第7話

文字数 1,463文字

   クレイグ②

 時間の感覚がない。小型船のコックピットから自分が「消滅」して、どれくらい経ったのかも、よく分からない。ただ、何もない闇の中で、意識が、記憶が、どんどん引き伸ばされていくのを感じる。そこに、何か、とても気持ちの良い感覚が浸み込んでくる。それとともに、古い記憶たちが蘇ってくる。
 森だ。
 アイルランドの祖父の家はダブリン郊外のアパートメントにあった。だが、祖父の先祖代々の家が残っていて、クレイグは子供の頃に何回か遊びに行った。絵本の中では妖精がいるとあったが、いたのは虫と小鳥たちだけだった。
 良い場所か? たしかに良い場所だろう。そこに生まれ育った人たちには。でもそこは、クレイグの場所ではない。
 次にクレイグは、イングランドのパブリックフットパス、小川沿いに続く幅の広い緑地を歩いている。柵の向こうには牧草地が拡がり、羊たちが草を食んでいる。初夏のエバーグリーンは、魔法にかけられたように美しかった。
 ケンブリッジにいた時、ガールフレンドとフットパスを歩いた。並んで草の上に座り、サンドイッチを食べた。悪魔のように課題は出たが、教授とは馬があった。充実していたし、楽しかった。
 帰るとすれば、ここだろうか?
 だが、教授はとうに亡くなった。ガールフレンドたちとは在学中にみんな別れてしまい、今どこでどうしているのかも知らない。もう彼女たちに対しては、興味すらない。今更帰ったところで、自分を迎えてくれるものは、誰もいない。
 同じようにコスモポリタンな育ちをしても、多くの友を作り、絆を得て、帰る場所をたくさん持っている者たちはいくらでもいる。自分は、どうしてそうなれなかったのか?
 どこで道を誤ったのか、クレイグには分からない。道を「誤った」のかすら、定かではない。

 どれくらい経った頃か、記憶の波がいつの間にか引いていき、再びクレイグは闇に包まれていた。
 独りだった。
 ――おい!
 クレイグは呼びかけた。声が出るわけではない。ただ、強く思った。気配がある。
 ――いるんだろう? そこに。
 答えはない。
 ――お前は何者だ?
 やはり、答えはない。
 ――わかった。
 気が遠くなるほど待った後、クレイグは諦めて、やり方を変えることにした。
 ――今から、可能性を二つ挙げる。現実は、そのうちのいずれかかもしれないし、そうでないかもしれない。でも、とにかく挙げてみる。その一。ガス状の物質の成分は分からないが、ともかくそれが、人体に何らかの影響を及ぼして、俺は一種の催眠状態に入っている。この意識は、催眠状態の中でのものだ。だが、船の生体維持機能はあと数日で切れる。そうなれば、生物学的に俺は死ぬ。それとともにこの催眠状態も終わりを告げる。
 クレイグを包む闇に、何も反応はない。
 ――以上がその一。その一は、おそらくは、より常識的な現状解釈だ。その二。こっちは、突飛な解釈だ。ガス状の物質は、ただの物質ではない。意思をもった何か、地球上の生命体とは異なったタイプの生命体、ひらたくいえば宇宙人のようなものだ。君たちは、漂流している地球人に興味を持った。だから、宇宙船から取り出してみた。そして今、地球人がどんなものなのかを、調べている。
 やはり、反応はなかった。
 ――いろいろ言ってみても、張り合いがないな。
 少し考えてから、クレイグは言った。
 ――じゃあ、勝手に希望を言わせてもらう。まず第一に、真っ暗で何も見えないのはつらい。周囲には、星の光があるはずだ。星を見せてくれ。
 そして、クレイグは、星々の光に包まれた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み