第10話

文字数 1,914文字

   聖也⑦

 真由の家へと向かうにあたり、まずは目立たない服装に着替えることにした。伯父のスーツは細身な聖也には緩かったが、鏡に映してみれば、さほどの違和感はなかった。スーツに続いて伯父の車も拝借し、聖也は真由の家近くの路上で降りた。
 治安状態がよく、拳銃を携行する習慣のないこの時代の日本では、宇宙ミッションのための軍事訓練を受けた聖也が、無警戒な人間を排除するのは、あまりに容易いことだった。近距離まで近づき、端末からの放電で意識を失わせ、目立たないところに横たえるという作業を数回繰り返すだけで、聖也は、城島家の中へ侵入することが出来た。
 真由の父は、リビングにいた。聖也が近づいていっても、それが昼間に威嚇した十五歳の少年と同一人物とは、全く思いもしないようだった。聖也は、さりげなく万能端末を掲げると、電圧をやや強めにして放電し、真由の父も眠らせた。
 だが、台所にいた翠川は、聖也の姿を見ると、すぐに十五歳の聖也を連想した。
「あなた、聖也くんの――?」
「兄です。聖也に頼まれました、一生のお願いだと」
 兄などいなかった。老女は、数十秒の間、ただじっと聖也を見つめ、そして言った。
「そう、わかったわ。私の電話を聞いて、お嬢様を助けに来てくれたのね?」
 でも聖也に、真由を連れていく先の当てがあるわけではなかった。そもそも、この時点において聖也は十五歳の中学生だった。三十歳の聖也が存在する余地はない。実際に存在するとしても、社会的には存在しえない。いや、自分がここにいることで、十五歳の聖也がどうなっているのかも分からない。本来はいるはずのリビングから、十五歳の聖也は消えていた。
 自分の始末にさえ不安のあるところ、日本有数の企業連合、加えておそらくは警察組織まで相手にして、どうやって真由を逃がすというのだ。
 だが、すでに自分は賽を振っていた。いや、自分だけの力で、賽を振ることは出来なかった。十五年後、火星探査ミッションでの事故から漂流して、そこで遭遇したのだ、何かに。後は、後ろを見ずに走って来た。今更、振り返ることはしまい。
「真由は?」
「部屋にいるわ」
 勝手知ったる屋敷だった。黒い板張りの廊下をキッチン横から裏庭側に抜けて、突き当り右側。会社側の男たちは全て「排除」し、翠川もついてこなかった。聖也はドアの前に立つと、ノックする。
「真由」
「聖也!」
 すぐに真由の弾むような声が返ってきた。聖也がドアを開けると、真由は部屋着のままでベッドの上、壁に寄りかかり、足を投げ出して座っていた。
「――聖也?」
 だが三十歳の聖也を目にして、真由の表情に戸惑いが広がる。
「真由、僕だ。十五歳の僕には真由を助け出すことが出来なかった。十五年がかかったけど、やっと、助けに来ることが出来た」
「え? 何、どういうこと?」
「未来から、来た」
「嘘」
「嘘じゃない」
 聖也は床に片膝をつき、視線を同じ高さに合わせて、真由を見つめた。
「僕だよ、真由。さあ、ここから出よう」
「そんなSFみたいな話、あるわけないじゃない、未来からだなんて、そんなに都合の良いことが、都合の良い……」
 そこで、真由は視線を聖也の右手に落とした。そして、聖也の右手を取った。そこに残る古い傷跡、十歳の時に真由を受け止めた弾みでガラス器で切った傷。
「そんなことが。……これは『勇者の証』だ。聖也のしるしだ。聖也だ」
 真由の瞳から、一筋、二筋と涙がこぼれた。
 ――これが最後の願いだ。
 聖也は、十五年後の、遠い火星宙域を思った。小型船を取り巻いたガス状物質。心優しき異星人、だったのだろうか? 死んでいった同僚たち、生き残った自分、そしてクレイグ。クレイグは、どうしているだろう。ケンブリッジ、あるいはダブリン郊外の森へ戻ったのだろうか。彼もまた、為すべきことをしているのだろうか。
 ――さあ、僕たちを、二人で暮らせる世界へ移送してくれ。

 翠川は十数分、キッチンで、聖也の兄を名乗る男と真由の様子を窺っていた。男は真由の部屋に入っていき、だが、そのまま動きがない。男は、本当に聖也によく似ている。聖也本人といってもよいくらいだ。翠川は、男の言葉を信じることにした。
 聖也の兄が何をしたのかは分からないが、真由の父親は気絶していた。おそらく、会社から来た他の男たちも同様にしたのだろう。だが、いつ、目を覚ますかわからない。気が気ではない彼女は、二十分経つまで待ってから、真由の部屋の前まで行った。やはり動く気配はなかった。彼女はノックして言った。
「お嬢様」
 答えはない。強めのノックを繰り返し、何度も呼びかけ、そしてついにはドアを開けた。
 部屋から二人の姿は消えていた。
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