第20話 白いポリポットに愛が溢れている

文字数 3,530文字

 日が落ちかけている。
 暗く空気が澱み、埃が光に乱反射していた。
 咲妃は電気をつけて乱反射を隠すと、部屋を一望してから窓を開けた。
 冷たい夜風が舞い込んで、澱みを剥がしていく。

 部屋には窓側にベッド、反対側に机があった。
 並びは自分の部屋とほとんど同じだが色が違う。
 どことなく無機質に見えても、きれいに整頓されていた。
 無頓着な性格からは想像ができない部屋だ。

 咲妃は部屋を物色しながら、木造りの机の上に無造作に置かれたビニール袋を見つけた。
 異質の塊はこの規律を乱した誰かの仕業だろうか。

 咲妃はビニール袋からスマートフォンを取り出す。
 画面が割れて傷だらけのそれは落下の衝撃を物語っていた。
 電源を入れても正常に作動するかはわからない。


 咲妃は一旦自分の部屋に戻って充電器を持ってきた。
 同じメーカーのものだから使えるはずだ。
 コネクターを接続すると、左上に赤いLEDの点滅。
 咲妃はしばらく待ってから電源ボタンを入れた。
 無反応。
 落下の衝撃で壊れた?
 でも、凛香は警察がこれを見て、それで話を聞かれたとか言ってたはず。
 そんなことを思い出しながら、電源が復活するのを待って再び電源ボタンを押した。

 するとメーカーのロゴが現れて、一瞬の鳴動。
 咲妃は胸を撫で下ろして起動を待った。
 設定していなかったのか警察が解除したのか知らないがパスワード入力は表示されない。

 トップ画面にアイコンが煌めき、そしてパッと壁紙が切り替わる。
 咲妃の指先がピタリと止まった。
 そして唾を飲み込む。
 咲妃は壁紙に設定された写真に言葉を失った。

 そこに設定されていたのは翔と凜香のツーショットの写真だった。
 仲良く頬を寄せ合っている自撮りで、咲妃の知らないふたりがそこにいた。
 凜香の表情はあの醜悪に見えた本性からは想像もできないほどの優しい笑顔だった。
 翔は少し照れながら、満更でもないにやけた顔をしている。

 胸が痛む。
 なんでこんなことをしているんだろう。

 このツーショットを見るととても凜香が翔に何かをしたとは思えない。
 揺らぐ心を抉るようにふたりの笑顔は眩しかった。


 咲妃はしばらく放心のまま、その写真と向き合った。

 思い出の中の翔は引っ込み思案であまり主張をしなかった。
 私の後ろに隠れ、親に反発することもなかった。

 それがやがて無気力に変わっていくように思えた。
 反抗しないかわりに何かに意欲的になる様子もない。
 部活にも打ち込まず、勉強もこなすだけ。
 何を楽しみに生きているのかよくわからない。
 家業を継ぐ気もないし、店の手伝いもロクにしない。

 凜香はそんな翔の生活を劇的に変えたのだろうか。
 だとしても、薬に頼って快楽を得る道が真っ当とは思えない。
 それ以外の魅力があの女にはあるのだろうか。
 わからない。

 咲妃は物思いに耽けた後、再び翔の部屋を一望した。
 生活感のない部屋。
 最近はまともに帰って来なかったし、たまに帰っても寝るだけの部屋。
 お気に入りのマンガがキレイに整理され、教科書やテキストは鞄に放り込まれたままだった。

 こんなに近くにいて何も理解できなかった存在。
 翔が隠してきた?
 いいえ、私に勇気がなかっただけかも知れない。

 自問は無意味で的外れな自慰。
 濃厚な絆は軽薄な日常に埋もれただけだ。


 咲妃は少し深く息を吸って翔のスマートフォンをタップした。
 LINEのアプリを立ち上げて、翔のタイムラインを展開させる。
 プロフィール画像には見覚えのある翔の笑顔。
 そしてトークの中に凜香との会話を見つけた。

 凜香の話に嘘はなく、あのとき彼女が話したままの会話が綴られている。。

「でも、なんで画像を変えた?」

 咲妃の中でどうしても拭えない疑問。
 何かの意志の現れなのだろうか。
 咲妃はLINEのアプリを閉じてアルバムアプリをひらいた。

 次々に展開されていく翔のプライベート。
 咲妃の知らない翔がそこにいた。
 大人びいたふうの、誰にも見せられない猥褻。
 過激で露わな写真に思わず目を背けたくなる。

