第3話

文字数 2,993文字

   聖也③

 モニターに映る星々の明るさが落ちたことに、聖也とクレイグは、ほぼ同時に気づいた。生命維持機能のタイムアップまでを徒に過ごす身とはなっても、何年にもわたる訓練期間に培われた異変に対する察知能力は生きているらしかった。
「星々の詩を書いていたのに、全くつれない話だ」
 クレイグはぼやきながらも、計器の確認を始めた。それは聖也も同じだ。これから何が起きようが、自分たちが生還できるとは考えられない。それでも反射的に身体が動くのは、訓練の賜物か、あるいは抑えられない好奇心のためか。
「何だろう、これは」
 ほどなくしてクレイグが呟いた。
 小型船の周囲に何かがある。何かがあって、それが星々からの光を遮っている。二人は、船外センサーをチェックする。一種のガス、あるいは塵の塊のようだった。密度にはかなりムラがある。濃いところと薄いところが不規則に入り混じりあいながら、かなり広範に拡がる。火星の「月」、フォボスくらいの容積はある。
 とはいえ、それを広範とみるのは人間の間尺でしかない。宇宙の無限の広さにまで思いを馳せる必要もなく、火星近辺の空間だけを考えてもよい。どこから漂ってきたのかは分からないが、この空間の中でたまたまこの船の進路の先にぶつかるというのは、奇跡に近い確率というべきであろう。
 ――奇跡?
 奇跡は起きないからこそ、奇跡なのだ。奇跡でないとすれば、たまたまではないとすればそれは、故意? だが、誰の故意だというのだ。
 さらに聖也は、ある事実に気づく。
「クレイグ、このガスがどこから来たのか、トレースできるか?」
「――できない。このガスは、どこからも近づいてきていない」
 聖也が下した推論と同じものが返ってきた。
「今から五分ほど前に、忽然と出現した。この船と同じ空間に出現したと言ったら信じるか?」
「信じる。まるでゴーストだな」
「しかも、ガスはセンサーで掴んでいるだけの存在ではないようだ」
 クレイグの言葉を理解できずに、聖也は目で問い返した。
「ガスは船内に、あるいは、俺たちの体内に入ってきているような気がする。そう感じないか?」
「どういうことだ?」
「まるで精霊か何かのように、俺たちの中に入っている」
 怪訝な表情になった聖也に対してクレイグは自嘲的に笑った。
「笑いたければ笑えばいいさ。だが、頭がおかしくなった訳じゃない、と思う。聖也、日本人は、八百万神って言うんだろ? それは、俺たちの国でいえば、精霊だ。俺たちは昔、精霊たちと共に暮らしていた」
「精霊っていうと、ケルト民族の印象が強いな。イングランドでも?」
 クレイグは、ずっとこれまで見せてこなかったような表情を見せた。
「祖父までアイルランド、つまりケルトだ。でももう、祖父は死に、家もない。父はイングランドで生まれ、エバーグリーンに育まれた。実は俺は、父がワシントンDCに赴任している時に生まれて小学校低学年までそこで過ごした。その後、イングランドに、ケンブリッジに三年いて、その次はドイツ、デュッセルドルフで4年。そこからインドのバンガロールに二年いて、それでケンブリッジに大学で戻って、卒業後はシリコンバレーとロンドンを往ったり来たり」
「コスモポリタンだな」
「もはや何人だか分からない。――でも、イングランドの緑は好きだ。俺は、死んで万一地獄に落ちなければ、ケンブリッジあたりのエバーグリーンに還してもらって、精霊たちとのんびり暮らすよ」
「地獄ってことは無いだろう?」
「さあな」
 クレイグはモニター上のチャートを切り替え、眉を顰めながら続ける。
「まあ、俺は無神論者だ。死んだら、どこにも行くところはないよ。――おい、聖也、試しに俺たちの生体情報を再チェックしたら、面白いぞ。聖也も、見てみろよ」
 言われて聖也も、モニターを操作する。
 そして、唖然とする。
 モニターは、聖也の身体のあるべきところには、何もないと示していた。
「――故障か?」
「多分な。でも、そうではないかもしれない。聖也、人間の存在ってなんだろうな」
「哲学を語っても仕方ないだろう。生体モニターは即物的だよ。仕組みをばらしてしまえば所詮は電気信号だ。僕たちはここにいて、そのあり様をセンサーが電気的に認識し、モニターに表示する」
「人間の身体だって、分子レベルに、次には原子レベル、最後は素粒子レベルにばらしていくことが出来る。それで、そこまでばらしてしまえば、もう、宇宙を漂うガスの塊だろうが、人間だろうが、似たようなものだ。なあ、聖也、俺たちはガスに飲まれた。飲まれて同化して、消えたのかもしれないな」
 聖也は、何をバカなことを、僕たちは現にここにこうして存在し、存在すると認識する意識だってあるじゃないかと思う。思うその半面で、ガスの正体も、モニターが人体をセンシングできない原因も、分かっていなことは事実であり、また、科学が解明できたこと自体、ほんの僅かでしかないことぐらいは知っている。
 いずれにしても、と聖也は思う。もう小型船で生存可能な環境を維持できるのは、ほんの数日のことだ。今更、恐れるものなど何もない。
「クレイグ、何言ってる。消えるわけないじゃないか、俺たちはこうやってここに」
 聖也はどこか勇ましい気持ちになって、笑いながらモニターから目を上げ、隣のクレイグに目を向け――、言葉を失った。
 クレイグが、いなかった。コックピットの隣の席には誰もいなかった。空だった。
「クレイグ? どこだ? 悪い冗談はよせ」
 聖也は振り向いてコックピットを見渡す。狭い空間で、隠れる場所などあるわけもない。クレイグはいない。返事もない。
「クレイグ? クレイグ!」
 聖也はパニックに陥った。
 聖也は、現状を説明しうる理屈を必死で生み出そうとしたが果たせず、ついには初めから、クレイグなどいなかったような気すらしてきた。小型船で逃れたのが、自分だけだったように思えはじめ、そうするとそれこそが真実であったようで、――でもそこで、聖也は壁にかけられたタブレット端末に目を留める。それを手に取る。
 詩が書きつらねてあった。クレイグの詩だ。
 本当か? 実際は僕が自分で書いたんじゃないのか?
 あえて反論してみるが、そこで気づく。
 いや違う、これは僕ではない。なぜならば、知らない英単語がある。これは多分、アイルランド語だ。かつて使われ、今はほとんど使われなくなったケルトの言葉。
 クレイグはここにいたのだ、確かに。では、どこへ行った? どこへ消えた?
 聖也はタブレット端末を壁のフックに戻した。
 そして気づいた。自分の手が透き通りだしていることに。
 消える。
 僕も消えるのか。クレイグのように。消えてどこへ行くのだろう。宇宙の中を漂っていたあのガスの中の一つかみになるのか。何もかも、まるで無かったように。
 聖也は、だんだんと意識が薄れていくのを感じて、操縦席に戻った。静かに目を閉じる。終焉は計算より早まりはしたが、母船が爆発した時点で覚悟はしていた。
 ただ一つ、後悔はあの日だった。
 あの日にもう一度戻ることができたなら。それは、あの日以来、聖也がずっと考えてきたことだった。あの日に帰ることが出来ない以上、どうしようもなく、だから、どうしようもないのだと自分に思い込ませようとして、それも出来ずに十五年を過ごしてきた。
 もう一度、もう一度……。
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