍に達する。世界の沿岸部は、ほぼ壊滅した。
 未来は十五歳となり、学校に行っていれば高校一年だ。幸い近くの山で、清水が湧き出るところを発見した。太陽が沈んでから、未来と一緒に水汲みに精を出した。水がこれほど有難いものだと、改めて知った。
 ただ生き残った人々に希望をもたらす変化もあった。街は荒廃したが、大自然が復活した。二酸化炭素は植物の生長を促す。亜熱帯気候と化した日本は、雨量が増え、森は熱帯雨林のようになった。木の実や果物が豊富になり、里を荒らしていた猿たちは本来の棲みかに帰っていった。
 山で狩猟暮らし始めた若者たちも、人間として最後の優しさを備えていたようだ。彼らがもし一度でも、ボウガンを猿たちに向けていれば、この山の平和は訪れなかったに違いない。今では、猿たちと友好な関係を築き、大自然と共生している。
 氾濫した川は町を無残に削ぎ落したが、山岳地帯の渓流は水量を増した。ヤマメやイワナは大型化し、魚影が濃くなった。
 この変化を嗅ぎ取っていた人々は、いち早く山へと移動を始めていた。彼らは、家族単位、仲間単位で、困難を乗り越えながら、自給自足の生活に溶け込んでいった。
 幸い、翔の趣味は渓流釣りだったので、失業してからは、毎日のように渓流釣りに出かけた。釣ってきた魚は、たくさん釣れた時は天日干しにして、細々とくらしている老夫婦や、暑さで体が弱っている人々に食べさせた。
 夕食後、いつものように、未来は部屋の隅で本を読んでいる。
 翔は釣竿の手入れをしながら、未来に笑顔を向けた。
「未来、明日はいっしょに魚釣りに行ってみようか」 
「え、本当、嬉しい!」
 沈んでいた未来の顔がパッと輝いた。
「よぉーし、今日は早く寝よう。明日は四時起きだ」
 翔は、陽葵が生きていて、三人で出かけられたらどんなに楽しいかと、胸に込み上げてくるものを覚えた。
 昔は、家族のレジャーとして山菜採りや渓流釣りを楽しんだらしいが、今はそれが、生きていくための手段となった。それでも狩猟や採集という行為は、原始のころから人間の本能に根ざしたもので、大人も子供も体の芯をワクワクさせるものがあるようだ。
 二人は、久々に自然に接する楽しみを抱きながら、眠りについた。

 やがて廃墟の町に、変化が現れた。周りから人々の姿が消えていった。
 獣と闘える若者たちは、山で狩猟文化を作り上げていった。親を失った子供たちや、子育ての若い夫婦は反対に、海辺の集団生活へと移動していった。すべてを失い、人々は人間の和が重要な事に気づいたのかもしれない。人間は単独で希望を持ち続けることは難しい。ホモサピエンスが持ち続けた、人間の本能かもしれない。
 最近、塞ぎ込みになりがちな未来の姿を見て、翔もついに決断をした。
「未来、私たちも、仲間がいるところに行ってみようか」
 未来の顔がパッと明るく輝いた。
「えっ、嬉しいな。友達ができるのかな。でも、そんなところって、あるの?」
「大丈夫。それじゃさっそく準備にかかろうか」
 翔は、微かな可能性にかけて見ようと思った。
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