 男を知らない咲妃にとって、それは妄想や空想で描いてきた別世界。
 愛のかたちと言えば聞こえがいいが、そこに展開する趣向はただの快楽の記録に過ぎない。

 咲妃はさらにアルバムを遡る。
 猥褻が姿を消し、翔単体の自撮りや風景、友達の画像が現れてきた。
 そして、その中に見覚えのある写真があった。

 サムネイルをタップすると、画面いっぱいにそれが拡大表示された。
 それは店の中で花と戯れる翔の姿だった。
 翔の手元にマリーゴールドの花が映っていた。

「いつ撮った?」
 そう思って画像データを見ると、「平成27年2月3日、午後22時15分」と刻まれてあった。

「今日は何日?」
 咲妃は自分のスマートフォンのカレンダーアプリを展開させて確認する。
 今日は翔が死んでから8日目の2月15日だった。

「12日前だから……」カレンダーの枠を指で数えながら咲妃は過去を追った。
 そして気づく。
 翔の「行為」を咲妃が目撃する前日だということを。

「最後に家に帰った日ってこと?」

 咲妃に湧く新たな疑問。

 なぜこの日に?
 他に花と映っている写真は?

 そう思ってフォトリストに画面を戻して他の画像をつぶさに見ていく。
 思った以上に花と一緒に映っているものがあった。

「こんなに?」

 咲妃は翔の行動を振り返りながら、まったくもって店に関わらずにいたことを思い出す。
 手伝いを頼んでも拒み続けてきた。
 てっきり花に興味はないものだと思いこんでいたのに……。

 季節を彩る花たちと戯れる翔。
 百合、ひなぎく、紫陽花、スノードロップ、数え切れないほどのフォトショット。
 マリーゴールドはその中で最も新しく撮られたものだった。

「でも、なんでマリーゴールド?」

 咲妃の中に拭えない疑問。
 そしてふと、マリーゴールドの花言葉の中に「別れの悲しみ」という言葉があることを思い出す。
 今となっては特別な意味があるように感じる。

 それから咲妃は、過去のプロフィールに設定されていた画像を探し始めた。
 自分の記憶だけが頼りだ。
 小さなサムネイルの記憶。
 それと同じものを探すしかない。

 背景は結構明るかった。
 あれも店の中で撮ったものだろう。
 でも、緑で一杯というイメージはない。
 白っぽい……、そうか、背景が道路側のガラスなんだ。
 
 咲妃は候補を絞りながらそれらしい画像を探していく。
 イメージを優先させ、画面から少し距離を置いて眺めていく。
 そして白と黒のサムネイルをスクロールさせていくと、ふとイメージに合うショットが見つかった。

「これ……かな?」

 咲妃は画像をタップして拡大させる。
 画面いっぱいに広がる白い画像。
 それは自動ドアを背景にして、白い花のポリポットをてのひらに乗せた写真だった。

「え……、この花……、スノードロップ?」

 咲妃は写真を拡大させて、白い花にフォーカスを当てた。
 白く細長いみっつの花弁。
 俯きかげんの儚さを醸し出している。
 翔はその花を愛でるように、話しかけるように口元に近づけていた。

 スノードロップを選んだことに意味はあるのだろうか。
 それはわからない。
 でも、もし意味があるとしたら、マリーゴールドに変えた心境の変化は切なさに溢れているはずだ。

 咲妃はしばらくその写真を眺めていた。
 翔の笑顔がやけに眩しい。
 彼の本当の気持ちを辿ることは不可能だ。
 でも、このふたつの写真に彼の心があるのなら……。

 咲妃に行為を知られた前日。
 まだ秘密のままだった頃。
 それとも、そろそろバレるとでも思っていたんだろうか?
 希望が別れの悲しみに変わるなんて……。

 咲妃がいくら考えても答えなど見つかるはずもない。
 それでも、咲妃との会話やクラスでの噂話などからいつかはバレると思っていたのかも知れない。

「あいつ、スノードロップの意味、わかってないんかもな」

 咲妃はそう呟くと、翔のLINEプロフィール画面を操作して写真を変えた。

 マリーゴールドのオレンジから、勿忘草の紫へ。
 
 咲妃は翔のスマホの電源を落として机の上に静かに置いた。
 そして切なさに満ちた笑顔を残して彼の部屋を去った。

(第21話につづく)
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