第19話 雫のように溢れる変化

文字数 2,974文字

 夕食後、咲妃はベッドに身体を放り投げた。
 スマホを取り出して、翔と刻んだLINEのあしあとを振り返る。
 在りし日の翔を想いながら、残されたログを読んでいく。
 最後の会話は何気ない姉弟の会話だった。

 翔「今日、泊まるかも」
 咲妃「ええかげんにしいや」

 怒るクマのスタンプが揺れていて間抜けだ。

 そのログは学校を出た頃のものだった。
 そのあとしばらくして翔を見つけ、凜香の家に入っていくのを見た。
 そして秘密を知った。
 恍惚の中で解放された翔。

「私のことを見ていた」

 あの瞬間に交わった視線。
 思い出したくもない視線。
 まっすぐに咲妃を見て、そして見たこともないような表情。
 
 咲妃は忌まわしい映像を弾くようにログをスクロールさせていく。
 過去のやりとりが蘇り、そのほとんどが意味のない会話だと知る。
 肝心なことは何も話さない。
 いや、話さなくてもわかっていると思いこんでいた。

 ふいに翔の画像に手をふれた。
 プロフィールが展開されて翔のプロフィールが映し出された。
 お気に入りの音楽が設定させているようだ。
 
 投稿タブの中に幾つかのメッセージ、主に画像を変更したとか他愛のないものだ。
 写真タブの中には何もなかった。
 再びトークに戻って、サムネイルをじっと眺める。
 妙な違和感があるが、はっきりとはわからない。

 咲妃はかすかな記憶を呼び覚まして、背後に迫る違和感の正体を探り出す。
 何気なく翔の画像が視界に入ってくる。
 自撮りの間抜けな写真。
 じっくり眺めて、記憶を反芻。
 ああ、そうか。
 朝見たときと画像が違うんだ。

 それほどLINEに入り浸っていない咲妃。
 クラスをグループ化するからという理由だけで登録している。
 それ以外ではたまに家族同士でやりとりするだけ。
 ほとんどの機能を使っておらず、初期設定は誰かに任せた記憶があった。

 自分のプロフィールを見ると、プロフィール画像は未設定のまま。
 スマートフォンで写真を撮ることも滅多になく、まして自撮りに耽るナルシズムなどはなかった。

 再び翔のプロフィールを見る。
 そこに使われている画像は会話にも使われるサムネイルだった。
 背景はどこだろうか。
 見覚えのある風景……、花が映っているが少し暗い。

「店?」
 そう思って隅々まで見ると見覚えのある植物の並びを見つけた。
 どうやら休業日か閉店後の店内のどこかのようだった。

「へえ……」

 だが、場所は問題ではない。
 なぜ画像が違うのか。
 その詮索に舞い戻った。
 ちょっと前まで使っていたはずの画像が変わっている。
 その理由がわからない。

 咲妃は気になって恵美に電話を掛けた。
 ひょっとしたら何かわかるかも知れない。
 コール音が響き、数回の機械音のあと、寝ぼけたふうの恵美の声が聞こえていた。

「なに? 咲妃?」

「うん。ごめん」

「どうしたん?」

「ちょっと、教えてほしい」

「なにを?」

「LINEの画像」

「なにそれ」

「ほら、メッセージの横についてるやつ」

「ああ、それがどうしたん? あれプロフィールに設定してるやつやろ。あんたはいつも初期設定のままやけど」

「そう、それ。それを変えるにはどうすればいいん?」

「え? 普通にプロフィールの画像変えたらいいんちゃうの?」

「そうなん? じゃあ、試してみる。でも、どうやって?」

「適当にさわればわかるんちゃう?」

「適当に? まあ、やってみるわ。LINE送るからよろしく」

 咲妃はそう告げて電話を切った。
 そして、適当に自撮りをしてプロフィールに設定してみる。
 思ったよりも簡単で拍子抜け。
 少し脱力したあと、恵美にLINEを送った。
 そして、また別に自撮りをしなおしてそれを設定しなおす。
 そしてまたLINEを送った。
 しばらくしてLINEの着信が入った。

 恵美「変わってたで」
 咲妃「せやな。一瞬変わって、新しい方になってたわ」
 恵美「何、調べてる?」
 咲妃「翔の画像が変わった気がしたから」
 恵美「意味わからんし」
 咲妃「翔とLINEしたことある?」
 恵美「たぶん、ない」
 咲妃「そう、なん?」

 咲妃はしばらく待ってみたが恵美からの返信はなかった。

「そうなんか。不思議」
 咲妃はそう呟いて、過去の恵美と翔の記憶を辿ってみる。

「あんなに……」
 そう言いかけて顔色を落とす。

「私、今……」
 咲妃はそう呟くと、恵美に「さっきはごめん」とLINEを送った。
 少しして「咲妃は強いんやね」と返って来た。


 咲妃は少し目元を落として、ベッドになだれ込んで天井を眺めた。
 無機質な天板が語り掛けるわけもないが言葉にならない息が静かに漏れていく。
 そして、「ごめん」と呟いて起き上がった。

「恵美のためにも」

 咲妃は再びスマホを操作してLINEをいろいろとさわってみた。
 そして、大まかなカラクリがわかった気になった。
 翔のプロフィール欄の投稿タブを追うと、今の画像に変えた時間が記録されていた。
 そして遡ると、見覚えのある画像にたどり着いた。

 ふと湧く新たな疑問。
 どうして、夕方と深夜で画像を変えたのだろうか。
 それまで一度として変えたことがないはずなのに、と記憶を振り返る。
 なんで店が背景なんだろう。
 
「よくわからん」
 咲妃はあきらめて、ふたたびベッドに寝転んで天井を見上げた。

「翔の設定を……」
 そう呟いて、落雷のような閃き。

「そう言えば、あいつのスマホどこにあるんや?」
 検死の後、遺品も一緒に届けられたことを思い出す。
 警察から手渡されたあの袋の中にあったはずだ。

 咲妃はベッドから飛び起きて一階のリビングに駆け下りた。
 リビングでは母がソファで寝転んで覇気のない顔でテレビを眺めていた。

「ねぇ、母さん!」
 弾むような咲妃の声。

「どしたん?」気怠い返答の母。

「翔の、翔のスマホどこ?」

「えっ?」

「ほら、警察の人が持ってきてたやん。あれ、どこ?」

「ああ、あれ? 翔の部屋。机の上にあるはず」

「わかった!」

 咲妃は再び階段を駆け上がった。
 狭い階段を抜けて、うす暗い廊下が現れる。
 自分の部屋のひとつ奥。
 そこに翔の部屋がある。

 咲妃の眼前に扉が迫る。
 咲妃はぶつかりそうな勢いを殺して部屋の前で立ち止まった。

 ほとんど立ち入ったことのない空間。
 中学生ぐらいまではちょこちょこお邪魔してたけど、いつからか入ることに躊躇いが出た。
 同じ頃から翔も咲妃の部屋には来なくなっていた。
 お互いがプライベートを隠し始めた頃からだろうか。
 ただ気恥ずかしい、思春期の通過儀礼なのかも知れない。

 咲妃は堅く閉ざされた部屋の前で立ち尽くした。
 この扉の向こうにはまだ匂いが残っているはずだ。
 結界のような空気の圧は咲妃の前に立ちはだかって最後の勇気を求めている。

「入るよ、翔」
 咲妃はそう呟いてドアに手を掛け、そしてゆっくりと開けた。

(第20話につづく)
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