第1話 可畏き者(カシコキモノ)を迦微(カミ)と云う
文字数 3,754文字
「しまった」と理美(りみ)は思った。
話しかけてきた女の子は、理美と同じ高校のクラスメイトだった。小学生からの同級生だが、いわゆる「目立つグループ」の女の子であり、理美とその子が学校で話すことはめったになかった。理美は努めて笑顔を作った。
彼女がここで仕入れた情報はふたたび無邪気に拡散されていくのだろう。伝わる過程でどう改変されているものかわかったものではないが、ほとんどの人はおそらくその情報の真偽を問わない。田舎の町というのはそういうコミュニケーションで構成されている。それに抵抗を持たない人間だけがここで楽しく過ごせるのだ。
しかし、理美はそういう空気を感じるだけで参ってしまう。さらに困ったことに、理美には真正面から聞かれたことをはぐらかす度胸もないのだった。
理美は、スーツの人たちが集まってる境内を指さした。
初夏の緑が映える境内では、舞台とテントが設営されていた。理美の父親は、その周辺を汗だくで行ったり来たりしていた。
理美の父親は町役場に勤める公務員で、「畏者課(イシャカ)」という新設部署の課長であった。新進気鋭の部署というと聞こえはいいが、前例のない課であるため仕事内容は多岐にわたっている、らしい。
今日行われている「蛙の畏者」のお祭りも理美の父親が準備していたが、結局のところ「なんでも屋」として駆けずり回っていると聞かされていた。
実際に父親の仕事ぶりを見るのは初めてだが、とにかくあっちへ行ったりこっちへ行ったりしていた。
理美にはひそかな憧れがあった。といっても、それが何か理美自身がわからないでいたため、うまく人に話せたことがない。
そのぼんやりとした憧れに一番近い存在が、小学生2年生のころ学校に来た「絵本の読み聞かせ」のお姉さんだった。のちに調べたところ、絵本を使った児童向けカウンセリングのようだった。とにかく理美は「絵本のお姉さん」に強く惹かれていた。
その憧れを抱いたまま中学生になった理美は、自分でも絵本の読み聞かせをしたことがあった。といっても、一人っ子の理美は聞いてくれる相手がいないため、母親のタブレットを使って一人でその様子を撮影しーーライブ配信したのだった。
おそるおそる配信してみた次の週、登校した理美はクラスの女子のなかでそれが笑いものになっているところに遭遇してしまう。そのメンバーの中に、この子もいたはずだ。
それ以来、理美は「もう目立つことはやめよう」と心に誓ったのだった。高校では文芸部に所属してみたが、周囲のように創作や読書に耽ることよりも、やはり「読み聞かせる」ことに興味があった。
理美はあたりを見回したが、若いグループが多くて居場所がない気がした。理美が祭りに来たのは母親から「父の勇姿(仕事姿)を撮ってきて欲しい」と頼まれていたからであった。
自分は目的があって参加してるんですよ、というアピールのために、理美は母親から渡されたカメラを胸の前に構えた。
このお祭りは、よろずさん…「畏者(いしゃ)」を盛大に迎えるために自治体の補助金で開催されていた。
なお参加証明書があれば還付金を受けられる制度となっていた。主催側の父親は「参加すればとりあえずおトクだから、多くの人に参加してもらいたい」と意気込んでいた。
そのように、町や父の気合が入った催しであることを感じていたが、理美にとってはお祭りの喧騒よりも大事なことがあるように思えた。
お偉いさんのような人たちが軽く挨拶したあと、少年がひとり、白髪の老人を従えてマイクの前に立った。
≪ えー、みんな楽しんでる ? 今日はめいっぱい飲んで騒いでくれよな。今日この席をヨウイしてくれたヤクショのあんちゃんたちにもカンシャしてくれ!≫
≪…あーなになに ? みせればいいの?オレの力を?≫
先ほどまでかわいらしい少年だった顔がみるみる変化し、蛙の姿になった。
蛙の少年は、聴衆のざわめきを気に留めることなく天に向かって両手を仰ぎ、小声で何かを唱え始めた。
蛙の少年がひときわ大きな声を上げた瞬間、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。
各地で確認された畏者(イシャ)は、見た目も能力もそれぞれ違っている。全ての畏者が天気や自然をコントロールできるわけではない。
そのために、自然災害の多い日本では天候を操れる存在が支持されるのは自然なことであった。このお祭りにこれほどの労力とお金がつぎ込まれているのは、この畏者がひときわ人間の役に立つとみなされた証でもあるのだ。
それにしても、と理美は思った。
空は晴れ、祭りも再開された。
神輿の周辺にそれとなく人が集まり始める。そんなときに、ノイズ交じりの感情的な声が聞こえてきた。
««みなさん、八百万の信仰は日本人の心です!しかし忘れてはなりません、その頂点に立たれるのは皇室なのです!≫≫
≪≪畏者の出現こそ、皇統が日本を支えていたという証拠!今こそ目を覚まして八紘一宇の精神に立ち返るのです!≫≫
見ると、男性が拡声器を使って人ごみに向かって話している。複数名の男女がなんとか政治チャンネルと書かれた段ボールを掲げていた。動画配信者のようだが、見てはいけない気がして理美は視線を外した。
ほとんどの人は彼らを空気のように扱い、目をそらした。それでも中には駆け寄って握手を求める人もいた。自分が知らなくても、知っている人にとっては有名人なのだろう、と理美は考えた。
天皇家に肩入れしている団体であることはわかったが、どのみち理美にとっては関係のないことだ。それよりも楽しげなお祭りの雰囲気を壊す行為が良くない、そんなことを思った。
帰ろう、そう思って理美は鳥居につま先を向けた。父の写真も少しは撮れた。どのみち走り回っているので、これ以上は撮れないだろうと思った。
帰り道に少し湖でも見ていこう、そんなことを考えながら理美は足早に境内を去った。
いつもならボートを走らせている人が何人かいるが、今日は見当たらない。祭りに参加しているのかもしれない、そんなことを考えながら、理美は先ほどの団体のことを思い出していた。
皇統に肩入れしている人間は、だいたいが畏者に敵意を向けているという。
どのみち畏者課の父を持つ理美に選択の余地はないのだが、考えずにはいられなかった。