星の名前
文字数 2,022文字
周星、全休へ 十両昇進後初
13日、先場所14勝1敗で優勝を飾った周星=東横綱=が明日からの九州場所を全休することが明らかになった。周星は先場所10日目に彩乃国との取組で内転筋を痛めていた。巡業には参加していたものの、「本場所15日間耐えられる状態には無い」と桜川親方が判断。周星が全休するのは十両昇進後初となる。3場所連続優勝を早々に逃した“平成の最強横綱”は「痛みは仕方がない、また一から優勝すればいいだけのこと。来年は必ず土俵に戻る」と精悍な顔つきで心境を語った。
(スポーツジャパン.com)
私の名前はバトサエハン=ギーン・アンダラク=ガリク。バトサエハンとは父の名であり、ギーンはその家族を意味する。アンダラク=ガリクとは火星を意味する。1981年に祖国初の宇宙飛行士が誕生すると、天体を意味する名前が国中で流行った。そうした事情を全く知らないはずの親方から奇遇にも、周星 光二朗という相撲取りとしての名前、「四股名」を賜った。本名と同じA音で始まり、星は本名にも白星にも通じて私は大層気に入ったのだが、「あまね」という読みがあまり多くないらしく、未だに「しゅうせい」と呼ばれることもある。最近では私の勢い余りつい粗雑になってしまう取り口を、快く思わない好角家からの蔑称にもなっているようだ。
「横綱」
リハビリのための筋肉トレーニングをしつつ合宿所のテレビで部屋の弟弟子の取組を見守る私に、番記者が呼びかけた。私はどうしてもこの呼び方に慣れない。今は引退して祖国に戻り、実業家になってしまった私の唯一無二のライバルは、ガハハと高笑いを上げながらこう呼ばれるのを楽しんでいたようだが、私はどうしてもこそばゆいものを感じる。「しゅうせい」と呼ばれるよりは全然気持ちが良いのだが、番付の最高位で呼ばれることに抵抗がある。
幼少期からのあだ名である「ガリク」と呼んでくれれば良いのにとも思う。私のライバルはファンからもアンチからも「ドルジ」と呼ばれた(もっとも「ドルジ」は金剛石を意味し、我が祖国や周辺各国にとても多い男性名であり、彼以外にも多くが「ドルジ」というあだ名である)。一度「ガリク」と呼んでほしいと呼びかけたこともあるのだが、「ガリク“さん”」と呼ばれるようになってしまい、もっとやりにくくなってしまったこともあった。いつも表情が少なく、こうして物思いにふけっている私を呼び捨てにするのは抵抗があったのだろう。この時ばかりは時には土俵上でガッツポーズをしていまうような、いつまでも童心のまま喜怒哀楽を表現するライバルを羨んだ。
「考え事をされていたようですが、もしかして帰化についてでしょうか」
数年前から私の帰化が取り沙汰されるようになった。引退後親方になるためには帰化をする必要があった。私は日本を愛していたし、日本大相撲を愛していた。しかし同じように祖国も愛していた。口に出したことは無いが、どうして「平成の最強横綱」と呼ばれることもあるのに、親方になる資格がもらえないのか不思議に感じることさえあった。それは私の取り口と、国技の「平成最強の横綱」である者が日本人ではないことを、やはり快く思わない人々がいるからなのだろうか。
私が帰化してしまい名前と国籍を変えてしまえば、快く思わない、いや悲しむかも知れないのは祖国の人々だ。私の父は祖国の相撲で何度も優勝し、一時代を築いた巨人だった。私が「横綱」と呼ばれるのをこそばゆく感じるのはこれが原因であった。その息子である私が海の無い内陸国である祖国を離れ、極東の島国に移り、その国の女性と結婚したことさえいつまでも心に引っかかっているにも関わらずだ。外国人力士が帰化した場合、四股名を本名にするのが慣例だが、例え大好きな名前であっても、「火星」を手放してまで名乗りたいとは思わなかった。もちろん名前を変えずに帰化することも出来るのは承知の上だが、そんな単純な問題では無かった。
「ひ、裕子」
「あなた。福岡はどう」
夜、妻に電話を掛けた。妻は気付いていない、あるいは気付かないふりをしてくれているようだが、どうしても名前を呼ぶときに照れてどもってしまう。初恋の女性の前では私も1人の照れ屋の男児に過ぎないのだ。
「まあうまくやってるよ。来場所はきっと戻れるよ」
「あ、ごめん」
「ん?」
「…………………………」
「もしもし?」
「…………………………………………………………………」
「ひ、裕子、もしもし?」
「………パパ」
