背番号51の宇宙

文字数 2,317文字

 大のプロ野球ファンである義春には大好きな野球ゲームソフトがあった。「長打力」や「球速」といった選手の能力値を自由に調整するエディター機能があるもので、往年の名選手のデータを打ち込んで現役選手とゲーム上で勝負をさせたり、優勝から何年も遠ざかっている義春が贔屓球団に大リーグのホームラン王のデータを追加して、パソコンの画面上だけでもリベンジを果たせるようにしたりと、大いにエディター機能を活用して遊んでいた。
 戯れに「ポンコツ野球ロボ」という全ての能力は最低値の、全く役に立たない”選手”を作成した。もちろんそんな選手を作ってもコンピューターの監督に二軍のベンチの片隅に追いやられるのは目に見えているので、選手全員が「ポンコツ野球ロボ」で構成されたロボッツという球団データも作成し、ペナントレースを全自動でシミュレートしてみた。
 当然ながらロボッツは最下位に終わった。成績も1試合だけ引き分けた以外は全試合で敗れていた。その1引き分けの相手は義春の贔屓球団だった。義春はポンコツという名前の”選手”にすら勝ち切れない贔屓球団に憤りと不甲斐なさを感じた。思えばその贔屓球団のデータもロボッツ同様、義春自ら打ち込んだものであったが、その事実がより義春の感情をやるせないものにさせた。義春は贔屓球団を含めた全ての球団のデータを消去し、全て球団をロボッツに置き換え、ペナントレースを再びシミュレーションさせてみた。

 *

 度重なる紛争と重度の環境汚染から地球に見切りをつけた人類が、ケンタウルス座アルファ星に移住したのは周知の通りであるが、アルファ星に最後に移住した一団のなかの、野球好きの男が地球にちょっとした悪戯を残してから居を移したことはほとんど知られていなかった。野球を延々と続けるロボットを数十体、スタジアムに置き去りにしていったのだ。気候も日光も引力も異なるであろう新たなる惑星で、再び大好きな野球が行われる保障は無く、人生をかけたスポーツがせめて大宇宙の片隅にだけでも残っていてほしいと考えた彼は、「彼ら」にバットとボールを与えたのだ。
 自我を持たぬロボットたちは観客の誰もいない、朽ち果てていくばかりのスタジアムで
決められた守備位置に就いた。太陽光で動く彼らは地球の自転が続く限り昼夜問わず飽きることなく、地球の自転と同じようにダイヤモンドを回り続けた。
 男の予想通り新しい星での生活は開拓作業に追われ、スポーツに興じる時間は無かった。だが苦しい時や寂しい時は夜空を見上げ、地球の方角を見つめては「彼ら」の事を思った。遥か遠くではあるものの、確実に愛する野球は存在し続け、今日も自作のロボットが白球を追いかけているであろう姿を想像し、彼の新生活の心の支えとなった。

 *

 個性の無いデータが織りなす試合は実際の野球ではあり得ないスコアを量産し、積み重なった個人成績は時として天文学的な数値を叩き出した。天文学的、という言葉が義春の脳裏をよぎると、無機的だったゲーム画面に壮大な物語が浮かび上がった。
 だが個性のない彼らには、これ以上物語を進行させる能力を有していなかった。物語を締めるべき主人公の存在がいないのだ。
 義春は、このロボットの野球だけが機能した惑星に降り立つべき選手は1人しかいないと思った。野球選手でありながら、哲学者のようであり、現代芸術家のようであり、ロックスターのようであり、それでいて全ての野球選手の模範となるような、いくつもの素質を矛盾なく抱えた選手だった。
 義春はこの「ポンコツ野球ロボ」達の中に一人の選手データを打ち込んだ。守備力、送球力、走力、巧打力、どれをとっても最高の能力値に設定し、最後に選手名を「イチロー」と打ち込んだ。
 
 *

 天に高々とバットを突き上げた。これは彼が打席に入った時に必ず行う仕草だった。視点を守備から打撃に移す以外に深い意味は無い儀式的なものであったが、必ず行っていた。
 開拓作業もひと段落つくと、ふと自分が地球に残したロボットたちが気になった。飽きることも知らずに野球に取り組む「彼ら」がとてつもなく羨ましくなり、1人ケンタウルス座を抜け出した。
 いまイチローはロボットたち相手に9割9分7厘という高打率をマークしていた。かつて人間たちを相手に3割や2割という数字に躍起になっていたころを懐かしみつつも、それでも10割に到達出来ないのはなぜだろうかと考え、きっとそれだけ野球というものを分かっていないのだと感じた。「天才」、「スーパースター」と自分をもてはやす者も大勢いたが、結局のところ野球ひとつ完璧にわかっていないのだ。そして野球とは何かを悟るべく、この青い星に帰還した。
 ここには観客も年俸も球団も個人成績もリーグも国籍も監督も戦術もプライドもしがらみも無い。あるものは野球だけだった。もし他にあるとすれば自分だけだった。ほかならぬ誰よりも、自分に期待している自分。野球というものの真髄を掴もうとする自分だった。もちろん打率10割を達成したところで、何かを掴めるかは分からない。しかしいにしえの宗教家や預言者が何者かから導きを得た様に、自分もこの歪なグラウンドを使用する球技から誰も知らない導きや教義を得たてみたかった。だから自分と野球さえあれば、他には何も要らなかった。無限大の答えを自分で創るべく、静かに左打席に立った。
 ロボットの投手がイチローに白球を放る。微かに胸の鼓動が速くなるのを感じる。そういえば自分も肩の強さを「レーザービーム」とロボットのような揶揄をされたな。そんなことを思い出しながら、漆黒のバットを振りぬくと、打球は低い弾道で右中間を切り裂いた。
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