白球よ故郷に帰れ

文字数 3,440文字

―――――弧を描きて 本塁(ホーム)にかへれ 白き球 穢れを知らぬ 彗星が如く

 1955年 京都市営球場
 ユニコーンズの三塁手がゴロを捌き、一塁に転送する。塁審が高らかにアウトを宣告するとユニコーンズナインが一斉にマウンドのウラジーミル・モロゾフのもとに駆け寄った。
 「やったな!モロさん」
 モロゾフはこの勝利で300勝を達成した。日本以外の出身の選手では初の偉業だった。今日の対戦相手だったルビーズの選手も敵味方関係なくモロゾフを祝いにやって来る。かつて同じチームだった監督の藤岡は目に涙を溜め、感極まりながらモロゾフに言った。
 「モロ………、お母さんも喜んでるはずだよ……」
 年初に亡くした母と、モロゾフの人生は苦難の連続だった。生まれは帝政ロシアだが、革命の余波を受け9歳で亡命した。北海道に身を移してからも父が殺人事件を起こしのちに獄死。戦中は「諸田」という日本名を名乗り無国籍であることを隠した。
 グラウンド外で立て続けに起こる迫害や災難を忘れるためにモロゾフは白球を放り続けた。どこに辿り着くかわからない男女のようにふらふらと落ちるということで、「アベックボール」と名付けた変化球は長身のモロゾフにしか投げられない唯一無二のものになった。
 38歳を迎えた昨年、新規参入球団であるユニコーンズから誘いを受けた。師事する藤岡から離れるのは悩みどころだったが、長くないであろう現役生活と高額の契約金を考え、「U」の帽子を被ることに決めた。気持ちも新たに真新しいユニフォームに身を包んだモロゾフは、ユニコーンズで引退することを決め、ゆくゆくはコーチや監督としてユニコーンズと歩みを共にしたいと考えた。
 だがモロゾフが考えるほど新球団の行く先は甘くはなかった。戦力はほかの球団から譲ってもらった寄せ集めであり、本拠地の川崎では負けが込むと工場帰りの労働者たちから容赦のないヤジが飛んだ。ほかにも等級の低い列車での移動を余儀なくされたり、コネクションが無いことに付け込まれ、外国人選手に契約金を持ち逃げされたりと、散々な有様だった。

 西京極に移動してささやかな祝賀会が執り行われた。ひとしきり楽しい宴が続いたのも束の間、下戸で選手の飲酒に理解のない監督の濱口が、なにかのはずみで逆鱗に触れた。
 「お前らごときの選手がモロと酒飲んでいい気になるんじゃないよ!大体チームの勝率を考えてみろよ」
 ユニコーンズが所属していたパ・リーグには当時、年間勝率が3割5分を下回ると罰金が科せられていた。特定の親会社に頼らず、広告と入場料で経営しているユニコーンズにとって、罰金は経営を瀕死の状態にさせかねない痛手であり、なによりプロとしてこれ以上ない屈辱だった。ユニコーンズは目下最下位であり、今日の勝利でやっと2割に戻ったというレベルだった。皆の酔いの気が引いていくのをモロゾフは感じた。
 東京の自宅では、家族が300勝を挙げた父を待っているのだろうと思う一方で、自分の安住の地はどこにも無いのだなのと心の片隅で悟った。あるとすれば、マウンドにある小さな投球板の上でしかない。大陸とのつながりを唯一感じる日本人離れした長身と肉体は衰えつつある。もし投げることが叶わなくなったら、自分はどこに行けば良いのかと、栄光とは裏腹に一抹の不安を感じ、ふと球界に伝わる短歌を思い返した。


 2016年 霞ヶ丘外苑野球場
 「まさかナガノさんにこんな日が来るなんて」
 カウント1―0から内角球を振りぬくと左翼に打球は伸びていき、2塁キャンバスを踏むと大歓声が沸き起こった。
 コーチから花束を受け取る。2000本安打を達成した永野哲智の野球人生は「まさか」という言葉とともにあり、反対にエリートという言葉とは無縁だった。広島の在日コリアンの家庭に生まれ、国籍でさまざまに苦労を強いられた。日本ではコリアンと呼ばれ、半島では日本人扱いを受けた。大学は東京の名門・駒形大学に進学したが、4年間でわずかに2本塁打に留まり、ドラフトで地元カーズから指名を受けた際は周囲から驚きをもって迎えられた。真相は駒形大出身のカーズのOBに「一生懸命やりますから」と涙ながらに頭を下げて入団した、言わば「コネ入社」であった。
 永野を闘争心を掻き立てたのは「兄貴(ヒョン)」の存在だった。永野と同じく広島出身のコリアンで、厚い胸板から放つバッティングは誰よりも性格で力強く、大リーグのスカウトからも熱視線を注がれていた。人間としても模範である兄貴(ヒョン)のようになりたい、自分も同胞の希望になりたい。そうした思いが永野を掻き立てた。兄貴(ヒョン)が大阪のタイタンズに移籍すると4番に座り、兄貴(ヒョン)が果たせなかったホームラン王に輝いた。