しばしの沈黙は妻が娘に替わるための間だったようだ。2歳の娘は私がこの世で一番嬉しい呼び方で私に問いかけた。名前など知ったことか。国籍も番付も誰かが勝手に区別ししやすいようにつけた別名でしかない。私はほかならぬ私であり、娘のパパだ。私は決して「平成最強の横綱」なんかではない。幼い娘に「パパ」と呼ばれただけで全身の筋肉から力が抜けてしまう、軟弱者だ。
13日、先場所14勝1敗で優勝を飾った周星=東横綱=が明日からの九州場所を全休することが明らかになった。周星は先場所10日目に彩乃国との取組で内転筋を痛めていた。巡業には参加していたものの、「本場所15日間耐えられる状態には無い」と桜川親方が判断。周星が全休するのは十両昇進後初となる。3場所連続優勝を早々に逃した“平成の最強横綱”は「痛みは仕方がない、また一から優勝すればいいだけのこと。来年は必ず土俵に戻る」と精悍な顔つきで心境を語った。
(スポーツジャパン.com)
私の名前はバトサエハン=ギーン・アンダラク=ガリク。バトサエハンとは父の名であり、ギーンはその家族を意味する。アンダラク=ガリクとは火星を意味する。1981年に祖国初の宇宙飛行士が誕生すると、天体を意味する名前が国中で流行った。そうした事情を全く知らないはずの親方から奇遇にも、
「横綱」
リハビリのための筋肉トレーニングをしつつ合宿所のテレビで部屋の弟弟子の取組を見守る私に、番記者が呼びかけた。私はどうしてもこの呼び方に慣れない。今は引退して祖国に戻り、実業家になってしまった私の唯一無二のライバルは、ガハハと高笑いを上げながらこう呼ばれるのを楽しんでいたようだが、私はどうしてもこそばゆいものを感じる。「しゅうせい」と呼ばれるよりは全然気持ちが良いのだが、番付の最高位で呼ばれることに抵抗がある。
幼少期からのあだ名である「ガリク」と呼んでくれれば良いのにとも思う。私のライバルはファンからもアンチからも「ドルジ」と呼ばれた(もっとも「ドルジ」は金剛石を意味し、我が祖国や周辺各国にとても多い男性名であり、彼以外にも多くが「ドルジ」というあだ名である)。一度「ガリク」と呼んでほしいと呼びかけたこともあるのだが、「ガリク“さん”」と呼ばれるようになってしまい、もっとやりにくくなってしまったこともあった。いつも表情が少なく、こうして物思いにふけっている私を呼び捨てにするのは抵抗があったのだろう。この時ばかりは時には土俵上でガッツポーズをしていまうような、いつまでも童心のまま喜怒哀楽を表現するライバルを羨んだ。
「考え事をされていたようですが、もしかして帰化についてでしょうか」
数年前から私の帰化が取り沙汰されるようになった。引退後親方になるためには帰化をする必要があった。私は日本を愛していたし、日本大相撲を愛していた。しかし同じように祖国も愛していた。口に出したことは無いが、どうして「平成の最強横綱」と呼ばれることもあるのに、親方になる資格がもらえないのか不思議に感じることさえあった。それは私の取り口と、国技の「平成最強の横綱」である者が日本人ではないことを、やはり快く思わない人々がいるからなのだろうか。
私が帰化してしまい名前と国籍を変えてしまえば、快く思わない、いや悲しむかも知れないのは祖国の人々だ。私の父は祖国の相撲で何度も優勝し、一時代を築いた巨人だった。私が「横綱」と呼ばれるのをこそばゆく感じるのはこれが原因であった。その息子である私が海の無い内陸国である祖国を離れ、極東の島国に移り、その国の女性と結婚したことさえいつまでも心に引っかかっているにも関わらずだ。外国人力士が帰化した場合、四股名を本名にするのが慣例だが、例え大好きな名前であっても、「火星」を手放してまで名乗りたいとは思わなかった。もちろん名前を変えずに帰化することも出来るのは承知の上だが、そんな単純な問題では無かった。
「ひ、裕子」
「あなた。福岡はどう」
夜、妻に電話を掛けた。妻は気付いていない、あるいは気付かないふりをしてくれているようだが、どうしても名前を呼ぶときに照れてどもってしまう。初恋の女性の前では私も1人の照れ屋の男児に過ぎないのだ。
「まあうまくやってるよ。来場所はきっと戻れるよ」
「あ、ごめん」
「ん?」
「…………………………」
「もしもし?」
「…………………………………………………………………」
「ひ、裕子、もしもし?」
「………パパ」
しばしの沈黙は妻が娘に替わるための間だったようだ。2歳の娘は私がこの世で一番嬉しい呼び方で私に問いかけた。名前など知ったことか。国籍も番付も誰かが勝手に区別ししやすいようにつけた別名でしかない。私はほかならぬ私であり、娘のパパだ。私は決して「平成最強の横綱」なんかではない。幼い娘に「パパ」と呼ばれただけで全身の筋肉から力が抜けてしまう、軟弱者だ。