第4話 夜刀神、蕃神、初めての悪意
文字数 3,204文字
夜刀神
(やとのかみ)がドウロクを平伏させ、ほどなくしてドウロクの巫女役である白髪の老人が迎えにきた。
老人は、夜刀神や裕史(ひろふみ)に丁寧に謝り、ぐったりしたドウロクを抱えて山を降りていった。
夜刀神の力量に畏怖を感じたのは理美だけではなかったらしく、主幹もすっかり怯えてしまったようだった。
裕史を巻き込みながら、夜刀神にさらにべったりになってしまい、理美はけっきょく一人取り残されたような形になった。
身の置きどころがなくなってしまった理美は、ふと我に返って老人を追いかけてきたのだ。
…畏者(イシャ)のこと、聞きたいと思ったんだけど…
夜刀神
(やとのかみ)から「巫女」「物語る力」などと言われても、やはり理美は自信がが持てそうになかった。
先輩であるあの老人からならば何か的確なアドバイスがもらえるのではないかと思い、ここまで走ってきたたのだった。
しかし、山を下っても老人の姿は見当たらなかった。こんな山上まで歩いて来れるようにも思えなかったので、車で来ていたのかもしれない。
諦めそうになった理美の目に、建物の姿が入ってきた。
こんなところに集会所…?
もしかして、ここで休んでたりしないかな…?
理美は、もう一度奥を良く見てみようともう一歩足を踏み入れた。瞬間、背後から声がした。
理美は心臓が飛び出るかと思うほど驚いた。夜刀神は気配を全く感じさせなかったのだ。
私を置いて蛙のことを追うとは、なかなか良いドキョウだな。
…見込んだとおり、シュショウな子だな。私はそういうのも好きだ
瞳を伏せて謝る理美を見て、夜刀神は満足そうな笑みをうかべた。
その様子に、理美の胸はすこしの理不尽さを感じた。
ドウロクと老人を追ったのは理美なりの向上心だったのに、それを咎められるのは気持ちが良いこととは思えなかった。
(やっぱり、カミサマに私たちの筋とか言い分とかをわかってもらえるなんて、思わない方がいいんだよね…)
俯いたまま唇をかみしめる理美に、夜刀神は優しく語りかけた。
理美は、言われるがままに入口付近の固いベンチのような席に腰をかけた。夜刀神は満足そうに微笑み、誰に語りかけるでもなくつぶやいた。
スメラギが太陽に成り代わり、人が私を忘れていく。そんな夢を行き来するのは――屈辱的だった。
あだしくにの神々の来訪や戦も数々あったが、スメラギの力が絶えることなく、民の心が私たちへ帰ることはないまま今になってきたが…
(「太陽に成り代わる」?「あだしのくにのかみ」?なんのことだろう、全然わからない…)
このようにスメラギの気の薄い山があるとは、いよいよ時が来たのかもしれんな。
嬉しそうな夜刀神の表情に、理美はなんと言って良いかわからなかった。とっさに出てきたあたりさわりのなさそうな質問を投げてみた。
じゃあやっぱり天皇家って、すごい力があったんですね…
時がそれを許しただけだ。あれらとて、もとは我らとそう変わらぬ存在だ。人に憑りつき、人を掌握してきたにすぎん。長きにわたって形だけは残すことに成功してきたようだが、それもいよいよ終焉ということだろう。いずれにせよ、今この土地のカミは私だ
(そういえば、さっきうやむやになってた『私が物語る必要はあるのか』って質問には、答えてくれないのかな)
先ほど見た夜刀神の力を思えば、気に触ることは一切避けたいと思う理美だった。
それより理美、そなたの一番たいせつな宝を私に捧げる準備をしておきなさい。
予想だなしない話に、理美は戸惑った。そういえば先ほどもドウロクに『一番よい宝を納めろ』と言っていたことを思い出した。
古来には、上に立つ者に服従の証として宝を納めたもの。近いの儀の時までに、私に仕える証を用意しておきなさい。
理美は、自分の持っているアクセサリーをひと通り思い浮かべた。しかし、どれも子どもの時に買ったおもちゃのようなものしか思い浮かばなかったし、そのどれもに特段思い入れはなかった。
一代イベントに取りざたするようなものとしてはぴんとこない。どういったものが適切なのか聞こうとした矢先、扉を開ける音が建物に鳴り響いた。
あ!すっすみませんすぐ出ていきま…
……
………小池くん?
声の主は、同じクラスの小池信哉
(こいけしんや)だった。
同じクラスといえど、信哉は前学期に引っ越してきたばかりの転校生で、理美は話したこともない。
ただ、小池信哉は始業式の際、体育館に入らなかったことで少し有名になっていた。噂によると宗教の関係で君が代が歌えないことが関係しているらしかったが、理美には信仰が理由で国歌が歌えないことの意味がわからなかった。
ほかのクラスメイトたちもわからないらしく、とにかく小池信哉の評判は「偏屈で思想的な男子」、つまり「近寄らないほうが良い人間」だった。
信哉は夜刀神を見て、物おじする様子もなく言った。自治体が畏者
(イシャ)を保護しているとはいえ、一般市民は畏者に興味のない人間も多い。
そんな中、出会っていきなり察っすることができるということは、やはりこの男子は『そういったこと』に詳しいのだ、と理美は内心驚いた。
こんなさびれた一神教の施設に『カミサマ』がなんの御用でしょう?
ってか、出て行ってくれませんかね。俺ここのバイトで、掃除しなきゃいけないんで
ふん、なるほど。あだしの国の神か。屁理屈をこねるのが上手い割にこの国に根づけぬ、憐れな奴の社というわけか。
(あああ、お願いだから神さまににそんな態度しないで……)
信哉の険しい表情がさらに険しくなった。が、何かを思い直したようにかぶりを振って、何かに挑戦するような口ぶりでこんなことを言った。
…あんたたちは、ずいぶん長い間眠ってたって話しですけど。
死んだのが生き返ったわけじゃないんでしょ?
気が気でない理美をよそに、夜刀神はこともなげに続けた。
…さてな。
死と眠りは似ている。どちらとも言えるし、どちらとも言えぬ。
事実、私の持つこの肉体は目覚める以前は持たなかったもの。
言葉を続けようとしている信哉に背を向けて、夜刀神は理美にむきなおった。
気に入ったぞ、私の第一の宴はここで行う。そしてここには私を記念した像を建てさせよう。みながそれを拝んで、私の名と力を世々語り継ぐ新たなる社にしよう。理美、父君に伝えておくように
私はこれからこの町の雨を司る。それがどのようなことなのか、分からん人間がいたとしてもやがてわかるようになる。誠意を見せてもらおう――他の者共にも近寄らせぬように。
そう言うと夜刀神は、くるりと背を向けて教会の扉をくぐって行ってしまった。残された理美は信哉を見た。信哉は、腕の筋が浮き出るほど拳を強く握り締めていた。
理美と目を合わせることなく、振り絞るような声で信哉は言った。
なんでって…で、でも大丈夫だよ、いくらなんでもそんな無茶な話しが通るワケな…
…っ、お前みたいに何も考えてないやつが一番ムカつくんだよ!
信哉の荒ぶった声を受け、理美の心臓はドクンと強く脈打った。内臓の血の気が引いていき、くちびるが冷たくなる。
理美は、顔を伏せて小走りで夜刀神の後を追った。これほどまでに剥き出しの怒りをぶつけられたのは初めてだった。理美の心臓は、人生で一番強く脈打っていた。
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