第1話 浅草をどう語るか

文字数 612文字

 東京下町の盛り場と言えば、一番に浮かぶのが浅草だ。ところが、この浅草の魅力は何かと問われると、その答えは簡単には語れない。
 
 「五年十年住んだとて、到底現実の浅草、生きた浅草の真相を捉えることは出来ない」とは、浅草通の演歌師、添田唖禅坊(そえだあぜんぼう)の言葉だ。
 小説家であり文芸評論家としても有名な広津和郎は、「銀座を理解する事は何もむつかしい事はない。三度か四度あの通を行ったり来たりして、二軒か三軒、カッフェエで珈琲を飲んでればそれでいい」と語ったあとで、「ところが、浅草を理解する事はとてもむつかしい。これは三度四度の散歩では到底解らない。尠なくとも二年や三年は住んでみなければ、その真相は解らないだろう」と言う。(広津和郎「銀座と浅草」、山田太一編『浅草』岩波現代文庫、2000年)
 
 私も何度となく浅草を訪れてはみたが、確かに浅草はどれか一つの特徴をとらえて美しく表現しようとすると、何かしら醜い部分が隠れていそうだし、醜い部分を取り上げて浅草を語ろうとすると、どこかに美しい部分が見えてくる、そんな感じがある。
 「庶民の芸能、文化・伝統を頑なに守り続けながら、賑わいを創出してきたまち」と簡潔に表現したくなるが、そこに住む人々は庶民という言葉でひとくくりできるほど単純ではなさそうだし、浅草という場所に溶け込んでいるものがあまりに多様で、しかも幾重にもなって積み重なっているために、そうした表現では収まり切らない感じがある。
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