第4話

文字数 645文字

 2人は互いに名乗っていなかった。彼女の名前は喫茶店の店主から聞いた。名前は碧と言った。店主は何かを感じ取ったのか、一言俺にこう言った。
「気になるかい。」
俺は、知りたいと強く主張する自らの好奇心と、あまり根掘り葉掘り聞くんじゃないという制御心が内側でせめぎ合うものだから、黙るという形で返答をした。店主は微笑みを浮かべて、背を向け、これから来る彼女が飲むだろうコーヒーを煎り始めた。
 一つの不安があった。彼女との繋がりが続くという確証はこの時まだ無かった。縁の糸がふつりと切れてしまうのではないか。
 しかし、その不安はすぐに晴れた。俺に心を許した彼女は、それからずっと隣に座ってくるようになった。話はよく弾んだ。仕事の疲労を昇華してしまうほど、彼女との時間は癒しそのものだった。
 この喜劇の裏側では、運命の歯車がギシギシ動き続けていた。二人を破滅へと導くために。
 桜が散って緑が街を覆うくらいの季節になった。彼女は俺に週末の予定を聞いた。着いてきてほしい所があるとも言った。俺は喜んで話に乗った。その頃になると、二人は互いにのめり込んでいた。俺は彼女の好意に気づいていたし、彼女も俺の恋情を目に留めていた。
 週末、彼女はカメラと小さな深い藍色のカバンを肩に下げて俺を待っていた。集合したのは喫茶店の最寄り駅前だった。栗色のくるくる巻いた髪と水色のスカートが時折吹く風になびいてふわふわと動いた。彼女は、瞳に俺を留めると体の下の方で小さく手を振った。
 日差しがまだ柔らかく、空は淡い青だった。
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登場人物紹介

喫茶店の店主

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