第18話 虹色のフュージョン

文字数 2,795文字

 稜線の向こうに夕日が沈むころ、懐かしい風力発電の鉄塔が見えてきた。朱に染まるショッピングモールの建物に、ゴン太と二人はたどり着いた。海風にたなびく緑の旗に、人間の匂いを嗅ぎ取り、感動で疲れを忘れた。
 翔は、建物の周囲に張り巡らされたフェンスを懐かしく眺めながら、店舗へと近づいた。
 入り口には相変わらず、中世の戦争映画のような、先が尖った太い木で組まれたバリケードが設けられている。
 建物の周りには、鉄パイプや角材で武装した男たちが目を光らせていた。
 未来が、鉄パイプを見て翔に抱きついてきた。翔は、恐る恐る、入口に近づいていった。すぐに得物を持った屈強そうな男が、数匹の犬を従え、駆けよってきた。ゴン太が怯えて、翔の足元で縮こまっている。
「おい、どこの者だ? ここに何しにきた!」
 男が、鷹のような目を向けた。
 歩き続け、ボロボロになった翔と未来の風体に不信感を持ったのか、鉄パイプを振り降ろさんとする勢いで詰問する。未来が泣き出した。翔は穏やかに口を開いた。
「私たちは怪しい者ではない。五年前も、一度ここを訪れたことがある」
 その時、建物から、背の高い男が出てきた。
「どうしたのですか? まず武器を降ろして」
 男が仲間を制した。どうやら、自警団の隊長のようだ。
 近づいてきた男の顔を見て、翔は目を見張った。濃い眉、堀の深い顔、それに澄んだ眼差し、この男とは、どこかで会っている――。
「私の顔になにか付いてますか?」
 男が怪訝そうな顔をした。やはり、あの時の男だ。
「あの節は、助けていただき、ありがとうございました」
 男がきょとんとして、翔と未来を交互に見た。
「ああ、あの時の、思い出しました。あれから引き返したのですが、誰もいなくて――、娘さんと一緒に再び拉致されたとばかり思っておりました」
「あの時、妻が連れ去られてしまい、今どうしているか……」
 翔は、唇を噛んだ。
「――奥様はここにおりますよ。誰か、陽葵さんを連れてきて!」
 異国のにおいを持つ男が、目を潤ませ、声を上げた。翔は、耳を疑った。
 彼の話では、奪略者の一団を追いかけていくと、白い色の車が街路樹にめり込むほどにクラッシュしていた。運転席は潰れていたが、後部座席の女性はまだ息があった。すぐに、以前働いていた会社の地下研究所に運び込んだ。三か月後に、歩いたり話したりできるようになりましたと連絡が入り、その後のこの村に移動したという。
 ブルースと名乗った男は、偶然にもファントムにアンドロイドを納入していたメダロイド社の研究所に勤めていたという。神が与えてくれた巡り合わせかもかもしれない。
 縫い合わせた毛皮をまとった女性が出てきた。黒髪が顔の半分を隠しているが、紛れもなく、あの時のままの陽葵だった。陽葵の澄んだ眼差しが、じっとこちらを見ている。
 翔は、止めどなく流れ落ちる涙の中で、陽葵の透明な目を見ていた。未来の記憶がかすかに蘇ったのか、陽葵に寄り添った。陽葵が未来を優しく抱きしめている。
 陽葵が、口を開いた。
「良かったわ。ずーっと待っていたのよ。ブルースさんのお陰で、家族がまた会えることができた――」
 陽葵がブルースの方に目をやった。ブルースが涙を浮かべ、小さくうなずいている。
 陽葵はここで、二百人ほどの子供たちの教育を担当していた。彼女の頭脳は、膨大なインターネット情報の処理が可能なので、小中学校のみならず、高校、大学などあらゆる分野の教育が可能だという。
「お母さん、その服、暑くないの?」
 未来が、不思議そうに尋ねた。陽葵は顔をかしげ、きょとんとした目をしている。
「お母さんは、大きな手術をした。体を守っているんだね」
 ブルースが、やんわりと諭した。
 いつの間にか、ゴン太が自分の親に甘えるように、陽葵の足元に寄り添っていた。
 子供たちはこの原始ともいえる環境で、逞しく生きているという。それを聞いて翔は、あの百熱地獄の中で生き延びていた子供たちを思い出した。子供たちは、気候変動を生き抜くために、本能的とも思われる進化を遂げたに違いない。
 記憶が曖昧なもの同士の母と娘だが、先ずは重大な関門は潜り抜けた。
 翔はブルースにお礼を言い、この村で家族一緒に暮らしたい旨を伝えた。
 広大な地下の食品売り場は、肩を寄せ合って生きる人々の居住空間になっていた。家族単位に仕切りがあり、涼しく休むことができた。
 魚獲りが好きだった翔は、漁師として生きることを決心した。最初は見習いとして、船底の清掃と網の修理に明け暮れた。漁場は、「板子一枚下は地獄」と言われる大海原。人間の本当の闘いが、そこにはあった。空と海が溶け合う水平線を眺め、これまで自分は何と闘ってきたのだろうと、ふと思った。

 成層圏へのエアロゾル注入が開始され、一年が経った。
 刺すような日差しが、幾分和らいできたような気もする。この劇薬が、良薬になることを祈るばかりだ。
 陽葵の夢だった森林再生は静かに動き出している。エゾシカのような山岳ロボットが登場したのはもうだいぶ前のことだ。背中にチェンソーや食料を載せ斜面を登ることができる。熊や毒蛇の害獣を察知し、追い払うことも可能だ。今や林業は、女性が当たり前に働ける職場となった。自然共生の文明は、着実に芽を吹き出している。
 驚いたのは、陽葵がこの村に引き取られた時から、誰から聞くともなしに植樹ドローンを器用に操作できたという。今では、子供たちの教育の合間を縫って、周辺の荒野に植樹作業に出かけていく。未来は母親のアシスタントをこなし、ゴン太は未来を毒蛇から守っている。
 人々が希望を持って助け合えば、何とかなる。そう、人間の原点、ホモサピエンスだけが生き延びることができた理由がここにある。

 家族三人で、海の見える丘に立った。なぜかゴン太は、いつも陽葵に寄り添っていた。
 水平線の彼方に、オレンジ色の虹が伸びている。
「あなた見て! 大きな虹よ」
 陽葵の、透き通るような目が、海の向こうに消える大きな虹を見ている。
 家族は並んで、天空の橋を眺めた。
「あの先には、きっと新しい文明が待っている」
 翔はそっと、妻と娘の手を握った。
 不思議だった。いつもは冷たい陽葵の手から、庭のポプラを眺めたあの時の、妻の温もりが伝わってくる。
「私、いつまでも待つわ。平和な地球が戻ってくるのを」
「そして、後世に伝えてくれないか。お前の記憶のすべてを……」
 大勢の村人たちが集まってきた。異国の人も、老人も、みな虹を眺めている。子供たちが、虹色の光に向かい、駆けて行った。
 子供たちに罪はない。健全な地球に戻ることを祈った。
 翔はふと思った。河村が、夢と希望を託した核融合のことを。
「河村さん、あなたの夢は今、立派に人々の中に生きていますよ」
 翔は、そっと、心の中でつぶやいた。
                 (了)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み