第29話 疚しさの先にあるのは孤独

文字数 1,926文字

 緊張感の解けぬまま、終業のベルが鳴った。
 恵美はふたりの動向をずっつ注視し続ける。
 だが、そんな彼女の想像をよそに、ふたりは視線も言葉を交わさずに帰り支度をしている。
 恵美は拍子抜けした感じでそれを見ていたが、そそくさと出て行く咲妃を見て慌てるように後を追いかけた。

「なあ、咲妃!」

 息を切らせながら恵美が追いかけてくる。
 弾ませた息を整えても続く言葉が見つからずに間の抜けた顔をしていた。

「どした?」

「いや……」
 何かを言い掛けて言葉を飲み込む。
 恵美は構わずに咲妃と並んで歩いた。
 そんな恵美を見透かすように、「なんもせえへんし」と咲妃は呟いた。

「だって、昨日から様子がおかしいし」

「大丈夫や。心配あらへん。それに……」

「それに?」

「うん」
 そう言って妙に神妙になる咲妃。
 廊下の隅に恵美を誘導して、翔からのメールを見せた。

「これ、葵君から?」

「そう」

「これって?」

「たぶん、遺書かも知れん」

「それにしては……」

「途中で書くのやめたかどうかわからんけど、送信せずにほっとらかしにされてた」

「ほっとらかし? どうやって見つけたん? なんであんたのスマホに?」

「翔のスマホをいじってたら偶然。メール作成のアイコン押したら、編集中のメッセージが出てきた。そこに一時保存されてたみたい」

「へえ……。それを送信したんか?」

「そうや」
 恵美はそう言って翔のメッセージを読み込む。
 そして怒りに満ちていたはずの咲妃がどうしてこれほどまでにおとなしくなったのかを少しだけ理解した。

「もう、ええの?」

「わからん。でも、翔はあの女との関係を大事にしてたから」

「せやけど……」

「今ウチがあの女に何かしても、翔が喜ぶとは思えへん」

「……」

「ウチが知りたいのは翔の本当の気持ちや」

「そうか……。でも、それやったら、そのメールに込められているんと違うん?」

「そう思うけど、これは途中までや。ウチに送信して来なかった理由が知りたい。まだ何か書きたいことがあったのか、それとも……」

「それとも……」

「続きを書けない理由があったのか」

「書けない理由」

「そうや。それが翔の本当の最期であり、本当の心やと思う」

「そうか……」

 恵美は妙に冷静な咲妃に違和感を覚えている。
 目的が明確だと、論理も明瞭になるのだろうか。
 だがそれ以上に咲妃から滲み出る不気味な決意。
 恵美の懸念は拭いようのない確信に変わっている。

「でも、それをどうやって調べるんや?」

「せやな。あいつの心なんて誰も知るはずがない。たとえ、あの女でも」

「……」

 恵美は咲妃が凜香をしきりに「あの女」と呼ぶことが気掛かりだった。
 違和感の正体のひとつ、咲妃の本心が露見しているようだ。

「まあ、あの女に何かしても意味ない。だから、何もせえへん。でも、心に疚しいことがあればいずれ見えてくる。それを待つだけや」

 咲妃はそう言うと快に歩き出す。
 恵美はためらい気味に少し後ろを追いかけて、喉元でつっかえていた言葉を紡ぐ。

「そう言えば柏木に何か渡してたな。あれ、何や?」

「えっ? ああ、バレッタや。髪留め」

「なんで?」

「いや、前に取り乱して殴ったことあったからな。それのお詫びや」

「そうか」

「スノードロップを編み込んだバレッタや。花屋のウチっぽいやろ?」

「生花を編み込んだ?」

「そうや。二日ももたへんけど、そのたびに新しい花を編み込んだらええねん。その方が変化あってええ」

「めんどくさそうやな」

「そうか? まあ、そうかな」

「あんたの家にはいっぱい花あるけどな。ふつうの家にはそんなにあらへん」

「そうか……、せやな。今度はスワロのストーンでつくるようにするわ」

「それもめんどくさそうやな」

「それもそうやな」

 咲妃はそう言って笑いながら鼻歌交じりにステップを踏む。
 恵美はそれを背中越しに見て、少しは落ち着いたのかと思い込みたかった。

「スノードロップか? 冬の花やろか?」

 花に疎い恵美は聞き慣れぬ花の名前を口ずさむ。
 白くて小さな花だった。
 遠目に見たバレッタを思い出しながら、恵美は咲妃の後ろ髪を眺めた。
 肩まで伸びた髪が揺れている。

 そう言えば咲妃がバレッタを使っているところを見たことがない。
 長くなるとシュシュで無理矢理止めてそれが馴染む頃には切っていた。

 恵美はそんな咲妃の日常を思い返しながら、一連の行動がやはり不自然だと感じた。

(第30話につづく)
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