第5話 浅草の掟

文字数 1,084文字

 最近(2021年6月現在)浅草で話題になっているのが、三区の伝法院通りの一角に並ぶ浅草商店街(浅草伝横商栄会)への台東区による立ち退き命令だ。
 40年以上にわたり営業を続けてきた店舗だが、公道の不法占拠にあたるとのことだ。区は2014年から商栄会に立ち退きを求めてきたようだ。
 建物は1977年に区の周辺整備の一環で建てられたようで、ここで終戦直後から営業していた露天商が入居したという。店主たちは、当時の区長の指示で建てられたものと主張し、「なぜいまなのか」と、営業継続を求めて署名活動を始めたようだ。
 当事者には死活にかかわる問題だが、ここからも浅草らしい一面が読み取れる。

 川端康成は小説『浅草紅團』で、添田唖禅坊の言葉を引用して、「浅草は万人の浅草である。浅草にはあらゆるものが生のままほうり出されている。人間のいろんな欲望が、裸のまま踊っている。あらゆる階級、人種をごった混ぜにした大きな流れ、明けても暮れても果てしのない流れである。浅草は生きている」と語る。そして、「常に一切のものの古い型を溶かしては、新しい型に変える鋳物場だ」と総括した。
 小説ではさらに、小説家である主人公の「私」が、「浅草の人間は古い」、「まるで今の世の中とちがって、古めかしい掟の網が張ってある」と言ったのに対し、踊り子である春子がこう答える。
 「掟の網って、あんたそれにひっかかったことがあんの?ないでしょう。ただ物好きに浅草を歩いてらっしゃいまし。あんたの笑う掟――そのおかげで命をつないでる人の巣なの、浅草は」
 「古めかしい掟」とは、新しい型に溶かし込まれている「古い型」のことだろう。しかし、そこに生きている人々にとっては、それは古いも新しいもない、すべてを溶け込ませている鋳物場としての浅草の「いま」を生きる(すべ)であり、命をつなぐものなのだ。

 『浅草紅團』は昭和初期の話だが、現在でも浅草寺に溢れる参拝客、長屋形式や戸建ての店舗兼居宅形式の昔ながらの商店街で賑わいをつくる人々、六区に建ち並ぶ娯楽施設に群がる人々、六区から奥山や浅草寺への道沿いに建ち並ぶ一杯飲み屋で昼間から飲んでいる人々、あるいは立錐の余地のないほどの観光客で溢れる通りから少し外れたところで、まちや近所のことを話し合っている地元の人々を見ると、確かに、ここにはあらゆるものが生のまま放り出されているという感じがあり、浅草が生きていることを実感する。
 その風景は時代とともに変化しているが、浅草という盛り場としての本質は、それが生まれた時代の「いま」と変わらぬ「いま」として連続しているように思われる。
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