 「苦しいです。カーズを愛していますから」
 フリーエージェントの権利を得ると愛する広島の街と、兄貴(ヒョン)とともにプレーするための移籍かの狭間で揺れた。永野の結論はタイタンズへの移籍だったが、複雑な胸中から会見中に滂沱の涙がこぼれた。当然ながらカーズ戦では「愛しているなら出ていくな」、「泣いてごまかすな」と大ブーイングが起こった。両チーム間で乱闘が起こると永野が関係のないプレーにも関わらず「ナガノのせいだろ」と罵声が飛んだ。日本と半島、広島と大阪。自分の人生はは二つの地で揺れる宿命にあるのだなと肌で感じた。

 カーズともタイタンズとも違うリーグの球団でひっそりと引退しようと考え、移籍先を探していたところに再びカーズからオファーが来たのは大いに驚いた。後足で砂を掛ける形で移籍したことが気になったが、広島のファンは暖かく永野を迎えれた。
 そしてカーズの赤いユニフォームに身を包みこうして偉業を成し遂げた。ほかならぬ誰よりも自分が運命に驚いていた。自分が帰るべきところはやはり生まれ故郷、広島なのだなと東京の空の元で実感した。早く広島に戻り故郷の皆に報告したいなと永野は思った。


 2017年 ヒューストン・パーク
 全米から集まった数多くのメディアのマイクが自分に向けられる。それも球界最高峰の舞台とされるワールドシリーズで打たれたホームランについてだった。これだけでも投手としては屈辱極まりないことだったが、スタンドに叩き込んだ敵軍ヒューストンの打者が、ベンチに戻るとアジア人を蔑視する言動を行ったのだ。自分に向けられたマイクはその感想を欲しているのだった。

 「ガイジンちゃうわ!」
 イラン人の父と日本人の母の間に生まれたキアロスタミ圭太は大阪の羽曳野(はびきの)で生まれた。浅黒い肌と彫りの深い顔は常にからかわれ、その度に取っ組み合いの喧嘩になった。この気性の激しさこそキアロスタミの才能で有り、同時に難癖であった。全てに白黒をつけないと気が済まなかった。その性格が災いして、悪い付き合いも増えた。弟は完全に道を踏み外し、幾度となく警察の厄介になった。自分も学校や球団に隠れてタバコやパチンコを年齢が満ないうちから嗜んでいた。弟が野球賭博で捕まった際、兄の名を汚したくないからと、改名したいと申し出たことがある。裁判官から「変わらなければならないのは名前ではなく貴方自身だ」ときつく叱咤された。

 慎重に言葉を選びながらメディアに対応する。羽曳野のころの自分なら間違いなく怒りに任せて相手の胸倉をつかんでいただろう。しかし自分だって過ちがあり変わり成長し、相手にも家族があり故郷があることをおもんばかった。特に今回差別的な言動をした打者は野球のためにキューバから亡命した選手だった。
 「誰にでも間違いがあり、そこから学び進歩するのです。彼が今日そのことを学んでくれれば、僕はそれでいいと思います。彼に寛大な処分を求めます」
 キアロスタミの発言もあり、その打者はワールドシリーズに続けて出場可能となった。シリーズは最終戦までもつれ、その最終戦にキアロスタミは先発を任されたが。惜しくもチャンピオンリングを逃した。
 もちろんあの場で「彼にシリーズに出てほしくない」と言えばその通りの処分になり、自分に有利になるのは分かっていた。しかしながら自分の性格がそれを許さなかった。そんな性格の自分だからこそ野球という勝負事に身を置けることを誇りに思った。野球こそ自分の居場所であり、国境も国籍も名前も野球には要らなかった。自分の故郷はマウンドであり、来季も美しい故郷へ戻るべく自主トレに勤しんだ。
 
参考文献:長谷川晶一『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』(2015年/彩図社)
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